2006年03月17日

司馬遼太郎著『歴史を紀行する』

2006_03_17_01.jpg


 『司馬遼太郎の遺産「街道をゆく」』を読んでいたら、『街道をゆく』に先だって、その前に紀行文が書かれており、それが『街道をゆく』となって大がかりな歴史紀行文となって開花するきっかけとなったものがあることを知った。それがこの『歴史を紀行する』(文春文庫)である。(「文藝春秋」の昭和43年1月号から同年12号まで掲載された)それを読んでみたくなり、読むことにした。
 この本のキーワードは「傾斜」である。「傾斜」といっても、地理的なものをいうのではない。ある時代、その地域が特別に突出した性格を持っていた時があって、それがその時代をリードしたことがあった。その性格は特殊で、異色であり、その方向にどっと流れ込む勢いがあった。そういう意味で「傾斜」を持ったというのである。この本はそういった過去に「傾斜」を持った地域を司馬さんが訪れている。
 読んでみると、なるほど、この本は『街道をゆく』である。ただし、『街道をゆく』より、その土地の風土や歴史が及ぼす影響にこだわっている。それはページの都合でそれが濃くなってしまっているのかもしれないが、多少強引なところも感じなくもない。
 たとえば、土佐において、自然条件が土佐を隔離していた関係で土佐弁が固有の形を残したという。そのため土佐弁が正しい日本語だとお国自慢として意識の中に残り、自意識としてそれが優越感となり、幕末坂本竜馬に代表される志士たちが田舎から出てきてもいきなり中央舞台で活躍できたのも、又維新後自由民権運動の中心的存在になり得たのも、そういう自意識がそうさせた。又彼らの暢達な日本語が議論好きにもさせたというのである。
 あるいは、近江において、近江商人や石田三成、蒲生氏郷など商才に長けた人材を排するのは、この地域に朝鮮から帰化人が住み着き、それまでの日本人が持ち合わせていない商才を持ち込み、展開していった。その血がこの近江に残り近江商人や石田三成、蒲生氏郷などを生んだのではないかと司馬さんは推察する。
 更に長州や薩摩が江戸幕府倒幕に主導的役割担うのは、関ヶ原の戦いで敗戦し、その領地を家康に減らされた恨みが倒幕運動の推進力となったことに加え、薩摩や長州のその場所がそうさせた部分があるという。司馬さんは言う。

「日本列島のハシである薩摩に立てば、つい視覚が巨視的なるかもしれない」と。
 もちろん日本列島のハシは薩摩だけではない。たとえば日本の北端の津軽ではどうだろうかと比較してみることを忘れない。
 「津軽野の風のなかで思いをひそめるのは、たとえば人間の業とかいのちの悲しみとか、いわば人間生存の第一義のようなものであり、そういう瞑想の姿勢が北端の地にはよく似合う。
 しかしながら薩南の地にきて思うのは人生のことより天下のことである。北方の氷雪は人間を内攻的にし、西南の陽光は人間を外攻的にする」と太宰治と西郷隆盛の人間性を比較して言わしめる。
 長州にしても、「海ひとつ向こうが外国であり、長州をふくめて、西国(九州)が幕末、列強の侵略的圧迫をじかに感じ、攘夷運動の火をもやさざるをえなかったのはその地理的環境による」と考察する。
 
 と、まぁこんな感じで、歴史的風土や自然条件がそこに住む人達になんらかの形で影響を及ぼし、特殊な人材を輩出していったというのである。確かにその可能性は否定できないだろうし、司馬さんのことだからかなりの資料を駆使して物事を言っておられるだけに、もしかしてなんて思ってしまう。
 歴史のよもやま話(よもやま話といっても、その内容は濃いし、読んでいて、思わず「そうなんだ」と驚いてしまうような話なのだけど)など、その地域の風土や気候などに密接な関連性を求め、可能性としてあり得るというのは、不確定要素だけに、読む方も思いをめぐらすには十分楽しい。

trackbacks

trackbackURL:

comments

comment form

(どんなことがあっても、本が好き にはじめてコメントされる場合、不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。)

comment form