2006年08月26日

司馬遼太郎著『街道をゆく』18巻

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 ここのところ、このシリーズを続けて2冊読んで、そして今度はまったく違う本を読むパターンになっている。まぁこれはこれでいいのだけど、こうして司馬さんの本に戻ってくるとなんかほっとする。文章から醸し出される雰囲気も、どこか気持ちが落ち着くような気がする。

 さて、今回の18巻は福井県「越前の諸街道」である。
 越前といえば永平寺が有名であるが、司馬さんはあまりにも観光化された永平寺を訪れて、その観光客の多さに圧倒され帰っていく。私もかなり昔永平寺へ観光で行ったことがあるが、そんなに観光客が多かっただろうかと思ったが、とにかくあまり記憶に残っていない。あるいは私がその当時、観光客の一員であったから分からなかったのかもしれない。
 いずれにせよ、こうした俗化した永平寺には興味がなかったようである。そもそも道元が求めた、ひたすら坐れ、「只管打座」という求道精神からすれば、巨大な伽藍など不要な存在であったはずだというところから、こうした永平寺には興味がわかなかったのだろう。
 むしろ、道元が宋の天童山で修行をともにした中国僧寂円が、道元帰国後、彼を慕って日本に来て、道元の死後、彼の志を継いで、自ら開いた宝慶寺に強く思いをはせる。
 宗教というのは不思議だと思うのは、たとえば巨大な寺院、多くの信徒、あるいは仏像などの偶像崇拝など、開祖が本来望んでいない姿を次を継いだ者が持ち始めるの傾向がある。それは何も日本だけでなく、キリスト教などにも同様である。そうしないと自分たちが存在できないかのように、本来の姿から変質していく。

 さて、白山を祭祀する山岳信仰の拠点として平泉寺(白山神社)があるのだが、この神社の歴史的変遷が興味深かった。
 平泉寺は南北朝時代、平泉寺はその領地5万石以上、諸国から浮浪者が集まって僧となった人数が八千という北陸路の武装騒動の一中心であり、社や堂、院坊が三千とも六千ともいわれるほど、強大な勢力を持った時代があった。どうしてこうした力を持つことが出来たのか?ここに奈良・平安の律令制が生みだしたひずみが読み取ることが出来るのだ。
 律令制の基本は公地公民制であり、農地、それをを耕す農民が国家や天皇の持ち物として考えられ、農民から租税を搾り取り、それを都へ送るシステムであった。
 農民は土地に縛られ、租税を搾り取られるだけであったから、そこに生産意欲など生まれるはずもなかった。そこで、生産意欲を刺激するために、新田を作った者はそれを私有させるという政策を取り始める。それが荘園の成立であった。そのため多くの浮浪者、逃亡農民を吸収し、さらに多くの荘園を作るようになっていく。平泉寺もこれをやった。
 しかしこういうことをやられると、国家に租税が入らなくなってしまう。当然国から派遣された役人である国司と平泉寺側が衝突することになるが、平泉寺は政治的に弱かった。そこで平泉寺は天台宗(叡山)の傘下に入ることで、政治的立場の弱さをカバーしていくのである。
 叡山の傘下に入ることで、どうして自分たちの立場を強くすることができるかといえば、叡山はこのような農地獲得という政治的・経済的方面の大ボスであり、叡山が律令貴族に食い込んでいる宗教勢力だけに、その傘下に入り、その保護を求めれば、どこからも文句が言えなかったのである。だから司馬さんは言う。「平安期における天台宗の隆盛、叡山の勢力というのは決して宗教的なものではなく、律令制の抜け穴として荘園制の上に立つものであり、その証拠に、律令制が否定された鎌倉以後の封建時代になると、没落するのである」と。
 このように鎌倉幕府の成立によって、叡山は多くの荘園を失って、衰弱するが、白山はそうではなく、南北朝時代には最盛期をむかえる。
 しかし、農民にとってみれば、平泉寺の衆徒(僧兵)であろうと、国の役人であろうと、租税を搾り取られることには変わりはなく、紆余曲折はあったが、加賀門徒(一向宗)の力を借りて一大蜂起を起こし、平泉寺は農民によって焼き討ちにされ滅びることとなる。
 その後織田期から豊臣期にかけて、再興されるが、その規模は往時から比べると、比較にならないくらい小規模なものとなった。
 平泉寺の象徴として菩提林というのがあるらしい。約二百六十本の老杉が、自然に群生してできあがったものらしいが、ここがかなり美しい苔で被われていて、今もよく手入れがされているという。司馬さんは林を手入れをしている人を何人も見かけている。それを見て「平泉寺に収入がない以上、みな里の人達の無料奉仕のはずだった。中世以来、平泉寺の頑固さは千年つづいている。途中、農民の反乱で焼打ちされたとはいえ、いま農民の側にその風骨(この菩提林が「浄意」として長い間保護されていた)が入りこんで、自分たちの手でこの環境を護持するようになっているにちがいない」と言うのである。
 平泉寺は時には、自分たちの生活を脅かしはしても、寺として神聖な場所であるという精神的に敬う場所でもあったのだ。


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 『街道をゆく』18巻にある「越前の諸街道」は、週刊「街道をゆく」の11号に収録されている。

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