2006年05月10日

司馬遼太郎著『街道をゆく』5巻

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 また『街道をゆく』に戻る。この5巻の装丁が気にいているので、表紙、裏表紙を掲載した。こういう装丁の面白さというのは、規格化された文庫本や新書、あるいは新装版にはないので、やっぱりオリジナルでしか味わえない。もちろん文庫や新書の存在価値は十分認めるのだけど、装丁を楽しむなら、やっぱりオリジナルであろうと思うのだ。
 さて、この巻がどうしてこうした大きめの帯を付けているのか、その詳しい。
理由は分からないけれど、ただ、この巻全部が「モンゴル紀行」で、モンゴルといえば司馬さんが子供の頃から夢見られていた土地であったことが、その思い入れ分、装丁にも反映されたのではないかと思われる。「当時の私の夢想は、漢民族から奇態な文字をかぶせられた民族(けもの扁とかむじな扁で表された民族)を、ちょうどいまの子供が宇宙人をおもうような感じでさまざまに想像することだった。文字が奇怪なだけに、宇宙人への想像よりも、私には刺激的だったように思える。たとえば狄(てき)などという文字の金属音的なひびきのよさはどうであろう。狄はばく然と北方の非漢民族をさす言葉だが、文字に『犬のようなやつら』という気分がある。犬のように素早く、犬のように群れをなし、犬のように剽悍で、犬のように中国文明に無知であるというところに、草原を駆ける狄の集団の、たとえば蒼穹を虹のつらぬくようなたかだかとした爽快さが感じられはしまいか」と、司馬さんが子供の頃からのあこがれの土地へ旅した素朴なよろこびを表している。
 こうした子供の頃から夢描いていた土地へ旅するわけだから、全編にその土地に対して「やさしさ」が感じられる。そしてすべて好意的に描写されていく。
 モンゴル人民共和国というのは、平均標高1,580メートルという大高原で、国土の広さはフランス、ドイツ、イタリア、イギリスを合わせたほどあるのに、人口密度は一平方キロに0.7人と世界でもっとも過疎な国のひとつである。(このとき司馬さんがモンゴルに訪れた1973年当時の数字)ということは、それだけ自然が豊かな国土を持っているということになるが、なかなか実感がわかない。
 息子が高校で使っていた地図帳を借りて開いて、モンゴルの地形を見てみる。なるほど、中国と接している部分はゴビ砂漠であって、それより北が高原になっていることが分かる。そしてロシアとつながっている。つまり、中国とロシアにはさまれたところにモンゴルがあるわけだ。
 1973年に司馬さんがモンゴルへ行かれた方法は、新潟からソ連のハバロスクと渡り、それからイルクーツクへと渡り、モンゴルへ入っている。当時は直接日本からモンゴルへ渡る方法がなかった。従って、ハバロスクではロシアのシベリア進出を語り、イルクーツクでは大黒屋光太夫のことを語って、モンゴルに入って、モンゴルを語っていく。

 地形図は分かった。しかしモンゴルの自然の豊かさがどんなものなのかうまくイメージがわかない。週刊「街道をゆく」に載っている写真を見てみると、その草原の広さ、空の青さなどものすごくきれいだ。
 話はちょっとずれてしまうかもしれないが、開高健さんも晩年モンゴルの自然に魅せられ、モンゴルの川でイトウを釣っている。そのビデオを見た。(開高さんは晩年、ジンギス・ハンの墓探しに夢中になっている)そこにモンゴルの自然の豊かさ、何もない平原などが映っていた。私が想像できるのはそのあたりしかないのだが、それを見ていてもうらやましいほどの自然の豊かさを感じることができる。


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 今回司馬さんは南ゴビのツーリストキャンプに参加するのだが、宿泊場所のある包(パオ)の近くに飛行機が降りるのである。(もちろん専用の滑走路なんてない。ただの平原である)夜も食後散歩をするのだが、そこには満天の星が広がり、何もない平原が広がるだけであって、包からもれる明かりがかなり先を歩いても、見えてるらしい。平均標高1,580メートルという高地だから、きっと空気もかなり澄んでいるのだろう。
 移動も車でするのだが、方向転換など、道など気にせず(道があってもないようなものなのだろう)、どこでも勝手に車の方向を変えることができる。何もない大草原って、本当にすごい。

 さて、地図帳で見たとおり、モンゴルはロシアと中国とはさまれている関係で、政治的、歴史的に微妙な関係を強いられてきた。
 たとえばモンゴル人が歴史上何度も中国に侵略を繰り返してきたが、それは中国側の論理でそう説明されていることで、遊牧民族である彼らにとっては、自由に移動できた土地を漢民族が土地を耕し、遊牧のために必要な草が生えないように開墾してしまった。(一度開墾された土地は牧草が生えない)そのため彼らは行き場所をなくしてしまい、生活できなくなり、仕方なしに中国に略奪せざるを得ない事情があったことを知らされる。
 中国ではモンゴル人の王朝元が起こり、その後漢民族の明、そして又征服王朝として清と続くが、その間内蒙古はどんどん開墾され、結局ソ連を頼って、自ら独立した。そのため当時のソ連の衛星国的存在としてモンゴルは存在した。だからソ連には気をつかわねばならない部分があった。たとえばジンギス・ハンがモンゴル人にとって、英雄的存在なのに、ソ連は過去にジンギスカンや彼の後継者達にロシアは徹底した破壊、殺戮、略奪を受けたため、苦い思いがある。だからジンギス・ハンをまつることができずにいた。
 しかしモンゴル人が支配階級としてロシア人を搾取し続けたことをロシア史上「タタールの軛(くびき)」と呼ぶが、「タタールの軛」から解放されてもモスクワ国家やのちのロシア帝国はその支配体質を引き継いだのだから、いい気なもんだ。
 日本もノモンハンでソ連と戦争し、負けている。そういえば村上春樹さんがノモンハンを訪ね、そこに今もソ連の戦車が赤錆て残っている写真が載っていたのを思い出した。
 ものすごくすばらしい自然がある国ではあるけれど、過去にいくつもの苦い経験をしてきた国でもあるようだ。


 この『街道をゆく』5巻に収録されている街道は、週刊「街道をゆく」の以下に収録されている。

「モンゴル紀行」は週刊「街道をゆく」の第20号

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