2005年11月18日

沢木耕太郎著『凍』

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 沢木耕太郎著『凍』(新潮社刊)は山野井泰史・妙子夫婦が2002年の秋ヒマラヤのギャチュンカンを登攀した時の壮絶な死闘を描いたノンフィクションである。
 私は登山というものに全く興味を持たない人間なので、どうしてこんな山に登るんだろう思ってしまう。しかもこの本を読むまで、一つの山に様々な登山ルートがあるなんて知らなかったのだ。同じ山を登るにしてもいろいろな方向から、単に登るのではなく、そこがいかに困難なルートで、しかも誰もそれに挑んでいないルートをわざわざ探して登っていくのである。山野井泰史は言う。「困難な壁に全力でぶつかっていったとき、初めて自分の力を感じることができる。それに、すべてがわかっており、まったく安全だというなら、登る必要がない」と。
 その上山野井泰史には1つのポリシーというか、スタイルがある。彼はソロ・クライマーでできる限りロープを使わず、フリー・クライミングを主流にして、山の崖を手と足でよじ登っていく。もちろん酸素ボンベも持たない。

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 このギャチュンカンは7,985mで8,000メートルを超えるヒマラヤの山々から比べればわずかに低いが、それでも標高差二千メートルに達しようかという壁がどっしりっとそびえ立っていた。しかもネパール側からは3つのパーティーが登っているが、チベット側から誰も登っていない山であった。
 山野井泰史は妻妙子と二人でこの山を北壁から登ろうとする。日本を出発する日、山野井泰史は見慣れた風景をもう一度見られるだろうかと思うのだった。つまりギャチュンカンから生きて帰ってこれるだろうか思いつつも、そこへ向かう。そういう不安があっても彼らはギャチュンカンに向かうのだった。そもそもこの夫婦には山しかなく、生活のすべてが山のためにあった。
 現地へ行ってみると、予定していた北壁の状態が余りにも悪く、ルートを北西壁に変える。二人でベースキャンプから登り始めるが、7,600メートル付近で妙子の体調不良が激しくなり、登頂を断念し、山野井泰史一人で山頂を目指す。単独登頂を成功させ、今度は下ってくる。
 ところが急に天候が悪化してきた。しかも雪崩に巻き込まれる。妙子は雪崩で吹き飛ばされるが、幸い何とか助かる。しかしそれ以後何度か雪崩に襲われる。そのうち二人は目をやられ、見えなくなる。
 これも知らなかったが、この手の山登りは上りより、下りの方が危険なのだ。上りは目標が絶えず目の前にあるが、下りは頭は頂上側にして、手探りで、岩にはいつくばって下降していくため、かなりの危険を伴う。アイゼンで足場を確保するために、けり込んでいくが、だんだん足の指の感覚がなくなっていく。凍傷である。しかも目をやられて、ハーケンがうまく打ち込めない。仕方がないので手袋を外し素手でハーケンを打ち込める場所を手探りで探す。当然手の指が凍傷になっていく。「一本打つたびに一本ずつだめになっていくような気がした。左の小指、左の親指、右の小指、右の親指・・・・」
 山野井泰史の左目は何とか回復したが、妙子の目は両方が見えないままであった。しかしそのままでも少しずつ下降してしていかなければならない。
 当初の予定では五日間、遅くとも六日でベースキャンプに戻ってくると言ってアタックをかけたのだが、七日目に入っても戻れなかった。それも何とか無事に生還するが、この登山で山野井泰史は手の指5本と右足の指全てを、妙子は両手の指の全てと足の指8本を、凍傷で失ってしまうのである。

 ここまでは、ただ壮絶な自然との闘いの中で、手足の指を失うリスクを負って生還した山野井夫婦に感動していた。が、どこか何か引っかかるところが私にはあった。それが何だか分からないままページを進んでいったとき、山野井夫婦が日本に帰って、凍傷の手術を受け、かなりの指を失なった後、妙子は障害等級3級から2級に認定され(以前に山を登って凍傷で指を失っている)、山野井自身も6級に認定されたというのを読んで、障害等級の認定?何だそれと思ったのだ。彼らは障害者なのだろうか?確かに指がないから障害者だといえば言えるのだろう。でも、たとえば病気や不慮の事故で望んでもいない障害を負った訳じゃない。自分達のやりたいことやって指を失ったのである。少なくとも彼らは病気や事故で障害を負った人々とは基本的に違うはずだ。
 これを思ったとき分かったのである。そうなのだ彼らは自分達のことなのにすべて人ごとのように自分達を扱っているのだ。
 ギャチュンカンで遭難して、心配している人達がいるのに、「ギャルツェン(現地で雇ったシェルパ)、死んでいると思っているかな」と山野井が言えば、妙子は「そうかもしれないね」と答えたり、悪天候の中ベースキャンプに何とかして戻ろうとしている途中でも、「死んじゃうかもしれないからな」と言って自分達の写真を撮ったりする。それが何だか非常にやりきれなかった。
 人が生きるうえで他の人に迷惑をかけないことは絶対にあり得ないのだが、彼らの危険な行動は、避けることができるものを、何だか無理に他人に押しつけているように思えたし、またそれが分かっているのに、それでも自分達の境遇を人ごとのように言うのが私にはちょっとなぁと思えたのだ。もっともそんなことを言っていたらこんな山なんて登れないのだろが、それでもなぁ・・・。クライマーとしては一流であっても、人間的にはどうなのだろうか?本当に人間って厄介な動物だ。

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