2005年11月28日
佐野眞一著『だれが「本」を殺すのか』(下巻)
上巻の時に書いたが、私はこの文庫本を読んでみたいと思ったのは、「検死編」を読みたかったからだ。この「検死編」には4つのテーマが組まれている。蔵書の死、読者の死と著者の死、書店の死と雑誌の死、「本」の復活を感じさせる小さな予兆の4編である。
この『だれが「本」を殺すのか』は基本的に読者の悪口は書いていないか、声が小さい。著者にしてもあからさまに読者の悪口を声高に叫けべば、死活問題に発展しかねないからかもしれない。だからひたすら出版流通の中で問題を求めているようにも思えた。
しかしこの4編にはいわゆる読者にも本が売れなくなった原因を求めている。やっぱりここにもきちんとふれないと、『だれが「本」を殺すのか』の捜査には不手際が生じてしまうからだろう。
ここで考えないとならないのは、長引く不況は所得の目減りをもたらし、可処分所得を減じさせ、本を買う余裕をなくしているという事実だ。それでいてこのデフレ時代に再販制に守られた本は、それ以外の商品が値下げをせざるを得ないのに、未だに定価販売をしているのである。つまり本を買わなくなった理由はここにもあるのだ。買わなくなったというより、買えなくなったということなのだろう。
このことが図書館で発売して間もない新刊を何十冊も買い入れて、貸し出すようになった原因だろうし、レンタルや漫画喫茶など流行らせる原因でもあろうかと思う。あるいはブックオフで本を買う一番の理由はここにあるんじゃないかと思っているし、読んだ本をすぐ処分して換金するのもたぶんそういう理由だろうと思う。
買った本をどのように処分するかは、買った人の自由ではある。しかしそれをブックオフで売る行為が、著者の生活を脅かすことを知らない人が多いのではないかと思う。また図書館で新刊が多く貸し出されることも同様である。
著者は新刊書店で買われた本からのみ著作権料を得ている。新刊書店で買われた本にはその著作権料が含まれているが、ブックオフで買われた本にはそれがないのである。もちろん図書館で貸し出されている本にもそれがない。つまり、一度読者が払った著作権料はブックオフまで波及しないし、貸し出しにもそれがない。いくらその本が読まれてもブックオフで買われたり、図書館で貸し出されれば、著者にはお金が入らないのである。
これを単に法律の不備だから仕方がないじゃないかと言いきれるかと言えば、そうじゃない。このままだと著者いくら苦労して本を書いても生活が出来ないことを意味する。いい本が出来なくなってくるのである。そしてそのつけが読者に駄本を提供するのである。
去年まで売れていた『バカの壁』が新書判で廉価で売られたのもブックオフ対策のためで、この値段ならブックオフで買っても、新刊書店で買っても大して売値の差が生じないため、ブックオフで買うメリットが少なくなるだろうという考え方があったからと言う。
こんなしばりがあれば、いい本なんか出来やしない。下手にお金をかけられないのである。少なくとも読者がつまらない本を作り出す原因をここに見ることが出来るのである。
そしてこのことは、新刊書店の競合相手が実は読者であることにもなるのだ。つまり買った本がすぐブックオフやアマゾンのディスカウント価格で出されたり、図書館で貸し出されるのだから、商売が出来なくなるのも当たり前である。安いからいいやという発想が自分達の読みたい本が出ない理由であることも理解すべきなのだ。
もっとひどい例をあげてみよう。万引きである。万引き被害額は平均9,400円で、一店舗あたり年間約200万円にのぼると言われている。これは書店の年間売上の1~2%に相当し、通常書店の経常利益が1%と言われているから、万引きは書店の利益をごっそりと奪うことになるのだ。
これは私が本屋で働いていたときに、商品ロスとして万引きを売上の1%とみていたのとほぼ一致する。いかに万引きが書店の経営を圧迫しているのか分かると思う。この万引きされた本がブックオフに行くのである。換金目的のために・・・。
これじゃ本屋が潰れるのも分かろうというものではないか。万引きする奴が読者とは言えないだろうけど、こういう現実があるのである。その対策の一つとして本にICタグをくっ付けて、管理しようとしているが、これには費用がかかることと、ICタグ自体が様々な情報が入るので、買った個人の情報さえそこには入ってしまう恐れがあるので、行き着く先には問題があるようである。
あと面白かったのは、愛書家、蔵書家と呼ばれる人達が今後少なくなる可能性があるということである。いわゆる電子書籍といわれるものが、今後普及したら、自分で本棚を持って本を蔵書する必要がなくなり、パソコン1台あればすむようになるというものだ。確かに欲しい本をインターネットからダウンロードしてパソコンから読むか、プリントアウトして読めば、自分で本をかかえなくてもすむ。
もっともこれが普及するとは基本的には思わない。事実なかなかインターネットからダウンロードして著作物を得るというのが一般化しないところをみても分かるし、本自体が今盛んにいわれている「ユキビタス」化したものだと思うので、本というメディアはそのまま残るんじゃないかと思っている。けれど、本を蔵書する場所に困らないというのはちょっと魅力的である。
もう一つ面白いと思ったのが「自費出版」の話である。最近よく新聞に自分の本を出しませんかという自費出版を勧める出版社の広告見かけるが、あれが案外ニーズがあるらしい。しかしこの自費出版をする出版社というのが胡散臭いものらしく、そもそも自分で本を出したいと思う輩の文章というのがひどいらしく、読むに堪えないものらしい。それを本にして出版し、書店に流通するというのだから(わずからしいが)ひどいご時世である。
でも、殆どが自費出版をした人が費用と自分の本を持つことになり、挙げ句の果てに知人や友人に配るらしい。この配られた本を「饅頭本」という。その由来は、葬式の時に配られる饅頭からで、「よろしかったら召し上がりませんか」というものからくる。これは聞いたことがあったが、こんな本もらってもうれしくもない。実をいうと私のところににもこんな本があるが、正直こんな本は自分の本棚には置きたくない。これは以前結婚式に招待されたときに、新郎新婦のにやけたの写真の入ったテレカをもらったのと同じで、使うに使えないのだ。本人だけが満足しているだけで、処分にも困る。だいたい「誰でも著者になれます」なんて言うこと自体、本を書くことを生業としている人を馬鹿にしているものはないんじゃないかと思う。
まぁ、とにかくこの業界は、まか不思議な状況になっているようだ。
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- by kmoto
- at 20:12
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