ここではこの2ヶ月間で読んだ本で前のブログに書き込んだものを再録します。
ねじめ正一著『青春ぐんぐん書店』

昭和51年(1976年)10月29日、山形県酒田市内中心部の商店街で発生した火災は、わが国で、戦後4番目の大火となった。出火は中町二丁目映画館グリーンハウスからで、おりからの強風にあおられ、22.5haを焼き尽くす大火になり、翌30日の午前5時に鎮火した。出火以来11時間半にも及ぶものであり、市の中心部1,774 棟が焼損した。被害は、死者1人、罹災者3,300人、被害総額405億円(うち276億円が商工関係の被害)。
以上がインターネットで調べた酒田の大火の状況である。この『青春ぐんぐん書店』(新潮文庫)はこの事実に基づいて、被災した至誠堂書店(ちゃんとモデルになった書店があるらしい)の息子拓也を主人公とする話である。元々この本を手にしたのは書名に「書店」という文字が入っていたためで、本屋さんの物語だろうと思い、読んでみたわけだ。
物語は、拓也の高校の友人関係と至誠堂の再建とを絡めて物語は展開する。拓也の青春物語はどうでもいいような、どこでもあることで大して面白味もなかった。
どちらかといえば、拓也の父親で至誠堂の社長の方が興味があった。この親父本当に昔いた本屋のオヤジである。「本は文化だ。本が売れる町は、文化もそれだけ高いんだ。本屋ってのは町の文化を支える大事な仕事だ」言う一方、長女になんでお店に岩波書店の本を置かないのかとやり込められる。岩波書店の本は買切なので、もし売れ残ったりすれば、返品ができないため、自分のところで抱え込むしかない。売れなければいつまでも不良在庫になる。そのため地方や地元の昔からある本屋さんでは岩波書店の本をなかなか置かないのだ。
でもこういう本屋のオヤジって、結構いたような気がする。拓也の父親みたいに「本は文化だ」と偉そうなことを言う割には、あかぬけずに、計算高い奴って、昔の本屋のオヤジの典型ような気がしてしまう。得てしてこういうオヤジって地元の商店会の役員なんかやってたりするもんだ。
でも子供の頃、そういう本屋のオヤジが小学○年生という雑誌を配達してくれたのだ。業務用の自転車に大きな荷2台をつけて、自宅まで来てくれたのだ。結構楽しみの待っていたのを思い出す。なんか懐かしい。
まぁ余り本の内容とは関係ないけど、この本を読んでいて、一昔前にいた本屋のオヤジを思い出した。(2005/07/02(Sat) 05:55:44)
高橋哲哉著『靖国問題』

私のつたない知識だと、靖国神社に祭られているのは、いわゆる軍人だった人たちであって、一般民間人の戦争犠牲者はいないと覚えている。今回この本を読んでそれは間違っていないことを改めて確認するともに、そうであるなら、小泉首相が戦争犠牲者に哀悼の意を示し、二度と戦争を起こさないという理由で、中国や韓国の人たちの気持ちを逆なでしてまでも、靖国参拝をするのはおかしい。 高橋哲哉さんの書かれた『靖国問題』(ちくま新書)を読んでみると、靖国神社というところには、明治維新から天皇を擁護する軍隊の戦争犠牲者を神として祭っている。そして圧倒的な数として、第二次大戦の軍人であった戦没者がかなりの数を占めているという。しかしこの大戦で、犠牲になったのは軍人だけじゃない。民間人だってかなりの犠牲者がいる。たとえば広島・長崎の原爆犠牲者もそうだし、沖縄だってそうだ。それこそ各地で空襲にあって、その犠牲になった一般民間人も沢山いることは周知の事実だ。
ところが、靖国神社はそういう一般民間人の犠牲者は祭られていない。あくまでも軍人であった、あるいは軍に関係していた人たちのみが祭られている。
戦争相手国にしてみれば、これら軍人や関係者は、その人達が好のもうが好まざろうが「加害者」である。戦争被害を起こした「当事者」である。それら軍人や関係者の戦没者のみを祭っている靖国神社に一国の首相が仰々しく参拝するのは、耐えられないはずだ。それはあたかも日本軍を崇拝している、あるいは軍隊を奉っているのと同じ行為である。それを一国の首相が行うことは、たとえ個人的な意思であっても、小泉さんが日本の首相である以上、個人的な意思だといっても通るわけがない。そして小泉さんが靖国神社を参拝することは、日本人全体の気持ちを代表してしまうことを知るべきである。だから私は日本の首相が靖国神社を参拝するのは反対である。それは日本の近隣諸国の意思を尊重すべきという以前の話しだ。靖国神社が旧日本軍の施設である以上、今の日本国憲法下では許されることじゃないと思っている。
では何故、靖国神社が軍人や関係者のみが祭られているのか、この著者は明確に語っている。1939年の6月号の『主婦の友』に掲載された、「母一人子一人の愛児を御国捧げた誉れの母の感涙座談会」の中で一人の母親が語っている言葉が靖国神社の存在意味を示している。
その母親が言っている。「ほんとうになあ、もう子供は帰らんと思や、さびしくなって仕方がないが、お国のために死んで、天子さまほめていただいとると思うと、何もかも忘れるほどうれしゅうて元気が出ますあんばいどすわいな」と。 本来、戦争でなくても自分の家族が亡くなれば、悲しくてやりきれない。まして戦争に強引に取られて、その犠牲になったとなれば余計だろうし、不満が残る。その家族の悲しみを元気に変えて、家族の不満を国に向けさせないために靖国神社が存在したのだ。それを著者は「感情の錬金術」と言っている。
明治維新から戦前まで天皇は神であった。絶対であった。その天皇が靖国神社で戦死者を名誉ある死として奉るのだから、遺族の気持ちが悲しみから喜びに変わるのも不思議じゃない。そして天皇が誉めてくれるのだから、次に続けと次の兵士を準備させる。明らかに当時の国家の意識が働いていた。だから靖国神社は国家が遺族や国民を洗脳する施設だったのだ。
ただ私は、靖国神社を完全に否定するつもりはない。それでいい人もいるならそれはあってもいいと思っている。あくまでも過去の遺物である。問題はそうした過去の洗脳施設を一国の首相が参拝すること、軍人だけを祭っている神社なのに、戦争犠牲者を哀悼すると言って行くべきところじゃないということなのだ。
この本は靖国神社に関係して、A級戦犯の合祀の問題、特にA級戦犯を靖国神社から切り離そうとすると政治が宗教に介入することになるので、それは憲法違反になってしまうということ。又靖国神社側も、一度神として祭られた人はたとえそれがA級戦犯であっても出来ないという主張があること。更に靖国神社の代替施設を作っても、政治の体質が変われば、第二の靖国神社になりかねないことなど、興味深い主張が表されていて、面白かった。 (2005/06/30(Thu) 05:55:44)
池田清彦著『生きる力、死ぬ能力』

池田さんの本を読むのはこれで2冊目である。この『生きる力、死ぬ能力』(弘文堂刊)は二部構成になっており、第一部が「死」について書かれており、第二部は、何故池田さんが構造主義的生物学のスタンスに立っているのか、インタビュー形式で説明する。ここでは第二部は専門的なので、私の手に負えない部分があるので、第一部からいろいろ考えてみる。
池田さんの本によれば、人間は生きられても最大120歳までだという。人間はおよそ60兆以上の細胞から成り立っているが、その細胞が50回分裂すると死んでしまうらしい。詳しくは分からないけど、細胞にある染色体の先端にテロメアというものがあって、それが染色体を結んでいて、バラバラにならないようにしている。(あれ?こう書いていて、テロメアって大野さんのホームページで見たような気がする。後でよく見てみよう。)ところが細胞分裂を繰り返していると、そのテロメアがどんどん短くなっていき、最後にはなくなってしまい、染色体がバラバラになってしまい、細胞が死んでいく。しかし細胞が死ぬことによって生きる力を与えられている事実もあるようだ。アポトーシスである。
たとえば、我々の手足には5本の指がある。しかし母親の胎内にある時は指と指の間にも細胞があって、それが計画された死(プログラム死)によって指の間にあった細胞が死んで、5本の指ができるらしい。このプログラム死をアポトーシスといい、それがあるから、今の我々の身体の形があるのだという。
それと同様に、生物界全体で個体の死があるから、連鎖として成り立っている部分があるのだというのだ。ありえないけど、人間がかなり長生きして、なかなか死なないとなれば、新しい命が生まれる余地がなくなってしまうし、エネルギー資源もなくなっていく。生物が生きていくためには、「死」が前提なのだ。死ぬ能力があるから生きられるのだ。
ところが人間は「死」を恐ろしいものだと思うようになってしまっている。特に現代社会は完全に「死」密封してしまっている。とにかく人のほとんどが病院という隔離された場所で死ぬ運命になってしまっていて、死ねばすぐ火葬され、骨だけになって、墓に葬られる。それこそ昔みたいに、人の死体がごろごろしていたのとかなりの違いである。
「死」は生きるものにとって避けられない現実であっても、それを密封することによって、「死」を非現実的なものにしてしまう。そのことが「死」を逆に恐ろしいものにしてしまい、死ぬことで新しい生命の生きる余地を作っていることを考えさせない。何故そこまで「死」を密封するのか?
池田さんは人間には「不変の自我」というものがあって、変わっていく自分をいつも対比して見ているという。死ねばその「不変の自我」もこの世から消えてしまう。それが「死」を怖いものと思わせているというのだ。そう考えること自体きっと人間が進化して脳が巨大化したためなんだろう。
そこで「死」を恐れないために人間は次に何をしたかというと、「不変の自我が死後にもあの世にあると考えたわけです。それは宗教の起源ですね。」という。
このあたりの考え方は面白い。なるほどと思ってしまう。生物学者ならではの考え方だと思った。2005/06/28(Tue) 05:50:46
和田誠『装丁物語』

インターネットでしおりのことを調べていたら、和田誠の『装丁物語』(白水社刊)にたどり着いた。その本を読んでみたいと思い、検索するが、どうも現在品切れのようで、仕方がないのでインターネットの古本屋さんから、購入する。
この本は楽しい本であった。和田さんが装丁した本の写真もたくさん載っていて、その本たちがどのように作られていったかがよく分かる。本のカバーデザインに様々な実験が施されていることを知った。そしてここに紹介されている本も含めて、自分の本棚を見てみると、私は和田さんが装丁された本をかなり持っていることも知る。
私は自分では本の装丁に関して結構気をつけて見ているつもりでいた。買った本は、まずは本屋さんでかけてもらったカバーを外し、更に本についているカバーも外して、本そのものを眺めるし、読んだ後も、本屋さんのカバーを外し(そうしないと本棚に収める時、何の本か分からなくなるからだ)、再度その本を見るけど、そのカバーやデザインに深く思いをはせたことはなかった。
結局欲しい本を買ったことや、その本を読んだことだけに満足してしまっていたのである。
買った本がどういうコンセプトでデザインされ、形作られていったかなんて考えたこともなかった。まして本の装丁者が、装丁する本を読んで(この場合ゲラというのだろう)、その内容からデザインを考え、出版社の営業方針とはざまで、ああでもない、こうでもないと、試行錯誤しながら本のデザインを考えていたとは考えもしなかった。だから、見る人が見れば、本のカバーのデザインは、装丁者がちゃんと内容を読んで、作ったものかどうか分かっちゃうらしい。
言われてみれば、当然なことなのだが、やっぱり私はすぐ本の内容の方に興味がいってしまうので、本のデザインなど二の次だった。
この本を読んで、本の装丁ももっともっと関心を寄せてもいいんじゃないか思った。この本のカバーはこの内容からデザインされたんだなぁと思うだけでも、もう一つの本の楽しみになりそうだ。
ところで、この本を読んで知ったことがある。本の裏表紙にあるバーコードである。これは位置が決まっていて、上から1㎝、背表紙から1㎝のところにつけるらしい。
ところがこのバーコードやその位置が、カバーをデザインする人にとってみれば、かなり鬱陶しいものらしい。和田さんがいうには、このバーコードは真っ白な紙に絵を描こうとしても、もうすでに何かが描かれている状態なのだから、デザインのじゃまになるというのだ。しかも文庫本だと裏表紙にはその本の解説などがあるから、結局デザインは表表紙しかできないことになっちゃうという。昔は文庫本でも裏表紙にそんなバーコードや解説などなかったから、裏表紙まできちんと一体化してカバーのデザインが出来たという。実際、私が持っている古い文庫本で、和田さんがデザインされたものを見てみると、確かに表裏一体化したデザインになっている。

しかし最近の文庫本を見てみると、確かにバーコードがあり、ISBNコードもあり、この本の解説などで、デザインなどするスペースがない。

もちろん和田さんはバーコードを否定しているわけじゃない。その必要性は認めている。認めているが、もう少しやり方があるだろうというのだ。せっかくすばらしいカバーのデザインが出来ても、バーコードがあるために、その部分が消えてしまい、台無しになってしまうことだってあるだろう。そう考えれば分からないでもない。デザイナーにとってみれば全体が作品なのだから、こだわらざるを得ないのだろう。(2005/06/25(Sat) 17:03:07)
川上健一著『雨鱒の川』

もう1冊川上健一さんの本を読む。『雨鱒の川』(集英社文庫)である。前回読んだ本と同じ青春小説の本だが、今回も前回同様、かつて似たような少年時代を過ごしてきた経験が、共感や郷愁を呼ぶ。確かに昔はこんな奴がいた。
又その描写の中で、身の回りの自然もかつてはそうだったよなぁと思わせるところがいい。ありきたりな言い方をすれば、自然が豊かであった。その為かここに書かれている時がゆっくりと流れているように感じられ、登場人物達がやさしく思える。あるいはものすごく素朴である。だから昔の人のつきあい方は良かれ悪しかれ、人のぬくもりがあった。
主人公の心平は川で魚を捕ること、絵を描くことが大好きな少年で、近所にある川が、家にいても、学校にいても気になる。そして心平の側にいるのが小百合であって、2人はいつも一緒だ。彼女は耳が聞こえない。その為しゃべるのも上手くできないが、心平は小百合が何が言いたいかわかる。だから2人は会話が出来る。自分たちの描いた絵を見ながら、話し、笑えるのだ。
ある日心平は川で大きな魚を見つける。雨鱒である。心平はその雨鱒を突いて捕ろうと、秀二郎爺っちゃに大きなヤスをもらい受ける。心平は川に潜って雨鱒を見つけ、捕ろうとするが、雨鱒は心平のまわりにじっとして、逃げない。何度も心平は雨鱒を見つけ、捕ろうとするが、雨鱒は心平のまわりから離れない。そのうち心平は雨鱒を突いて捕ることが出来なくなり、その雨鱒と川の中で話しをするようになる。それまで川に行き時はヤスを持って出かけるのが、それを持たず、雨鱒と話しをするために川に潜るようになる。それから心平の絵は沢山の雨鱒の絵になり、その一枚がパリの国際児童画展の特賞を受賞する。そのお祝いにみんなが集まり、その日の夜に母のヒデが死ぬ。ここで第1部が終わる。
第2部では1部にあった、少年時代の淡く、素朴なトーンでの描かれ方と違い、厳しい現実を心平に突きつける。
18歳になった心平は小百合の父が経営する酒造会社で働くが、相変わらず絵を描くことが自分の人生で最大の楽しみであった。母と暮らした家はアトリエとなり、そこへ小百合が食事を持って訪れる。川は開発のため荒れてしまい、もう魚が少なくなっていた。
小百合の父親は心平に絵の勉強をさせるため、東京の画家の元に半ばやっかい払いするかのように勧める。しかし、絵の勉強をして画家になることは考えられても、心平は小百合と離れて生きることが出来ない。荒廃したといってもこの川と離れられない。小百合に父親を裏切ってもここにいることを決意する。
しかし、小百合に結婚の話しが進むと、小百合とだけは離れて生きられず、小百合を奪ってこの川のある村から2人で離れていく。
前に読んだ本と比べてしまうと、私は前の本の方が上手くできていたと思う。ただ、前の本の描き方の片鱗がここにある。だから悪くはなかったがもの足りなかかった。
それにしても、心平が川で見た雨鱒が笑った絵はどういう絵なのだろうと本当に見たいと思った。 (2005/06/20(Mon) 05:13:36)
川上健一著『翼はいつまでも』

前に読んだ川上健一さんのエッセイを読んで、10年間のスランプ後に書かれた小説を読みたいと書いた。それを読んでみる。
『翼はいつまでも』(集英社文庫)はバリバリの青春小説である。青春小説を読むのは本当に久しぶりだ。
青春小説って、自分たちにもこんな時代があったよなぁと思わせる、郷愁みたいなものを感じさせてくれる。今にしてみれば馬鹿げていて、どうでもいいことにこだわってみたり、甘酸っぱい、そんな感じだ。
主人公の神山久志はうだつの上がらない中学校の野球部員、ある日米軍のキャンプ地から流れるビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」をラジオで聞いてから、その曲が頭から離れられなくなり、今まで引っ込み思案であったのが、だんだん積極的に生き始めようとする。それを後押ししてくれたのが、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」であった。その曲が「もっと自分らしく生きようよ」と言ってくれているように思えたのである。
一方お相手の斉藤多恵はお父さんの仕事の関係で、一時イギリスにいたことがあって、英語がペラペラで、ピアノや歌が上手い。けれどそのことがかえって目立ってしまい、いじめにあう。更に交通事故で両親を失い、自分も顔や身体に傷を負う。それで久志のいる中学校に転校してきた。学校では自分の顔の傷が目立たないようにいつもうつむき加減で、目立てば又いじめにあうと思い、勉強できないふりをして過ごしていた。
そんな多恵に久志が「もっと自分らしく生きようよ」と自分を表に出して生きていくことを勧める。そうしているうちにお互い気持ちがひかれていく。そして定番の別れ。
話としては青春小説っていうのは、こんな感じで、単純だ。でもそれがかえって素朴で、郷愁を誘ってくれる。素朴だからこそ、感動させてくれるところもあるわけだ。しかもそれは読む側の琴線ふれるものだから余計だ。
実は、最後に多恵が黙って久志と別れようとするのを、久志が追いかけて行く時、そしてどうして黙って久志と別れようとしたかを涙ながらに言う多恵の姿。更に汽車に乗った多恵を追いかけてホームを走り、大声で泣き崩れる久志の姿を想像して、うるうるとしてしまった。あまりも定番中の定番の展開だけど、本を読み進んでいるうちに、私はいつの間にか野球部員、クラスメイトになっていたのかもしれない。
おっと、ハードボイルドに生きたい自分としては、あまり青春小説に感動していてはいかん!と思いつつ、読んでしまった。 (2005/06/16(Thu) 09:56:09)
柳田邦男編『阪神・淡路大震災10年』

この本は岩本町店が閉店するに当たり、売れ残った岩波新書を100円均一で処分するので、その前に読みたい本があれば買っておいてくださいと岩田さんに言われ、買った本である。
阪神・淡路大震災は平成7年1月17日午前5時46分に起こった。地震の規模はマグニチュード7.2。死者は6,432人、地震による住宅の被害は512,882棟、地震に伴う火災は7,483棟、罹災世帯9,017世帯であった。(消防庁災害対策本部「阪神・淡路大震災について」による)
それから10年主に神戸の町はどのように復興してきたか、震災後から復興までの間どんな問題があったのか。そしてここで学んだ教訓は次にどのように生かされたのか。地域の人たち、ボランティア、NGO、NPOなどがどのように復興に関わってきたのか。それらの記録である。
それにしても国や地方自治体が行う復興というのは、人が生きることがどういうことであるのかを無視したものであるかよく分かる。そもそも震災直後の対応さえひどかった。あの少年Aでさえ、当時の村山首相を殺すかもしれないと言わしめたほどのものだから、さもありなんと思う。
家屋が倒壊した人たちに仮設住宅を作るに当たり、今まであった地域のつながりを完全に無視してハードの面だけ供給すればいいという考え方は、その後起こる仮設住宅や恒久的な復興住宅での老人の孤独死が後を絶たなかったのが物語っている。(98年31人、99年38人、2000年から4年間で251人、復興公営住宅で6年間に320人に達している)いかに人間は人とのつながりが必要であるか、いいにつけ悪しきにつけ思い知らされる。
そこで地域の住人、ボランティア、NGO、NPOなどが人とのつながり、コミュニケーションを重視した復興の取り組みをしていく。国や地方自治体がハードの面しか面倒を見てくれないなら、自分たちがソフトの面で復興を考えようという姿勢である。
しかしこれらの人たちが手を取り合って、復興に取り組む中で一方で、美談ばかりじゃないことも忘れるべきじゃないだろう。むしろ震災後に起こった陰の部分がこの国の醜い部分として、又システムとして不備な部分を露呈した。自然災害が人災を生む。「災害というものは、地域社会がかかえている弱点や災害弱者を冷酷までにねらい撃ちする形で襲うのだ」
私は今ある「新・頁の背後」の前に書いた「頁の背後」で、阪神・淡路大震災後に起こった陰の部分を書いた本を紹介したことがある。今回この本を読んで再度収録してもいいかなぁと思い、再度校正し直して次に紹介しようと思う。 (2005/06/14(Tue) 12:00:41)
長部日出男著『二十世紀を見抜いた男』

学生時代マックス・ウェーバーの『都市の類型学』、『古代社会経済史-古代農業事情』は卒論で必要なので読んだのだけれど、ウェーバーの代表的著作、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んでみたいと思っていた。しかし、いきなりこの論文を読んでも今じゃちんぷんかんぷんだろうから、まずはジャブで、入門書から入ろうと思い、長部日出男さんの『二十世紀を見抜いた男』(新潮文庫)を手始めに読む。
私は、ヨーロッパ絶対主義の時代から、次に時代にリーダー的存在で時代をリードしていくイギリス、オランダ、アメリカなど、いわゆる資本主義が育まれていった地域がカトリックにどっぷりつかった地域ではなく、プロテスタンティズム、特にカルヴァンの提唱したカルヴァニズムに帰依した人々がいる地域であったとするウェーバーの考え方に以前からものすごく興味があった。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にそのことが書かれていて、読まなくても、何故ウェーバーがそう考えたのかは知っていた。
カトリック教会がその国の国王を決めるのに絶大な影響力を持ち、教会が世俗的で、封建領主みたいになっていく中で、教会内の腐敗も進んでいく。そこでルターやカルヴァンの宗教改革がはじまり、いわゆるプロテスタンティズムが生まれていく。
プロテスタンティズムは勤労と倹約を勧め、そのことは必然的に富を蓄積し、資本の形成を促す。そしてその資本を本投下し、更に富を蓄積していく。これはまさに資本主義であるが、一方でこの行為は奢侈や消費を否定するプロテスタンティズムに反するんじゃないかと思っていた。
しかし長部さんこの本を読んで、これらの行為はプロテスタンティズムがいうところには何ら反しないことを知る。つまり、カルヴァニズムは、「神のために人間が存在するのであって、人間のために神があるのではない」とし、「カトリック教会の腐敗に気がついた彼がしたことは、ただ教会制度を破壊することでも改良することでもなく、個々人の魂のあり方を変えることであった。すなわち、自分中心の、行為中心の生き方から神に中心を置く生き方に変わることによって、一切のものの見方を変えてしまおうとする、意識改革であった」のだ。そしてその神が望むことは、神のために働けということであり、労働が禁欲の手段となるのはヨーロッパの修道院で証明済みということなのだ。ここで初めて「世俗的職業を、神から与えられた天職」と考えるカルヴァニズムの諸性質が生まれてくる。
だから、一件矛盾するように思えるカルヴァニズムは初期段階では何ら矛盾しない。労働すること、財の蓄積は神が望むことであって、その機会を逃すこと自体が神の教えに反することになるのだ。
しかし、この神の教えは、功利的な現世主義に取って代わられるのは時間の問題であった。今現在の資本主義が功利的な現世主義に陥っているため、又その世界に生きている私達だから、カルヴァニズムはキリストが唱える「禁欲」から矛盾すると感じるのだ。
この本はマックス・ウェーバーの評伝となっているため、ほとんどの部分が彼の生い立ちに重点を置いているため、かなり退屈な本であるが、後半は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の成り立ち、考え方の解説がやっと出てきたので、最後まで読み通せた。 (2005/06/13(Mon) 10:15:11)
山田真哉著『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』

できる、よくわかる、図解、超図解等々、いわゆる入門書、マニュアルは数々ある。何もそれはパソコンだけじゃなくて、会計に関しても同様だ。これだけ種類があるということは、どれを読んでも結局読む側に満足を与えてくれないということじゃないかと思うのだ。
この山田真哉さんの『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』(光文社新書)は題名だけだとなんの本だか分からないが、会計の入門書なのである。ただ入門書といっても、会計用語を身近な事例で説明する会計の入門書の入門書といった感じであろうか。
たとえば書名にもなってさおだけ屋は軽トラにさおを積んで、「さお屋、さおだけ~」とスピーカーから流して、ゆっくり走っているが、山田さんの言うとおり、「子供の頃から一度もさおだけ屋からさおだけを買ったことがないし、また、買っている人を目撃したことも、買ったという話を聞いたこともない」なのにこの商売が成り立っているのは何故なんだろうということからはじまる。
ここで山田さんは2つの仮説を立てる。「①さおだけ屋は、実は売り上げが高い②さおだけ屋は、実は仕入れの費用が低い」である。①の売上が高いは、さおだけでなく、たとえば物干し台とか結構ぼったくって商売をしているということのなるが、どうやら正解は②の仕入れの費用が低いから成り立っている商売であるようだ。
つまりさおだけ屋は近所の商店街の金物屋さんで、自宅まで配送を頼まれるから、そのついでにさおを売っているらしい。さおだけ屋だけという商売は実はないのだ。本業のついでに副業としてさおだけ屋があるのだ。
こうなると、諸経費は本業から回せるし、仕入れも本業からだから、さおだけ屋でしか考えなければ、仕入れゼロということになり、売れた分だけが儲けとなる。
これをふまえた上で、ここから会計の説明に入る。ゴーング・コンサーン(企業が存続していくこと)のためには、利益を出さないといけない。その為には売上を増やすか費用を減らすかで利益を出していくという説明をしていくのだ。
ところが売上を増やすことが簡単じゃないこのご時世だから、そうなれば費用を減らして利益を出していく必要に迫られる。それは一般家庭においても同じことをしているんですよと話を続けていく。つまり企業が費用を減らして利益を出していることは、家庭において節約しているのと同じだということなのだ。う~ん、確かに。
こんな感じで、身近な例から、会計を説明していく。やり方としてはうまいのかなぁとは思うが、(だから40万部のベストセラーになっているのだろう)毎日経理をやっている私には当然物足りない。 (2005/06/02(Thu) 05:20:29)
川上健一著『ビットウィン』

ある大雪の日、おかずのために魚釣りに行くべきかどうか悩んでいるときに奥さんが遭難するからやめなさいという。それを聞いたヅキちゃんが「そうなん、ってなに?」と聞く。それに対して奥さんは「災いにあうこと」と説明する。ヅキちゃんが「わざわい、って?」と聞く。奥さんは「災難にあって大変な目にあうこと」と説明する。更にヅキちゃんが「さいなん、って?」と聞いてくる。この後の奥さんの説明が最高である。
「災難というのはねえ、うーんとね、お母さんがお父さんと出会ったことが災難。それで騙されて一緒に暮らすことになったお母さんの苦労の毎日が遭難。分かる?」
これには笑った。勿論これはヅキちゃんにいった訳じゃなくて、川上さんに当てつけに言ったことだ。
冒頭からこんな感じで始まるので、この本はおもしろそうだと思った私の感が当たった。 川上健一さんの『ビットウィン』(集英社刊)は川上さんが作家としてデビューしてから、体調を壊し、八ヶ岳の南麓にある古い民家に住み、作品を書かず(書けず)、新しい作品が書き上がる10年間をそこでの生活を奥さんと愛娘の紗月ちゃんと3人の生活を描いたエッセイである。
作家が作品を発表しないのだから、当然生活も苦しくなる。「貯金はとうの昔にすっからかん。生命保険はとっくの昔に解約。自給自足といえば格好がいいけど、お金がないのでおかずを釣ってこなければならない」川上さんが言う「手元不如意」の生活なのだが、仕事をしない分時間がある。お金がない分、何でも自分たちで作り、釣りをしておかずをゲットしてくる。こんな時間を家族と過ごせば、必然的に家族の絆は強くなる。夫婦の会話が多くなる。村の仲間とも楽しいつきあいができる。
ある日ヅキちゃんからシュノーケルを貸してくれと言われ、何をするのか見ていると、画用紙に海の絵を描いて、シュノーケルを付けてそれを見て遊んでいる。ヅキちゃんを連れて海にも行けない家計の状態だったのだ。しかしヅキちゃんは頭を働かせて海に行っている雰囲気を海の絵を描いて、シュノーケルを付けて楽しんでいるのだ。
奥さんがそれを見て、もっと大きな海の絵を描こうと提案し、親子揃って絵の海を楽しむ。海にはやっぱりビールだと言って冷蔵庫に1本だけあるビールを夫婦で飲む。ここでの奥さんの一言がいい。「ウーッ、冷蔵庫がガラガラだとよく冷えるねッ。おいしいッ」と。
この後ヅキちゃんに本物の海を見せたいということで、奥さんはフリーマーケットにハーブやブラックベリーの苗やそこいらに咲いているコスモスを苗として、又川上さんの持ち物も出品し、2万円ばかりを捻出し、ヅキちゃんを海へ連れて行く。この後ディズニーランドに行くにもこの手を使って、軍資金を捻出する。
又奥さんが会社にいたときの同期会があって泊まりで出かけるているとき、ヅキちゃんは気丈夫に振る舞うけど、奥さんが帰りたいと言ってすぐ帰って来ることを伝えると、ポロポロと大粒の涙をこぼし「ヅキちゃん、超うれしい」と泣きながら言う。そして朝になればお母さんがいるからと言ってもなかなか寝ない。川上さんはそんなにうれしいなら駅のホームまでお母さんを迎えに行こうとヅキちゃんを連れていく。
改札で入場券奮発して買おうとしたら、駅員さんが「お母さんのお迎えですか?」と声をかけてくれ、「どうぞ。入場券はいいですよ」言ってくれる。その駅員さんに川上さんは「心の中で深々と頭を下げた。あたたかなうれしさが身体に充満した」と書く。ヅキちゃんはダッシュして電車から降りてきたお母さんのところへ行く。
お金はないけど、大自然の中、家族と仲間達と過ごすうちに、身体の調子が良くなっていく。そんな中、「小説読んでも、映画やドラマを観ていても、感極まって涙をポロポロこぼすとか、ストリーやセリフに感動するとか、泣いたり笑ったり怒ったりとか、何度もそういうことを繰り返しているうちにさ、物語というのはすばらしいものなんだと思えてきたんだ。時には、もっとこうすれば面白いのにとか、ここの場面ではこういうセリフの方が決まるのにとか、俺ならこうするなあとか思ったりしてさ。それでハッとしたんだよ。俺は本当に物語が好きなんだって。なんのことはない、本当にやりたかったことは、実は俺のすぐ側にずっと寄り添ってくれていたんだ。物語をつくるということは、これはこれですばらしい仕事のひとつなんだとやっと気がついた。それで本当の”小説家”になろうとつい最近決心したんだ。」こうして川上さんが10年かかってやっと新しい小説を書き上げた。
その小説が書き上がったクリスマスの日、川上さんが夜更けにトイレに起きたとき、奥さんがその原稿を読むのではなく、その原稿の束を見ながら目に涙を浮かべ、涙が次々に落下していくのを見てしまった。
このときは私もうーんとなってしまった。川上さんは「その涙は連れ合いが好きな小説が書けてよかったという涙なんだろうか、それともこれでやっと好きな買い物ができるといううれし涙なんだろうか、と考え続けた。」と書く。多分両方だろう。決して玉虫色の結論じゃないように私には思える。そんな10年もかかって書いた川上さんの小説を読んでみたくなった。 (2005/05/31(Tue) 05:30:54)
阿部謹也著『阿部謹也自伝』

私は確か平凡社が企画した阿部さんのセミナーに一度出たことがあって、阿部さんとお会いしたことがある。この時はハーメルンの笛吹き男について話されたのではないかと思う。このセミナーはある意味私にかなりの衝撃を与えた。
というのも、その時まで私の中にあった「歴史」とは、誰がいつどこで何を何故どのようにしたという、いわゆる受験勉強的な5W1Hであって、所謂教科書に出てきた「歴史」であった。そこにはときの権力者が何か政治的事件などをいつどこでどんな理由で起こしたのかしかない。つまりその時生きていた民衆の姿はまったく見えてこないのだ。阿部さんの「歴史」は各地域の民衆の生活、職業を浮かび上がらせていた。それ以来私は阿部史学のファンになり、新刊が出るたびに、購入し読んできた。
この本は自伝とある通り、自身の自伝で、以前小樽商科大学の教授時代のことを別に『北の街から』という本で書かれている。今回の『阿部謹也自伝』(新潮社刊)は生まれたときから、現在までを自身で振り返って書かれている。
私は阿部さんが提唱する「歴史」はリュシアン・フェーヴルやマルク・ブロックたちが提唱したフランスのアナール学派の影響を受けられたのだろうと勝手に思っていたが、どうもこの本を読んでいると違うようである。たまたまその手法が似ていたというだけであって、そのたどってきた道筋は完全に違うことが分かった。
幼少時代の修道院生活、そこで初めてふれたキリスト教の精神、大学時代、そしてドイツ留学で「ドイツ騎士修道会」の研究を進める。オステローデのサッセン地方の文献を読んでいたときに、「この地方にハーメルンの笛吹き男に率いられた子供達が入植した可能性がある」という文献を発見する。そこからハーメルンの笛吹き男の研究が枝分かれのように始まり、笛吹き男がヨーロッパ中世では差別された存在であり、何故差別されたのかに波及し、笛吹き男以外の職業で差別される職業は何であったのか、ヨーロッパの賤民思想に研究が及ぶ。
その一方で、ヨーロッパと日本の違いを留学体験から、あるいは帰国後の様々な体験から、日本における「世間」を考え始める。それらの研究の流れが阿部さんは自伝を書くことでつづっていく。
後半の一橋大学の学長選挙における、その選出方法めぐる文部省とのやりとりは退屈であったが、大学における自治は、まるでヨーロッパ中世後期に大学が生まれた時のように、学生達が大学で自分たちの自治を確立していったのに似ている感じを受けた。 (2005/05/28(Sat) 23:08:27)
藤代幸一著『記号を読む旅』、『もうひとつのロマチック街道』

藤代幸一さんの本を続けて読んでいる。もともと藤代さんのことを知ったのは、藤代さんが訳した『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』というドイツ中世の民衆本がきっかけであった。この民衆本の訳者が書いたエッセイ、紀行文ということで以前買っておいた本を今読んでいる。
『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』に関しては、いずれきちんと書きたいと思っているが、今読んでいるのは、『記号を読む旅』、『もうひとつのロマチック街道』(いずれも法政大学出版局刊)である。
藤代さんのことは詳しくは存じ上げないが、これらの本から察するにドイツ文学者か言語学者のようである。しかも日本ではメジャーじゃないけど、あちらでは一般的に知られている本を訳されているようだ。でもどちらかといえば専門的な文献の訳が多いのかもしれない。
これらの本は写真など各ページに配されているし、藤代さん自身あとがきで自分でデザインした旅にからめて、ささやかながらも自分だけのプレタポルテを織りたいと念じながら旅をされていると書かれているが、やっぱり専門的なのでちょっとぴんとこない。
ただこの2冊では自分が訳された本を元に、その本の登場人物を巡る旅を楽しんでている雰囲気はよく分かる。こうしてヨーロッパの片田舎を旅されるのは楽しいだろうなぁと思う。しかもその旅もちょっとした予備知識(藤代さんの場合はかなり専門的だけど)があれば、更に楽しめるのだと教えてくれる。ある意味、そうした旅をヨーロッパでできるのがうらやましい。
私には何だか藤代さんのヨーロッパの旅は「巡礼」にも思えるし、しかもそれを楽しいんでいるように思えた。(2005/05/24(Tue) 20:30:04)