2006年07月17日
司馬遼太郎著『街道をゆく』14巻
今回の旅は、「南伊予・西土佐の道」である。このシリーズでは随所に、開発という名の自然破壊、文化的遺産の破壊を憂ているが、今回はほとんど全編、行く所、行く所、この問題が顔を持ち上げている。たまたま司馬さんが行かれたときがそういう時期だったのかもしれないが、日本という国は開発という大義名分があれば、平気で長い年月をかけて培われてきた歴史的価値、文化的価値を損なう。
司馬さんは、「われわれが持続してきた文化というのは弥生式時代に出発して室町で開花し、江戸期で固定して、明治後、崩壊をつづけ、昭和四十年前後にほろびた」と、宇和島を訪れて言っている。
それもそういう価値の破壊を行政が平気でやるところがすごい。いい城が残っていても、平気で景観を損ねるコンクリート建物を近くに建ててしまう愚挙を愚挙と感じないほど神経的に麻痺した役人に我々は政治を任せているのである。たとえば高松塚古墳の国宝壁画損傷事故やカビの大量発生問題にしても、平気でいられる文化庁などもそうで、それが省庁あげてそれが歴史的・文化的価値があると絶賛しても、木っ端役人が、その保存を仕事にした場合、目先のことに追われて、その価値がなくしてしまうのである。
開発というのは、今の時代に沿ったものであれば、住民は便利で機能的な生活が出来るから、そうするのであって、歴史的・文化的価値のあるものがそれを拒む理由はないのかもしれない。でも偶然残ったものであったとしても、はたしてそれを破壊してまでも、便利で機能的な生活を優先してもいいのかどうか、疑問が残るような気がする。たとえばヨーロッパでは今でも中世の町並みを残して、今の生活を維持しているところがたくさんある。うまい具合に過去の遺産と現在の生活を融合することは可能なんじゃないかと思ったりする。「故きを温ねて新しきを知る」という言葉もある。そこに住む人達だけに不便をかけながら、文化財の維持を求めるのはもちろん身勝手な言い分だとは思うけど、だからといって全部壊して、新しいものを作ればいいという発想は貧困だ。それこそ行政が率先してそういうことを考えて住民の生活を維持することを考えるべきであろう。
壊すことは簡単だけど、少なくとも時間がたっているものを作り出すことは無理なのだから・・・。共存共栄とは難しい問題だろうけど、是非考えて欲しいものだと思ってしまう。よく言うスクラップアンドビルドという言葉をすべてに当てはめるのは、私には短絡的な気がするのだ。
今回はなんだか歴史的文化財の保存が妙に気になってしまい、本の内容にはあまり踏み込んで書けなかった。でも歴史が好きな自分としては、いつか歳をとって、悠々自適な生活が出来るようになって、日本中を旅でもするようになったら、こういうものがちゃんと残っていて欲しいと思うから、あくまでも自分の願望を書いた。それは日本だけでなく、自分の好きなヨーロッパにおいても、そう思う。
『街道をゆく』14巻にある「南伊予・西土佐の道」は、週刊「街道をゆく」の18号に収録されている。
- by kmoto
- at 05:57
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