2005年11月14日
土師 守・本田信一郎著『淳 それから』
この本は土師さんの2作目となる。私は神戸の連続児童殺傷事件の関係者の本やルポを何冊も読んできた。もちろん土師さんの1作目も読んでいる。
今回この『淳 それから』(新潮社刊)ではあの「酒鬼薔薇」こと少年Aが出所してくるに当たり、土師さんがどのように思われているのか知りたかったので読んでみた。さらにあの事件の後土師さんはどのように事件と関わってきたのかも知りたかった。
この国は本当におかしな国だとかねがね思っている。被害者である土師さんがマスコミ報道に曝され、加害者である少年Aは少年法によって守られているのだ。他にも少年が殺人事件を起こしても、彼が少年であるということで、マスコミには名前も報道されない。一方被害者は写真付きで報道される。もちろんその家族も報道という名の下にプライバシーもあったもんじゃない状況に陥れられる。 マスコミは加害者が逮捕され、法律で保護されてしまうから、思うように報道できない。すると今度は被害者に「報道の自由」、「知る権利」を御旗みたいに掲げて、報道がなされる。被害者がマスコミの暴力に曝されるわけだ。これは前作もそうだったけど、かなり悪質なもので、ただでさえ、被害にあって悲しみにくれているところに追い打ちをかけるような理不尽な行為がなされる。
マスコミの言う「報道の自由」、「知る権利」は分かるが、それは結局知りたいという国民の欲求がそうさせているところがあるんじゃないかと思う。つまりマスコミはその欲求を満たそうと代行しているのである。事件のことは知りたいけど、それが被害者を更に苦しめることになるなら、そうさせてはいけないとマスコミに分からせるのはむしろ我々国民じゃないかとも思う。
ところが日本人は他人の不幸は密の味というところがあるから、自分と直接関係ないところで起こった事件は全く別物と考えてしまう。だからいつまでたってもマスコミが勝手放題に報道するのだ。土師さん家族の気持ちを踏みにじってまでも、少年Aの母親に手記を書かせたり、本来土師さんが知りたいと思って開示を求めても開示されなかった裁判記録が漏れて雑誌に掲載されたりするのもそういう理由からだろう。
それだけじゃない。この少年Aを裁いた判事のおしゃべりにも呆れる。「少年Aが無事社会に戻ったとして、それから、さらに五十年もの年月が経過した遙か将来のことを、今イメージしている。すでに古希に達した老人Aとその弟たち、山下彩花ちゃんのお兄さん、土師淳くんのお兄さんが、月に一回、地域の小学生や中学生、高校生や大学生らと、北須磨のタンク山や公園に集まり、みんなで山や公園の清掃をしている。その謝礼でお花を買い、彩花ちゃんと淳くんのそれぞれのお家に届け、二人のことをしのぶ集い持つ・・・・」という手記は一体何を考えているんだろうと思わせる。こんな判事に少年Aを委ねたのかと思うときっと土師さんはやりきれなかっただろうと思う。
判事からしてこうなのだ。更正という名の下に少年法がある。犯した罪を償うことよりも、どちらかといえば少年の更正に重点が置かれてしまうのだ。人権という名の下にだ。
もともと他人の人権を破壊した奴に自分の人権が主張できる理由がどこにあるのか正直分からない。「人権」といえば何でも許される風潮がたまらない。
裁判が非公開で、しかも被害者家族を入れないで行われるのも、「人権」のため。しかし被害者には「どうして自分の家族が犠牲になったのか」当然知りたいはずだし、知る権利があるはずだと思うが、犯人が少年というだけでそれが知り得ないのは、いくら少年法が少年の人権を保護する理由があるからだといってもおかしな論理だと思う。百歩譲って、加害者の人権を主張するのはいいとしても、それが被害者やその家族の人権を無視して主張されるのはどう考えたっておかしい。加害者の人権のために被害者は我慢しろと言っているもんだと思う。
こういう理不尽な法律が少年法だけじゃなくて、様々な刑法や法律にある。土師さんやその他の被害者家族が悲痛な叫び声を上げて、やっとわずかだけど被害者の立場に立った法律が生まれてきているけど、きっとまだまだ不十分なのだろう。まずは被害者の立場に立ち、更正ではなく、罪をどうして償わせるかを先にしないと、いつまでたっても被害者は報われまい。そんな気がする。
「前日の2004年の12月31日、大晦日のことですが、あと2時間ほど新しい年にかわるという時間でした。
テレビをぼんやり見ていた私は、ふと加害男性のことを考えました。
『あと2時間ほどで、彼は本退院になるのだな。そして晴れて自由の身になるのだな』
と思いました。
何となく釈然としない思いが私の頭の中に渦巻いているのを感じました。
私たちの次男は、彼に大事な生命を奪われてしまい、もう二度と私達の前に、元の姿を見せることはありません。
それに反して、私たちの次男の人生を断ち切った加害男性は、7年という期間、少年院で教育受けたうえで晴れて退院し、自由の身になって平然と社会に戻ってくるわけです。
法律的には、そうなることは理解していますが、頭の中で理解しているということと、納得がいかない感情とは別なことです」
と土師さんは書きつづっているが、まさしく報われない自分達の気持ちと少年Aの退院という現実を複雑な気持ちで言い表している。
土師さんは少年Aがどうしてこんな事件を起こしたか知りたかったので、少年Aの裁判記録の開示を求めて、民事訴訟を起こした。自分の子供の命をお金に換算するのはやりきれなかっただろうけど、どうしてもそれを知りたかった。
けれど少年Aの家族は裁判で争わず、判決が下る。もちろん裁判記録は開示されなかった。
お金のことで言えば、幸いわずかでも土師さんにお金は支払われているらしいが、実際この手の損害賠償は殆どが判決通り支払われる可能性が少ないらしい。この本によると、判決で言い渡された金額を全額支払われたケースは皆無で、何らかの形で支払われるのは全体の14%に過ぎないらしい。だいたいが支払能力がなく、結果的に損害賠償が支払われない。むしろ裁判費用さえ持つことになってしまうことが多いと書かれていた。これが被害者に与える現実のようだ。全くやりきれない。
- by kmoto
- at 19:59
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