2005年07月18日

閉店

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読んだ本

『たましいの場所』 早川義夫著 晶文社刊 (2002年)

『ぼくは本屋のおやじさん』 早川義夫著 晶文社刊 (1982年)  

 この本を目にしたのは棚卸しを手伝っているときであった。棚から引き出しているときに、あれ?早川さんの本だと思ったのである。私たち書店関係者なら、早川さんの『ぼくは本屋のおやじさん』(晶文社刊)を知らない人はいないのではないかと思う。
 早川さんはロックバンド「ジャックス」のリーダーをしていて、23歳の時に早くおじさんになりたくて、本屋のおやじさんとして早川書店を開業した人である。本屋さんにしては、変わった経歴の持ち主だっただけに、当時としては割と話題を呼んだ本であった。
 しかし、今思い出してもその本にどんなことが書かれていたのか思い出せない。もう20数年前の本だからかもしれないが、それにしても不思議と記憶に残っていない。で、改めて読み直してみて何で記憶に残っていないか分かったような気がする。
 この本を読んだときはまだ私は本屋の現場で働いていた。そしてこの本に書かれていることは、当時我々が苦労していたことが書かれているだけで、とりとめて真新しいことじゃなかった。新刊が入ってこないこと、仕入に苦労したこと、お客への苦情など、全てが日々の仕事の中で体験していただけに、本の内容として記憶に残らなかったのだ。つまり自分が体験した苦労の中に話の内容が埋もれてしまったのだ。
 その早川さんの最新エッセイ『たましいの場所』(晶文社刊)を読んでみた。
 早川さんが本屋を廃業したというのは噂で聞いていた。しかし何故廃業したのかは知らなかった。それが知りたくてこの本を読んだといっていいかもしれない。
 本屋の廃業に関して書かれているのは「閉店の日」の一章のみで、後はほとんど音楽に関する自分の意見であった。それでもこの一章だけで十分であった。

 早川さんの閉店の挨拶は次の通りだ。

「平成七年九月三十日をもちまして、閉店することになりました。
長い間のご愛顧、感謝しております。僕が好きだったこの店の棚の匂い、色あい、空気はお客様のものでした。
おかげさまで、いっぱい、いっぱい楽しい時間を過ごすことができました。
二十二年間、本当にありがとうございました。」

 早川さんは「閉店の日、僕は、泣いてばかりいた。涙がとめどもなく出た。棚を見ているだけで、涙がこぼれた。お客さんと言葉を交わそうとするだけで、涙が出た。」という。

 私が二六堂書店がなくなった日、次のようにブログに書いた。

 午後9時店内に閉店を知らせる音楽が流れる。昨日までは、この案内が流れても、明日になれば又お店は開いた。しかし今日の閉店の案内は、本当にお店を閉店することの案内となる。
 閉店に立ち会いたかった。8時過ぎまで事務所で仕事をし、そのまま岩本町店へ向かう。広くなったバックヤード(閉店を考え、在庫を減らすために、奥にあった陳列スペースを削り、棚を前に移動した。その為バックヤードが広くなった)で、岩田さんは仕事をされていた。閉店の時間までお邪魔し、ついにおしまいだねと岩田さんと話す。
 最後のお客さんがお店から出て行った後、閉店の案内が流れる中、お店のシャッターがゆっくりと降りてくる。岩田さんと私ともう1人で、そのシャッターを降りてくるのを見つめる。地面に完全にシャッターがつくまで、身動きもせずそのまま見つめていた。
 もうこのシャッターはお客さんを招き入れるために開けることはない。

 多分最後はいつもこうなのだろう。華々しくオープンしたときは、未来に希望があるものだから、真新しい店に、お祝いの花やお祝いにかけつけてくれる人たちでにぎわうけど、閉店の時はいつも少人数だ。最後まで残るのはその店に店長と遅番のスタッフのみ。新大久保店の時もそうだった。オープンの時、多くの出版関係者がお祝いに見えた。例のお祝いの花が華々しく飾られていた。お祝いに見えた人たちを、ちょうどお店があるビルの地下に居酒屋あったので、そこを貸し切ってもてなした。
 しかし閉店が決まり、在庫の返品が済んで、これで完全撤退する日の夜、お疲れさんという意味で、開店の時と同じように地下の居酒屋で慰労会をした。私を含めてたった3人であった。これが現実であった。
 
 小さな本屋さんがどんどんなくなっていく。ちょっと休みの日に本を買いに行く時は、以前のようにサンダルをひっかけて行ける距離に本屋さんがなくなってしまった。
 確かにそんな小さな本屋さんには欲しいと思う本が少ないかもしれない。でもそういう本屋さんって、棚にあった本を頭の中で思う出せりするものだ。確かあそこにあったよなぁって・・・。大した変化のない棚だったから、そうしたことがおこるのだろうけど、その中にイメージになかった新しい本があったりすると、なんか大発見をしたみたいにうれしかった。
 今は大きな器に煌々と蛍光灯がともる店内で、それこそブテック化した本がそれこそ最新の服なんかが並ぶような形で陳列される。サンダルなんか履いて行けない。それこそ大型書店が読者の多様なニーズに合っているように思っているのは、そこにいる人間だけで、大型化した店内にどこに自分の欲しい本があるのか分からない。在庫点数が多ければ多いほど余計だ。探すのに一苦労する。本屋は図書館じゃないのだから、在庫が多ければ立派なお店だと勘違するのもどんなものだろうか?
 読者は、自分が読みたい本が思うように探せないから、結局ネットで探して本を購入するようになる。
 そんなお店は駅前に一店舗あればいい。駅前に何軒もの大型書店が競い合うようにできれば、限りある新刊部数がみんなそこへ持って行かれ、地元の本屋さんに回ってこない。 だからといって、駅前の大型書店に外出着に着替えて出かける気も起こらないから、又ネットで本を探し、注文する。悪循環なのだ。
 私はこの出版不況を回復するには、大型書店をどんどん出店することじゃないと思う。地元の本屋さんが元気が出せる状況にしないと、ほとんどこの不況は回復できまい。そう思う。
 今早川さんの本のことを思い出したり、自分のお店のことを考えると、どこか違った方向に出版業界は行こうとしている気がする。

(この書き込みは2004年6月23日に「新・頁の背後」として書き込んだものに手を入れて、再録しました)

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