2005年09月05日
ダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』ヴィジュアル愛蔵版
先月末にダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』ヴィジュアル愛蔵版(角川書店)が出版された。これがすごい。元々上下2冊に別れていたものを、1冊にまとめ、しかもヴィジュアル愛蔵版と名を打っているだけあって、絵画や美術品、建築物、図称などの写真が140点も掲載される。ページ数で621ページの厚さである。ましてこうした写真を載せているので、紙質もいいやつを使っているようで、かなり重い。
でもこの話はこうした写真があった方が親切だし、わかりやすい。というわけで、もう一度読み直すことにした。
読み直している内にやっぱり夢中になってしまった。そして今回わりとじっくり読んでみると、この本の謎解きには、絵画や美術品、建築物、図称の写真がいかに必要か思い知らされる。以前の本は、建物や美術品、絵画などの説明は文章に詳しく書かれているけど、やっぱりものを見てみて見ないと、あっ、なるほど!と思えない部分があった。その為インターネットで調べてみる必要があった。 しかし今回の本はちゃんと次のページに大きく写真が載せられていて、そんな手間をかけずに納得できちゃう。登場人物達が訪れる、教会の写真などあると、そうか、こういうところなんだ!と、まるで映画を見ているようにリアル感がある。この本は最初からこうあるべき本だったと思った。ただ、ちょっとその分値段がはってしまうが・・・。
さて今回、期せずして読み直すことになった訳だけど、改めて読んでみて、前回いかにいい加減に読んでいたか、思い知らせされる。
私が以前、偉そうに分かったように書いた文章の内容は、ほとんどここに書かれている。一所懸命調べて書き込んだものだが、よく読んでみるとちゃんと、しかもわかりやすく書かれていたのだ。もちろんポイントは押さえていると思うが、どうもそれだけであって、ちゃんと書いてあるのにわざわざ調べて、ああでもない、こうでもないと書きつづったのがお恥ずかしい次第だ。
だけど、やっぱり、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の話しは今でも衝撃的だ。イエスのすぐ左にいる人間はヨハネだとずっと思っていただけに、修復されたこの絵を改めてみてみるとどう考えても女性に見える。それがマグダラのマリアである。イエスが処刑される最後の日に、わざわざイエスの横に座っているには、それなりの訳があっても不思議じゃない。マグダラのマリアはイエスの後継者後継者だとシオン修道会の総長でもあったダ・ヴィンチは言っていたのだ。
何故か、それは彼女はイエスの妻であり、イエスの子を宿していたからである。その証拠をシオン修道会が作ったテンプル騎士団が見つけ、それをシオン修道会が守り続けていたのだ。
ところがこのことはローマカトリック教会にしてみればとんでもない話しになる。神であるイエスが妻を持ち、子供まで作っていたとなれば、カトリック教会の教義そのものが破綻する。だからその証拠を握っていたテンプル騎士団がその後大きな力を持ったのも、カトリック教会が「ばらさないでね!お願い!」(どうしてこういう書き方をしちゃうんだろう、私は・・・)となだめすかしたからであって、その後あまりにもテンプル騎士団が大きくなりすぎてしまったので、それを解体せざるを得なくなった。しかし完全解体されたのではなく、シオン修道会が地下にもぐってその「真実」を伝え続けた。
もともとどこの民族でも持っている原始的な宗教ではだいたいが「女性」は豊穣のシンボルであった。つまりそれなりの地位を持っていた。ところがローマカトリック教会はむしろ「女性」は卑しめられ、じゃまな存在として位置づけられている。イヴはリンゴを食べてしまったことで、人類の堕落が始まったとされるし、そもそもイヴがアダムの肋骨から生まれたとするように、「女性」は「男性」の副産物で、罪深いものとされてしまった。
昔大学時代に、キリスト教は本来の信仰から様々なものに影響され、形を変えざるを得なかったというのをなんの本で読んだことがある。キリスト教を普及させるためには、本来持っていたイエスの教えを曲げてでもそれを正当化して、異教徒に受け入れやすいように、異教徒が持っていた宗教の一部を受け入れ、だんだん変質していく。あるいは政治的なかけひきとして使われることで、変質していく。
ローマカトリック教会は人間らしいイエスから神として厳格な存在へと昇華させていった。従ってこれに反するものは切り捨てられ、異端とされていく。切り捨てられた教えは、ヨーロッパ史の影の部分となったのだろう。
さて、シオン修道会が守ってきたものが暴かれることは、はまさしくローマカトリック教会にとってみれば大きな痛手となるが、真実を追究する者にとって見ればどうしてもその真実を知りたい。このところがこの本を面白くしている。影の部分があらわになるというには、読む側にはちょっとゾクゾクしてくる。しかもそうはさせないという勢力との確執があるから余計である。その点この本は充分楽しめる本であったと改めて思った次第だ。
ところでこのヴィジュアル愛蔵版のカバーを外すと、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が表紙になっている。これだけでもかっこいい装丁だ。
ここからは以前に読んだ本を付け加える。それは荒俣宏さんの『レックス・ムンディ』(集英社文庫)である。この本も面白い。
元々この本のことを知ったのは、三省堂の本店で『ダ・ヴィンチ・コード』の関連商品として一緒になって平積みにされていたことから始まる。そこで思わず手に取ってしまったわけだ。読んでみて、なるほど、『ダ・ヴィンチ・コード』と並べて売るのにはいい本だと感心した次第だ。
この本は、イエスが処刑された後、マグダラのマリアがイエスの血を引く子供と暮らしたという伝説があるレンヌ・ヌ・シャトーが舞台になっている。そこは西ゴート族の聖地であり、テンプル騎士団の領域でもあった。
そして1885年にレンヌ・ヌ・シャトー管区にベランジェ・ソニエール(『ダ・ヴィンチ・コード』では、ソニエールはルーブル美術館の館長が同じ名前で使われている)が赴任し、村の小さな教会を修繕し始めた。その時秘密の羊皮紙を、祭壇に隠された西ゴートの柱の中の穴から発見した。
現代になって、探検家はここを発掘する。何かあると・・・。そしてここには彼の墓があったのだ。もし興味があるようでしたら読んでみて下さい。
- by kmoto
- at 20:14
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