2006年01月20日
阿部謹也著『刑吏の社会史』
フランツ.シュミットの『ある首切り役人の日記』を読んで、以前読んだ本をもう一度読み直してみようと思った。
この本はヨーロッパ中世において、民衆から賤視されていた職業が書かれている。死刑執行人、捕吏、獄丁、看守、廷丁、墓堀り人、皮剥ぎ、羊飼いと牧人、粉挽き、亜麻布織工、陶工、煉瓦製造人、塔守、夜警。遍歴楽師と奇術師、山師と抜歯術師、娼婦、浴場主と理髪師、薬草売り、乞食取締夫、犬皮鞣工、煙突掃除人、道路掃除人、ユダヤ人、異教徒、ジプシー、ヴェンド人などが差別されていた。
こうして列挙してみると、何となく差別される理由が分かりそうである。つまり民衆から見て非日常的な職業や、死に関わる職業など忌み嫌う職業が賤視されているように見える。しかしこれらの職業は社会秩序を維持するためには、あるいは衛生、掃除、医療と社会生活には不可欠な職業でもあった。これはある意味不思議な気もするが、それなのに賤視されていた。
この本(中公新書)はヨーロッパ中世において、民衆から賤視されていた職業のうちなぜ刑吏が賤視されていたか考察している。
刑吏は最初から賤視されていた訳じゃなかった。古ゲルマン時代(タキトゥウスの『ゲルマニア』やカエサルの『ガリア戦記』に描かれていたゲルマン民族の時代)、刑吏はどちらかといえば神聖な処刑を行った人であった。
そもそも犯罪という概念が今の我々と違うのである。当時「犯罪」とは共同体とその世界の秩序が乱すものと考えられていた。だからそれをできるだけ早くもとの状態に戻すことが最優先に考えられ、「処刑」は犯罪で生じた傷を回復するための儀式であった。
絞首刑や斬首、車裂きを見てみても、処罰や報復のために行われたのではなく、犯罪によってその共同体とその世界にとって傷となる行為によってけがされた神性への償いとして神に捧げられた供物として行われていたのである。「処刑」は供儀であり、それは再生、浄化、防御するための呪術であったのだ。だからその傷を癒すために住民全員が参加する。公開処刑はそういう意味を持っていた。 一方で、違法行為が個人の生命、財産、名誉傷つけるものである場合、被害者たる個人は復讐する権利(フェーデという)があった。その時はその氏族は彼を助けなければならないし、被害者が死亡した場合、代わって氏族が復讐を行った。そういう権利が認められていた。そしてこのような場合国家や人民団体はそれに介入できなかったのである。つまり法体系として刑罰が確立していなかった。だから著者はこの時代「刑罰なき時代」として位置づける。
ところが中世後期になると状況が変わってくる。神聖な職業であった刑吏が賤視されていく。その転換の最大の要因は、都市の成立とキリスト教であった。
いわゆるヨーロッパ中世都市では市壁に囲まれた狭い地域で商人や手工業者が暮らしていた。また様々な人達が都市に入ってきていた。そこで今までのように個人に認められていた復讐劇をやっていたのでは都市の治安維持など出来はしない。そのためにフェーデの禁止をし、平和を維持しようとする。これを「神の平和」という。最初は期間を決めてフェーデを禁止をしていたが、それを恒久的な状態にしていく。それに一役買ったのがキリスト教である。元々フェーデがゲルマン的要素が強い風習であったから、キリスト教会としてはどうしてもそれは排除したかった。また一方で都市の平和維持をすることが自分の利益となった皇帝はそれに乗ったのである。こうしてキリスト教がトップダウンで広まることで、ゲルマン的要素の強い風習が弱められていく。あるいは強引にキリスト教内に取り込まれていくのである。
このことはそれまでの「処刑」に対する意識も変化させる。「処刑」が全員参加で、犯罪によって穢された神の怒りを怖れうやまいながら供養する行為だと位置づけられていたものを、キリスト教は神への供養の部分をゲルマン的・異教的要素として否定した。こうした中「処刑」対する怖れのみが残り、その処刑を執行する刑吏に怖れが移行し、賤視へとつながっていくのである。言い換えれば今まで持っていた「処刑」の意味が形骸化し、怖れのみが残った関係で、それを執行する刑吏に怖れが転化した。その怖れが賤視へとつながっていくのである。
さらに、先ほど言ったように都市には様々な人達が流入してきた。そのうち市民権を持つ都市の住人と、非定住民の差別が生まれてくる。都市の住人とって非定住民流入は都市の平和や安全を脅かすのではないかと思われたのである。都市の平和は彼らのものであって、非定住民のものではないという意識が生まれていた。従って彼らを差別し、場合によっては簡単に裁判にかけられる制度が生まれ、疑わしければ拷問にかけて自白を強要させる。その拷問を担当したのも刑吏であった。しかし一度この制度が確立していくと、今度は市民にもその制度の運用が及ぶのは時間の問題であった。今度は自分達にも嫌疑がかけられれば、拷問の上、処刑されかねない状況が生まれてしまった。こうなってくると刑吏は刑法体系の代表者と見なされ、恨まれる存在となっていく。
そのため刑吏が処刑に失敗しようものなら、民衆から石を投げられくらい疎まれていく。それくらい刑吏は孤独な職業であった。だからフランツ.シュミット親方のように自らの仕事を評価し、反省し、自ら修練する。そのためシュミット親方意外にも多く日記が書いているらしい。
私の記憶では阿部さんのその他の著作では刑吏以外の職業についても何故賤視されたのか書かれていたように思う。次回は阿部さんの違う著作を読んでみようと思う。
- by kmoto
- at 06:10
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