2005年08月31日

寂しい時代

読んだ本

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『鉄の花』 小関智宏著 小学館 (2003年)


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『春は鉄まで匂った』 小関智宏著 筑摩文庫 (2004年)


 小さな町工場を経営する北原親子が機械の見本市に来る。北原親子にしてみれば、ここで工場の機械を買うことはかなりの冒険であり、当然慎重になる。しかし北原は展示された機械を売り込む営業マンに、その機械がどんな機能を持っているかを見るのではなく、「この機械はどれだけ使えるのだ?」と聞くのだった。
 水越にも同じように聞いた。そこで水原は自分が作った機械に自信を持っていたので、はっきりとその質問に答えた。それを聞いた北原は言う。

 「これまでにな、俺はいくつかのメーカーの展示場で同じ質問をしたのさ。ところが返ってくる答えはみんな同じさ。十年とか十五年と答えながら、そのあと必ず言うのさ。お客さん、いまどき十年も十五年もひとつの機械で仕事を続けようなんて、時代遅れですよ。それよりも、どんどん稼いでもらって、また新しい機械を導入する時代です、ってね。五年後には、もっと新しい機械が出ますってね。俺は、それが気に入らなかったんだ」

 水越のところで機械を購入することを決めた北原親子は、それまで他のメーカでもらったカタログを全部そこに置いて帰っていく。
 それから、この機械を通して、北原と水越は最後までつながりを持ち続ける。 水越が機械のメンテナンスを北原から依頼されたときの2人の会話で、この機械がいい時代に作られたものであること、そしてそのことが今の時代の風潮にそぐわないことを知る。

 「コンピュータの制御装置を別にして、機械本体だけを見たらね。最初に作ったこの機種が一番よくてね。構造もしっかりしているし、部品ひとつひとつも、よく吟味して作ってあって。それに較べると、最近の機械は」

 「厚化粧だよな。このごろの機械は、どこのメーカーののを見ても、華奢だもの」

 「やっぱり、見抜かれていた。ほら、十年前に見本市で。同じ質問をいまされたら、自信を持って答えられない」

 「十年どころか、五年で新しい機械に買い換えろ。それでじゃんじゃん稼げばいい。そういう時代なのだろう。いまはすっかりな」

 「うちの会社もね。そんなふうになってきて、なんだか寂しい時代になってきたと思う。金儲けが先でね。とっても大事なものが、どんどん手のなかから逃げていく気がして」

 一昔前の機械は、いや、製品は何でも丈夫であった。だから壊れても修理すれば、長く使えた。たぶん作る側も自信を持って作っていたからだろう。当然使えば使うほど愛着が出てくる。だから、北原が工場を閉鎖するときに、故障した機械をそのままにして工場を閉鎖してもいいものを、わざわざ水越を呼んでその機械を直してもらうのだ。北原の父親がそのことに皮肉を込めて言う。

 「しょうがないのは、どこのどいつだ。売れないどころか、反対に、スクラップに解体するには処分代を払えって、スクラップ屋にそうまで言われた機械をだ。どこのどいつが、銭かけて修理するかって。まるで泥棒に追銭というものでねぇかい」

 それに対して北原の答えがいいのだ。

 「二十年間も働いてくれた機械だものね。故障したまま放り出すなんてことは、俺にはできないんだ」

 
 この作品は『鉄の花』の「二度咲」である。こういうことが言えた機械がちょっと前まで作られていたのだ。最後の最後まで面倒を見てしまうほどの愛着がある機械を・・・。なんでもかんでも壊れたら新しいものに替えてしまうことになれてしまった私達に「それでいいの?」と問いかけている気がしてしまった。

 『春は鉄まで匂った』は小関さんのルポで、ものづくりに生きる町工場の人々を取材する。そこで、工場で働く人が言う。

「うちのような工場は、高度成長期に入ってからの方が、仕事がやりにくくなりました」と。

 著者はそれに対して、「大企業を中心に、より早く、より新しいものをつくろうとする志向が業界を支配した。わたしのように下請の町工場ばかり歩いた者にも、それは実感された。
 段取りや工具の工夫をするゆとりがない。そんなことで時間を費やすより、市販のものを買った方が手っとり早い。分業の細分化が進むにつれて、旋盤工はバイトをつくらず、研がず、ただ機械を操作してひとつでも多く削ることだけを要求される。人間が機械の附属物に変えられて、仕事がますますつまらなくなる」と付け加える。
 更にその人はこうも言う。

 「ものをつくって生きていながら、つくるものの値段を、つくる者が決められない世の中になった。流通業者が決めた値段で、むりやり押し込められてしまう」と。

 高度成長、バブル期に私達はとんでもないことに夢中になり、効率と消費で、「もの」を大切にすることを忘れてしまった。「もの」を作った人がそれに正当な値段が付けられず、安いことが重視されてしまう。そのため製品そのものが粗雑になって、更に消費を促す結果となってしまう。5年も持ってくれれば御の字なんてことになってしまった。
 手間暇かけていいものを作っても、コストがかさむため、売れない。又しっかりとしたものを売ってしまうと、次の新しいものが売れなくなってしまうから、適度に壊れることを前提とした物作りをする。だからいいものを作るところはつぶれていく。熟練工を必要としなるし、本格的な技術者も多くはいらなくなる。そのことは人件費の安い東南アジアや中国で製品を作らせることを可能にする。 一方使う側も、「もの」を大切に使うという、意識を失なっていく。壊れたら、すぐ新しいものを買えばいいと考えるようになってしまった。そうすることでどんどん消費させられているのだ。
 そしてこのことは「もの」だけに限らず、そういう意識を「人」にも当てはめ、「人」でさえ、消耗品扱いされる時代になっている。
 そんな中、ひたすら頑固に「もの」こだわり続ける人たちがいて、こだわり続けるからこそ、こういう時代で苦しんでいる人たちがいることを知らされる。

 (これは2004年7月3日に書き込んだものを残しておきたかったので、多少校正して再度掲載しました)

2005年08月30日

法月綸太郎著『生首に聞いてみろ』

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 久しぶりにミステリーを読む。本は先日書いた通り、法月綸太郎さんの『生首に聞いてみろ』(角川書店刊)である。考えてみると昨年は角川書店は国内、国外のミステリーの上位作品を出版している。この本は、「このミステリーがすごい」で第一位、「週刊文春ミステリーベスト10」では第二位を獲得している。
 だいたいこの2つの選考は間違いがなく結構楽しめるので、安心して読めるのが有り難い。そのため上位になった本は必ず読んでいる。 さてこの本のことだけど、余り詳しく書いちゃうとネタばらしなってしまうから、適度に押さえて書きたい。
 末期ガンに冒された川島伊作は、「和製ジョージ・シーガル」といわれる彫刻家であった。彼の作品は、生きた人間を直接石膏で型を取り、複製していく方法で作られた。しかしこの方法だと、決定的な問題を生む。つまり、顔を複製して作品を作ると、必ず目をつぶった形になる。石膏で型を取る場合、目を開けて取ることは出来ないからだ。従って出来上がった作品はみんな目が閉じたものになり、「祈り」の顔になってしまう。
 死を覚悟した川島伊作は自分の娘、江知佳をモデルにして最後の作品を一人アトリエにこもり作り上げ、倒れる。
 川島伊作死後、江知佳はアトリエに入り、布に覆われた作品を見るが、そこにはあってはならないものがあった。
 葬儀の後、再度アトリエに入ると、今度は首から上が切り落とされた江知佳の像があった。そして次に、江知佳の生首だけが宅配便で送られてくる。
 法月綸太郎はこの事件の真相を解き明かしていくが、そこには16年前の事件との関わりが、この事件に重大な意味を持ち始める。 
 う~ん、こんな感じでもったいぶった書き方でいいのだろうか?久しぶりに犯人捜しをした関係か、読み終わった後、江知佳の像にあってはならないものがあったというのを読んだときに、犯人が特定できてよかったのにそれが今回出来なかった。まぁその方が「誰が犯人なのだ?」とページをめくる楽しみがあったわけだが、でもちょっと悔しかった。 そんなことで今回は私の完敗であった。

2005年08月27日

カズマ著『実録鬼嫁日記』

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 『ローマ帝国衰亡史』は11巻もあるので、これを続けて読むにはいささか根気が必要となる。昨日やっと2巻目が読み終わり、続けて3巻目にいってみようと思ったけど、先が長いので、ちょっと一休みすることにした。いくら面白いとはいえ、私にしてみればハイペースになっているので、このままだときっと途中で挫折してしまう。
 というわけで、ブックオフで箸休めを見つくろうことにした。本を探しているときに、館内放送で、「夏休みフェアーとして、単行本750円以上本全品500円」というのが流れる。おぉ~、全部500円均一かと思い、まずは法月綸太郎さんの『生首に聞いてみろ』を手にする。この本去年の「このミステリーがすごい」の堂々第一位になった本だし、週刊文春でも国内編では二位になっている。要は昨年のベストミステリーだ。これはいい。しかも850円が500円だし、買うことにする。それで帰ろうと思ったところに、この『実録鬼嫁日記』(アメーバブックス;幻冬舎)が目に入ってしまった。まぁ500円だから、ちょっと読んでみるか!?2冊でちょうど千円ときりがいいし。なんて訳の分からないことを思い、ついでに買う。
 今日は24時間テレビが始まる。それを見ながらでも『実録鬼嫁日記』なら読めるだろうと思い、まずはそっちから手を出す。法月さんの本は本格ミステリーだろうから、じっくり読んでみたいと思ったのだ。
 6時半からテレビをつけ、その間風呂に入ったり、食事をしたり、松井選手の話を見たりして、この本を読んでいたのだが、2時間ドラマが始まる前に読み終わっちゃった。ということはそれだけの本だったということで、いくら500円でも買わなきゃよかったというのが正直な感想。箸休めにもならなかった。残念~!(もう古いか)
 ブックオフで買っておいて又ブックオフに売るのは変な話しだけど、この『実録鬼嫁日記』はブックオフに売る予定の本のリストにいち早くお入りになった。 

評価
×

2005年08月26日

ギボン著『ローマ帝国衰亡史』第2巻

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 『ローマ帝国衰亡史』第2巻目を読む。とにかく面白い!第1巻が所謂「軍人皇帝時代」といわれる、混沌とした時代で終わった。その間は勝手に地方の軍指導者が、自分の能力も顧みず、自分が「ローマ皇帝」だと名乗りを上げる僭主時代でもあった。
 元々ローマ帝国は「農業」を主産業とした国であったはずだが、帝政が始まると、領土拡大化で他民族と戦争をする。それらの民族との戦いで得た、奴隷を含む戦勝品で国を支えるようになってきた。つまり「略奪経済」とでもいうべき姿に変わってしまった。だから戦で得た富を分配することでローマ帝国は維持できたとも言えそうである。当然それが出来るのは強大な軍が維持されることが前提であって、そうなれば必然的に軍は力を持つようになる。元老院など名ばかりのものになってしまう。戦勝品としての富は、まずは軍がそれを取ってしまう。
 しかし、この状態が恒常的になると、軍はますますそれを求めるようになるし、戦勝品の分配が少なければ不満も出てくる始末。ますます増長して行くこととなる。軍から擁立された皇帝は、まずは軍に報償を優先的に与えなければ、自分の地位が維持できない。戦勝品で払えなければ、国庫から支出する。当然ローマ帝国の財政も悪化の一途であった。
 しかし軍はいつも不満だらけであった。その上、様々な陰謀が渦巻いていた。結局「歴代ローマ皇帝の不幸は実に惨たるものだった。治世の跡はどうあろうと、最後はすべて同じ非命に仆れた。逸楽に耽ろうが、君徳を積もうが、峻厳だろうが、寛宏だろうが、いや、また懶情だろうが、栄光を齋そうが、非業の死という点では同じだった。ほとんどすべての治世が叛逆、そして殺害という忌むべき反覆で、幕を閉じられている」とギボンは言う。特にこの時代はこの傾向が甚だしい。
 そんな無秩序な状態を直したのが、クラウディウス2世ゴティクス帝(在位268年~270年)であり、アウレリアヌス帝(在位270年~275年)であった。しかしいずれも皇帝在位期間が短かった。しかしその短い在位期間で、ゴート族や女王ゼノビア支配下のパルミュラ王国を征服している。その間軍の綱紀粛正を行い、ローマ帝国の再建の足掛かりを築き上げる。
 ローマ皇帝と言えば何だか由緒正しいローマ貴族から選出されているイメージがあるが、クラウディウス帝にしても、アウレリアヌス帝にしても、この後出てくるディオクレティアヌス帝にしても、農民や奴隷出身であり、それが軍で才能を開花させ、ローマ皇帝まで上りつめた。日本で言えば秀吉みたいな感じだ。
 
 やっと私が覚えているローマ皇帝の名前が出てきた。ディオクレティアヌス帝という名前は懐かしい。やっぱり知っている名前の皇帝が出てくると、ちょっとうれしくなっちゃう。ディオクレティアヌス帝が広大なローマ帝国を4分割して、自分を東方帝として君臨し、西方帝としてマクシミアヌス帝に支配させ、更にそれぞれ副帝として、ガレリウス帝とコンスタンティウス帝(コンスタンティヌス大帝のお父さん)つけた。
 これはすごいと思った。これだけローマ帝国が広範囲に及んでしまうと、どう考えても1人の皇帝だけじゃ支配、統治は難しい。事実西に、東にとゲルマン人やペルシャ人が帝国を脅かせば、それこそ皇帝は東奔西走の状態であった。だからこうしてローマ帝国を4分割して、ディオクレティアヌス帝が信用のおける人物に統治させるのは懸命な政策だったと思ってしまう。
 その上で、ディオクレティアヌス帝自身、東方の影響を受けて、自身に絶対的な権力を集中し神聖化し、専制君主としてドミナトウス制(専制君主制)を引く。その上ディオクレティアヌス帝とマクシミアヌス帝は奢れるローマ市から離れて、メディオラヌム(ミラノ)とニコメディアに居場所を構える。そこにはローマ市と同じくらいの都市が作られていく。
 それまでこの衰退期に、ローマ市は、自分たちの立場をのみを主張するだけの元老院や近衛兵、更にローマ市民しかいなくて、そのわがままを受け入れていたことで国を衰退させたと思えば、ローマ市を離れて国を維持していく方が懸命である。
  しかし国を4分割、実質は2分割で、それぞれ正帝、副帝を置いたことは、その後くるローマ帝国が東西両帝国に別れてしまうきっかけを作ったことになるし、ローマ市以外に皇帝のいる都を2つ作るということは、それだけ費用がかかることになり、ローマ市民や属州にそれだけ負担を重くする結果となる。当然それは不満となって後から現れてくる。
 それにしても、このディオクレティアヌス帝は今流にいえば「カリスマ的」な存在であったようで、それぞれ「自分こそが皇帝」と主張してやまない、マクシミアヌス帝、ガレリウス帝、コンスタンティウス帝を従わせ、専制君主として君臨し続けたことは、この時代を考えればすごいことだ。勿論それにはそれなりの実績がなければならないのだが、それも輝かしい功績があるからこそ出来たことだ。
 更にすごいのは、ディオクレティアヌス帝は自分の体調を考えて、若い元気なガレリウス帝、コンスタンティウス帝に帝位を譲って、さっさと退位してしまったことだ。
 それまでのローマ皇帝は非業の死で終えるか、さもなければよれよれになっても死ぬまでその地位にしがみついた者ばかりだったので、これにはちょっと驚いてしまった。そのため西方帝として君臨していたマクシミアヌス帝も退位させてしまった。(この人物は俗物であったようで、この後ちょこちょこ顔を出してくる)
 退位した後一ローマ市民として過ごすのだが、同時に退位したマクシミアヌス帝にもう一度やろうよ!(ちょっと砕けすぎた言い方で書いちゃったけど、まぁそんな感じだろう)と誘われると、ディオクレティアヌス帝は家庭菜園に夢中になっており、「わたしが手づくりのキャベツをお目にかけることがさえできれば、いくら君でも、もう二度とこの楽しみを棄てて権力を求めよなどと勧める気にはなるまい」と言ったそうである。こういうのって、何か好きだなぁ!
 ところでディオクレティアヌス帝退位の後、予想通り混乱が起こり、最後にあのコンスタンティヌス大帝が制して、ついに彼が登場してくるのである。
 コンスタンティヌス大帝といえば、キリスト教との関係が切り離せないので、そのキリスト教がどのようにローマ帝国に普及し、影響を与え、そして今までのローマ皇帝がどのように対応していったか、大まかな説明でこの巻は終わる。

2005年08月21日

飯島夏樹著『ガンに生かされて』

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 飯島さんの2作目、エッセイ『ガンに生かされて』(新潮社刊)を読む。この本は飯島さんが余命宣告を後6ヶ月(実際は3ヶ月)と宣告されてから、ハワイに移住し、執筆業が生きる糧になり、パソコンに向かって書かれたものを、インターネットで配信し、それを一冊のまとめたものであるらしい。
 日々身体が弱っていく中、奥さんの寛子さんや4人の子供達の笑顔を見ながら、「生かされている」という気持ちで日々の生活、自分の体調を綴っていく。そこには所謂ターミナル(終末期)である自分の病気とどう向かって生きて生きていくかなんて大げさな感じはなく、日々生きていられることに感謝しつつ、家族と一緒にいられる生活を描いている。飯島さん以外の家族には日々の生活が別にあり、子供達は学校へ行かなければならないし、奥さんにしたって子育てなどあるわけだけど、それをベットに横たわって飯島さんは見ている。ただ、そのことがうらやましいとかいうのではなく、家族と一緒に生活しているんだということを実感している。
 家族も出かけるときに、飯島さんに「生きててね」といって冗談交じりに声をかける。とにかく明るい。けど、飯島さんが吐血や下血をして、急遽入院することになって、ドクターに病状を聞くとき、奥さんが不安な顔をしていると書かれてあると、そうだろうなぁと思ってしまう。所々にその不安がのぞかれる。
 でも飯島さんの身体の状態が安定しているときは、素直にそれを家族で喜び、状態が悪化すれば不安になり、心配する。ありのままの姿がそこにはあり、家族が無理をして明るく振る舞おうという白々しさはない。
 宣告期間が過ぎ、ロスタイムに入った飯島さんの命を、飯島さんも含め家族が、残された時間を、病状の変化とともに、死を受け入れることを前提に共に生きている。もちろんそうなるまでにはかなりの苦しみや悲しみがあっただろうと想像されるが、そのことは一切ここでは書かれていない。残り時間の共有だけがありのままに描かれていた。それがハワイの爽やかさと同じくらい、淡々と書かれている。

2005年08月20日

斎藤一郎著『本屋なしではいられない』

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 この『本屋なしではいられない』(遊友出版刊)は、たまたま休みにブックオフに行ったとき、棚でそれを目にしてしまった。私はこういう本屋さんのことを書いた本が好きなのだ。それでついつい余計な本?を買ってしまった。
 著者は出版社の営業をやっていたときに、各地の本屋さんを回っていた。そのため本屋さんはこうあって欲しいという気持ちが随所に出ているが、でもちょっと難しいだろうなというのが率直な気持ちだ。
 斎藤さんが薦める本を、現在の本屋さんのほとんどがとっている本の並べ方をやめてやると、とてもじゃないが本の管理ができなくなっていく。それは本のアイテム数が多すぎるからで、版型とか出版社を無視した、関連商品の陳列はどうしても難しい。
 確かに新書なんか、入門書や解説本などが結構多いし、文庫でもビジュアル的で写真をふんだんに使ったものもある。それをうまくまとめて、実用書の棚でも入れれば、面白いものになるだろう。あるいは単純に文芸とかビジネスとか分けた棚より、あるテーマに沿ってまとめた棚なんか面白いと思う。でも、やっぱり文庫は文庫専用の棚に出版社別で、著別に並べた方が管理しやすいし、新書にしたって同様に新書のコーナーに並べてしまう。
 斎藤さんが提案する本の並べ方をした棚を見れば、「おや?」なんて思うことも、思いもしなかった本を手に取ってしまうこともあるだろうけど、それは書店員がその本のことをよく知らないと出来ない。今の本屋さんでそれを要求するのは酷な話だし、又それほど本のことを知っている店員がいるとも思えない。特に大書店が当たり前の時代に、そんな非効率的な本の管理の仕方などするわけがない。個性的な中小書店がそういうことを可能にするだろうけど、その中小書店が生きにくい時代なのだから、いっそう難しい。それに本屋さんも斎藤さんがいう陳列の仕方を考えていないわけじゃない。それをしたら面白いだろうと思うが、やっぱり管理の仕方が難しい。ただ指南書としてこの本を参考にするにはいいかもしれない。
 それと斎藤さん自身、どっぷりと本屋につかった人じゃないので、わりと距離を置いて本屋を見ている視線がいいし、更に本や出版界の知識など紹介されていて、一般の人におすすめの本のような気がする。
 
 第1章の「本屋さん観察学」として、本屋さんがつける本のカバーの付け方が図解で載っていた。ご存じだろうけど、本屋さんでつけてくれるカバーは本屋さんによってそれぞれ違う。でもほとんどがここに紹介されるやり方だろう。面白かったので、ここにあげてみる。

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 ちなみに廃業した本屋の店員である私が自分の本をカバーするときは、この「保存型」である。これだと絶対にカバーが本から外れることがないので安心なのだ。しかも天と地がぴったりしているので、だぶついた感じがしなくて、手にフィットする。

2005年08月16日

飯島夏樹著『天国で君に逢えたら』

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 実は以前テレビで飯島さん家族のドキュメントを見ていた。それはガンに冒されたプロウィンドサーファーの飯島さんと飯島さんを支える明るい奥さんや子供達、更に友人との交友を描いていて、少々感動していたのだ。
 その飯島さんが書いた『天国で君に逢えたら』(新潮社刊)を読んでみた。実はこの本が飯島さんの書いた小説だとは思わず、先のテレビのドキュメントの元になったエッセイだと思っていたのである。

 国立がんセンター中央病院に勤務する新米の精神科医、野々上純一が上司の原田部長よりガン患者が自分のガンに対してどのように向き合っているか、それを日本版のキューブラー・ロスような報告書を作れと命令される。
 最初は聞き込みなどやるが効果がなく、患者が本当の気持ちを打ち明けてくれない。それで患者が自分の気持ちを素直に語れる場所を作り、患者が誰か自分の気持ちを打ち明けたい人に対して、野々上が患者の気持ちを聞きながら、手紙の代筆をするようになる。患者には何でもいいし、まとまりのない話しでも構わないから、色々話してもらい、ポイントを野々上がつかんで手紙を書いていく。
 19階に設営した「手紙屋Heaven」には、オレゴン大学で心理学の博士号を持っていても、60歳くらいという年齢のため、手に入れた日本での仕事が掃除婦しかなかったみずほさんをパートナーとして、さらに小児ガンの愛子ちゃん、膵ガンと宣告された陸サーファーのシュージ(多分著者自身がモデルだろう)らが野々宮の仕事を助ける。
 妻のガンは自分の為だと思いこんだ眼科医の英樹、、ガン告知に悩む名外科医の二宮、ガンを理由に職を失った元ヤンキーの板前、清水などが訪れ自分の気持ちを、野々宮に代筆してもらう。それぞれどうしてガンになってしまったのか。それを恨み、悲しむ。又その為家族にも大きな負担をかけてしまい、更に苦しむ心情を語っていく。死を目の前にしてそれぞれ自分に正直に向き合わざるを得ないだけに、様々な後悔が頭の中をよぎっていく。そして「手紙屋Heaven」で自分の心情を吐露した後、諦めの中にも救いを見いだしていく。
 シュージの奥さんリサからぶ厚い手紙が届く。そこには、国立がんセンターを出たシュージがハワイに戻り、ボロボロになった身体で妻のリサや子供達にカイトボードを使って、海で大きく舞う自分の姿を見せ、死んでいったことが書かれていた。
 シュージは自分が海で大きく舞った時、明るくやさしい、何とも言えないオレンジ色の光に包まれたと感じ、その光が自分を天国に導いてくれる。そう思ったとき死が怖くなくなった。その天国へ行けば又リサや子供達に逢えると感じた。
 そして最後に野々宮に代筆してもらった、生前リサを裏切った行為をしたことを謝る手紙にふれ、リサに許しを請いながら死んでいく。

 うう~ん。この人本当にウィンドサーファーだったのかと思ってしまった。爽やかな感じを与える文章で、「死」を語っていくやり方は、今まで読んだことがなかっただけにちょっと感動してしまった。後の著書も読んでみたいと思った。

2005年08月14日

ギボン著『ローマ帝国衰亡史』第1巻

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 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』(筑摩書房刊)第1巻を読む。この巻は何故ローマ帝国が衰退していくのか、その序章みたいな感じで始まる。私にとって懐かしい名前がいくつも出てきて、思わずうん、そうだったよなぁと昔やったことを思い出しながら読んでいた。
 それにしても、帝政ローマは五賢帝時代、いわゆる「Pax Romana」といわれる時代後、愚鈍な皇帝がこうも次から次へと出てくるものだと呆れかえってしまう。広大な領土を維持するためには、軍隊の力を借りないとどうにもならないのは、ある意味「力」で押さえつけないとその領土を維持できない状態だったということだし、オクタヴィアヌスから属州支配の方法をなだめすかしながら、搾り取るわけだから、いくら宥和政策でもやはり無理が生じてしまう。そしてその背景にはローマ軍の力を借りないとどうにもならない状況だった。
 当然軍はいやが上でも力を持ってくるし、わがままになる。ローマ皇帝が軍を背景に擁立されればなおさらだし、そうなれば余計に軍の性質も変わってくる。かつてあったローマ帝国軍の威厳などそこにはなく、腐敗と堕落しかなく、その力を借りて擁立されるローマ皇帝だって、ろくな人間が出てくるわけがない。つまりもう内部から衰退の兆しが現れているのだった。
 たとえば、あの公衆浴場で有名なカラカラ帝などは本当にどうしようもない皇帝だったらしく、自分の弟、ゲタと2人でローマ皇帝となったが、その弟を殺害して、1人独壇場の皇帝になった。その時ゲタの葬儀にカラカラ帝は、「神となれ、だが、生者とはなるな」と言ったらしくその後、やりたい放題やった上に殺される。

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 こうした内部的に腐敗していくローマ帝国を描きながら、外部で、ローマ帝国を脅かしていく民族の姿を描いている。ペルシャもそうだし、ゲルマン民族の姿も描く。
 古ゲルマンの生活などは私でもこれはタキトゥスの『ゲルマニア』やカエサルの『ガリア戦記』が中心資料として使われていると分かったので、(もっともそれしかなかったという理由なのだが)、これも懐かしかった。
 この巻は、ローマの内部的腐敗とゲルマン民族、特にゲルマン民族大移動のきっかけとなるゴート族の内情にふれ終わる。
 総じて、今のところ在位した皇帝がどうしようもない皇帝ばかりだったといった感じで、かなり批判的にギボンは書いている。もちろん、ましなローマ皇帝もいたわけだけど、あまり突っ込んだ記述はされていない。まぁ衰亡史なのだから、悪い面を強調する必要性はあるのかもしれないが、今後この本はどういうかたちで展開されるのか楽しみだ。

2005年08月12日

『ローマ帝国衰亡史』

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 この『ローマ帝国衰亡史』(筑摩書房刊)は、1976年に第1巻が中野好夫さんの新訳で刊行されたのだが、最終巻の11巻(刊行が始まった頃は10巻の予定だった)が刊行されるまで18年かかった。だいたい筑摩書房のシリーズものはかなり長い年月をかけて刊行されるのだが、この本はある意味異常という事態で、そんな年月がかかってしまっている。
 しかし、このギボンの『ローマ帝国衰亡史』がこれほど刊行に年数がかかったのにはわけがある。まず、訳者の中野好夫さんが亡くなられたこと。そして確か筑摩書房が倒産。(この出版社何度か倒産している)
 その後を継いだ、新しい訳者朱牟田夏雄さんも5巻から6巻と訳されて、亡くなられた。そして第三走者として中野好之さんが最後まで訳を引き受けられた経緯がある。その為18年もかかってしまったのだ。以下時系列で記述すると以下の通りになる。

1976年11月 第1巻刊行開始 中野好夫訳(以下4巻まで中野好夫訳)
1978年5月  第2巻
1978年7月  筑摩書房倒産
1981年9月  第3巻
1985年2月  中野好夫死去
1985年10月 第4巻
1987年3月  第5巻 朱牟田夏雄訳(以下6巻まで朱牟田夏雄訳)
1987年10月 朱牟田夏雄死去
1988年10月 第6巻
1990年3月  第7巻 中野好之訳(以下最終巻まで中野好之訳)
1991年5月  第8巻
1992年4月  第9巻
1993年4月  第10巻
1993年9月  第11巻

 というわけで波瀾万丈の本なのだが、購読者としてはたまったもんじゃない。だって版元の筑摩書房が2巻刊行後、倒産してしまったので、このシリーズは以後ちゃんと刊行されるのだろうかと不安だった。何とか3年後3巻が発売され、安心したところへ、最初の訳者の中野好夫さんが亡くなられる。そして4年待って、朱牟田夏雄さんの訳で第4巻が発売された。ところがその朱牟田夏雄さんも亡くなられた。こりゃあもうダメだと思っていた。幸い、1年5ヶ月後中野好之さんが後を引き継いでくれて、後は1年おきに新しい巻が刊行された。
 この本は元々大学時代に読もうと思っていた本であったのだが、こうも刊行が遅れに遅れると話しにならない。結局大学時代には読めなかったことになり、そのまま本棚に置かれることになってしまったのである。
 ギボンのこの『ローマ帝国衰亡史』は実を言うと岩波文庫で刊行されていた。ところが当時つまり私が、大学時代は「品切れ重版未定」の状態で、手に入らなかった。
 しかし、岩波書店はよくリクエスト復刊といって、現在品切れだけど、要望が多いと、もったいぶって一時的に復刊するのだ。1988年にこの『ローマ帝国衰亡史』が全巻セットで復刊されたのだ。

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 私は半ば筑摩書房のこのシリーズは諦めかけていたので、仕方なしにこの復刊された岩波文庫の『ローマ帝国衰亡史』を買った。従って、『ローマ帝国衰亡史』は岩波文庫版と筑摩書房のと2セット持っている。(ちなみに、この『ローマ帝国衰亡史』は現在、筑摩学芸文庫でも読める)
 
 というわけで、曰く付きの本を読んでみたくなった。もちろん古典の部類に入る本だけに今までみたいにそう簡単にページが進むまない。でも今1巻を読んでいるのだけど、何とか読めそうな気持ちでいる。こういうのをゆっくりと読むのもいいじゃないかと思っているし、読み疲れたら、ちょっと一休みしても、次の巻に入るにはそれほど問題はないように思えるので、じっくりと読んでいきたいと思っている。

2005年08月10日

飯塚訓著 『墜落遺体』、『墜落現場 遺された人たち』

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 先日買った本、飯塚訓さんの『墜落現場 遺された人たち』(講談社+α文庫)を読む。読み終わって、飯塚さんには、もう1冊著作があることを知り、慌てて『墜落遺体』(講談社+α文庫)を購入し、続けて読む。従って、前後が逆になった感じで、飯塚さんの本を読んだことになる。
 私は1985年の8月12日に起こった日航機墜落事故に関する本は結構読んできた。だいたいが事故後それほど時間がたっていない時期に書かれたものであった。そしてそれらを書いたのは、ジャーナリストやノンフィクション作家、あるいは新聞社の記者で、いわば、関係者を取材して書かれたものであった。
 事故当時書かれた本は、その事故が何故起こったのか、原因究明をする一方、事故現場の悲惨さを描写することで、読む側に恐ろしさを植え付けるばかりだった。その為ショッキングな事故現場のことを強調するしかない本ばかりになった。又そのことで新鮮さを強調していたような気がする
 最近は事故から時間がたって、事故に直接関わった人達が語り始めた。私も当時の群馬県警の日航機事故対策本部長であった河村一男さんが書いた本を最近読んだ。

 著者は当時、日航機墜落事故の犠牲者の身元確認班長であった。最初の著作、『墜落遺体』には、遺体確認現場の悲惨な状況は我々の想像を絶する世界である。
 犠牲者520人の遺体が完全な形で収容される訳じゃない。「これが人間なのか」「人間であったのか」という遺体、所謂「離断遺体」を前に、著者を含め、警察、医師、看護師などが検死に立ち合っていく。いや、遺体じゃない、もう肉の塊でしかなく、しかも焼け焦げて炭化し、蛆がびっしりとこびりついている状態なのだ。検死に当たった人たちの人生観を変えてしまうほどのものであった。
 そんな中で、遺体や遺体の一部を特定していくわけだが、その遺体を特定する場所が報道陣を遮断する為に、窓を締め、カーテンを引いた状態の体育館なので、温度が40度近くなり、しかもものすごい死臭と線香のにおいが入り交じっていた。そんな劣悪な環境下で遺体を特定していかなければならなかった。
 しかもそこには突然家族を失った人たちが、遺体を前に泣き叫び、絶叫する声が響き渡り、日航職員や警察に罵声や怒号をあげる声も加わる。そこにはかなり難しい人間関係があっただろうと思われるし、よかれ悪しかれ複雑な人間模様を見ないわけにはいかなかった立場だっただろうと思われる。しかも検死する側の人間だって、無惨な遺体を見れば、涙も出てきてしまう。特に子供の頭のない遺体など見てしまったら、大声で叫びたくもなるだろう。「班長!また子どもじゃあねえかよ。俺は子どものはもう嫌だよ。なぜ俺んとこばっかり子どもなんだよ」と。
 『墜落遺体』にはやっぱり関係者しか経験できないことがたくさん描かれており、今まで読んできた本とは当たり前だけど違っていた。
 この日航機には外国人も搭乗していて、事故の犠牲となっている。ところが検死が終わり、身元が特定され、家族に連絡すると、「娘は神さまのところに召さて幸せです。肉体は一緒になくなった人ともに、埋葬してください」「遺体はそちらにおまかせします」「飛行機が落ちた場所に埋めていただいてもいいし、荼毘に付してもいいです」「息子は死んで神に召された。死んだことがわかったので、死体はもち帰らなくてもいい」と言い、涙を流しながら「日本の警察は親切だ。息子をこれほどまで大事に扱ってくれてうれしい」と何度も礼を言いながら帰っていったという。そこにはデス・イズ・デス、つまり死は死である。もらっても生き返ってくるわけじゃない。魂は神のもとに召されたという考え方になっている。
 このあたりは日本人とは全く違ってくる。いいとか悪いとか言っているのではない。宗教観の違いや文化の違いがそうさせるのだろうが、日本の遺族は、遺体が完全な状態ならともかく、バラバラになってしまった遺体を必死に探し集め、できる限り生前のかたちに近い状態に戻してあげようとする。だから遺族は必死になって欠けている遺体の一部を探し求める。 ほぼ完全な状態の遺体であっても、たとえば右腕がなかったりすれば、遺体を清める看護師などは段ボールなどで、右腕を作って、全身がきちんとある状態にしてあげたりする。死後も不自由なくしてあげたいという気持ちがそこにはある。死は死だ。死んだことが確認できれば、魂や精神は神に召された後に残った遺体は物体であると割り切れない、生死感がそこにある。だからこそ、飯塚さん達が必死になって遺体の確認をしているのだ。 ちなみに遺体の状況がどんなものであったかこの本にある資料をあげておく。


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 あの事故は、関わった人たちの人生観が変わってしまうほどの大惨事であった。著者にしたって、こうして警察を退官した後も、事故が風化しないように「飛行機事故の語り部でいたい」と言わせるものであった。
 そんな中、2作目の『墜落現場 遺された人たち』は、事故後遺された人たち、事故現場を自主的に管理する日航の職員たち、更に村の人たち、そして検死に当たった医師や看護師たちがどのように生きてきたかを訪ね歩いて、書かれたものである。
 その点も今まで読んできた本とは違う。今まで読んできた本は、事故直後のことを書いただけで、いわば書きっぱなしといった本ばかりであった。
 たとえば、遺族を「善」、事故を起こした日航を「悪」と決めつけ、日航側の態度の悪さだけを強調することで、ただでさえ不幸にあった遺族が日航の態度で更に傷つき、二重の苦しみを味わったことが描かれていた。確かにそういう企業論理が優先されたことも多々あるだろう。事実じゃないとは言わない。けど、そうじゃない日航側の人たちもいたことをこの著者は2作目にきちんと書いている。
 更に上野村の人たちの描写にしたって、今までの本は、事故機の捜索に直接関わった人々の言葉は細部にわたり記述するが、捜索に直接関係のない村の人々が、この事故とどう関わらざるを得なかったかは書かれていない。しかしこの本はきちんとふれている。
 確かにそれができたのは、この2作目が事故から時間がたっているため、冷静かつ客観的に書けたのだろうと思うが、事故後も遺族や関係者の姿を追うことで、事故の悲惨さがいつまでも関係者に影を残していることを我々に教えてくれている。
 たとえば、現在御巣鷹山の管理人をしている仲沢さんはこれまで祥月命日の12日には必ず山に登り、遺族がいれば、写真を撮ってやったり、自分でも山の写真を撮って、遺族に送っている。その仲沢さんがいう言葉。

 「最初のころねえ、遺族がねえ、日航の若いヤツに何かと文句を言うわけさ。あの人らはねえ、何を言われても平身低頭だあ。関係ないもんまで謝ることあなかべえに」
 「遺族が言いたいことを言うんで、『言いたいことべえ言うんじゃねえや』と言ってやったんだ。そうすると日航の若えのが、『仲沢さん、仲沢さん、言わねでくれ』ちゅうんだ。手を合わせるようにして、俺に言うだよ。そうかなあ、あんな若えヤツでもそういう気持ちになるんかなあ、と思ったんだ。
 それから気持ちがいくらか変わってきたんだ。ヤツら、我慢しているんだなあ、と思ってねえ。
 いまさらになって、十も二十も若えヤツらに、我慢することを教わっただあよ。おらも我慢ができねえばっかりに、ずいぶんと人さまに迷惑かけたなあって、な。それからおらもさ、遺族の人のつらい、哀しい気持ちもわかるからさ、『そうですか。ハイ、ハイ・・・』っていうようになったんだ。そうしたら遺族の人も『仲沢さん・・・・』って、声をかけてくるようになってさ。」

 ラーメン屋さんの話もいい。著者たちが検死で異臭を体中に浸みこませたまま、近所のラーメン屋さんに食事に行く。このにおいは飲食店にとってみれば、致命的なはずなのに、それでも主は「ご苦労様です」と言ってくれた。
 そのお店を事故後訪ね、そのことを詫びつつお礼をいう著者に、主は「警察官の方々が私の店に来て臭いから・・・なんて思ったことは一度もありませんでしたよ。たしかに異様な臭いは染みつきましたがね。けど、あの体育館の中で働いている人は大変なんだろうな、と思ってましたからね。」というのだ。しかしこのラーメン屋さんも事故後つまらぬ中傷を受けてしまった。一時客足が激減した。

 いみじくも明後日は20年目の8月12日を迎える。この事故は私の長女が生まれた年に起こった事故であった。だからものすごく印象が強い。その長女も今年20歳になり、社会人として生きている。

2005年08月05日

死の臭い

読んだ本

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立川昭二著『歴史紀行死の風景』 朝日新聞社 (1979年)

『レンブラント』カンヴァス世界の大画家16巻 中央公論 (1982年)

ホルバイン『死の舞踏』 岩崎美術社 (1972年)

 ここに2枚の絵がある。いずれもレンブラントの絵である。


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    レンブラント 「トゥルブの解剖講義」 1632年 ハーグ マウリッツホイス美術館



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    レンブラント 「デイマンの解剖講義」 1656年 アムステルダム 国立美術館

 上は、「トゥルブの解剖講義」で、下は「デイマンの解剖講義」である。
 トゥルブは、ライデン大学で医学を修め、アムステルダムで開業し、外科医組合の解剖学講師となり、アムステルダム市長も歴任し、臨床医として、膀胱ガンや脚気について業績があり、結腸の「トゥルブ管」にその名を残している人物である。
 この絵を見ていると、死体の白さと、そのまわりのいる人物や背景の黒さのコントラストが不気味さを醸し出しているが、一方で、その分リアルさを感じさせる。
 この死体を囲む人物達の名前も分かっているらしく、更に死体の身元も絞首刑にあった、アドリアンというライデン生まれの28歳箱作り青年であることが分かっているらしい。
 もう1枚の「デイマンの解剖講義」のデイマンは先の「トゥルブの解剖講義」の画面中央にいた人物で、この腹と頭を開かれている死体の人物もはっきりしていて、盗みの罪で絞首刑になったフォンテインという青年だそうだ。
 デイマンは脳の組織を持ち上げている。すでに死体の腹は切開され、穴が開いた状態。傍らにいる人物は、切り取られた頭蓋骨を持っている。これも妙に生々しい。
 人体の解剖風景をここまで、リアリティーに描く精神はいったいどこから来るのだろうか?ここまで「死」を客観的にみる思想はどうして育まれていったのだろうか?そうせざるを得ない理由があったはずである。更に狂気としか言いようのないのは、パドヴァ大学では、歴代解剖学教授の頭蓋骨が行儀よく並んで陳列されているのだ。自分たちの身体さえ標本としてさらしているのである。

 立川昭二さんの『歴史紀行死の風景』は、そうした背景を主にヨーロッパ中世からルネサンス、産業革命の地域を訪ね歩くことで、解明しようとしている。
 まずはエジプトからギリシアを訪ね、ギリシアのヒポクラテスが残した、20歳になる、シレーノスという人物のカルテを紹介する。

第一日。胆汁状で、混じりけのない、泡のある、濃い色の便を多量に排泄。尿は暗色で、黒い沈澱があり、渇きを訴え、舌は乾燥し、夜間は不眠。

第二日。熱が劇しく、排便はさらに多量、希薄で、泡があり、尿は暗色、夜間は苦痛、いささか精神錯乱。

第三日。全般的に病勢昂進。左右の肋骨下部が緊張して瞰に達し、下方は柔らかであった。便は希薄で、暗色。尿は混濁し、暗色。夜間は不眠、多弁、吠笑、放歌し、抑制不能。

第四日。同じ状態。

第五日。混じりけのない、胆汁状で、なめらかで、脂肪状の排便。希薄で透明な排尿。やや意識を回復。

第六日。頭部に少し発汗。四肢は冷却。帳転反側し、完全に便秘し、尿もとまり、高熱。

第七日。発語不能。四肢は体温回復せず、排尿なし。

第八日。全身に冷汗。発汗とともに、赤く円形のにきびほどの小さな発疹が出て持続し、消失しなかった。腸からは、わずかの刺激で、希薄で不消化な多量の便が排泄され、苦痛をともなった。排尿にも疼痛があり、刺激性であった。四肢はやや体温を回復、睡眠は浅く、昏睡状態で、発語不能、尿は希薄で透明。

第九日。同じ状態。

第十日。飲物を受けつけず、昏睡状態で、睡眠は浅かった。排便は同様。濃厚な尿を多量に排泄し、これを放置すると澱粉状の白色の沈澱があり、四肢はまたも冷却。

第十一日。死亡。

 以上のように、ヒポクラテスの観察は詳細を究め、ヒポクラテスの『流行病』第一・三巻に記載されている症例は、今の病名で診断できるという。すごいのはこれが古代ギリシアで書かれたものだということなのである。つまり元々そういう観察眼を持った人物が古代ギリシアにいたということであり、そういう土壌があったということなのだ。
 次にローマに移り、古代ローマ帝国を思う。「すべての道はローマに通ず」がローマ帝国の繁栄を意味したのと同時に、それは「辺境の風土病を疫病として文明世界に拡散させる伝播路の役割をはたすことになった」のだ。だから華々しいと思われている古代ローマ帝国の実態は、うち続く戦禍と飢饉、そして、マラリア、ペスト、疱瘡が絶えずローマ帝国の土台を揺すぶっていたのだ。そのためローマ人の健康水準は著しく低いものだったという。
 そして立川さんの記述は中世と移っていく。ヨーロッパ中世といえば黒死病、すなわちペストの大流行の話となるが、元々ヨーロッパ中世でもローマと同じく衛生状態が悪く、「中世の人びとは、騎士であれ農夫・職人であれ、七歳ごろから職業訓練を受け、労働を分担し、十三歳ごろは男女とも結婚適齢期、十五歳で法的な成人、三十五歳ともなればすでに老人であった。七十歳をこえたカール大帝は奇跡と呼ばれ、王侯貴族の子女の大半が、やはり乳幼児で死亡している。死までの距離のあまりの短さ、死とつねに背中合わせに暮らしている日常、社会構成年齢のあまりの若さ。ただでさえ、このようなきびしい時代に、黒死病という大量死がおそったのである」
 いったこの時代どれだけの人達がペストで亡くなっていったのだろうか?詳しい統計資料がある時代じゃないから、正確な数字はわからないけど、ペストで死んでいった人達の遺体が日常どこでもあった状態だ。そしてペストに感染していない人びとにとってもいつ「明日は我が身」なる可能性が十分あった。そうなれば嫌が上でも「死」と向き合わざるを得ない。「Memento Mori(死を思え)」とはこういう状況で生まれた。又ホルバインの「Danse Macabre(死の舞踏)」も自分の身近に「死」が迫っていることを風刺した絵であった。


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 こんな状況から、嫌が上でも「死」を客観的にみることをせざるを得ないヨーロッパの人びとから、「人間とは何か?」、「病気とは何か?」、「死とは何か?」あるいはこんな悲惨な状況の中で「神とは何か?」が問われていくのだろう。
 勿論先にあげたレンブラントの絵のような解剖が行われる前は、いくらヒポクラテスのように客観的に病気を診る姿勢はあったとしても、元々ヨーロッパ中世は宗教が絶対的な力を持っていた時代だから、病気の治療は非科学的なものであり、事実医者が患者を前にして、からだを見ようとしないで、患者の運星表(ホロスコープ)に熱中し、占星術を基本とした。手元にあったのは、暦であった。1345年パリ大学医学部が国王に提出した報告書では、木星と火星の『合』が地上に有害な蒸気を沸き立たせ、大量の死を招いた疫病を発生させたという内容を見ればその様子がうかがえる。
 ペストが猛威を振るい、「死」を目のあたりにすることが非日常的じゃなくなったとき、更に「死」あるいは「人間」を客観的にみることが出来るようになったのではないか。 たとえば、ヨーロッパは肉食である。当然多くの家畜を食用用に屠殺する。毎日家畜を腑分けする際、家畜の内部にときには腫瘍や血塊などの異常を発見することもあるだろう。

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     レンブラント 「屠殺された牛」 1655年 パリ ルーブル美術館


 そしてそれが原因でこの家畜は病気だったと考えるのは極めて自然である。そしてその考えを人間にまで広げれば、病気や死因は天体や神の影響じゃなく、身体の中のある器官に原因が潜んでいるはずだと考える。こうした考えから、人の身体を解剖すれば、その原因がより具体的に判明する。
 これが先のレンブラントの絵に見られる人体解剖につながっていく。そして構造的に人体が分かってくると、今度はデカルトのように「生命も物質であり、人間も機械だ」という考えに進んでいく。デカルトにそう言ってもらうことで今度は科学的に医学を考えるようになっていくのだろう。
 ところがそれが進んだ現代は、すべての病気はという病気が判別されようになって、様々な末期の締めくくりは病気がつけるようになり、人間の意のままにならなくなっていく。それを管理するのが病院という閉鎖された世界だ。それが証拠に、現代に人々のほとんどが病院で死ぬ。
 かつて人々は、死と隣り合わせに生き、死を恐れながらも、死を暮らしの中に取り込み、死者とともに生きていた。死と隣り合わせに生きるということは、ある意味「血の残忍さ」があったが、現代の医学の進歩は、その残忍さを取り除いたとしても、やさしくない。いや取り除いたのではない、隠しているのだ。
 いつの間にか我々は、死を偶発的な事件と見るようになり、死は神の摂理、自然の法則性によってもたらされるはずのものが、医療技術の不十分さで引き起こされた「事故」として見るようになってしまったのである。

 この本は歴史の旅で死のかたちがどうであったか、それが文明や風土と又は科学や医学がどう関わってきたかを考えている。それがいかに悲惨で残忍なものであっても、それと向き合って人々は生きていた。
 そして現代医学が死を隠蔽することでいわば無菌状態なものにしていることに警鐘を鳴らして締めくくっているが、よく考えてみると、我々が教科書で教わる歴史もこれと同じじゃないかと思う。歴史的事実の羅列は、内容を考えさせない。その裏にあることを考えさせない。思想や科学はきっと凄惨なことを体験してきたなかで生まれたものであるはずなのに、その背景を求めない。この本を読んでいて、これでいいのだろうかと思った次第だ。

2005年08月02日

阿刀田高著『コーヒー党奇談』

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 長いこと本屋で仕事をしていた関係で、データベースとして書名、著者、出版社、あるいはさわりぐらいの内容など頭に入っているものがある。
 勿論商売柄そういうことが必要であったし、今みたいに簡単にインターネットで調べられる時代じゃなかったから、頭の中にあるデータベースが結構役に立ったものだ。
 それは毎日、本を触って、棚に陳列する作業で、必然的に覚えていった。あるいは本屋で初めて仕事に就いたときなどは、ほとんど毎日一日中返品作業をさせられていたから、伝票書くうちにそういったことが頭に入っていった。
 だから、実際に本を読まなくても、雑学的な知識があり、ちょっとした会話ができちゃう。
 そんな関係で阿刀田さん著作はいくらか知っているけど、実際に本を読むのは今回初めてなのだ。何故今まで読まなかったのか不思議なくらいなのだけど、今回読んでみて、おっ、面白いじゃん!と思った。

 『コーヒー党奇談』(講談社文庫)を選んだのはほとんど書名が気に入ったためだ。私はすぐ書名で読みたいと思う傾向があって、前回のカーヴァーの本だって、たぶん書名が気にいて買ったはずだ。
 この本は、全部で12話の短編から成り立っていて、解説を読んでみると、雑誌「旅」に連載されていたものを集めたものらしい。そのため日本の各地の昔主人公が住んでいた場所や、訪れたところで、主人公の経験したこととその地方にまつわる話をうまく絡めて、話を進める。だいたいが、主人公がかつていた場所を、かなりの年月がたって、そこを訪れる。本来変わってしまっていいはずのものが、年月を経てもそこだけ取り残された感じで、余り変わっておらず、そのことがかえって不思議な物語を作っていく。そこへその地方のにまつわる話が加わってくるので、不思議さを増幅させる。でもその不思議さはくどくなく、さらりとした感じで、ちょっとした清涼感がいい。
 通常不思議な世界を描くと、妙に恐怖感をあおってみたりして、おどろおどろしくなってしまうものを、くどくなく、さらりと描き、なおかつ清涼感さえ感じさせるのは、やっぱり阿刀田さんの技量がすばらしいが成せる技のような気がする。
 私は個人的にコーヒーが好きなので、やっぱり第一話の「コーヒー党奇談」が気に入っている。話の内容を書いちゃうと面白くなくなっちゃうから、コーヒーの話を書く。
 アムステルダムの霧深い路地から美味しいコーヒーの香りが漂ってくる。隆二はコーヒーを注文する。店主は濃いめにコーヒーを入れ、シュガーを溶かし、ショット・グラス一杯のウィスキーを注ぎ、更に火を入れる。そこに白いクリームを流し込む。たった一杯のコーヒーでぐんぐん疲労が取れていく。
 この描写だけでも美味しそうと思わせるけど、その前によく地理もわからない、霧深いアムステルダムの町で主人公を歩かせ、疲れたところにコーヒーの香りを漂わせる。ありきたりのパターンのようだけど、そうすることで、更にそのコーヒーが美味しいそうだと思わせる。このあたりはうまいなぁと思う。これから続く不思議な話の「まくら」としてはいい感じだ。
 これからちょっと阿刀田さん本を読んでみようかと思わせる1冊であった。

2005年08月01日

レモンド・カーヴァー著『ささやかだけれど、役に立つこと』

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 この『ささやかだけれど、役に立つこと』(中央公論社刊)はレイモンド・カーヴァーの短編集なのだけど、どうもアメリカの現代小説というのは苦手だ。読んでいて、だからどうなの?という気持ちになってしまうのだ。日常のありふれた風景をただ無骨に描いているとしか思えないのは、私の感性が鈍いからなのか、よくわからないけど、今ひとつピントこない。どこがいいのかわからないのだ。
 この気持ちはたとえばヘミングウェーを読んだ時も感じたし、やはり村上春樹さんが訳されたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』でも味わったような気がする。これなんかどうして永遠の青春小説なのかさえわからなかった。
 でも、その中で、書名にもなっている「ささやかだけれど、役に立つこと」はちょっとよかったかな。

 アンは息子のスコッティーのバースディーケーキをショッピングセンターのパン屋で注文する。
 その息子が誕生日にひき逃げにあってしまう。勿論注文したバースディーケーキなどの問題ではない。しかし、パン屋の方はその事情がわからないから、注文したケーキを取りに来てもらわないとならない。最初はその催促の電話をするのだが、電話を取る側が尋常な状況じゃないから、それを嫌がらせの電話と受け取ってしまう。パン屋の方は、注文したケーキを取りに来てくれないから、今度は本当にアンの家に嫌がらせの電話をかけるようになってしまう。
 スコッティーは昏睡状態で目が覚めず、ついに死んでしまう。一方嫌がらせの電話は続くが、その相手が電話番号を教えたパン屋しかないと確信し、アンと夫のハワードはパン屋に抗議に行く。
 パン屋の主人はスコッティーが死んだことを聞いて、それまで悪態をついていたのをやめ、2人に椅子をすすめ、そして自分のことを話し始める。
「あたしはただのつまらんパン屋です。それ以上の何者でもない。昔は、何年か前は、たぶんわたしもこんなんじゃなかった。でも昔のことが思い出せないんです。あたしが一人のちゃんとした人間だったときもあったはずなのに、それが思い出せないのです。今のわたしはただパンを焼くパン屋、それだけです。もちろんそれで、わたしのやったことが許してもらえるとは思っちゃいません。でも、心から済まなく思っています。あんたのお子さんのことはお気の毒だった。そしてあたしのやったことはまったくひどいことだった」と自分がしたことを詫びる。
 そして二人に出来たてのロールパンをすすめる。アンとハワードはその出来たてのロールパンを食べながら、パン屋の主人の話を聞き始める。
 パン屋の主人は、中年になるこの歳まで家族も持たず、勿論子供も持たないで孤独で生きてきたことがどれほど寂しいものだったのか。そしてバースディーケーキやウエディングケーキを焼くことで、みんなに喜んでもらえる。自分がパン屋をやることで、世の中で役に立つ仕事をしているんだと思えることを話すのだった。
 ある意味、こうした考え方が、孤独なパン屋の主人の精神をおかしくしてしまったのではないかと思えるが、ただ一方で、純粋にパン屋をやることで、世の中に役立つ仕事をしていると思おうとして、自分自身に「救い」を求めている。
 この短編集の作品には本当に「救い」がない、貧乏くじを引いた人々が描かれるが、唯一この作品はこの部分で「救い」があるので、いいと思えるのかもしれない。