2006年03月14日

朝日新聞社編『司馬遼太郎の遺産「街道をゆく」』

2006_03_14_01.jpg


 『街道をゆく』を気ままに読んでいた関係で、忘れていることも多い。きちんと読んで、感じたことなど書き込んでいれば、まだ頭の中に残っていることもあるのだろうが、それをしないで読んだものだから、そんな状態になっている。
 で、ウォーミングアップとして、朝日新聞社編『司馬遼太郎の遺産「街道をゆく」』を読む。
 これはまず週刊朝日の別冊で司馬さんが亡くなられた後すぐに追悼記念として発売された。その後多少削ったり、付け加えられたりして、文庫版で同じものが発売される。今回両方を読んでみる。


2006_03_14_02.jpg


 私は一度この『街道をゆく』を読んでいることは何度も書いた。だから大枠としては記憶にある。その上でこの本を読んでいる。その中で、向井敏さんの言うことはなるほどと思う。

「司馬遼太郎は歴史上の人物を扱った二十に余る歴史長篇のほとんどすべてで、登場人物の気質やものの見方や行動の仕方が、何よりもまず彼らの生地生国、あるいは長く本拠地とした土地の地理的条件に根ざしているという観点から話を進めていて、それが司馬文学のきわだった特徴の一つとなっている」

 つまり作品の登場人物が生まれた土地などの風土をかなり重視しているということなのだが、一方でその風土にすべてを委ねてしまう危険性も十分承知しているというのだ。だからこれでもかというくらい、資料を集めて話を進めていく。それはこの『街道をゆく』を読んでいてもよく分かる。その上で向井さんは司馬さんの言葉を借りて、次のように言い切るのだ。

「『風土的気質からくる人間個々の複雑さを解こうというのは危険であるにしても』、『風土というものはやはり存在する』こと、『個々のなかには微量にしかなくとも、その個々が地理的現在において数十万人あつまり、あるいは歴史的連鎖において数百万人あつまると、あきらかに他とはちがうにおいがむれてくる』ことをあらためて確認し、やがて、当面の小説の執筆とはかかわりなく、かねて関心のある土地土地をめぐって、それぞれ特異な風土の『におい』を書きとめることに興をつのらせはじめた」のではないかというのだ。
 『街道をゆく』の面白さは司馬さんがそうした旅をすることで、そこで暮らす人々、あるいはその土地から生まれた歴史的人物を、風土的「におい」で感じるところにある。また司馬さん自身そのことを楽しんでこられてたのではないかと思うのだ。
 だから晩年小説を書くことをやめて、『この国のかたち』とこの『街道をゆく』の2本に絞った理由も何となく分かるような気がする。
 司馬さんは歴史の群像達を描いているうちに、疑問を感じ始めていたのではないかと思う。それをうまく言い表している人がいる。吉岡忍さんである。彼の『M/世界の憂鬱な先端』(文春文庫)に次のような文章がある。引用してみる。

 「70年代から80年代にかけての日本は、歴史への関心が高まった時代でもあった。牽引したのは司馬遼太郎である。彼が次々に書いた幕末明治の志士の群像譚は、国際化とハイテクと高度情報化をスローガンに地域と時差を超えて仕事をしはじめたビジネスマンたちの愛読書となり、ビジネスカルチャーの精神的教典と言われるほどだった。
 だが、司馬はブームの頂点で足踏みをした、せざるをえなかった、と私は思う。変革期の志士群像が作りだした近代日本は昭和前期の天皇制国家主義になだれ込み、たんなる野蛮と小心と無責任に堕していく。結果がそうであるならば、出発点においてすでになにかがおかしかったのではないか。論理的につきつめていけば、そうならざるをえない。彼はそのことに気がついていたと思う」

 更に司馬さんの文章も引用する。

「とにかく明治政府というものは江戸期を否定し、そして明治以後の知識人は、軍人をふくめて、江戸的な合理主義を持たなかった。それはやはり、何か昭和の大陥没とつながるのではないでしょうか」(だから『翔ぶが如く』では山県有朋や伊藤博文などは大久保利通や西郷隆盛から比べると、司馬さんはかなり手厳しい)

 私はこの文章を読んで、司馬さんが歴史小説が書かなくなった理由はここにあるのではないか思っている。
 つまり変革期の志士群像を描いているうちに「こんな日本に誰がしたのだ」という疑問が司馬さんの中で生まれたのではないかと思うのだ。自分が好んで描いてきた人物がいた時代にその原因があったのではないかと、思われたのだ。その時代背景を記述していくたびに、今の日本の風潮を生みだした原因がここにあったことを感じてしまったのではないかと思う。
 だから、小説を書くことをやめ、『この国のかたち』で現代日本の風潮をその原因からから話を始め、批評することに力を注いでいったし、更にもう一度司馬さん自身その歴史を肌身で感じたいから『街道をゆく』が生まれたのではないかと私は思うのだ。
 私はこの司馬さんが肌身で感じた歴史を『街道をゆく』から感じたいと思っている。


おまけ

 週刊「街道をゆく」全60冊が今日完結した。約1年3ヶ月かかった訳だが、考えてみると、この雑誌は思い出深いものになった。というのも、最初は自分がいた店で定期購読していたけど、お店がなくなってからは、あちこちのお店で買ってきた。
 ところがこの手の雑誌は、巻数を追うごとに発行部数が少なくなっていき(つまりあまりにも長い期間発売されるので途中で嫌になっちゃうのと、毎週なので、買い忘れてしまい、そのまま止めちゃうことが多いのだ。そのため出版社も発行部数を抑えていく。あれ、これ書いたけ?)、その結果お店に並ぶ部数が少なくなり、売り切れたり、残っていても手垢にまみれたのが1冊しかなかったりした。だから結構苦労して買い続けた。
 幸い有隣堂が秋葉原にできて、そこはきちんと部数を確保して売っていたので、後半は有隣堂で毎週買い続けた。
 ところで、このシリーズを発売するにあたり、シンポジウムが開かれ、それに関連して司馬さんの特集が昨年の2月12日(司馬さんの命日)の朝日新聞に載っていた。その記事を読んでみると、司馬遼太郎さんの作品がいかに今まで日本人に受け入れられたか、その売上部数を見てみると分かる。以下それを記してみる。

1.これまで発売された司馬作品は単行本だけで約350冊(全集、共著を含む)ある。

2.書店に並んでいる司馬作品の文庫本は約250冊あるという。

3.今まで売れた司馬作品は各出版社ごとに足していくと、対談も含め1億8,000万部になるという。おもな作品ごとにみていくと、『竜馬がゆく』が2,150万部(文庫、単行本含む。以下同様)、『坂の上の雲』が1,445万部、『翔が如く』が1,100万部、『国盗り物語』が673万部、『項羽と劉邦』が667万部、『播磨灘物語』が421万部、『空海の風景』が170万部、『街道をゆく』が1,009万部、『この国のかたち』が360万部だという。
 ものすごい数字である、司馬遼太郎さんが国民的作家といわれるゆえんがこのことで分かる。

trackbacks

trackbackURL:

comments

comment form

(どんなことがあっても、本が好き にはじめてコメントされる場合、不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。)

comment form