2006年01月08日
宮部みゆき著『模倣犯』(五)
1996年9月12日、墨田区の大川公園のゴミ箱から切断された女性の右腕とルイ・ヴィトンのショルダーバックが発見される。ここから連続誘拐殺人事件の幕が開けられる。
この殺人事件をめぐって、犯人、被害者、その家族・友人、切断された右腕を最初に発見した、家族を殺害された少年、警察、マスコミ、あるいはその関係者を巻き込み話は展開される。その関係者が多くなればなるだけ、この小説が長くなる。警察の武上は言う。
「いいか、よく覚えておけ。人間が事実と真正面から向き合うことなんて、そもそもあり得ないんだ。絶対に無いんだよ。もちろん事実はひとつだけだ。存在としてはな。だが、事実に対する解釈は、関わる人間の数だけある。だから事実のには正面も無いし、裏側も無い。みんな自分が見ている側が正面だと思っているだけなんだ。所詮、人間は見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じないんだよ」というのが、ある意味真実かと思われる。それをこの小説は丹念に書き込まれため膨大なページとなったわけだ。
そして孫を殺害された有馬義男が言うように、「人殺しが酷いのは被害者を殺すだけじゃなくて、私やあんたや日高さんや三宅さんたちみたいな、残ったまわりの人間をもこうやって(ああすりゃよかった、こうすりゃよかったと殺された人達のことを思うことで)じわじわ殺していくからだ。そうして腹立たしいことに、それをやるのは人殺し本人じゃない。残されたものが、自分で自分を殺すんだ。こんな理不尽な話はない」と思わせる。これを十分考慮の上、この犯行の脚本を書き、演出し、主演までするのがこの犯人の意図でもあった。その上でこの事件の犯人は完全「悪」を目指す。
「本当の悪は、こういうものなんだ。理由なんか無い。だからその悪に襲われた被害者は、どうしてこんな目に遭わされるのかが判らない。納得がいかない。何故だと問いかけても、答えてくれない。恨みがあったらば、被害者の側だって、なんとか割り切りようがある。自分を慰めたり、犯人を憎んだり、社会を恨んだりするためには根拠が必要だからね。犯人がその根拠を与えてくれれば、対処のしようがある。だけど最初から根拠も理由もなかったら、ただ呆然とされるがままになっているだけだ。それこそが本物の『悪』なのさ」と言わせる。
犯人にとってみれば、犯行そのものが彼の「作品」なのだ。それこそ作品となれば完全さが更に求められていく。当然オリジナリティーも要求される。だからこの作品が「真似」だ、「模倣犯」だと言われることは最大の侮辱であった。ここから犯人の作品にほころびが生じる。
この小説の登場人物が言った言葉であらすじを書いてみたらこうなった。これ以上書いてしまうとこれから読まれる方の迷惑をかけてしまうのでここまでにする。
- by kmoto
- at 09:52
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