2006年08月10日
久坂部羊著『無痛』
話しはこの本と関係ないところから始めたい。まだ岩本町店があった時、その店で書籍の仕入の手伝いを始めた頃だったと思う。久坂部羊さんの新刊『破裂』がたまたま神田村の問屋に3冊あった。私は久坂部羊さんがどんな作家なのかも知らなかったし、どんなジャンルの本を書かれているのかさえ知らなかった。
でも、本の奥付を見て、これは新刊だなと判断した。しかもこの出版社の新刊は問屋からの配本がないことも知っていたので、その3冊を仕入、店頭に並べた。
翌日の新聞広告に久坂部羊さんのこの本が載った。さっそくお客さんからこの本の在庫を聞かれ、他のスタッフはこの出版社の配本がないことを知っていたので、在庫がないことを詫びていたのを聞いて、私は在庫があることを伝えた。その後そのスタッフは私の仕入能力をほめてくれたので、我ながら有頂天になったのを覚えている。もちろん残りの2冊もすぐ売れてしまった。
というわけで、この久坂部羊さんの著作は気になっていたのだが、今回初めて久坂部羊さんの新刊を読んだ。多少猟奇趣味的なところがあるが、読んでみて面白かった。
神戸市内閑静な住宅街で一家四人の残虐殺害事件起こった。凶器は2本のハンマーであった。被害者はこの家の主人である石川昭次、妻の彰子、5歳の長女舞、3歳の長男公平であった。昭次の致命傷は脳挫傷で分厚い後頭部が一撃で粉砕され、挫傷は小脳から脳幹まで及び、殴打の衝撃で脳底動脈が破裂し、左右の眼球にも出血があった。妻の彰子は前頭骨と左頭骨を破壊され、先切りハンマーの先端が脳室まで達し、顔面にも攻撃が加えられ左眼球の脱転、両頬骨の複雑骨折、上顎骨歯槽粉砕の状態であった。舞の頭頂部には直径6センチ陥没骨折があり大人の拳ほどの空洞ができており、脳が飛び散っていた。公平は頭の右半分がほとんど消失していた。
事件後8ヶ月たった頃、精神障害児童施設に収容されていた14歳の少女がこの事件の犯人は自分だと告白する。これを聞いた警察には刑法39条が重くのしかかり、捜査に嫌な空気が漂うようになる。
その少女、南サトミの担当であった、臨床心理士高嶋菜見子は医師為頼英介に通り魔から助けられる。為頼は人を見るだけで症状が分かる天才医師であった。通り魔から高嶋親子を救ったのも、通り魔の顔見て、危ないと判断し、非難させたのである。
そしてもう一人為頼と同様に見るだけで症状が分かる医師がいた。白神メディカルセンター院長白神陽児がいた。そして彼の病院で働く彼もいた。
例によってこれ以上書いてしまうとネタばれになってしまうから、ここまでにしておく。
この本(幻冬舎刊)を読んで、医者はここまで本当にできるのかと思ってしまったし、医療という名の行為に精通していれば、死体の処理などこうも簡単にできるのかと思ってしまった。
そして医療とは何なのか?治療行為とは、といろいろ考えさせてくれる。
為頼医師は一目見るだけで病状が分かるだけに、病人の命が助かるかどうかもその瞬間見えてしまう。だからどんな治療をしても助からない病人には余計な治療はしないし、それをするのは医者の欺瞞でありおごりだと言い切る。為頼は自虐的に「治る病気だって、見えないほうがいいんですよ。見えない医者は、自然に治った病気でも自分が治したつもりになれますからね。幸福な錯覚です。見えない医者はそうやって自信を深め、威厳を持ち、貫禄をつける。患者から見れば、立派なお医者さまというわけです。わたしは患者が自力で治ったものを、自分の手柄になどとてもできない」と言う。
私は今まで医者というのは病気を治してくれるとずっと思い続けていた。確かにそういうこともあるだろうけど、最近はそうじゃないのかもしれないと思い始めている。というのも、もしかしたら自分の病気を治すのは自分の自助力ではないかと思うようになってきたのである。自分の身体に病気を克服する力があれば少なくとも症状は改善するのではないか。その力が病気を治すのではないかと思うのだ。もちろんその科学的裏付けは説明できないけど、なんかそんな気が最近している。医師はその手助けはしてくれるけど、病気を治すのではないと思うのだ。だから為頼医師が言うこの台詞には、妙に納得してしまう部分がある。
一方の天才医師白神陽児の存在も考えさせられる。彼の経営する白神メディカルセンターは新聞でも取り上げられる私立総合病院で、医師も設備も充実しているだけでなく、独自の方式で一流ホテル並みのサービスを提供している。だからここに来る患者は社会的地位のある人間であった。白神は為頼に言う。
「為頼先生、口はばったいことを申し上げるようですが、快適さ、安全、高品質にはお金がかかるんです。医療だからといって、よいものを安くなんて絵空事です。よい医療を受けたければ、それだけの対価を支払わなければならない。当たり前のことでしょう」
「もちろん、最低限の医療は平等に保障されるべきです。それが保険診療でしょう。つまり保険診療はセイフティネットなんです。保険で最高の医療をカバーしようなんて、行きすぎです。そんなことを考えるから、国民の医療費が年間三十五兆円にもなるし、一方で国民は医療にお金がかかることを忘れてしまう。大した稼ぎもないのに、レジャーや子ども塾代に金を使って、それで医療は国にお願いしますなんて、ムシがよすぎますよ。きちんと医療のために貯蓄をしたり、民間の保険に入って、お金を準備している人もいるんですからね。そういう患者さんが、質の高い医療を受けられるようにすべきです」
これもこの通りなんだろうなぁと思う。赤ひげ先生をいつまでも要求すべきじゃないと思う。分相応の医療の提供を受けるべきかもしれないと思う。
そしてこの本のもう一つのテーマである刑法39条の問題がある。刑法39条とは、(1)心神喪失者の行為は、罰しない。(2)心神耗弱者の行為は、その刑を減軽するというものであるが、最近は何かにつけこの刑法39条が前面に出てきてしまっていて、それこそ悪用しているとしか思えないほどだ。
とにかく常識では考えられない犯罪が起こると、その加害者をすぐ精神鑑定して、事件の時は心神耗弱の状態だといって、その責任を問わないところが多すぎるのだ。それに加えて少年法もそれその手助けをしてしまう。とにかく最近の刑事裁判はこの刑法39条の大安売りである。
もし自分の家族がこの刑法39条に該当する犯罪者に殺されたりして、無罪なんてなったら納得できるだろうかと思う。まず絶対に納得などできるわけがない。それを考えたら、こんなに頻繁に刑法39条を連発していいのだろうかと思うのだ。刑法39条を少年法に変えてもいい。まず絶対に納得などできるわけがない。言ってしまえばこれらの法律は犯罪者を守る法律でしかない。
この本の捜査一課の警視仁川康男が言うように「責任能力のない人間を罰することは、非人道的なことなんや。それは罪の償いやない。ただの報復や。それがどれだけ恐ろしい人権侵害につながるか、わかるやろ」と言われても、絶対に納得できないだろうと思う。確かにこの本にも紹介されていたけど、精神の病でもしかしたらこの病気で人を殺してしまうかもしれないという恐怖を抱えて暮らしている人や家族がいることも分かる。けれどそれでもと、やっぱりと思う。
まして最近の風潮のように何かにつけ精神鑑定なんて話しを聞くと余計である。さらにその精神鑑定の曖昧さを知ると、どうでも鑑定できてしまうじゃないかと思うのだ。
高嶋菜見子の元夫、佐田が菜見子に復讐するにあたり、「ふつうでは理解できない残酷な殺し方すれば心神喪失と判定されるのか」といって幻覚とか幻聴があるふりをして、精神科の通院歴を作っておけば無罪になると、悪用できてしまうのだ場面があるが、まさしく最近はこのパターンが多いのではないかと思う。
一方で佐田は面白いことも言っている「『物事の善悪を判断する能力が失われていた』というのは変だ。というか、当たり前のことだ。善悪の判断が失われているからこそ、酷い犯行をやるんじゃないか」と。まさしくこの通りだと思う。とにかく最近はあまりにもこの刑法39条を盾にとって、犯罪者を擁護することが多すぎる。
評価
★★★★
- by kmoto
- at 05:02
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