2005年11月15日
角田光代著『対岸の彼女』
久しぶりに女性作家の小説を読む。でも何か重苦しい感じでいた。どうも女性の感覚って理解できない。はっきり言って苦手だ。
どこか現実的で、息ができなくなるほど閉塞感がつきまとう。そんな女性の人間関係の複雑さがここでは描かれる。
旅行代理業の社長である葵の高校時代の思い出と、現在の仕事関係が平行して物語が進む。
高校時代、葵はクラスメイトと仲間外れにならないよう、友人達に気をつかいながら仲間に入っていく。クラスにはいくつかの仲間関係が出来上がっていたが、その仲間から外れた女の子はいわゆる「いじめ」や中傷の対象になっていく。葵はそれが恐ろしいから、何とかうまく振る舞う。
その一方でナナコと意気投合し、女の友情関係をクラスの仲間とは別に築き上げる。ナナコには複雑な家族関係があり、クラスの仲間から完全に距離を置いて、一人でいたが、葵とは自分の家族関係以外何でも話し、笑えあえる関係であった。
そんな葵はナナコに誘われて夏休みに海にある民宿で泊まり込みのアルバイトをする。二人でバイトをすることで充実した時間を共有していった。しかしそのバイトが終わって、家に帰ろうとしたときナナコが帰りたくないと泣きながら言い出す。結局葵とナナコは家に帰らず、アルバイトで稼いだお金を使って家出まがいの行動する。ホテル住まいはお金がかかるからラブホテルで泊まり、ディスコで食事をして二人で過ごす。時にはそのディスコに遊びに来る男どもに食事を奢ってもらいながら過ごすが、手元のお金がどんどん少なくなっていく。
かつて葵が住んでいた横浜のマンションを二人が訪れたとき、完全に疲れ切ってしまい、そこから飛び込めばラブホテルも探さなくていい。金策に悩まなくてもいい。何もかもうまく行く場所に二人でいけると、二人は飛び込み自殺をしてしまう。幸い未遂で済んだが、葵はナナコと別れることになる。
結局友情関係は、心底二人を一緒にするものではない。個々に別々の家族や生活があり、その上で二人の友人関係が成り立っている。二人の友情はお互いのすべてを埋めるものではない。それを求めたとき破綻する運命であった。
そんな葵が旅行代理業を営むかたわら、事業拡大で同じ大学を卒業した小夜子を雇い入れる。小夜子は主婦であり、子育てをしている中、うまく主婦仲間に入り込めないし、子育てにも不安を感じている日々を過ごしていた。そんな現状を打開するため葵の会社に就職する。
小夜子は汗を流して仕事をしているうちに、だんだん生きることに自信を取り戻していく。さらに葵の会社仲間と付き合ううちに、人間関係にも自信を取り戻していく。
葵も小夜子を信頼し、二人の関係を深めていこうとし、小夜子が家に帰らなければならないのに、温泉に誘う。そこには葵が小夜子を自分の方へ強引に引き寄せようとする意志がある。しかも小夜子が持っている家族という現実を無視してである。それはかつてナナコが葵を民宿のアルバイトに誘ったときの強引さと同じである。小夜子も現実の生活に不満があるから、冒険心も伴って、葵の提案を受け入れ子供と一緒に葵と温泉に行くが、結局小夜子には家族があり、それを犠牲にできずに帰っていく。
また会社仲間にも葵との亀裂が生まれ始め、次から次へと仲間が辞めていく。小夜子も同じように葵の会社を辞める。
しかし一度葵の会社を辞めた小夜子は葵との関係を完全に断ち切れず、また葵の元を訪ねる。ここで働くことが、葵との友情関係を継続できることにはなるが、一方でそれは小夜子の家族が崩壊しかねない予感がしてしまう。
つくづく人間関係は難しい。特に女性は既婚と未婚、OLと専業主婦、子供がいるいないでかなり立場や考え方が違っちゃうようで、時にはそれが仲間意識を醸し出すが、時には徹底的に排除してしまい、受け入れることができなくなってしまうようだ。
もともと人それぞれ生活があり、考え方がある。ある部分で友情関係や信頼関係が成立していても、それはそれらを犠牲にして成り立つことはないと思う。何もかも一緒ということは基本的に無理だろう。もしかしたら女性はそういう完璧な関係を求めるのかもしれないが、少なくともそれは男の私にはよく分からない。むしろそういう関係がわずらわしいので、こんな関係を求められたらたまらないと思う。だからこの本を読んでいて、嫌な気持ちになったのかもしれない。
- by kmoto
- at 20:32
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