2006年01月16日
フランツ.シュミット著『ある首切り役人の日記』
私はこの本を以前から読んでみたいと思っていたのだが、わざわざ単行本を買って読む本かどうか迷っていた。それが廉価版の新書(白水Uブックス)で出版されていたので早速読んでみた。しかし退屈な本で、新書なのに読むのに一週間かかってしまった。
この本は1573年、「六月五日、レーオンハルト・ルス、ツァイエルン出身、泥棒。シュタイナハ市で綱で絞首刑にした。これが私が手を下した最初の処刑であった」と始まり、1617年までのニュルンベルクで死刑執行人を勤めたフランツ.シュミット親方が残した記録である。
その記録は克明で、罪人がどこの出身で、名前、別名、罪状、その処刑方法等細かく記載してある。その記録、死刑を執行数、361名、体罰を加えた数345名である。これだけの記録を読んでいるさすがうんざりしてきて、ちっともページが進まなかった。
読んでいて思ったのだけど、時代に関係なく、犯罪そのものはさほど現在と変わらないようだ。殺人、泥棒、詐欺、売春、性犯罪等、今も昔も同じだ。ただ、おそらく今と大幅に違うのは、その罪に対する償い方であろうか。とにかくこの時期の刑罰は厳しい。ちょっとした泥棒、性犯罪、あるいは同性愛、娼婦との関係などがばれた場合、すぐ鞭打ちとなるし、それが度を超せば絞首刑、打ち首となる。更に重大犯罪となれば、車裂きの刑となる。しかもそれが全て公開処刑のようで、市民がそれを日常目にしていた。それを裏付けるような絵がある。ブリューゲルの風景画に「絞首台の上のかささぎ」というやつである。
遠方に山の下の風景が望め、手前には絞首台が描かれている。その上にかささぎがとまっているのでそんな題名の絵になったのだろう。おそらくヨーロッパ中世の時代にはこうした絞首台が日常の生活の中にあったのだろし、そこにぶら下がった罪人を誰でも目にしたのではないかと思う。
さらに同じブリューゲルの絵で「死の勝利」という絵がある。
ここには車裂き刑に処された罪人が車輪にくくりつけられたまま描かれている。それを拡大したものが以下のもの。
この絵は風景画ではないが、それでも車輪にくくりつけられた罪人を当時は誰でも目にすることができたのではないかと推察する。
なんでこんなことを書くかというと、このみせしめという行為はある意味必要悪じゃないかと思えるのである。つまりこういう犯罪者の処刑を見せるという行為は犯罪の抑止力になるのではないかと思うのだ。事実この本にある解説で、「絞首台や車がたくさんある所ではたいていお上が裁判に厳しく、またその地方えお悪人や有害な者から清らかに守っていることを示している」と書いてあり、絞首台や車が多くあればそこは治安がいいということを示していることになるらしい。
しかしこうした残忍な処刑方法はだんだん消滅していき、現在のような罰金刑や身体の自由を拘束して刑務に服する方法に変わり、最悪死刑ということになっている。人間の尊厳を尊重するのが文明社会だから、そういうことになっていったのだろう。でも、犯罪の抑止力として考えた場合、刑罰がはっきりしていた方がいいのではないかとも思うし、被害者の立場に立った場合、刑が軽すぎるところがあるのではないかとも思う。犯罪者にも人権があり、人間性を尊重すべきという論理は、被害者がそのことに納得した場合のみ言えることであって、そもそも他人の人権を無視もしくは破壊した者が自分の人権を主張するのはおかしな話だと思う。
閑話休題
この本を読んでいて、大まかではあるが、犯罪の種類によって、その処刑方法が決まっているようである。たとえば泥棒は基本的に絞首刑、殺人は打ち首のようである。私は絞首刑より打ち首の方が厳しい刑だと思っていた。何故なら泥棒より殺人の方が罪が重いと思うからだ。
ところがそうではなく、逆なのだそうだ。たとえばシュミット親方の記述に打ち首の刑の場合、「お慈悲をもって打ち首の刑に処した」と記述される。つまり絞首刑より打ち首の方が「名誉ある」処刑であったらしく、打ち首と宣告されると、罪人は跪き、刑吏や居合わせた人達に、涙ながらに絞首刑にあわなかったことを感謝したらしい。
まぁ、吊し首だと相当苦しまなければならないだろうから、それならいっきに処刑してくれた方がいいというところなのだろうが、疑問なのは、何故殺人があっさり死ねる打ち首で、泥棒が苦しんで処刑される絞首刑なのか、罪の度合いから言えば逆のような気がするが、よく分からない。
ところで死刑執行人は単にそれだけが仕事ではない。他の職業も兼ねていた。皮剥ぎ職人でもあったし、便壺の清掃、ハンセン氏病者の駆逐、野犬の撲殺、売春婦の管理、外科医や迷信的な民衆医療の実行者でもあった。(これは在職中に限らず定年後もそうであった)
なぜ死刑執行人が外科医であったか?次の記述が参考になるかと思うので書き出してみる。
「七月一日、ゲオルク・プレジーゲル、グノッツガー出身。彼は妻を打ち殺した上、自殺したように見せかけようと高い所に吊した。彼は前にも一人焼き串で刺し殺したがある。ニュルンベルク市にて、打ち首にし、開いて腑分けした」
というようにこの本には度々罪人を「腑分け」したという記述が出てくる。どうして死刑執行人が腑分けをするのか、それは処刑の一環なのか分からないが、少なくと腑分けすることで、人間の身体をよく知りうる立場だったから外科医も勤めたのだろう。
ところでこの死刑執行人は賎視されていたことをご存じだろうか?つまり差別されていたのである。たとえば居酒屋で酔って死刑執行人と杯をかわした人物がいたとする。その人物はそれが知れ渡ると当時の仲間(ギルドやツンフトという)から追放されたのである。それくらい徹底して死刑執行人は差別された。
- by kmoto
- at 20:50
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