2006年04月21日

司馬遼太郎著『街道をゆく』4巻

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 今回、京都鞍馬の「洛北諸道」、岐阜から美濃、白川郷、五箇山、の「群上・白川・五箇山街道」、更に北上し、「越中諸道」を通って富山市至る。更に「丹波篠山街道」、堺市を通って紀州の入り口までの「堺・紀州街道」、関ヶ原から敦賀湾に至る「北国街道」と忙しい。
 ところでこの巻で、司馬さんは日本の街道の姿の特徴を以下のように言っている。

 「古代ローマ人にとって道路は堅牢な構造物だったが、ローマ人のように牽駕式(けんがしき)の戦車を通す思想をもたなかった日本人にとって、道路は二つの足の裏をのせる程度の幅をもった雑草の生えていない小空間であればよく、堅牢性などまったく必要がなかった。ローマ人の道路思想がやがてヨーロッパ人のそれになって相続されるのだが、日本人はそういう気のきいた先祖をもっていない。
 中国の都市の道路もひろい。古代中国も牽駕式の戦車が戦力の中心であり、都城はそれを往来せしめるだけの道路をもつことが必要だった。日本は平城京や平安京においてその真似をしたが、しかし戦車をつかった経験が一度もなかったために実際にはそれほどの道路は必要がなかった。車といえば王朝のころは貴族は牛車で都大路を往来したが、しかしひとたび旅をして地方に出ると道中車を用いることがなく、荷物は荷駄ではこばれた。江戸時代でさえ、東海道は車が往来しなかったのである。大名行列も大名は駕籠であり、荷物は馬の背に載せてはこばれ、車は用いられなかった。日本人ほど車の要素のすくない交通史を持った民族は世界でもまれではないかとおもわれる。要するに日本にあっては道路がりっぱである必要がなかったのである」

 そういう旧街道、古道を司馬さんは行かれている。もちろん幹線道路は現在舗装され、司馬さん達も車で移動されているが、一歩奥に入れば、舗装されていない細い道で、まわりは多分木々でおおわれているのだろうと思う。特に古い由緒ある寺などを訪ねればそんな感じのようである。「洛北諸道」では山伏が歩いた道だから、その感が強いだろうと思われるし、柴田勝家が切り開いた越前の「北国街道」の栃ノ木峠あたりに道も、鬱蒼とした森の中にある細くて苔むした道といった感じであろうか?
 逆に堺市のように当時の面影を殆ど残さない街道もあるが、これでだけ歩くだけだって結構大変そうだ。

 ところで、司馬さんの歴史小説の面白さは、「余談ながら」とか「閑話休題」とかいって、話を中断して、よもやま話や司馬さんの歴史観を語るところある。それがいい感じで、それこそ一休みといった感じで話の中にちりばめられている。
 しかしその「余談ながら」とか「閑話休題」というのは、どうしても話の主人公から離れることができない。あくまでもその話に関係があることが前提である。それは一休みであって、話と全く関係のない話をいきなり持ってくるわけにはいかないからだ。
 ところが、このシリーズはそれが可能である。というのも日本史というのは断絶していないからである。このことは確か前の巻だったと思うけど、司馬さんは書かれていた。
 日本という国はどこかの国に征服されて、違う民族に支配された歴史がないからだ。だから同じ地域であるならば、話を古代から江戸時代に急に展開してもかまわない。それこそ自由である。実際のはなし司馬さんはこのシリーズで縦横無尽に話をされている。逆にそれがこのシリーズを面白くしているし、読者は時には興味のない時代の話であっても、急に自分がよく知っている歴史の話になるので、とたんに興味を覚えたりする。
 たとえばこうである。「洛北諸道」の丹波篠山街道で長岡京のことに司馬さんはまずふれている。私は都が奈良から京都に移る10年ばかりの都であった長岡京はよく分からないので、はっきり言って興味がない。けれど、話が急に明智光秀の話になると、とたんに興味を覚える。
 丹波には光秀が城を構えていた。その光秀が信長を討つ本能寺の変を起こすわけだが、司馬さんはその光秀のことを次のように言う。
 「本能寺を襲うということは光秀も当然考えたであろう愚挙であった。なぜなら信長を殺せば織田勢力の諸将の目標になるだけで、諸将が光秀を目標に競って京にのぼりいちはやく光秀を討ちとろうとする。その苛烈な競争現象をまねくだけのことであり、ひとのために天下を用意してやるようなものであった」

 そうまでして本能寺にて光秀が信長を討つ理由は、よく信長に丹波を取り上げられ、毛利勢と対峙している秀吉の後詰を命じられたからとか言われるけど、どうもそれだけじゃなかったのではないかと司馬さんは言う。当時光秀自身が精神的に疲労していたし、歳も50を過ぎ若くなかったので、余計に身心的負担堪えられなかったのではないか。だから司馬さんは光秀の心情を文学的課題よりも精神医学的課題としてとらえるべきかもしれないというのである。
 なるほどこう言われると説得力がある。特に戦国時代の人間像に多大な興味を持っているので、ついつい読んでしまうのである。

 この『街道をゆく』4巻に収録されている街道は、週刊「街道をゆく」の以下に収録されている。

「洛北諸道」は週刊「街道をゆく」の第37号
「群上・白川・五箇山街道」は週刊「街道をゆく」の第46号
「越中諸道」は週刊「街道をゆく」の第46号
「丹波篠山街道」は週刊「街道をゆく」の第37号
「堺・紀州街道」は週刊「街道をゆく」の第42号
「北国街道」は週刊「街道をゆく」の第31号

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