2006年04月09日

司馬遼太郎著『街道をゆく』2巻

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 この巻は司馬さんが1971年に韓国南部を旅した時の記録である。元々は1巻からの続きで、韓国に日本人の祖先を訪ねて行ったのである。
 司馬さんは、日本とか朝鮮とかいった国名もなにもないほど古い頃、朝鮮地域の人間も日本地域の人間もたがいに一つだった頃、ことばも方言のちがい程度のちがいはあるにしても、大声で喋りあうと通じたいたはずだと言い、そういう大昔の気分を韓国の農村などに行って味わいたと思い、この旅をする。

 「大昔、倭人とよばれた人種が韓民族ともに南鮮の原住民であり、しかも倭人の居住地は南鮮だけでなく、その後日本とよばれるようになった地域、とくに対馬、壱岐、松浦諸島、北九州一帯に多数住んでいた。この連中が、日本列島を東へ東へと弥生式農耕方法による地域をひろげて行って、こんにちの日本国の原型をつくった」
 多分日本という国は、大昔、朝鮮半島の人々とのつながりはこの様に密接な関係であったはずだ。
 更に6世紀中頃になると、百済との関係が密接となり、日本に百済の人々が多数入ってきて、仏教もここから日本に入ってくる。しかし白村江の戦いにおいて日本と百済の軍は新羅に破れ、百済の人々は多数日本に亡命してくるようになる。(このあたりのことは1巻でふれた)
 この様に、古代において、日本と朝鮮半島と切っても切れない関係であった。それが現代において、ある意味お互い憎悪感で相手を見るようになってしまっている。
 私は個人的に古代に朝鮮半島と日本が密接な関係にあったことにも興味を覚えるけど、それ以上に当時の韓国の人々日本をどう見ているか、そしてそれが何故そうなるのか。その司馬さんの考察の方が興味深かった。
 司馬さんが韓国を訪れて、もう35年の月日が流れていても、韓国の人々が日本を見る目はさほど変わっていないか、むしろもっとひどい状態になっているかもしれないとさえ感じるからである。そうしているのはたぶん日本の首相の靖国参拝が最大の原因だろう。
 私は政治的見解をこのブログで極力排するようにしている。というのも、政治的な見解は様々なであり、極端な話その個人の生き様にさえなってしまうほど頑固なものであり、相手の意見を聞かないで自己主張をし続ける傾向があるからだ。そうなれば収拾がつかなくなる。
 ただ、日本の首相の靖国参拝に関しては、はっきり言って反対である。たとえ首相が個人的に靖国参拝をしているという詭弁を弄して参拝をしてもおかしな話であると思っている。
 一方で、韓国や中国があれほど日本の首相の靖国参拝を非難し、政治的問題にして、いわば内政干渉みたいな言い方にも不快感を感じていることも事実である。
 つまり韓国や中国政府が日本の首相の靖国参拝を非難すればするほど、日本国民は韓国や中国に不快感を感じているのではないだろうか。それはお前のところの首相の行動が元々の火種なのだから、当然として国民である私たちが非難を受けるべきだといわれそうであるけれど、そういう不毛の論理は何も解決にはならない。
 多分私たちが朝鮮半島の人々と同じ歴史的環境におかれたら、きっと同様な気持ちを持つだろう。それほど朝鮮半島は不幸な歴史を持っている。その加害者的立場に日本がいる。
 現代日本の歴史教育はそれをきちんと教えているはずだと思いたい。今の韓国や中国の非難は、我々国民に、ただでさえ大日本帝国の行為を我々自身が苦々しく思っているところに、更に鞭打つ行為であり、これ以上言い続ければ不快感しか残らないし、事実そうなってしまっている気がする。だから不毛の論理じゃないかと思うのだ。

 話がかなりずれてしまったが、私は司馬さんの次の考え方に賛成である。

 「『それは暴虐なる日帝三十余年の支配によるものです』と、韓国の知識人は例によって千枚通しの錐のようにするどい怨恨的発想の政治論理でもって規定しきってしまうかもしれないが、日帝がいかに暴虐であろうとも-げんにそうだが-しかし長い朝鮮史のなかでその期間はたかが三十余年であるにすぎない。李朝五百年が、朝鮮の生産力と朝鮮人の心を停滞せしめた影響力のほうがはるかに深刻なようにおもうのだが、しかし私の知りうるかぎりの朝鮮人で、このことをいったひとにただ一人しか私はめぐりあっていない。『自分をこうしたのはあいつだ、すべての不幸とすべての悪はあいつがもたらした』という式の、自分自身の抜け落ちた議論は白刃のようにするどく、さらに百パーセント正しくもあるが、しかしするどさや正しさがかならずしも物を生みだすものではないのである」

 なぜ韓国の人々がこうも精神的に昂揚するのだろうか?それを司馬さんは次のように説明する。

 「李朝五百年の凄さは、その民族を、他民族(漢民族)の原理(儒教的中国体制)を導入することによって飼いならしてしまったところにある。朝鮮人のもつ観念先行癖-事実認識の冷静さよりも観念で昂揚すること-やそれがためにの空論好きという傾向は、民族の固有の性格などというようなものではなく、李朝五百年の歴史がこの民族に対してほどこした大無理というものを考えなければ理解しがたいように思える」と。

 日本も確かに中国から儒教的中国体制を導入した。当然李朝のようになってもおかしくないのだが、しかしそのようにはならなかった。それは「『武士の勃興』という呼び方で日本史上最大の土着集団の出現が、このばかばかしい律令体制をずたずたにしてしまい、鎌倉幕府という、土着の利益を代表する体制ができて日本史はアジア的なものから解放された。さらにくだって徳川期になると、西ヨーロッパの封建制よりある意味ではもっと精巧な封建制度が確立され、アジア的世界とは別個な社会をつくりあげてしまった」からである。
 こう見てみると、儒教体制がその民族の性格を一変させ、感情的で観念的な民族を作り上げ、一方、そこから脱却した民族は、近代になって慌ててヨーロッパの思想を形だけ植え付けたがために、相手の感情を無視してまでも、個人主義や自由を声高に叫ぶようになっているのだから、話し合いにならないのも当然かもしれない。


 この『街道をゆく』2巻に収録されている街道は、週刊「街道をゆく」の第6号に収録されている。

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