2005年10月24日

ギボン著『ローマ帝国衰亡史』第9巻

2005_10_24_01.jpg


 この巻は、主にマホメットの生誕から、彼の後継者が繰り広げるイスラム世界を描く。正直言って、いささかギボンの宗教談義には辟易してきて、しかも今までほとんど真剣に考えたこともなかったイスラム教となると、ちょっとお手上げ状態である。そのためページもなかなか進まなかった。『ローマ帝国衰亡史』は後2冊残っているが、先が思いやられる。この巻に関しても、どのように記述していけばいいか、迷った末、こんな感じになった。

 高校時代に読んだ遠藤周作さんの紀行文(確か『牧歌』という書名だったと思うけど忘れてしまった。以下遠藤さんの文章を私の記憶にあるところで書いているので、正確さは自信がない)に、イスラエルのキリスト誕生の地といわれるところを訪れ、その荒涼さに圧倒される文章を思い出す。ここでキリストが生まれたということが、その宗教にどんな影響を及ぼしていくか考えに耽っていた。
 その自然の厳しさが、教えに父権的な厳しさを帯びさせてしまうのではないかといっていたと思う。
 灼熱の太陽、生き物や木々や草花も殆ど自生していない砂漠の中で、自分達の信仰を保持するには精神の強靱さがないと、その信仰は維持できない。形のあるものがほとんどない現実の世界で生まれた信仰は、形のあるもにすがることが当然出来ない。だからよりどころとするのは自分の精神の中にある形而上学なものに必然的になざるを得ない。当然原始キリスト教もこの精神を引き継いでいた。 ところがキリスト教がヨーロッパに普及していくに当たり、本来信仰は自分の精神の中にあったはずだが、いつのまにか形のあるものにすがることで信仰の篤さを示すことになってしまった。人間キリストが神になったのもそいう理由からだろうし、聖遺物を崇拝したり、豪華絢爛な教会を作ることで、その偉大さや徳を誇示する。ギボンは皮肉を込めて、言う。「もしも聖ペテロや聖パウロのようなキリスト教徒が今日のヴァティカン宮殿へ帰ることできたならば、彼らは多分この壮麗な聖堂でかくも神秘的な儀式で礼拝されている神は一体何という名かと尋ねるだろう」と。

 ではイスラム教はどうであったのだろうか?
 マホメットよりおこったイスラム教は、ユダヤ教やキリスト教より後発であったが、予言者として、アダム、ノア、アブラハム、キリストの存在は認めていた。ただあくまでも彼らは「予言者」であり、所詮イエスは一介の人間だと主張する。そしてマホメットは彼らの後に続いた最高の予言者であった。その上でマホメットは「この世にはただ一つの神がありそしてマホメットはその神の使徒である」と自分を位置づけのだ。コーランは神がマホメットを編集者として、口授したものであった。だから「コーランの実質は神の本性において存立し、神の永遠な布告の目録に光のペンで彫りつけられた非創造にして不朽なるものである」うまく言えないけど、コーランは神そのものであろうか?それがすべてであった。それ以外は認めなかった。もちろん他の宗教の偶像もだ。
 カーバ神殿があったメッカでのマホメットの布教は、当時の為政者にとってみれば危険なものであった。何故なら当時のカーバ神殿は様々な偶像で充ちておりそれを崇拝していたからだ。そのためマホメットはメッカから追放され、メディナに移る。
 しかしマホメットは「自己の宗教を剣の力で宣布して、偶像崇拝の記念碑を破壊し、もはや聖なる日や月に顧慮することなく地上の不信心な諸国民を迫害するよう」啓示を受ける。7年の亡命後マホメットはメッカで君主及び予言者として登位し、カーバ神殿内の360にも達する偶像は無惨に破壊する。
 ここまでは何となく理解できそうである。マホメットはもともとカーバ神殿を管理する一族の出であったし、またメッカから追放されたのだから、自分の権利を回復しようとして、メッカに戻ってきても不思議じゃない。
 ただこの後マホメットの後継者達がシリアからエジプト、そして地中海側のアフリカ北部を通って、スペインまで勢力を伸ばしていくのが、単にイスラムの教えを広めるだけの情熱だけで可能であったのだろうかと思うのだ。
 確かに、当時西ヨーロッパは混乱した状態だったし、ビザンティン帝国も衰退の一途だったから、その属州であったアフリカ北部での力が弱まっていたとしても、しかし史実として、彼らイスラム教徒はアフリカ北部からジブラルタル海峡渡ってスペインまで勢力を延ばしたのである。もしフランクの宮宰カール・マルテルがトゥール・ポワティエの戦いで彼らを撃退しなければ、それこそ、そのままヨーロッパの南側(地中海側)を通って、ローマ、そしてコンスタンティノポリスまで達し、それこそ地中海を一周していたかもしれないのだ。ヨーロッパはキリスト教の世界じゃなくて、イスラム世界になっていたかもしれない。ギボンは、もしこのときカール・マルテルが破れていたら、「定めし今頃はオックスフォードの学位試験でコーランが教授されただろう」と言っている。
 イスラム教徒はこの地域に進行し、支配するに当たり、「コーランか貢納か」の選択をさせ、両方を拒否した場合のみ、住民達を殺害していった。イスラムに改宗するか、それとも自分達の財産を彼らに渡して、自分達の信仰を守ることも可能であった。ある意味緩やかな支配体制だったのかもしれない。つまりイスラム教徒の支配を受け入れる側も、条件によっては、徹底的に破壊、略奪などされない事情があるため、力のあった彼らの支配を受け入れたのかもしれない。
 一方勢力を伸ばしていくイスラム教徒側には、その報酬としてマホメットや初期の彼の後継者達はコーランの教え基本的にを守っていれば、兵士達に略奪した財宝や奴隷、女達を自分達のものにすることを認めていた。この点は割と現実的であった。
 そして戦争になれば、マホメットや初期の後継者達は自ら前線に立ち、兵士達を鼓舞していく。彼らはまさしく予言者であり、王であり、その代理人であった。ここはキリスト教とは根本的に違う。キリスト教の指導者達が剣を持ちながら、自ら異教徒の前に立って布教などしはしない。
 またマホメットや彼の後継者達は、兵士達に戦いで死ぬことは最も天国に近くに行けることだと鼓舞していく。まさしくそのかけ声は芝居じみているけど、極限状態であれば、指導者の一言は兵士達に絶大な力を与えるのだろう。(この精神はもしかしたら現代のイスラム原理主義者に脈々と生き続けている気がしてしまう)
 これらの事情でイスラムの勢力がかくも拡大していったのではないか。ただ単にイスラムの教えを広めていくという宗教的情熱だけじゃ、こうも広範囲に自分たちの支配を広げることは難しかったのではないかと思う。ただ、ヨーロッパまで進出したイスラム教徒はどこでも起こるお家事情で分裂をしていき、その威力が衰えていく。

 さて7巻の時に書いた、私の高校時代の世界史の先生が言った「ユスティアヌスの火」なる兵器の件なのだが、東ローマ帝国にはもう一つ秘密兵器があったようだ。それは「ギリシアの火」と呼ばれるものである。これは先生が言っていた兵器とは違うし、7巻でギボンが言っているものとは違うから、全く別物だと考えていいのかもしれない。(そもそも「ユスティアヌスの火」という兵器自体怪しいから何とも言えないけど)でも気になったので、書いておく。

2005_10_24_02.jpg


 イスラム教徒は直接コンスタンティノポリスも攻撃している。このとき東ローマ帝国はこの「ギリシアの火」を秘密兵器使う。ギボンによると、この兵器はヘリオポリス出身のカリニコスによって発見された。ギリシアの火の主要な成分はナフサという軽い粘りのある可燃性油であって、このナフサを如何なる方法や割合かは分からないが硫黄および常緑の樅から抽出される樹脂と混ぜた混合物で、濃い煙と大音の爆発を生じながら強力かつ執拗な火焔を放射し、その火は単に垂直に上昇するばかりではなく同じ勢いで同時に下方もしくは横へ燃え広がった。それは水を掛けても消えるどころか、火勢は煽られて一層強まった。敵軍の悩みの種はこれが海陸両方で、また会戦でも攻囲でも均しく効果的だった。城壁から大きな手桶で浴びせられたり、石もしくは鉄製の赤くて熱い球に詰めて発射されたり、この可燃性の油をたっぷり浸み込ませた亜麻布や麻屑を弓や投槍に巻き付けて発射された。あるいはガレー船の舳先に据えられた銅筒から発射された。
 この「ギリシアの火」は最高秘密とされたが、最後にはイスラム教徒に盗まれ、今度は「サラセンの火」として14世紀まで使用されたという。

2005年10月18日

畠中理恵子・黒沢説子著『神保町「書肆アクセス」半畳日記』

2005_10_18_01.jpg


 昔小さな店の責任者を任されたとき、お客さんからの注文で一番嫌だったのが、地方小と官報扱いの出版物であった。何故かというと、入荷まで時間と手間がかかるというのが最大の理由であった。
 官報扱いとは、政府刊行物、白書とか有価証券報告書や財務省印刷局で印刷されたものをいう。
 地方小とは地方小出版流通センターの略で、都内の大手出版社以外で、地方の小さな出版社、新聞社、あるい個人で出版している本や雑誌、ミニコミ誌、などを扱う問屋さんのことをいう。
 その店売が書肆アクセスで、そこではお客さんも本や雑誌、ミニコミ誌など買うことが出来るし(もちろん定価で)、書店も卸値で購入することが出来る不思議な本屋さんなのだ。
 神田神保町のすずらん通りで白山通りに近い所に、本屋か何だかわかりにくいお店がそれである。
 お客さんから受けた注文がここにあれば簡単に仕入れることが出来るが、そうでないと大変な時間がかかることがある。しかもこの地方小で扱っていれば、何とか手配することができるがそうでないと完全にお手上げである。今はインターネット普及しているからもう少し仕入が簡単になっているかもしれないが、当時は電話で問い合わせをしないとならないし、その電話代も馬鹿にならなかった。挙げ句の果て、書店取引をしていないとなると、ただ電話代が無駄なだけであった。
 昔は靖国通りの反対側に人文図書専門の問屋さん鈴木書店があって、そこの4階に地方の新聞社で出している出版物の在庫があった。鈴木書店に仕入行くときは必ずこの棚に寄って、そこに並んでいる本をよく眺めていた。読んでみたい本がたくさんあった。
 もう鈴木書店もなくなっちゃったから、今地方の出版物を扱う問屋さんはこのアクセスだけになった。
 地方で出版される本や雑誌、あるいはミニコミ誌というのはなかなか面白い本がたくさんあって、しかもだいたいがその土地に根付いた文化や自然、人物などを詳しく教えてくれる出版物が多い。ちょっと変わっているところもあるかもしれないが、それは都会に住んでいてつまらぬ情報に埋もれている我々がそう感じるだけで、地方の出版物には地に足がついたしっかりしたものを提供してくれるのだ。たとえばこの『神保町「書肆アクセス」半畳日記』は無明舎出版という秋田県にある出版社からでている。
 さて、この『神保町「書肆アクセス」半畳日記』は黒沢さんとその後引き継いだ店長の畠中さんがお店での出来事や、お客さんこのと、神保町という町のこと、本のこと、あるいは自分達の私生活を女性らしい文章でつづっており、読んでいて楽しかった。仕事の追われる毎日であっても、そこを訪れるお客さんや上京してくる地方の出版社の方々(この上京してくるというのがいい!)、あるいは彼女らの仲間たちの交友が楽しく描かれている。
 女性らしく、神保町界隈の食べ物屋さんのことも書かれていて、3時のおやつもささやかだけど楽しんでいる姿がこちらのも伝わってくる。
 お店の仕事も、地方の出版物を扱っているという特殊な事情があるにしても、それらの出版物をこよなく愛してやまないのもうらやましかった。わずか10坪のお店に彼女たちの情熱がいっぱいつまっているようでもあった。また仕事だけでなく、自分達の趣味でもある映画鑑賞や美術鑑賞、あるいは猫たちを、彼女たちの旦那さんや仲間達とで楽しんでいる姿がほのぼのと伝わってくる。(猫に関しては畠中さんはかなり困っていたようだが・・・)
 たぶん店長である畠中さんはあの方だろうと推測できるが、私は本屋の仕入でしかここを訪れたことがない。けれどいつも、お店の人に(たぶん畠中さんじゃないか思うが)伝票書いてもらっている間、仕事から離れてこのお店の棚をゆっくりと眺めたいと思っていた。
 黒沢さんが書かれている日記に次のようなことが書かれていた。

「2月某日
 土曜日だけアクセスの店番をしにやってくるセンターの門野さんと交代でレジに入る。平日と違い、仕入れに来る書店さんが殆どいないため、レジは楽である(書店が来たときはいちいち伝票を切らないといけないので、作業が煩雑になるのだ)。いつも取次でもあり書店でもあるアクセスだが、今日は書店に専念出来る日。せっかちな書店さんに急かされることもなく、ゆったり過ごせるのがうれしい。」
 
 これを読んだとき笑ってしまった。伝票を書いている店員さんに「早くしてくれ!」といった感じで自分も血走った目をしていたんじゃないかと思っちゃったのだ。
 帳合を日販としている中小書店の仕入コースは、まず水道橋にあった日販の店売で仕入を済まし、その帰りに神田村に寄るパターンが多い。仕入れに来ている本屋さんはお店のことが絶えず気になるから(店番をパートやアルバイト、あるいは奥さんに任せて、仕入に出ているから、不安なのだ)、早めに帰らないといけない。そのためせっかちになっちゃうんだけど、急かされる方はたまらないだろうなとこの本を読んで感じた。きっと私も急かした1人です。ごめんなさい!でも今度は本屋の店員ではなくお客としてお店に行きたいなぁと思う。ホームページも整備されていますから、この私の拙い文章を読んだ方は、アクセスがどんな店なのか分かりますから、是非訪問してみて下さい。
http://www.bekkoame.ne.jp/~much/access/shop/index.htm

2005年10月16日

横田増生著『アマゾン・ドット・コムの光と影』

2005_10_16_01.jpg


 この横田増生さんの『アマゾン・ドット・コムの光と影』(情報センター出版局)は先の森岡孝二さんの『働きすぎの時代』とセット読んでみると面白い。
 この本は基本的に、1.アマゾン・ドット・コムの歴史から、その日本上陸、そしてものすごい勢いで成長していく背景、更にアマゾン・ドット・コムが次に日本で何をしようとしているのかを書く一方で、2.アマゾン・ドット・コムを支える物流倉庫で働くフリーターやアルバイトがどんな待遇で働かされ、そのフリーターやアルバイトがアマゾンでの仕事に関してどんな意識で仕事をしているかを書いている。
 まずはアマゾン・ドット・コムの歴史からさらりと書いてみよう。
個人的に私はリアル書店(実際の本屋さんのこと。それに対してアマゾンみたいなネットで本を売る本屋をネット書店という)で働いていたときは、本を買うという行為に不自由したことがなかったし、本意関する情報にも事欠かなかったので、アマゾンに対して興味などわかなかった。 しかし、本屋を辞めて、今度は本を買うことに正直苦労していた。新刊なら本屋さん行けば買うことが簡単に出来るが、昔の本やちょっとマニアックな本など欲しいと思ってもそこにはないことが多い。注文したくても、どこでその本を注文していいのか迷ってしまった。
 こうして本屋の仕事を離れてみると、本を本屋で注文することがいかに面倒で、億劫なことなのかを知った次第だ。本屋では自由に、どんどん注文して欲しいのだけど(中にはお客さんの注文を嫌がったり、あるいは受け付けなかったりする本屋もあると聞くが、私に言わせればとんでもない話しである)、いざ本を注文してみたいと思っても、どこで、どのようにすればいいのかわからないもんだと知った。
 それに比べてネットで本を注文するのは簡単だ。アマゾンに限らず、今はだいたいの大書店ではネット注文も受け付けているから、画面上で簡単に出来る。煩わしさがなくていい。
 けど、私は本屋という現場に長くいたので、どうしても本を注文するなら本屋さんでしたいという意識が強かった。だから最初はアマゾンで注文しようかと思ったけど(1,500円以上なら送料無料だから)なんか気乗りしなかったのだ。それに欲しいと思っていた本が秋田県にある出版社なので流通上時間がかかるのか(本当は東京で仕入れることが簡単に出来るんだけど)アマゾンでは発送に1~2週間かかると書かれていたのでやめた。
 まぁ、さらりと書こうと思っていたのに、又脱線してしまった。とにかくアマゾン・ドット・コムには今でもそれほど興味を持っていないということである。でもきっと今まで以上にアマゾン・ドット・コムは日本の出版業界で大きな存在になることは間違いないだろとは思う。
 で、そのアマゾンの歴史は、1994年にジェフ・ベゾスたちが、シアトルでガレージをオフィスにして旗揚げした。そして日本には、2000年にサイトをオープンする。本の仕入れ先が問屋の大阪屋(現在はアマゾン自体が巨大になったので、小さな大阪屋では本の仕入れが間に合わないので、日販とも取引を始め、今ではかなりのシェアーを日販は占めるようになっているらしい)で、物流は日通に任せている。
 創業当時から、アマゾンは徹底した秘密主義を通し、その内情は詳しく公開されていない。アマゾンでのノウハウを他に利用されたら、自分たちの脅威となるので、従業員でさえ退職後そのノウハウを他に漏らさない、利用しないという誓約書を入社時に書かされるらしい。
 それで著者は、2003年には500億円に売上を超えたのではないかと推測している。(この数字はCDやDVDも含んでいるが、書籍だけで200億円の売上があるのではないかと推測している。)
 この業界では、1,000億円を超える売上を出しているリアル書店は紀伊国屋と丸善だけで、二番手集団が文教堂と有隣堂で、400~500億円の売上を出している。ということは、アマゾンの500億円を超える売上は、それに匹敵するかそれ以上かもしれない。アマゾンが1,000億円を超える売上を出す日もそう遠くないとしている。
 そうなると日本の出版業界にかなりの意見が言えそうである。事実アマゾンは利益率の向上を目指している。つまりアマゾンが大阪屋や日販などに仕入を依存すれば、リアル書店と同様な利益率22%しか取れない。(実はもう少し利益率は低い。というのも、大阪屋や日販が自分たちの取り分を多く取ろうとして、仕入原価を高くしてアマゾンに納品しているからだ。日本の出版物は、定価の70%が出版社、8%が取次、書店が22%が基本である)
 それで取次を通さず直に出版社と取引出来れば、取次の8%も取れる。つまり30%の利益率となるわけだ。これを「中抜き」という。出版社は本を出せば30%~40%近く返品が出てくる今の出版業界の閉塞的な状況より、ほとんど返品のない、あるいは全部買い取ってくれるアマゾンと取引した方が出版社にとって見れば、得に決まっている。アマゾンの側でも、大量に全部買い取るんだから、出版社に値引き交渉だって簡単にできるメリットがあるはずだ。だから70%以下で仕入も可能になる。これを目指しているんじゃないかと著者は推測している。
 またアマゾンでしか買えないプライベートブランド商品の開発もしている。これもかなりの利益率を生むだろう。こうしてどんどんアマゾンは巨大化していく。
 しかしそのアマゾンが巨大化していく背景は、ネットでアマゾンを利用してくれなければ話しにならない。そこでアマゾンは何をしたかというと。「小さな書店」を目指しているのである。アマゾンという巨大システムからするとこの「小さな書店」というのはちょっとぴんとこないかもしれない。
 アマゾンは確かにシステムは巨大だけど、それはユーザ一人一人を大切にした「顧客第一主義」に徹底していて、「小さな書店」とは顧客にはその顧客にあった情報をここに提供できる書店であることをいっている。
 一昔前の本屋さんがいつもお店にきてくれるお客さんがどういったジャンルの本を買っているかよく分かっていた。だからそのお客さんが何を求めているか当時の店員さんは分かっていた。時にはそのお客さんに「こんな本が出ましたよ」なんて勧めることもあった。それをアマゾンはやっている。アマゾンを利用したお客さんが何を買ったのかをデータベース化しているから、お客さんのニーズや情報を個々に提供できる。だからお客さんにとってみれば「小さな書店」である続けるのである。それは「顧客第一主義」からの発想であり、今の日本の大書店では出来ないことをコンピュータを使ってやっているのである。だからアマゾンを利用する人はリピーターが多いというのもうなずける。
 更にアマゾンを利用するお客さんが何をどれだけ買ったかというデータは当然適正仕入にも反映できるはずだ。リアル書店より無駄がない。

 あぁ~!また長くなっちゃった。本当はこれから書くことが私の最大の興味対象なのだけど、どうしてうまくまとめられないんだろうか。嫌になっちゃうなぁ。でも頑張って書こう。

 前回紹介した森岡孝二さんの『働きすぎの時代』は、フリーターやアルバイトの存在が少なくともIT化が進んだお陰で成り立っている産業、たとえば、コンビニやこのアマゾンのようなもの、通常やらない深夜産業などを支えていることはまがいようもない事実であることを書いている。
 フリーターやアルバイトがいいとか悪いとかいうのではなく、彼らがいることで成り立っている産業が現在たくさんあり、その恩恵を我々は受けていることは間違いない。
 たとえばアマゾンみたいに利用者に「簡単、便利で、手間いらず」を感じさせるものであっても、利用者がワンクリックした先には、機械やコンピュータではできない、つまりどうしても人間じゃなければできない、単純で、その分仕事に期待できない作業がある。アマゾンの場合、ピッキングといわれる、棚から注文された本を抜き出す作業などがそうである。
 アマゾンは先ほど書いたように秘密主義を徹底しているので、その経営状態が明らかでない。けれどお店を持たないアマゾンの生命線は、その物流にあると著者は考える。つまり「簡単、便利で、手間いらず」は、その物流システムがしっかりしていることがそれを支えているわけで、だからそこに潜入すればアマゾンの実態がつかめると考た。そこでアマゾンの物流を請け負っている日通の流通倉庫でアルバイトとして潜入したのである。
 私が興味があったのは、そこで働くフリーターやアルバイトの実態であり、彼らの仕事に対する意識である。採用には大した試験がある訳じゃなく、簡単な面接後、すぐ倉庫に案内され、簡単な仕事の説明の後、すぐ採用となる。時給900円(後に850円に下がる)で、交通費の支給なし。もちろん昼食代などでない。2ヶ月の期限付きで採用され、2ヶ月後に再雇用するかどうかは、それまでの成績次第。しかしどんなに成績がよくても決して時給が上がることはない。予定の勤務時間があっても、暇なときはすぐ返される。もちろん2ヶ月の期限付きで雇用されているわけだから、会社は彼らの社会保険の加入義務を負わない。そして会社は彼らに「1分間に3冊」のピッキングしろというノルマを課す。
 これはきついと思う。その棚はきちんと分類された棚ではなく、ピッキングされた後空いたところに入荷した本が入れられるだけで、ただ、棚入れ時にどこの棚に入れたかコンピュータに入力されたものが注文書のデータに記載されているだけ。つまりある場所は限定できるけど、その先は自分たちの目で探すしかないのだ。しかもなんの脈絡もないまま棚入れされているから、恐らく記憶力との勝負となるだろう。できる人でも1分間に平均2.5冊が限度だという。こうなると黙々と本を探すしかなく、おしゃべりなどしている暇などない。もちろん人やビデオカメラの監視付き。自分たちが1分間に何冊ピッキングできたかという成績データはすぐ出てくる。それを絶えず見せられ、もっと頑張れ!と尻をたたかれるか、あるいは本人達の能力のなさを思い知らせる用途に使われる。まさしく著者が言っているようにジョージ・オーエルの『1984年』の世界である。
 飴と鞭をうまく使って人を使う方法と、鞭のみでの人の使い方があるなら、アマゾンはまさしく後者の方だろう。
 結局、使用期間を2ヶ月と限定し、昇給の機会も与えない。辞めるならいつでもどうぞ!という環境であっても、それが成り立つ理由は、職を求める人間がいくらでもいることと、仕事の内容がマニュアル通りに働くだけで、能力の向上が原則的に不要とする職種だからだ。何も考える必要のない、いや考えることさえ放棄させる職場を構築できるからだ。それがIT化された職場なのだろう。そしてどうしてもコンピュータが出来ない仕事を人間にやらせるのだ。その際人件費も出来るだけ安い人件費で済むようにフリーターやアルバイトで補うわけだ。
 そんな職場環境で、たとえば仕事に対するモチベーションの向上など望めるわけがない。ただ、自分の時間を時給のために割り裂いているだけである。だから使用者側の横暴に対しても、あるいは常識的に考えてもちょっとおかしいんじゃないかと潜入した著者が疑問に思って、それを一緒に働いている同僚に聞いても、何ら反応しない状況が生まれているのである。
 たとえば本をピッキングする際、本についている帯を破ってしまうことがよくある。本当に本を愛する人なら、あるいはお客さんにそれを売るというなら、帯も本の一部であって、それがが破れていたんじゃまずいはずだ。著者は常識的にあるいは本に関わる仕事をしているから、帯が破れてしまった本はダメージ本だと考えた。だから破れてしまった帯のついた本の扱い方をどうしたらいいのか日通の社員やその上にいるアマゾンの社員に聞いた。その答えが「帯は捨てていいよ!」と簡単に言わたのであった。そんなことを気にするより、1分間に3冊ピッキングするノルマを優先させなさいと言わんばかりなのだ。
 実は私はちょっと気になっていたことがあったのだ。たとえばアマゾンのサイトでこの『アマゾン・ドット・コムの光と影』を検索すると、その本の画像が出てくる。もう一つ紀伊国屋のウエブサイトで同様に検索するとやはりこの本の画像が出てくる。やってみて下さい。

アマゾン http://www.amazon.co.jp/

紀伊国屋 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/

 
 もう違いが分かると思うけど、アマゾンの画像には本の帯がないのである。恐らくすべての本の画像に対して帯付きはないんじゃないかと今までアマゾンで検索して感じている。そのわけがやっと分かったのだ。つまりウエブ上で帯付きの画像を載せてしまうと、配送された本にそれがないと違うじゃないかというクレームがくる可能性がある。それに案外この帯にこだわる人もいるのだ。またこの帯がその本を浮きだたせる役目をしているときもある。古本では帯付きとそうでないのとでは値段が違うのもそういう理由だ。 アマゾンはピッキングの際、帯が破れてしまうことがあることを前提として、クレームを避けるために、わざわざ帯を外した画像を載せているのだ。

 また話が横道に行ってしまった。私はアルバイトやフリーターが自ら努力もせずにその立場に甘んじている奴は擁護ない。好き勝手なことをしていて、口先だけは達者な奴などとは話もしたくない。欲望だけは強く、自分の欲望を満たすだけのために、仕事をするのはどう考えてもおかしい。(自分の欲望のために、人を殺してでもお金を奪う奴が最近多いから、そのためだけに仕事をする方がまだましかもしれないけど)そこには生活感がないからだ。
 だけどそんな奴らと一緒にリストラされたおじさんや、生活のために働く主婦を労働力としてのみ使う企業にも賛成しない。そこにあるのはスピード化、効率化、あるいは利便性を追求する企業の手足だけであって、そんな手足を安価で使えるという理由で彼らを使うのだ。企業も「そんなんでいいよ」といっているもんである。人を人として見ていない部分が感じるのである。能力や技術、あるいは資格がある人間を正規に雇い、それ以外は臨時に集めればいいという考え方は、基本的に与しない。出来る人間、出来ない人間と二極分化した先には一体何があるというのだろうか?
 それでもそれが資本主義であって、貧富の差は如何ともしがたいし、能力の差も同様にあっても当然だとは思う。けれど、貧しくても心豊かに暮らせる方法をどこかで見つけないと、世の中荒廃するだけじゃないかと思うのだ。アマゾンの物流センターみたいに、ロボットようにしか働けない場所しか提供できなくなれば、一体どうなるのだろうか?それでいいとは思わないのだが・・・。

2005年10月15日

森岡孝二著『働きすぎの時代』

2005_10_15_01.jpg


 森岡孝二さんの『働きすぎの時代』(岩波新書)の最終章に「働きすぎにブレーキをかける」として、労働者、労働組合、企業、そして政府に著者自ら様々な提案をしているが、分かるけどそれが出来ないから、働きすぎになってしまっている。一人一人が声を上げて訴えればそれが改善できるという考えは、確かにそうだろうけど、それが許されない社会になってしまっていることを問題とすべきじゃないかと思うのだ。声を上げれば、みんなが認めてくれる社会じゃなく、逆に疎んじられる社会だから、なかなか声を上げられないのだ。その為働きすぎが、ストレスや体調不良、あげくのはてに過労死と泣き寝入りさせられてしまう。働きすぎを会社や社会が求めている部分がある以上、その犠牲者減りはしないだろう。

 たとえば私が住む近くの駅に、ダイエーがあるが、ここは営業時間が23時までとなっている。サミットは1時まで、駅前にあるモスバーガーは24時30分までと、営業という表示が書かれている。(こんな表示でいいのかなぁと思うのだが、まぁ言いたいことは分かる)もちろんコンビニは24時間営業だから、深夜でも煌々と明かりがついている。
 いくら駅前とはいえ、こんな遅い時間にそれほどお客が来るのかと不思議でならない。お店を開けている以上、たとえ少ない客数でも昼間と同じように店内には照明を点けておかなければならないだろうし、看板だって同様に点けておかないとなるまい。更に当然従業員もそこに配置させないとならない。ニーズがあるからそうしているといえば聞こえがいいが、はたしてそれだけだろうか?どうも私には経営者の売上アップを望む声が聞こえてきてしまう。こういう時代だから、少しでも売上数字が欲しいのは当たり前だ。みんなと同じことやっていたんじゃ売上なんか上がりやしない。コンビニにお客を持って行かれるくらいなら、それを取って自分のところの売上にしてやろうという考え方があってもおかしくない。
 しかし深夜に営業する以上、当然経費がかかる。はたして利益と経費のバランスは取れているのだろうかと、かねがね疑問に思っている。かなり厳しいんじゃないかと思う。「いや、それはいいんです。宣伝としてうちは遅くまで営業しているというのがお客様に分かってくれれば、いつか使ってくれるはずです」なんて言うかもしれない。けれどその深夜営業の赤字は単純に考えて、昼間の売上利益から補填されているはずだ。たとえそれが広告宣伝費の要素が強くたって、結局そういうことだろう。ということは、その補填数字は誰が出すかと言えば昼間のお客である。つまり深夜営業の赤字の分、昼間のお客は高い商品を買わされていることだってあり得るんじゃないかと思うのだ。
 一方深夜営業の赤字を昼間のお客にすべて補填してもらうわけにもいかないだろうから、少しでも経費を安く上げるために、特に経費のかかる人件費は抑えるために使われるのが、フリーターやアルバイトなどだ。恐らくコンビニにしても、こんな深夜営業をするお店が維持できるのも彼らの存在のお陰だ。
 ここに働きすぎの構図がいくつか見えてくる。まずは会社がそれを求めているということである。次にライフスタイルが深夜にも多様化し、本来休養や睡眠を取らなければならないのに、まだ活動している。あるいは遅くまで仕事をしている。眠らないがために、そこに商売が成り立つ背景があるのだ。
 次に安い給料のフリーターやアルバイトは、自分の欲望を満たすため、長い時間働くことで必要なお金を得ている。そしてそのフリーターやアルバイトがそこで簡単に仕事が出来てしまうのは、コンピューターに管理をやらせ、その手足となれるだけの能力と体力があれば仕事が出来てしまうほどマニュアル化したものがすでにあるから、フリーターやアルバイトが簡単に仕事が出来るのだ。

 以上、身近な例で、この著者言わんとすべきことを書いてきた。著者は働きすぎの原因が、「グローバル資本主義」、「情報資本主義」、「消費資本主義」、「フリーター資本主義」といって、それらが進んだことで、1980年代以降働きすぎの傾向増進したのだという。
 でも「○○資本主義」だなんだといっても、資本主義という以上、「売ってなんぼのもの」なのだから、どうやって売るかにすべてがかかってくる。競争に勝つためには何でもありという考えますます浸透していくような気がしてならない。自由競争を前提として、どんどん競争していったら、こういう働きすぎが必然的に起こるのは当たり前だろうし、モラルハザードだって起こってくる。
 さっきもいったけど、競争である以上、人と同じことをやっていたんじゃ競争には勝てない。そういうことなのだ。人間性回復なんてしゃらくさいことを言う前に、どうしたら売上が伸びるか考えろ!そして働け!それがあんたらの生活を豊かにするんだという経営者の声が聞こえそうだ。こんな経営者達に労働基準法のコンプライアンス求めるのは無理だろうし、労働者も自分のライフスタイル維持、もしくは向上させるには働くしかないと思っている以上、働きすぎを改善することは難しいだろう。
 だったらどうすればいいのだろうか。よく分からない・・・?

 ところでこの本を読んで知ったのだけど、日経新聞には読者の投書欄がないらしい。へぇそうなんだと思ったが、この著者は日経新聞を読むビジネスマンは忙しくて、投稿なんてしていられないからと書いているが、はたしてそうだろうか。
 たとえば仕事のしすぎで過労死してしまった夫の妻が夫が読んでいた日経新聞に「夫は会社に殺された」なんて投稿されたら、日経新聞を読んでいる経営者は苦々しく思うからじゃないかなぁと思っちゃうのだけどネ。真相はどうなんだろうか?

2005年10月13日

ギボン著『ローマ帝国衰亡史』第8巻

2005_10_12_03.jpg


 とにかく、疲れてきた。後3冊を残すのみとなったが、この巻を読むだけでへとへとである。
 この巻はユスティニアヌス帝の治世を1冊に書かれた前巻とは違い、彼の死後6世紀から一気に14世紀の神聖ローマ帝国皇帝オットーまで書きつづられている。しかもこの巻には、その後のキリスト教教義問題も記述されており、本当に読むのに苦労した。
 しかもこれを読んでいるうちに私の病気?が起こり、どうしようもなかった。 私は年に何回か全く本を読むのを受け付けなくなる。こうなるとどうしようもなく、ただ本が読めるようになるまで待つしかないのだ。ひどいときなど1ヶ月くらい全く本が読めない状態になる。今年は不思議とそんな症状はなかったのだが、ここにきて本を読むことが嫌になってしまった。しばらく本を読むこと中止したが、幸い今回は症状が軽く、何とか続きを読むことができた。ただちょっと時間が空いてしまったので、キリスト教の教義問題を扱った章は理解できなかった。そのため再度この部分は読み直した。(結局読み返してもよく分からなかったが・・・)

 さて、その東ローマ帝国である。ユスティニアヌス帝の死後、甥のユスティヌス2世がその皇帝になるが、例に漏れず、有能な皇帝の後は、凡庸な皇帝が即位してしまう。今回も同様なのだが、このユスティヌス2世は自分の能力のなさを自覚していたため、有能な人物に皇帝職を禅譲したのであった。しかし世の中なかなか有能な人物などそう簡単にいるものではない。やっぱり皇帝としての能力に欠ける者が東ローマ帝国の皇帝になってしまう。
 ただ不思議なことに、こうして凡庸な皇帝が続いて即位し、国が荒廃しても、今まではその後に必ず有能なローマ皇帝が出てきたことである。コンスタンティヌス帝にしても、テオドシウス帝にしても、ユスティニアヌス帝(ちょっと違うかなぁ)などが出て、一時的にローマ帝国を立て直す。逆にそのことがローマ帝国の寿命を少しでも長くした。
 今回も、そういう人物のお陰で東ローマ帝国の一時栄光の時を得た。皇帝ヘラクリウスはそれまでの東ローマ帝国皇帝とは違い、自らも戦場の前線に立ち、ペルシア軍と戦いを挑む。ペルシアとの戦争に当たり、もし自分が戦場で倒れたときのことを考え、その後を元老院に頼み、またペルシア以外に帝国に侵入してくる蛮族とは友好を維持し、心おきなくペルシア軍と対峙した。それなりの覚悟をしてペルシア軍と戦いを挑んだわけで、結果ペルシア軍を蹴散らすことに成功する。
 しかし国を挙げてペルシア軍と戦いを挑んだ結果、戦後国力は更に低下し、本当にどうしようもない状態に東ローマ帝国は追い込まれる。彼の死後、600年の期間、計60人の皇帝が即位し、あるいは退けられた。皇帝1人あたりの在位期間は平均10年という、とんでもない不安定な政局を強いられていく。
 こうなるとギボンも一人一人の皇帝を詳しく記述することが出来ず、ほとんど後半は東ローマ帝国の「皇帝列伝」みたいになってしまっている。読む方もボケッと読んでいると、誰が誰だか本当に分からなくなっていく。

 ところで何故ギボンはこの『ローマ帝国衰亡史』を書いたのか気になっていたが、その答えが一つこの巻に記されている。
 この巻は東ローマ帝国のことを書いているのだが、はっきり言ってもうどうしようもない状態の国のこと故、長々と書く必要性がないことをギボン自身書いている。それでもこの国のことを書くわけは、「失われた属州の地域は直ちに入植地や新興の王国となった再生し、平和と戦争の積極的徳性は敗退したローマ側から勝利した諸民族の側へ移動したから、われわれが東帝国の衰亡の原因と結果を探求せねばならぬのはこれら諸民族の興起と制覇、彼らの宗教と政治においてなのである」とギボンは言う。つまりこれはパラドックスであって、この時代に新しい王国が成立するに当たり、その国のことを直接描くのではなく、旧体制(この場合東ローマ帝国のこと)の衰亡を描くことが、次の時代を担う新興の国を描くことになるのである。ただ単に滅びていくものの哀惜だけじゃないのだ。

 キリスト教の教義問題をここでも取り上げているので、それを書く。
 キリストは三位一体説で神になった訳だが、こうなるとまたしても問題が出てくる。キリストが神ならば、どうして、人間の姿をしているのか?何故マリアの子宮から出てきたのか?「全能の神が笞打たれて十字架にかけられたとか、(彼が神なら)無痛覚なはずの彼の本質が苦痛と苦悶を味わったのか」と様々な疑問が出てくる。確かに言われればそうかもしれないが、とにかくキリストが神であるには、侃々諤々と、ああでもない、こうでもないと理論づけていく。
 特にキリストがマリアの子宮から、人間の子供として生まれたことが最大の問題となってくる。夜、ヨセフが頑張って(夜かどうか知らないが・・・)マリアとの間に子供をもうけたわけだけど、彼が神なら、人間のマリアから生まれちゃうとまずいらしい。(キリストは汚れのない肉体と神性との完璧な融合であり、人間の姿をした神として考えられていたのだ。だから処女受胎なんていうことを考えたのだろう)
 でどう考えたかというと、神としてのキリストが目にみえる姿(人間の姿)でこの世にあらわれたと考えたのだ。これを受肉(Incarnation)という。従って、キリストは神格と人格との2つの位格を持つことにしたのであった。
 問題はこの2つの位格の扱いをどうするかということになる。アンティオキア学派出身のネストリウスはキリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に別れると考え、人格においてキリストを生んだマリアが神の母であることを否定した。こうなるとカトリック教会でマリアを聖母とする立場が危ういものになってしまう。 これじゃまずいわけだ。
 そこでアレクサンドリア総大司教キュロスが、キリストの本性は神性と人性とに区別されるが、位格としては唯一である(位格的結合)、つまり一緒だとする考える方に飛びついた。こうしてくれると、マリアは神キリストを生んだ聖母だということで問題がない。当然ネストリウス派は異端とされ、細々とシリアあたり支持されるが、なんと中国の唐の王朝に伝わったのである。その証拠が「大秦景教流行中国碑」として石碑が残っている。

2005_10_12_04.jpg


 この巻にはもう一つ重大な教義問題が書かれている。「聖像崇拝問題」である。教義的には「聖像崇拝」の問題は以前に書いてあるので、詳しくは書かないが、ここではこれを巡って東西両教会(ローマとコンスタンティノポリス)が事実上分裂をせざるを得ない状況を生むのである。
 東ローマ皇帝レオ3世は「彼の教育と彼の理性そして恐らくユダヤ人やアラブ人との交遊を通じてかねて聖像への憎しみを抱いており、そして自分の良心の命ずる教えを臣民に課するのが君主の義務だと考えた」最初はわりと穏便に自分の主張をしていたレオは徹底的に聖像を破壊した。コンスタンティノポリスでは聖母や聖人の聖像の破壊の嵐となった。当然それはローマにも波及しかなねい。ローマ法王は東ローマ皇帝を破門にするが、皇帝も帝国内にあるローマ法王管轄下の教会を没収する。そのうちローマ法王達は何とか東ローマ帝国から独立しようと考えるようになる。

 しかし西ローマ帝国がなくなってしまったことは、イタリア、いやローマにとって、後ろ盾がなくなってしまったことになるわけだが、それがどういう意味を持つのか思い知らされる。つまりイタリアを守ってくれるものがないわけだから、キリスト教徒であるローマ市民たちは自分達で自分達のことを守らなければならないわけだ。しかし非戦闘員である彼らには、東ローマ皇帝に「助けてくれ」と泣きつくしかない。けれど、東ローマ帝国には、そんな余裕はもともとないし、聖像破壊というとんでもないことを押しつけられる。しかも東ローマ帝国の宦官のナルセスの統治の後、ランゴヴァルト族の侵入に悩まされている状態であった。
 だいたい古代帝国が滅んでしまった場合、廃墟になるか、細々と住人が住むくらいなもので、そのほとんどがその後の歴史の舞台から姿を消す。ましてゲルマン民族が略奪し放題な状態ならそのほとんどが壊滅状態になっても不思議じゃない。残るは、「遺跡」としての歴史的記念物だけである。ギボンはいう「もしもこの都市がこれを再び以前の名誉と支配へ立ち戻らせた一つの生ける原理で活気づけられなかったならば、ローマの名前はかつてのテーベやバビロン或いはカルタゴと同様に地球上から消滅していたことだろう」と けれどローマは違った。ローマはヨーロッパの精神的支柱として再生するのである。その再生のキーワードがローマカトリック教会である。ペテロやパウロが処刑されたという伝説がこの都市の「護符として崇敬されるに至った」のである。そしてそれを確かなものにしたのが、このペテロの座にいたグレゴリウス1世であった。彼はローマの司教、イタリアの首席司教、西ローマ帝国の使徒の役割を背負うことになる。
 とにかく東ローマ帝国から距離を置かなければならない。そこで法王ステファヌス3世はフランク族に助けを自ら求める。フランク族の宮宰ピピンはそれに応じ、イタリアへ遠征し、ランゴヴァルト族から奪還した土地を法王に寄進する。これが「ピピンの寄進」といわれるものである。
 ピピンの子、シャルルマーニュ(カール大帝)は中世最大の偽書「コンスタンティヌスの寄進状」(コンスタンティヌスはローマ司教聖シルウェステルの手で癩病を治してもらったお礼に聖ペテロの座と財産を明け渡し、自分は東方に新しい首都を建設するから、ローマは法王にあげちゃうというもの)を盾にシャルルマーニュにそれを見習うように進める。これを真に受けて、シャルルマーニュはイタリアさらには西方諸属州の自由かつ恒久的な主権を法王に譲渡する。
 しかしこれで完結したわけではない。ローマカトリック教会が東ローマ帝国から完全に独立するには、西ローマ帝国の復活しかなく、かくして、8世紀最後のクリスマスの日、シャルルマーニュはローマ法王から西ローマ帝国の帝冠を授かることになる。このら西ローマ帝国の帝冠をローマ法王が授ける精神的権威を持つことで、ローマカトリック教会は東ローマ帝国から独立することになるのである。そしてそれは神聖ローマ帝国に引き継がれた。

 この巻は、ものすごいスピードで6世紀から14世紀まで書きつづられているが、後のヨーロッパ中世という時代を考えるとかなり重要な意味を持つ時代でもあった。本来ならもう少し余裕のある書き方で、この時代を描いてもいいような気がするが、何故かギボンはこの巻でここまで話を進めている。それだけにそのスピードについていのが大変であった。

2005年10月02日

ギボン著『ローマ帝国衰亡史』第7巻

2005_10__01_01.jpg


 6巻の時に書いたが、ギボンはこれから先の記述は、本当は予定していなかった。そして私の知識も、実を言うと、東ローマ帝国に関してはほとんど知識がない。というのも、私が知っているヨーロッパ中世史には、東ローマ帝国は範囲外なのである。知っている皇帝名などユスティニアヌス帝ぐらいだもの・・・。だからこれから先はちょっと読み続けるのに苦労するだろうと思っていた。知っていることが書かれていると、ああそうだったなんて、昔やったことを思い出して、理解出来き、割とページが進む。けれど全く知識のない歴史は結構きつい。分からないところがほとんどだから・・・。で、少しへこんでいたのだが、どうやら東ローマ帝国だけの記述じゃないようだ。やっぱりヨーロッパ全体を見通して、話を進めていくようで、多少安心しつつ読んでいる。
 また訳者も三人目の中野好之さんに変わり、このまま中野さんの訳で最後までいくことになる。これまで二人の訳者の訳で読んできたが、前任者の訳し方をうまく引き継がれていて、幸い読みづらいところはなかった。後の訳者がかなり苦労されたんだろうなぁと思う。

 さて、この巻を読んでいて、高校時代の世界史の先生授業を思い出してしまった。私は当時二人の世界史の先生から教えを請うていた。一人の先生は通常の世界史の授業をされており、もう一人の先生からは、徹底した論文形式の授業を受けていた。(これでも当時世界史に関しては成績優秀だったのだ!他はダメだったけど・・・)
 正規の世界史の授業をしてくれた先生は学年主任でもあった。当時私達は、授業中弁当を食ったり(いわゆる「早弁」というやつ)、また購買部で売っているパンや牛乳を盗んで食べちゃったり(もう時効だから書いてもいいでしょう)、また授業を抜け出して、近くの喫茶店に入り浸ったり、ボーリングなどしていた問題児であった。そんな我々を学年主任でもあった先生は「またおまえらか!」と怒りはしたけれど、それでも結構優しくかまってくれた先生でもあった。そんな先生だったから、やっぱり人気があった。世界史の授業も教科書通り進まず、しょっちゅう脱線し、その時教えていた歴史の「よもやま話」をおもしろおかしく話してくれた。授業はいつも笑いが絶えなかったと思う。
 そんな先生が、東ローマ皇帝であるユスティニアヌスの軍隊が強かったのは、「ユスティニアヌスの火」と呼ばれる、ウルトラマンのスペシーム光線みたいな武器があったからだというの話をしてくれたのだ。(この時「ユスティニアヌスの火」と言ったかどうかよく覚えていない。確かこんな感じだったという記憶で話を書いている。実際インターネット調べてみてもこの名前ではヒットしない。あるいは違うのかも知れない。それにこの場合、ウルトラマンのスペシーム光線というより、宇宙戦艦ヤマトの波動砲の方がピッタリだと思うのだが・・・)
 で、どんな兵器だったかというと、ギボンの記述で書くと、「磨いた真鍮の六角形の鏡を中心に真昼の太陽光線を集めて反射させる無数の小さな多角形の可動式の鏡片から成る機械が据えつけられ、猛烈な火焔がおよそ二百フィートの距離まで放射して」都市の城壁を焼き切る武器であった。要するに昔やったでしょう。虫眼鏡で太陽の光をレンズで集めて、黒い紙に一点で集中させると、火が出るやつ。それの大型判と思えばいい。それがあったからユスティニアヌスの軍は強かったのだという、絶対にあり得ない与太話をしてくれた。(ギボンは可能性はあるぞといっているが・・・)
 またユスティニアヌスは、サーカスにいた女をの妻にしたんだぞとも言っていた。サーカスかどうか分からないけど、ユスティニアヌスの妻、テオドラはキプロス島出身の野獣の世話をしていた、「熊の旦那」と呼ばれたアカキウスの娘であった。(上がユスティニアヌス帝と随臣達。下は皇妃となったテオドラと女官達を描いたモザイク)

2005_10__01_02.jpg

2005_10__01_03.jpg


 ギボンによると、彼女は舞台では、「踊りも歌もできず笛も吹けず、その芸域は黙劇に限られて道化役を得意とした」しかし、「彼女の顔立ちは端正で繊細であり、顔は多少色白ながらも自然な肌色に染まってどんな感情でも直ちにその生き生きした眼差に表現されたし、軽やかな身体の動きは小作りだが上品な姿態の優美さを発揮した」その自分の身体を「劇場で恥ずかしがらずに人目に曝した」また「彼女はその魅力を自国民と他国民の区別なくあらゆる階層あらゆる職業の群衆に無差別に金で売った」売春相手はかなりの数だったらしく、「彼女が町を歩くと醜聞ないし誘惑を避けようとする人間は、皆彼女に会うことを避けた」という。
 まぁその先生が何を言いたかったのか忘れてしまったけど、単純に歴史の中のよもやま話として話されたのだろう。テオドラがどんな生まれであても、彼女は間違いなくユスティニアヌス帝の妻であり、帝を支えたわけだし、ユスティニアヌス帝自身も、「サルディカ(後世のソフィア)の廃墟の近くの荒れた未開の地方の住民たる名も無き家系の出身で」あったのだから、生まれなど、この時代は関係ない。実力がものを言う時代だし、事実ユスティニアヌス帝は様々な功績を歴史上残してきたし、テオドシウス帝のバカ息子達と比べれば立派な皇帝であったは間違いない。

 そのユスティニアヌス帝の名前を不動なものにしたのは、ローマ軍総司令官ベリサリウスと宦官のナルセスの功労による。特にベリサリウスはアフリカのヴァンダル族、イタリアの東ゴート族の討伐で、名をあげた。ヴァンダル族を滅亡させたし、東ゴート族もほぼ滅亡寸前まで追いつめたのだけれども、ここでユスティニアヌス帝やその取り巻きにその功績を恨まれ、急遽ペルシア討伐に駆り出される。もちろん中途半端な状態でこの戦局から抜け出すことがその後どうなるかベリサリウスは分かっていたし、何とか最後までけりをつけたかったが、ここでユスティニアヌス帝の「帰ってこい!」という命令に逆らうことは彼の命取りになることも分かっていた。それに彼の性格から皇帝の反逆者になることは考えられなかったから、途中で引き返さざるを得なかった。そしてペルシアでも賊軍を追い出し軍事的成果を出す。
 ここまでくると、ベリサリウスの立場は「かなりやばいんじゃないのかなぁ」と思ってしまった。いくらユスティニアヌス帝の野望のためヴァンダル族や東ゴート族を討伐し、ペルシア軍を追い返しても、ユスティニアヌス帝やその取り巻きの羨望、中傷などで追いつめられるだろうと思ったのだ。事実ベリサリウスは死は免れたけれども、財産は取り上げられるし、しかも悪妻アントニナにも悩まされ、晩年は悲惨なものだった。
 ユスティニアヌス帝は自ら先頭だって、これらゲルマンの蛮族と戦った訳じゃない。あくまでもコンスタンティノポリスにいて、将軍達の朗報を待っていた。あるいはゲルマン民族達を反目させ、懐柔して、自分は高みの見物で、相手を戦わせ、疲労させる。
 この時代本当に領土を取ったり、取られたりの繰り返しで(事実ユスティニアヌス帝はローマ市の鍵を5度も受け取っている)、取った方は、略奪、殺人、強姦等やりたい放題であった。そして略奪が、その軍隊や、市民の生活を維持させていた。つまり相手の財宝、財産等を奪い取らなければ、国の威厳も、生活も成り立たない「略奪経済」で、それらの国々は成り立っていたと言っても過言じゃないだろう。だから相手を徹底的にたたかないと、すぐ後継者が現れ、それを取り返そうとする。あるいは他のゲルマン民族が侵入してくる。そういう時代であった。そのためその国が強くなれるのは、いかに強い軍隊を持っているか、あるいは、優秀な指導者がいるかに、すべてがかかってくる。それはローマ帝国自体がそういう体質であった以上、もともとゲルマン民族自体が狩猟民族であったところに、それを真似て、それを受け継いだともいえそうだ。そして、こういう国の体制は、征服する土地がある間、そして強い軍隊を持っている間は成り立つだろが、そうでなくなったとき、国を内部から支えるものがないと、必然的に滅びざるを得ない。そういうことの繰り返しであった。
 実際このこう次から次へといろいろな民族、王や指導者が出てきて、読んでいるうちに、「あれ、こいつ誰だったっけ?」と訳が分からなくなってしまうことが度々起こって苦労した。