2005年09月01日

さだまさし著『解夏』

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 短編4作が収録されているさだまさしさんの『解夏』(幻冬舎文庫)は前から気になっていた本だった。今回それを読んでみる。4作の中では、私は「解夏」と「秋桜」が気に入った。
 ここには、それぞれ訳ありの人生を歩んできた主人公が故郷でだんだん癒され、その苦しみから解放される。それまで厳しい人生を歩んでいただけに故郷の自然、そこで暮らしている人達に助けられながら自分を取り戻していく姿が描かれる。

 「解夏」ではベーチェット病を発病した隆之は、自分の症状が徐々に悪化していることが自覚できるだけに、近いうちに失明する恐怖を日々感じている。
 失明する自分のために婚約者の陽子に負担をかけられないという思いから、陽子と別れて、長崎に帰ってくる。しかし陽子の方が長崎の隆之の家を訪れ、隆之とその母と一緒に暮らし始める。
 隆之と陽子は、隆之が失明する前に自分の故郷を記憶の中に留めようと町中を二人で歩き回る。坂の多い寺町である隆之の故郷は全体がやさしさに包まれている感じだった。
 ある日、隆之と陽子は、寺の境内で林老人と出会う。隆之は林老人に自分の病気のこと、近いうちに失明することを話し始める。それを聞いた林老人は隆之にそれは仏教での「行」だというのだ。隆之が今、失明する恐怖は「行」を生きているというのだ。その恐怖を友人や教え子、そして陽子の力を借りて克服したときが、「行」の明けで、完全に失明したとき、この病気が治まったことにもなる。まさしくそれは「解夏」でもあった。

 「秋桜」では、フィリピン人のアレーナ・フローレスが信州の飯田の岡島利春のところに嫁いだ。婚約前に晴彦は父親の春夫を連れて、アレーナがいるお店に来る。そこで春夫はアレーナに「売春をしたことがあるか」と聞く。アレーナは怒るが、春夫は田舎の老人特有の不躾さを詫びつつ、何故そんな失礼なことを聞くのかを説明する。
 田舎では嫁の出自は好奇心の対象になり、ましてフィリピン人のアレーナが嫁にくればなおさら好奇心の目で見られる。そして息子の嫁に来てくれる人は宝だから、自分たち親子で守らなきゃならない。そのためには何でも知っておきたいのだという。
 結婚後舅になった春夫は事実アレーナを大切守った。しかし春夫が亡くなり、姑の喜久枝はアレーナに辛く当たっていたが、ある日、孫の太郎が近所に住む村人から「あいのこ」と言われたと告げる。それを聞いた喜久枝はその家に怒鳴り込みに行き、「外面だけで誤魔化すような(お前んとこの)バカ嫁とうちの嫁は出来が違うんだ。こんなに一所懸命、こんなによく働く嫁なんぞ、飯田中、日本中探したってほかにおらん!うちの嫁は日本一なんだ!」言い放つ。
 その後、縁側で庭に咲いている秋桜を見ている喜久枝はアレーナを横に座らせ、秋桜がメキシコ産の花だけど、今は大切な日本の花だといい、アレーナに秋桜ようになれと言うのだった。

 とにかくこの本を読んでいると頭の中で「精霊流し」の歌が流れ、不思議な気分を味わっていた。この本の4作は「精霊流し」の歌のように、悲しい現実を癒す「やさしさ」をうまく表していた。

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