2005年12月24日
エドワード・ギボン著『ギボン自伝』
この本は(筑摩書房刊)は言わずと知れた『ローマ帝国衰亡史』の著者の自伝である。私は自伝を読むことなどほとんどないので、自伝がこうもつまらないものとは知らなかった。あるいは波瀾万丈の人生を送った人の自伝なら面白いのかもしれない。もともとこの人は地味な人のようだから、こんな自伝になってしまったのだろう。
この本を読むきっかけは『ローマ帝国衰亡史』を読んだことから始まるわけで、恐らく単独でこの本を読もうとは思わないと思う。あくまでも『ローマ帝国衰亡史』とセットで読むしかない本だ。そしてこの本はこの機会を逸したら、恐らくずっと読まない本であろう。
私はこの物語を書くギボンは生活に余裕がなければ書けなかっただろうと推測していたが、この自伝を読んでいて、それはある程度的を得ていたようである。かといって、ギボンが財産が有り余っている貴族のぼんぼんでもなかったようでもある。適度の余裕があったことがこの『ローマ帝国衰亡史』を完成させたようである。ギボンは言う。
「思うに私の資産の黄金の中庸こそは、私の精励を発揮させた当の原因であった。実際に重要で立派な作品が屋根裏部屋や宮殿で書かれた例は希である。余暇と資産に恵まれた紳士だけが、名誉ある報酬を当てにして仕事への意欲に発奮する。これに反してその日の勉励がその日の飢えに刺激される著作家は惨めであり、その作品も同様に惨めであろう」と。
この言い方はちょっと腹が立つけれど、やっぱりこれだけの作品を完成するには時間も必要であろうし、資料を集めるお金も必要だろうから、ギボンがこの様に言うのもある程度納得せざるを得ない。また有り余る資産と時間を持っている人がこんな作品を書けないだろうと言うのは分からないわけでもない。適度の緊張がこの作品を生んだということかも知れない。
今の私にとってこの本を読む理由はただ一つである。何故ギボンは『ローマ帝国衰亡史』を書くに至ったかである。それだけが知りたかった。
『ローマ帝国衰亡史』は、それを書く素地がギボンになければ書かれなかっただろうと思われるが、何故ギボンはローマ帝国末期に興味を持つようになったのか、この自伝にはわずかだがそのことが書かれている。
少年期ギボンは病弱であったが、そのため読書を楽しむこととなる。このときの読書がギリシア・ローマの歴史本を読み進めることになった。特に1751年の夏、父親と同行してウィルトシアのホーア氏宅にあったイーチャドの「ローマ史続篇」で書かれていたコンスタンティヌスの後継者たちの治世はギボンにとって新しい世界であった。たぶんこれが『ローマ帝国衰亡史』を書くきっかけかと思われる。
そしてギボンがイギリスからローザンヌに生活の場所を移し、そこでギリシア・ローマの古典に更に親しみ、その研究を彼が推し進めたことで生まれたのではないか。だから後年ローマを訪れたときの彼のはしゃぎようは、まるで子供のようである。
「元来私は余り熱狂に動かされない性質であり、そして自分が実際に体験しない熱狂を気取ることを今まで常に軽蔑してきた。しかし25年を経た今日なお私は、自分が初めて永遠の都へ近づいてそこへ足を踏み入れた時に私の心を揺さぶったあの強烈な感動を忘れることも表現するすべも知らない。寝つけない一夜を明かした翌日、私は昂然たる歩度でフォールムの遺跡を踏んだ。その昔ロムルスが立ちキケロが弁じカエサルが倒れた一つ一つの記憶すべき場所が、直ちに私の目に焼きついた。そして失われたか享受されたかさえも分からぬ陶酔の数日間の経過の後に、私はやっと冷静な気持ちに戻って細かい探求に着手することができた。」と。
そこで彼は『ローマ帝国衰亡史』を書くことを決意する。
「何となれば主題(ローマ帝国衰亡史を書くこと)の選択を決定したのは私が実際にイタリアとローマをその目で見た体験だからである。私の日記にはその受胎の場所と瞬間が記されている。それは1764年10月15日の夕暮れ時に、私がゾコランティつまりフランシスコ修道士の教会に座して黙想していた折しも、彼らがカピトリーノの廃墟のユピテル神殿で晩祷を誦する声を聞いたときであった」と。
これは、「昔は野蛮だった遙かな北方諸国から新しい巡礼者の種族も今日では英雄の足跡に、そして迷信ならぬ帝国の遺物恭しく参詣している。この種の巡礼者そして読者諸賢は、恐らくローマ帝国の衰微と滅亡の過程に関心が唆られるであろう。・・・・私がそれ以後二十年近く我が生涯を楽しませ拘束させる運命になったこの著述の構想を抱いたのは私がカピトリーノ神殿の廃墟に立った時であり、たとえ自己本来の願望に照らしてどれほど不満足にせよ、私は今これを最終的に読者公衆の好奇と温情に委ねる」と書かれた、『ローマ帝国衰亡史』の最終章にある文章と一致する。(もっともギボンはこの時カピトリーノ神殿の廃墟には実際に行っていないらしく、この文章は作り事らしい。まぁ『ローマ帝国衰亡史』も壮大な叙情詩なのだから、これもありかなと思う)
ただ『ローマ帝国衰亡史』に関して、これ以上詳しく書かれていない。私はこの作品がかなり苦労して書かれたことを知りたかったし、その生みの苦しみを知りたかった。しかしこの自伝に書かれていることは、作品が出来上がった後の人気などがわずかに書かれているだけである。後はギボンの交友録みたいだし、更に当時のイギリスの政治的な問題にギボンが翻弄されたことが書かれている。(ちょうどこの頃はフランス革命、アメリカ独立戦争の時代であった)
ただ『ローマ帝国衰亡史』にある冗長なほどの宗教的考察は彼の宗教的遍歴からくるものであったのではないかとふと思ったが、考えてみたらローマ帝国が滅んだ原因の一つとして、ギボンは、キリスト教の普及が古代異教に培われたローマ市民意識や道徳などを破壊したのではないかと思っているふしがあったから、どうしてもこれにこだわらないわけにはいかないのだろう。
これで完全にギボンから私は離れられる。今年はよく本を読んだ方だろうが、久々に本を読むことに苦労した年でもあった。もちろんこのギボンの『ローマ帝国衰亡史』のお陰なのだが・・・。いつも軽い本ばかり読んでいるから、こうした古典を読むのに苦労するのだろう。まぁたまにはこういう古典を読むことも必要かなぁとは思った次第だ。
- by kmoto
- at 08:07
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