2006年07月21日
石井美樹子著『中世の食卓から』
本棚を整理していたら、この『中世の食卓から』(筑摩文庫)を見つけた。何となく面白そうだったので、読んでみた。蘊蓄があって、なかなか興味のある本であった。
さっそく面白い話を紹介しよう。ヨークシャーのウェイクフィールドの降誕劇に登場する羊飼いたちの会話である。場面はベツレヘムの近郊の原野。この年、冬が厳しく、おまけに疫病の流行のため羊が殆ど死んでしまい、羊飼いは飢えに苦しんでいた。羊飼いは互いに不満をぶちまけ、とうとう口論になってしまったが、一人の羊飼いの提案で午餐の宴を始めた。
羊飼い二
とにかく宴会を始めよう。
口論はやめて、おれたちの口に
おまんまをあげようぜ。
とっておきのものを出すぞ。
見ろ、こいつは猪の味つけ肉。
羊飼い一
辛子をつけて食うとうまいぞ。
さあ、食おう。
これは牛の足、ソースがきいている。
スパイスをまぶして焼いた雌豚の脚。
レバー入りのブラッド・ソーセージ二本。
相棒よ、喜べ。
もっとあるんだ。
腐った雌羊の肉もある。
食いしんぼうにはたまらなくうまい肉。
食えよ。
羊飼い二
この袋のなかには、ゆで卵と焼肉が入っている。
牛のしっぽちゃんとあるだろうな。
うれしい、あった。
このスパイスはうまいから、なくなる前に食っておこう。
それに豚の鼻二つ。
モモ肉なしの兎。
羊飼い三
こいつはがちょうの脚。
卵黄をまぶした鶏肉に、珍味の山うずら。旦那衆向けの果実入りパイ、こいつはどうだ。
牛レバーのスライスに酸味のきいたジュース。
上等のソース、
こいつがありゃ、
ぐーんと食欲が増すというもんだ。
羊飼い二
おい、ヒーリー産のエールがあるぞ。
いいか気をつけろ。飲みすぎると、
悪酔いするぞ。
羊飼い一
こいつはすごい!
景気づけになる。
まるで飢えた羊飼いの宴じゃないようだ。しかもここに出てくる食べ物は当時下層階級から上流階級までのご馳走、珍味である。どうしてこんなに持っていたのだろうか?
答えは、自前の食べ物に貴族や金持ちの施し品が加わってこんな宴の食べ物になっているのである。
当時の貴族や金持ちは貧しい者に施しをすることで、自分たちの魂の救済を得ようとしていた。もちろんキリスト教の影響である。
ヨーロッパ中世時代、上流階級から下層階級までほぼ100%がキリスト教徒であったから、生活のあらゆる面でキリスト教の影響を受けていた。もちろん食生活においても同様である。
たとえば復活祭前の四十日間の四旬節である。この期間人々は荒野で四十日間断食して苦行したイエスに倣い、断食を始める。断食と言っても一日二回の食事を一回にし、肉、肉に関わるもの(ミルク、バター、チーズなど)一切口にしない。ただ、魚だけはよかった。
どうして魚はいいのかというと、水に棲む魚は中世の人々にとっては聖なる生き物としてみられていたからである。神がアダムとイブの裏切りに怒り、二人を楽園から追放し、彼らとともに生まれ、育った被造物すべて呪われた。しかし魚介類は神の呪いを受けずに済んだ。水の中に棲んでいたからである。水は罪を清める力を持っていると考えられたのだ。だからノアの時代、汚れた世界を清めたのも水であったし、人の子が洗礼という水の儀式によって神の子となるのだ。
また「最後の晩餐」に象徴されるように食べることは魂を交換しあう儀式と考えられたから、この儀式(会食)に臨むには、魂も手も汚れていてはならない。だから水で手を洗ったのである。(当時まだフォークが普及していないから、手でつまんで食べていた。)
中世は今の朝食は存在しないらしい。ディナーをヌーンにとった。ヌーンとは夜明けから9時間後(none=noon)のことをいい、もともとは夜明けから9時間後(nine)に行う礼拝のことをいった。つまりディナーとは夜明けとともに始まる労働を終え、一日の無事を神に感謝して祈りを捧げてから食べる食事であった。だいたい正午から午後3時頃に食べる食事でった。これが一番大切な食事であった。その後太陽が沈んでから軽い食事サパー(supper)をとった。以後翌日のディナーまで食事をしない。この間の食断ちをファストと呼んだ。
現在の朝食はこのファスト(fast)をやめて(break)食事をとるようになったことで、ブレックファスト(breakfast)と呼ばれるようになった。
さて、四旬節である。この時期みんなが肉を断ち、魚を食べるようになるので、魚の需要が高まる。当然その需要を満たすためには、たくさん取れる魚がないといけない。それがにしんであった。だからにしんは「魚の王様」として君臨する。しかしみんながにしんを求めるのでにしんの値段が急騰する。そのため四旬節の前ににしんを買い込み、塩漬けにして保存しておくのが当時の主婦の知恵であった。しかし毎日にしんの塩漬けだと、いい加減嫌になってくる。
そしてにしんが立ち去る頃(四旬節の終わりに)、待ちに待った復活祭である。飲めや、歌えと浮かれて楽しむ。ブリューゲルの「謝肉祭と四旬節の喧嘩」という絵にあるような世界が広がるのである。
大好きなブリューゲルの絵を紹介したので、もう一つ当時の農民の宴の模様を描いた「農民の婚宴」も紹介しちゃおう。この絵、ブリューゲルの絵の中でかなり気に入っている。
さて、さらに気になった部分がある。それは豚である。中世のパリは町全体が「豚小屋」であった。今では中世の街角はノスタルジーを感じさせるけれど、当時は生ゴミや汚物はみんな通りに捨てられていた。生ゴミ入れやトイレなど備えた家などない時代であった。そこへ豚がそれらの生ゴミや汚物を食べていた。言ってみれば豚は町の「清掃車」だったのである。つまり当時の通りは汚物にまみれ、豚があっちこっち徘徊していたのである。
このことは学生時代読んだ何の本か忘れてけど、ヨーロッパ中世の生活を記述した本にも書かれていて、この記述を読んで昔読んだ本のことを思い出した。
ところがカペー家のフィリップ王子が馬に乗っていたときにそんな豚につまずいて、落馬して死んでしまった。それ以来、町中で豚を放置することが禁じられたが、このことは豚の自家飼育が禁止されたことになり、養豚業者の成立を促す。しかし、養豚業者の飼育費(町中に放り出しておけばえさ代はただである)や運搬費など上乗せされるから、豚肉の値段が高くなってしまった。しかも自家飼育に比べ、肉は固く、新鮮さに欠け、味が落ちる。しかも値段が高い。そこで安い腐った肉が以前より頻繁に出回るようになった。そして腐った肉の臭いを消すためにスパイスが今まで以上に必要になったという。
阿部謹也さんの本で屠殺業者が賤視されたことが書かれていたのを以前書いたが、賤視された理由は、こんな事情のためもあるのかもしれない。
砂糖と爪楊枝の話も面白かった。中世砂糖の代用品は蜂蜜であった。砂糖は高嶺の花であった。砂糖を口にできるのは王侯貴族だけであった。当然虫歯になるのも王侯貴族だけであった。従って虫歯は一種のステイタス・シンボルとなった。だから虫歯で歯が穴だらけになって、そこに食べ物のかすがたまるものだからどうしても爪楊枝が必要になった。人前で歯をほじくるのは行儀の悪いことではなく、富裕であることの印にもなった。当時の爪楊枝は使い捨てではなく、金属製で、ブローチのように彫刻や宝石がついたもので、それを帽子につけて持ち歩いたそうだ。
そう言えばスプーンとナイフも原則としてマイスプーン、マイナイフとして食事に招待された客は持参したそうだ。
評価
★★★★
- by kmoto
- at 20:41
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