2006年04月25日
熊田紺也著『死体とご遺体』
もう一冊今月の平凡社新書を読む。熊田紺也さんの『死体とご遺体』である。熊田さんの職業は「湯灌サービス」である。これだけ言って、この職業の内容が分かる人はちょっとすごいんじゃないかと思う。少なくとも私は知らなかった。 「湯灌」とは、「遺体を沐浴させて、洗い清める」ことで、葬式のオプションに加えられているらしい。「湯灌」は、古くは宗教儀礼として行われていたらしく、現代では殆ど消滅してしまったとのことである。
確かに私の母の葬式のときに「湯灌」が行われたという記憶がない。記憶がないということは、多分「湯灌」という儀式が行われていないことなのではないかと思う。母は病院で死に、臨終後、看護師さんが「これから遺体を清めますから」といって、一旦、我々遺族を病室から出したのを覚えている。このとき看護師さんが母の遺体を清めたのだろう。その後自宅へ帰り、うちのかみさんや弟のかみさんがエンジェル・メイク(この言葉もこの本を読んで知った)という死化粧をした。
著者によると、この「湯灌」が広まった経緯を次のように説明する。
「一般の人は湯灌とはどういうことなのかも知らない普通の時代となったのだが、それが葬儀の一部をなすサービスとして復活したのは、1980年代のことだという。互助会系の葬儀社にいた人物が独立し、需要を確信してサービスを始めたのが最初らしい。やがて1995年、阪神淡路大震災が起こり、損傷の激しい多数の遺体が生じた。それを見た関西の葬儀社が「公益社」が業務の一環として湯灌サービスに取り組むようになったのが、現代に湯灌が広まるきっかけをつくった。
80年代に湯灌サービスを始めた人物は、老人介護の入浴サービスから着想を得て、実行に移したという」
なるほど、こういう経緯で「湯灌」が広まったとすれば、私の母の葬式のときはまだ広まっていない時代であったから、私が知らないのも当然である。
「湯灌」がどういう形で行われるか、この本に図があるので、ここに載せてみる。
以上が「湯灌」の形なのだが、著者は最初からこのサービスを提供する職業に就いていたわけではない。元はCM制作会社の社長さんだった。バブル期はかなり羽振りがよかったが、バブル崩壊後、会社は倒産し、二千万の借金を残すはめになった。借金返済のため在宅入浴サービスの仕事に就く。しかし雇われているだけでは借金返済のメドがつかなかった。そんなとき、出前で遺体を風呂に入れる仕事があり、しかも介護サービス4~5倍の収入があると聞き、奥さんをパートナーにして、「湯灌サービス」の会社を起こすようになった。
「湯灌サービス」といっても、ただ単に遺体を風呂に入れればいいだけじゃない。人間の死は様々な死がある。きれいな遺体ばかりじゃない。病死、事故死、自殺、他殺と損傷の激しい遺体もたくさんある。それらの遺体を修復できる限り修復し、遺体を清め、納棺していく。そこには現代の「死」事情が垣間見られる。
たとえば、著者の奥さんが言う。「あるお宅へうかがったとき、ご家族がおばあちゃん、おばあちゃんと泣きながら、皆さんでワーッと集まっておられました。そこで湯灌をしたんですが、部屋の隅のほうでお嫁さんがポツンと小さくなっておられたんです。そのとき、私はピンときました。じっと黙りこくってはいるが、おばあさんの世話をずっとなさってきたのはあのお嫁さんだろう、と。他家へ嫁いでいかれた娘さんたちにしてみれば、おばあさんは私の母のお母さんだという気持ちが強いでしょう。でも、介護はあのお嫁さんだろう。それがわかるので、湯灌が終わったとき、私はその方のそばに行って、大変でしたねえ、ご苦労さまって声をかけてさしあげました。そうしたら、その方、私のこの手を握って、いきなり泣き出されました。だれかに長い介護のことをわかってもらいたいというか、いろいろな思いがたまっておられたんでしょうねえ」とあった。
又著者が言うには、様々な遺体を湯灌してきて、破損の激しい遺体であっても感情的にならなかったけれど、子供の遺体だけはどうしてもいたたまれなくなし、一番辛いという。「子どもの死は最大の逆縁だ」と言う。だろうなあと思う。 「湯灌」は遺族にとって、死者との絆を確認する作業であり、遺族が死者に最後にしてあげられる思いやりでもあることを知る。
ところがこうした職業には非賤視するところがある。著者も奥さんも友人や近所つきあいなどを失ってしまう。だけど著者は「いまのおれは掛け値なしの人間なんだぜ、どうだ、ざまあみろ」と思うと言い切る。それはバブル期に華やかな虚業に踊らされていた時と比べて、「地べたからものを見る爽快さ」があるという。
評価
★★★★
- by kmoto
- at 05:19
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