2005年09月22日

ギボン著『ローマ帝国衰亡史』第5巻

2005_09_22_01.jpg

 この巻を読み終わって思うことは、偉大なローマ皇帝を父に持つ息子達がどうしてこうも凡庸なのだろうということだ。能力も資質もない二代目がローマ皇帝となると、その悲惨さはどうしようもない。ましてこういう衰退期にローマ皇帝となると、その衰退を早めるだけであった。
 コンスタンティヌス大帝の息子達もそうであったし、テオドシウス帝のぼんくら息子達もそうであった。コンスタンティヌス大帝やテオドシウス帝は軍人として苦労し、ローマ皇帝として推挙されたわけだが、その息子達は生まれながらにしてローマ皇帝の息子であった。それはいかにその息子が凡庸であろうとも、次の皇帝がある意味約束された立場でもあった。
 その子守を受け持つことになった、スティリコは大変であった。テオドシウス帝死後、ゴート族などゲルマン民族が次から次へとローマ帝国内に侵入し略奪を繰り返していても、テオドシウス帝の息子であった、西の皇帝ホノリウスや東の皇帝アルカディウスは全く役に立たない始末。スティリコ自身が西に東に軍を率いて対応するしかなかった。スティリコのお陰で何とかローマ帝国内に侵入してくるゲルマン民族と折り合いをつけ、帝国を維持していくが、それでも挙げ句の果て、ホノリウスの取り巻きの意見で殺されてしまう。もう本当にどうしようもない。
 ゴート族の侵略が、ローマ市に危機をもたらす。本来ローマ皇帝はローマ市民を守る義務があるにもかかわらず、ホノリウスは自分の身の安全だけを考え、ローマからラヴェンナに自分の居場所を移してしまう。残されたローマ市民はたまったもんじゃなかった。ゴート族に略奪、殺人、強姦とやりたい放題に、かき回される。
 それでもこの蛮族の長は、ローマ皇帝に直接戦いを挑むわけではない。たとえ凡庸で役立たずのローマ皇帝でもその威厳に敬意を表して、自分達を何とかローマ皇帝から認めてもらおうとし、ローマ軍の幹部にしてもらおうとするのだ。まさしく「腐っても鯛」というところか。
 それは西の皇帝ホノリウスだけではなく、東の皇帝アルカディウスも同様であった。ギボンはアルカディウスの死に当たって次のように言い放つ。「この帝の功績を概略でも記述することは不可能である。歴史的資料にはワンサと恵まれているこの時期にあって、正当に大テオドシウス帝のこの長子の仕事といえる行動は、何一つ見あたらないからである」と。
 この本ではゲルマン民族の侵入に曝される中、テオドシウス帝の後を継いだぼんくら息子達の姿を延々と描写し、ローマ市民の腐敗もこれでもかというくらい書くことで、ローマ帝国が滅びざるを得ない状況を読者に分からせる。読む方もこれじゃ仕方がないと思ってしまう。たぶんこの絶望感は歴史の教科書じゃ味わえない。

 ところで、話はがらりと変わって、キリスト教について思うところを書きたい。(実は書きたくて仕方がなかったのだ)
 これから書くことは、昔から個人的に感じていたことで、具体的な根拠はない。ただ、「そう思う」と言うことなのだ。そのことをこの『ローマ帝国衰亡史』を読むうちに更に強くなったので、書いてみたいと思ったのだ。

 アリウス派とアナスタシウス派の教義論争にけりがついて、アナスタシウス派が正統派として認められていくことは書いた。しかし個人的に不思議だと思うことがある。何かというと、偶像崇拝のことなのだ。キリストが神であるかどうかという論争の前に、キリスト教そのものは、元々偶像そのものを崇拝することを禁じていたはずであった。だからローマ帝国内にあったギリシアやエジプトからの神々の像を祭ったものを否定した。
 何度も言うように、元々キリスト教は偶像崇拝を否定していた。ところが、その布教に当たって、形のない思想より、形を伴った思想や話の方が布教しやすい。また教会の権威をより明確に民衆に意識させるためには、具体的な「物」があった方が有難味ある。そこで、初期キリスト教の殉教者の遺体や遺品を掘り返して、自分のところの教会に宝物のように祀ることになる。だからギボンは言う。「カトリック教会の牧師たちが、もともと打倒を目ざして躍起になっていたはずの邪教の手本(偶像崇拝)をマンマと踏襲したという一事である。無知な農民に異教の俗信を棄てさせるには、キリスト教の内部にそれに似たもの、その償いになるものがあると気付かせるのが、捷径なのだ、最も尊敬すべき司教たちが思いこんでいたのだ。コンスタンティヌス帝のキリスト教は、一世紀とはたたぬうちにローマ帝国を完全に征服し終えた。が、その勝利者たち自身が、打倒したはずの相手のやり方に、知らないうちに屈服していたのである」と。
 
 教会には当時も現在も、十字架やキリストやその他使徒達の絵画、像、更に聖遺物があり、それを崇めていることは本来の教義からすれば反する。けれどもキリスト教の存在を意識させるためにはそうせざるを得なかった。
 このことは神なるものが存在するという壮大な「嘘」を構築するにも使われた。つまり「嘘」を「嘘」でないように、思想を、ああでもない、こうでもないと、こねくり回して、虚像を作り上げてきたのが、ヨーロッパの文化であった。その原点が初期のキリスト教教会ではなかったのかと思うのだ。
 実際に形のない神を文字や絵画、あるいは像としてして、現すことで、その恩恵を表現していくのだ。

 だからそれがおかしいというのではない。そうせざるを得なかったことが、自分達の文化を創り上げたのだ。それを文明として世界に広めたのだ。存在しない、あるいは形のないものを、形のあるものとして作り上げ、あらゆるところに神の存在を意識させることで、自分達の生きるすべとしたのだ。
 そしてヨーロッパの文化のすごいところは、何でもかんでも神が作ったという考え方に、「それはおかしい」という批判的な考え方が受け入れ(勿論簡単にはいかなかったけど)、それが科学の進歩を進めたことになったし、産業革命だって、そういう科学の裏付けがなければ生まれなかったのではないか。あるいはルネサンスだって、神中心ではなく人間そのものを尊重しようとするのは、教会批判から生まれたはずだ。
 またカトリック教会が絶対的な力を持つことで、腐敗を免れなかったとき、原点に返ろうという考えが宗教革命を生むことになったはずだ。そこで生まれたプロテスタントは市民たちを後押しし、商業を肯定し、資本の蓄積は神の望むところだとしていく。
 こう考えると、今我々が受け入れているヨーロッパ文化は、カトリック教会の教義を元にして、その批判も受け入れて、長い時間をかけて生まれたもので、そうすることで普遍的で、かつ世界中で通用するヨーロッパ文明となったのだ。そう思うのだ。だからキリスト教が果たした「すごさ」を改めて感じてしまう。

trackbacks

trackbackURL:

comments

comment form

(どんなことがあっても、本が好き にはじめてコメントされる場合、不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。)

comment form