2005年09月11日

ギボン著『ローマ帝国衰亡史』第3巻

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 ┌コンスタンティヌス大帝(306-37)┬[西]コンスタンティヌスⅡ(337-40)
 │                     ├[中]コンスタンス(337-50)
 │                     └[東]コンスタンティウスⅡ(337-61)
 └ユリウス─┬─ガルス
         └─ユリアヌス(361-63)


 この3巻はコンスタンティヌス大帝からユリアヌスの即位までのフラウィウス家一族の盛衰を描いている。
 とにかく名前が似たような名前なので非常にややっこしい。しかもこの一族、特にコンスタンティヌス大帝の子供達は凡庸でどうしようもないので、疑心暗鬼になって、お互い殺し合いをしたり、殺されたりと血生臭い一族であった。そのため、こうして家系図を作っておかないと、誰がどうなったのか分からなくなってしまう。コンスタンティヌス大帝の馬鹿息子についてはここでは書かない。
 
 実は私はコンスタンティヌス大帝は偉大なローマ皇帝だと思っていた。確かに若い時、軍人として指導的立場にいた時は人望もあっし、力もあった。けれど、分裂したローマをひとつにまとめ上げた後、コンスタンティノープルに都を構え、ローマ皇帝として君臨するあたりからおかしくなっていったようだ。
 元々戦乱で疲弊したローマに新しい都を構えること自体、無謀であった。事実この新しい都を飾った建築物は、ローマ帝国各地にあった記念物を集めてきて作られ、新しい建築物、記念碑など作る能力など、財政的にも、それらを作る人材もなかった始末。
 その上コンスタンティヌス大帝は、こうした戦乱を招いたのは権力がひとつに集中することに始まることで起こると考え、徹底して細分化し、それぞれが無力化するような体制を築き上げる。所謂役人を増やして、やたら役職を作っていく。このことはとりもなおさず、財政的にかなりの負担を負うことにさえなった。 確かにディオクレティアヌス帝退位の後、コンスタンティヌス大帝の父の代から分裂と混乱を生き抜き、それを制した者が、そうならないためにどうしたらいいかを考えれば、この様な体制を築くのも納得できないわけでもないが、基本的には厄介なものを取り除くことで、自分の政治体制を維持しただけのことであった。従って自分たちに叛逆しない弱者を優遇していく体制でもあった。
 このことはキリスト教公認にもつながっていく。313年に「ミラノ勅令」が出された。今まではこの「ミラノ勅令」がキリスト教徒の信仰の自由を認めた勅令だと思っていたが、実際はキリスト教徒だけを優先的に信仰の自由を認めたものではないことを知る。
 元々ローマ帝国は多神教であって、割と信仰の自由が認められていた国であった。ただキリスト教徒だけがその排他的な信仰が他の宗教を認めない頑固さが仇となり、ひたすら自分の信仰のみに生きることが、弾圧の原因となってしまったところがあった。そうしたキリスト教徒に対して他の宗教と同じく信仰の自由を認めたものであった。
 何故そうしたか?それは誰でも自由に自分の信じる宗教を奉じていいという権利を尊重したものではない。明らかにコンスタンティヌス大帝の政治的思惑があってのことであった。
 すなわちどんなに弾圧があっても、キリスト教徒の無抵抗とさえ言える態度は、支配する側のコンスタンティヌス大帝には有り難い存在であった。だって自分に刃向かわないのだから・・・。
 で、一度キリスト教も公認してしまうと、自分のブレーンにキリスト教徒である人間を加えていく。そこでブレーンとして迎えられたキリスト教徒の指導者は、キリスト教が普及すれば、「真の神をさえ礼拝すれば、お互いすべて一つの共通の父の子と考える人間の間に、戦争や不和など一切なくなるはず。不純の欲望、または怒りや利己的感情は、福音を知ればことごとく抑制されるだろうし、すべての人間が真理と敬虔、公正と寛容、調和と博愛、等々の感情で動く社会にあっては、為政者たちも破邪の剣を収めておくことができるはずと、強調するのだった」
 こういわれればコンスタンティヌス大帝だって「そうか・・・!」と思っても不思議じゃない。一度認められたキリスト教徒は、今度はキリスト教の普及にローマ皇帝を利用し始めたのだ。まさしくミイラ取りがミイラになってしまったわけだ。
 しかしここではどうしてコンスタンティヌス大帝がキリスト教も認めるほど、普及していたのか、その理由は詳しく説明していない。ただこうしてコンスタンティヌス大帝がキリスト教に傾くことで、それに従う国民が多くなっても不思議じゃないというだけである。
 もっとも信仰のことは個人的なことに依存しているので、キリスト教がローマ帝国にどうしてこんなに普及していったかなんて、延々と書かれちゃうと、いささか退屈してしまう。それでなくても、この本にあるキリスト教の教義に関する記述は私には難しい。
 とにかくキリスト教は他の宗教と同様に信仰の自由を認められ、皇帝を巻き込むほどの力を持つようになっていく。そしてまだこの頃は、教義として統一されたものが出来ていなかったから、その教義の違いを血みどろになって争っていく。そんな中、「プラトン、アリストテレスの弟子をもって任ずる」ユリアヌスが登場するのである。

 ここからはお遊びである。全く根拠がない。ただ、ちょっと関係がある話しとして書く。

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 ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』中で、「コンスタンティヌスは資金を提供して新たな聖書を編纂するように命じ、イエスの人間らしい側面を描いた福音書を削除させ、神として記した福音書を潤色させた。以前の福音書は禁書とされ、集めて焼却された」とある。
 又こうも書かれている。「コンスタンティヌスの聖書で禁じられた福音書を選んだ者は、だれであれ異端者と見なされた。異端ということばはこの時期から使われはじめたんだよ。ラテン語の”haereticus"にはもともと”選択”という意味があった。イエス・キリストの本来の物語を選択した人々が、世界で最初の異端者(heretic)というわけだ」と。
 何が言いたいかというと、この『ローマ帝国衰亡史』にある、アナスタシウス派 とアリウス派 の教義の違いは、キリストが神なのか、それとも人間なのか、その一点にかかっていて、結局アナスタシウス派 が正統派として認められ、アリウス派は異端とされた。
 正統派とされたアナスタシウス派は父なる神、子なるキリスト、聖霊の三者は、等質で不可分とする説。 所謂「三位一体」説である。つまりキリストも神なのだという考え方である。
 ところがアリウス派は新プラトン主義(簡単に言っちゃうと、霊的=精神的なものと肉的=物質的なものとの別もんという考え方)の影響を受け、キリストは本質に於いて神とよく似ているけど、やはり被造物であり、「人間」としての特性も持っている、と主張し、神との同質性を否定した。そのことで異端とされたのだ。
 『ダ・ヴィンチ・コード』の話は、アナスタシウス派 とアリウス派の教義を巡る争いから、異端とされた教義から始まると言ってもいいような気がする。

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