2006年05月31日
沢野ひとし著『さわの文具店』
ブログのバージョンアップに神経を使っているので、どうも堅苦しい本を読む気分ではない。で、気分転換として沢野ひとしさんの『さわの文具店』(小学館刊)を読む。
沢野さんの本を読むのは椎名誠さんの本を読まなくなってからだから、本当に久しぶりだ。私は椎名さんの本がつまらなくなってしまったのだ。情報センター出版局から本を出していた頃の椎名さんの本は面白かったが、いつの頃か、教師面が鼻についてしまい、「もう、いい!」と一切椎名さんの本を読まなくなった。そのことと沢野さんとは何ら関係ないのでけど、「本の雑誌」関係者の本を読まなくなってしまったのだ。
しかし沢野さんの書く本は椎名さんのものと違い、どこかナイーブなところがあって好きではあった。
沢野さんは本の雑誌のワニ眼イラストレーターとして活躍されているが、その職業柄文房具にこだわりをもっているようだ。

実は私も文房具に目がなく、正直大好きなのである。玩物喪志(がんぶつそうし)という言葉があるが、変わった文房具などあるとついついもてあそんでしまうのである。必要もないのにいつのまにか机のまわりには何本ものボールペンなど筆記用具が増えていく。いくら何でもそんなに使わないでしょう!とかみさんにしかられるほど、机のまわりには筆記用具が散らばっている。銀行に勤めている娘は仕事上勉強するとき、赤のボールペンある?定規ある?付箋ある?とかみさんに聞いているが、いつもその時かみさんは「かっちゃん(私のこと)文房具店にあるんじゃないの?」とイヤミを言われる。特にこちらの事務所に仕事場を移してから、調剤薬局でメーカーからもらえる筆記用具が増えてしまった。(もっとも私が欲しいから頂いたのだが・・・)
私はかみさんにイヤミを言われながらも、娘が求める文具を机の引出から出すのだが、こやつ出された筆記用具見て、「やだ~!メバロチンってわけの分からない薬の名前が入ってるじゃない!こんなの会社で使えない!」と文句を言う。私は「バカやろう!これ買ったら結構な値段するだぞ」と反論するが、やはりみてくれが大事なのだろう。
さて(何が「さて」なのか分からないが)、今みたいにパソコンが普及してしまうと、なかなか文房具の登場場面がない。筆記用具にしても、私みたいに下書きの必要な人ならともかく、だいたいはパソコンのワープロでこと済んでしまう。辞典でさえ引かない。スクラップブックなど以前よく使っていたが、それさえもインターネットから情報を得て、そのまま「OneNote」に取り込んでしまう。 アルバムにしたって、デジカメを使うようになって、画像データをそのままパソコン内に保存してしまう。アナログ人間とか、沢野さんみたいなイラストレーターなら文房具は必需品だ。でも自分の手に馴染んだ筆記用具などなかなか捨てがたいものがあるんじゃないかと思う。
私は事務所ではメーカーさんからもらった「Dr.グリップ」を使っているが、これなど替え芯を箱で買ってあって、インクを使い切っては、何度も芯を替えて使っている。お陰で握るところが変色してしまっているし、薬の名前が最初は入っていたのだけど、それさえも消えてしまっている。(娘よ、このように使い込めば、薬の名前は消えちゃうぞ)それくらい手に馴染んでいるので、新しい「Dr.グリップ」替えられないでいる。つまり文房具って、使い込めば使い込むほどいい感じになっていくものではないかと思う。
とはいっても、沢野さんも言っているが、たとえばボールペンや消しゴムを最後まで使い切るなんてなかなかない。まして私みたいに使いあぐねているほどボールペンをもっているとなおさらだ。これほどあるとボールペンやサインペンなどいつのまにか書けなくなってしまう。
なんだか話が、沢野さん本から離れたしまったけど、沢野さんの仕事場のようにたくさんの文房具があるのはうらやましい。また海外へ行って文房具屋や画材屋を訪ね、ショーウインドウに飾られている文具や画材を食い入るようにそのデザイン、スタイルを眺める姿は、何となく分かるような気がする。デザインのかっこよさや機能性などが目に入ったら、やっぱり欲しくなってしまう。
このような沢野さんの文房具へ愛着は、沢野さんが洋裁店の息子であったから生まれたものだろうか?洋裁店にはたくさんの文具や画材があるはずだから、子供の頃からそれらを見てきただろうし、その機能性に感心していたに違いない。私も文房具の機能性、デザイン、目新しさに心奪われるタイプなのである。
評価
★★★
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- by kmoto
- at 05:36
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