2006年05月30日

司馬遼太郎著『街道をゆく』7巻

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 今回は「甲賀と伊賀のみち」、「大和壺坂みち」、「明石海峡と淡路みち」、「砂鉄のみち」(鳥取県から島根県、そして岡山県)へと旅されている。時期は1975年から1978年で、まだバブルの時代じゃないが、その兆候が司馬さんが訪れる地域にもあちらこちらに顔をのぞかせているのがうかがえる記述がある。

 「日本では本来、自然であるべき大地が、坪あたりの刻み方で投機の対象に化(な)ってしまっているというのは、元来、生産を中心とするはずの資本主義でさえないのである。現行の経済社会そのものを自滅させつつあるバケモノのような奇妙な経済意識が日本人の心と自然を荒廃させたあげく、その異常な基盤のなかから、総理大臣の座まで成立させてしまった。日本は、日本人そのものが身の置きどころがないほどに大地を病ませてしまっているのである」

 そんな中、「大和壺坂みち」で、鬱蒼とした山の上に高取城の城跡を訪ねる場面がある。高取城はこんな山奥に身代が小さな藩主が構える城ではなかった。まして山奥にあるだけその管理が大変であっただろうという。
 この城のことを考えるにあたり、司馬さんは函館の五稜郭のことに思い至る。この五稜郭ほど愚劣な城はないという。というのも、この城のある場所が、当時の貧弱な艦砲ですら射程圏内入ってしまう場所の築城されていたからだ。
 そして戊辰の時、榎本武揚がこの五稜郭に立てこもって北海道を占領し官軍に対抗しようとしたが、この一時をもって榎本が大した武人じゃないと言い切る。 挙げ句の果て、こんな愚劣な城に立てこもり抵抗しようとした榎本をかっこうだけであって、やがて降伏しようという魂胆だったに違いないと手厳しい。
 司馬さんの人物像は、いつもこんな感じで、いくら歴史上有名な人物であっても、先の展望ない行動をする人物や、卑怯な態度をした人物、あるいは小賢しい行動をする人物評は手厳しい。

 さて、「砂鉄のみち」について書きたい。この文章を書くにあたり、週刊「街道をゆく」の松本健一さんの解説文章がものすごく分かりやすく、かなり参考にさせてもらっている。
 そこに日本文化を日本文化としてたらしめるものとして司馬さんはコメと鉄(砂鉄)があると考えていると言っている。確かにそのようである。そして今回は砂鉄である。司馬さんは「砂鉄を通じて東アジアの本体のようなものの一端でものぞけないか」と言っている。
 鉄に関しては、前巻の「先島紀行」で司馬さんの考察があったが、要は鉄をもつことによってそれ以前とその後の歴史が大きく変わってしまった。それくらい鉄は人類の歴史に大きな意味をもつものであったのである。
 沖縄の旅で司馬さんは、沖縄が本土の室町時代まで石器や木器の時代が続いていたし、その後も鉄器が寡少であったために、農具は生産性の低い木器が主力の歴史が続いたことを知り、そのことが(木器の稼動能力が人間の欲望の限界をなしたこと)沖縄人のおだやかな性格を作り上げたと考えた。つまり「木器ならば、人間の欲望は制限され、無欲でおだやかたらざるをえないのである。木の棒で地面に穴をあけてヤムイモの苗を植えたり、木製のヘラで土を掻いて稲の世話をしているぶんには、自分の少人数の家族が食べてゆけることを考えるのが精一杯で、他人の地面まで奪ったり、荒蕪の地を拓(ひら)こうなどという気はおこらないし、要するに木器にはそういう願望を叶える力はない。鉄器の豊富さが、欲望と好奇心という、現象的にはいかにもたけだけしい心を育てたのではないか」というのである。
 ヨーロッパでは鉱石から鉄を取り出すが、東アジアでは砂鉄から鉄を取り出す。製鉄はまぎれもなく朝鮮半島から伝わったというのが定説のようだが、なぜ朝鮮半島から伝わったかといえば、それは鉄を取り出すために燃やす樹木が不足したためであった。なにせ、鋼1トンを得るために砂鉄12トン、木炭14トンが必要とされた。ものすごい森林の消費量なのである。
 しかし朝鮮半島では樹木を使い果たした後、その気候上森が再生しない。ところが日本の自然は、大量の木を伐採しても回復力が早く、森はすぐ再生した。しかも出雲地方は良質の砂鉄を産出した。そのことを渡来人は知っていたと思われる。たとえば八岐大蛇退治でしられる素戔嗚尊(スサノヲノミコト)の行動からもそれを読み取れる。素戔嗚尊は朝鮮半島の新羅に住んでいたが、やがて彼は直接出雲の鳥上之峰(とりがみのたけ)にやってきた。この無名にも近い鳥上山を目ざして直接やってきたということは、この地方が南朝鮮まで良質の砂鉄が産出すると知られていたからではないかと推察するのである。そのためここで製鉄をしていた古代の人々は主に朝鮮からの渡来人であろうと思われているらしい。
 稲にしても、製鉄の技術にしても、中国や朝鮮からの渡来人の姿なしに考えられないのである。
 古代の製鉄作業はフィールドミュージアムしまねの旅の「炎の神話・たたら」

に詳しい。

 ところでこの地方の安来では、現在も製鉄作業は続けられているらしく、ここで産出された鋼はヤスキハガネとよばれ珍重され、特に鋼材としての硬さとねばりを必要とされる切削用工具や電磁気材料または刃物鋼として使われ、源鋼の半分はアメリカのジレットに買われていき、カミソリの刃になっているという。


 この『街道をゆく』7巻に収録されている街道は、週刊「街道をゆく」の以下に収録されている。

「甲賀と伊賀のみち」は週刊「街道をゆく」の第23号
「大和壺坂みち」は週刊「街道をゆく」の第24号
「明石海峡と淡路みち」は週刊「街道をゆく」の第41号
「砂鉄のみち」は週刊「街道をゆく」の第38号

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