2005年08月01日

レモンド・カーヴァー著『ささやかだけれど、役に立つこと』

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 この『ささやかだけれど、役に立つこと』(中央公論社刊)はレイモンド・カーヴァーの短編集なのだけど、どうもアメリカの現代小説というのは苦手だ。読んでいて、だからどうなの?という気持ちになってしまうのだ。日常のありふれた風景をただ無骨に描いているとしか思えないのは、私の感性が鈍いからなのか、よくわからないけど、今ひとつピントこない。どこがいいのかわからないのだ。
 この気持ちはたとえばヘミングウェーを読んだ時も感じたし、やはり村上春樹さんが訳されたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』でも味わったような気がする。これなんかどうして永遠の青春小説なのかさえわからなかった。
 でも、その中で、書名にもなっている「ささやかだけれど、役に立つこと」はちょっとよかったかな。

 アンは息子のスコッティーのバースディーケーキをショッピングセンターのパン屋で注文する。
 その息子が誕生日にひき逃げにあってしまう。勿論注文したバースディーケーキなどの問題ではない。しかし、パン屋の方はその事情がわからないから、注文したケーキを取りに来てもらわないとならない。最初はその催促の電話をするのだが、電話を取る側が尋常な状況じゃないから、それを嫌がらせの電話と受け取ってしまう。パン屋の方は、注文したケーキを取りに来てくれないから、今度は本当にアンの家に嫌がらせの電話をかけるようになってしまう。
 スコッティーは昏睡状態で目が覚めず、ついに死んでしまう。一方嫌がらせの電話は続くが、その相手が電話番号を教えたパン屋しかないと確信し、アンと夫のハワードはパン屋に抗議に行く。
 パン屋の主人はスコッティーが死んだことを聞いて、それまで悪態をついていたのをやめ、2人に椅子をすすめ、そして自分のことを話し始める。
「あたしはただのつまらんパン屋です。それ以上の何者でもない。昔は、何年か前は、たぶんわたしもこんなんじゃなかった。でも昔のことが思い出せないんです。あたしが一人のちゃんとした人間だったときもあったはずなのに、それが思い出せないのです。今のわたしはただパンを焼くパン屋、それだけです。もちろんそれで、わたしのやったことが許してもらえるとは思っちゃいません。でも、心から済まなく思っています。あんたのお子さんのことはお気の毒だった。そしてあたしのやったことはまったくひどいことだった」と自分がしたことを詫びる。
 そして二人に出来たてのロールパンをすすめる。アンとハワードはその出来たてのロールパンを食べながら、パン屋の主人の話を聞き始める。
 パン屋の主人は、中年になるこの歳まで家族も持たず、勿論子供も持たないで孤独で生きてきたことがどれほど寂しいものだったのか。そしてバースディーケーキやウエディングケーキを焼くことで、みんなに喜んでもらえる。自分がパン屋をやることで、世の中で役に立つ仕事をしているんだと思えることを話すのだった。
 ある意味、こうした考え方が、孤独なパン屋の主人の精神をおかしくしてしまったのではないかと思えるが、ただ一方で、純粋にパン屋をやることで、世の中に役立つ仕事をしていると思おうとして、自分自身に「救い」を求めている。
 この短編集の作品には本当に「救い」がない、貧乏くじを引いた人々が描かれるが、唯一この作品はこの部分で「救い」があるので、いいと思えるのかもしれない。

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