2006年09月12日

半藤一利著『昭和史』

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 この本(平凡社刊)も前から気になっていた。自分が昭和に生まれたからかもしれない。でもそれ以上に私は昭和の歴史を知らなすぎる部分がある。それでも、昭和という時代の象徴が「戦争」であることは分かる。では何故日本は昭和の時代に戦争を引き起こしてしまったのだろうか。それを詳しく知りたいと思った。

 半藤さんは次のように言う。「1865年(日清戦争に勝って)国づくりをはじめて1905年(日露戦争に勝って)に完成した、その国を40年後1945年(第二次世界大戦に負ける)にまた滅ぼしてしまう。国をつくるのに40年、国を滅ぼすのに40年、語呂合わせのようですが、そういう結果うんだのです」と。昭和という時代は、明治の人達がつくってきた近代国家を壊した時代であったのだ。
 昭和の不幸は明治に日露戦争に勝って、満州手に入れてしまったところから始まった。その満州経営から日本は国民、政治家、軍人、マスコミがいい気になりすぎたのである。特に国民やマスコミの戦争責任を冷静に考えないといけない。戦争を起こしたのは政治家、軍人なのだから、彼らにその責任をすべて押しつけて、我々国民がのうのうとしているところがあるけれど、少なくと彼らをあおったのはマスコミであり、支持したのは国民であったのだ。
 特に国民の無知ぶりは、それが日本人の国民性によるところが大きいのだろうが、あまりにも自分勝手であった。何も冷静に理解できず、ただ感情に流されて、熱狂してしまったところが、結局不幸な戦争へと自分たちを追い込んでいく。昭和のこの時代、国民全体が集団ヒステリーの状態になってしまったのである。 半藤さんは明治の政治家や軍人が40年かけて国を作ってきたといっているが、結局それは国民性の成熟を作り上げなかったところに問題があったのではないだろうか。当時の指導者たちが、国民は無知だから、せめて自分たちがしっかりして、国民を指導していかなければならないという奢りから、そもそも明治という国はスタートしているのだ。だから国民はいつまでも江戸時代のままであった。いってみればそれが昭和のこの時代にも続いている。いやもしかしたら今でもそうかもしれない。
 それはともかく、そこへ無能で、自分たちのことしか考えない政治家、軍人が、国民の無知を利用して、日本という国を戦争へと追い込んでいくのである。もちろんりっぱな政治家、軍人もいただろう。けれど当時指導部にいた政治家、軍人はひどい人物ばかりであった。こんな奴らに日本を任せていたのだから、戦争が起こって当たり前と思わざるを得ない。

 ところでかねがね不思議に思っていたことがある。こんな無能な政治家や軍人たちに囲まれた昭和天皇はどうしていいように利用されてしまったのだろうと。はっきり言って昭和天皇もぼんくらだったのではないかと思っていた。(というのも私が知っている昭和天皇はあのぼけた感じの天皇しか知らないから余計なのだが)
 でもこの本を読んで天皇がどうして無能な政治家や軍事たちの言いなりになってしまったのか分かった。
 1928年の張作霖爆殺事件で当時の田中義一首相は国際的な信用を保つために容疑者を軍法会議によって厳罰に処すべきと主張したが、陸軍の強い反対にあい果たせなかった。このことが昭和天皇を怒らせ、内閣総辞職となり、混乱を招くこととなる。ここから天皇は政治に口をはさむべきではないということになり、「この事件あって以来、私は内閣の上奏する所のものはたとえ自分が反対の意見を持っていても裁可を与える事に決心した」と昭和天皇に言わせるのである。 ここから物言わぬ天皇、沈黙の天皇が生まれた。つまり内閣が決めたことを無条件で裁可する姿勢をとっていくことになるのである。私たちが知っている「あっ、そう」という姿勢がこのとき出来上がったのかも知れない。
 半藤さんはこの本ではかなり昭和天皇に好意的な態度で接している。昭和天皇は戦況悪化をかなり具体的に把握しているのだけれど、閣議で決めたことを不満や疑問、あるいは反対意見を持っているにもかかわらず、黙認していくのである。結局戦争を終結するにあたり、最後の最後になって「聖断」を下しただけであった。天皇であり、大元帥陛下が何も文句をいわないもんだから、軍部は好き放題の状態で、当然この状況を歓迎するに決まっている。
 そこへもってきて、五・一五事件が起こり、犬養首相が殺害され、斎藤実海軍大将がその後を継いだ。斎藤内閣はもう政党などにかまっていられなくなり「挙国一致内閣」を組閣する。これは政党以外でも国を思う人達を集めて組閣された。ということは、この時点で政党政治の息の根が止められ、軍人の暴力が政治に君臨し始めることになった。
 その後二・二六事件が続き、広田弘毅が首相となる。彼は「軍部大臣現役武官制」を復活した。これは陸軍大臣、海軍大臣が現役軍人しかなれないとしたもので、陸軍や海軍が「ノー」といえば大臣ができない。陸軍大臣や海軍大臣がいなければ組閣ができないので、その時点で内閣は倒壊することになる。従って内閣を潰すも作らないのも軍の思うままになり、政治に介入するための「伝家の宝刀」を軍が握ったことになるのである。
 その上広田弘毅首相はドイツと「防共協定」を簡単に結んでしまった。これが後の「日独伊三国同盟」へとつながっていくことになる。

 実を言うと、広田弘毅首相はこんな政治家だったとは思わなかった。というのも城山三郎さんの『落日燃ゆ』を読んだことがあったので、広田弘毅首相は戦争を回避したかった文官であったと思いこんでいたからだ。だから戦後A級戦犯として断罪されたのを他の軍人たちとはちょっと違う、あるいはA級戦犯ではなかったのではないかと思い続けていた。
 最近靖国問題でA級戦犯合祀の問題で、広田弘毅首相のお孫さんだったと思うが、広田弘毅首相を靖国神社に合祀されることを反対していたという記事を読んだことがあるが、それを読んで「そうだろう」と広田弘毅首相は他のA級戦犯とは違うはずだから思い続けていた。それらはすべて城山三郎さんの『落日燃ゆ』の影響による。
 しかし半藤さんは「城山三郎が小説『落日燃ゆ』で非常に持ち上げたためたいへん立派な人と広田さんは思われているのですが、二・二六事件後の新しい体制を整えるという一番大切なところで広田内閣がやったことは全部、とんでもないことばかりです」と断罪するのである。それがこれであった。思わずこれを読んでそうだったのかと、思い知らされた。一人の作家の作品で、もしかしたらとんでもない間違った歴史を覚えていたのかも知れない。正しい歴史認識を持つことが如何に難しいか分かった。

 とにかくこの後軍部の独走が始まり、日本は戦争へとどんどん進んでいく。しかも軍部にいる人間の能力のなさ、情報収集力のなさ、勝手な思いこみで、日本全体が戦争へと巻きこまれていく。「戦争が終わってしばらくは、日本の死者は合計二百六十万人といわれていましたが、最近の調査では約三百十万人を数えるとされています」と半藤さんは教えてくれる。その上で「何とアホな戦争をしたものか。この長い授業の最後には、この一語のみがあるというほかないのです。ほかの結論はありません」といって、この本を終えるのである。確かにそのようである。

評価
★★★

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comments

初めまして。興味深い本をたくさん紹介されていて、一生のうちこの中の何冊読めるだろう?と思ってしまうほどです。

広田弘毅については、私も『落日燃ゆ』を読んで同様に思っていましたが、高坂正堯さんの本に「近衛と広田は無責任で無能だった」と書かれていて驚きました。半藤さんのこの本を読めば、理由がわかるのですね。読んでみようと思います。
また『落日燃ゆ』では冷たく傲慢な人間に書かれていた吉田茂が、『白州次郎 占領を背負った男』では決断力があり情にも厚い広田の親友として描かれていて、kmotoさんが書かれているように、一人の作家の作品で判断してはいけないと感じました。
高坂さんの本をTBさせてくださいね。

 コメントありがとうございます。TBは歓迎いたします。私の本の読み方は、読んでいる本にまとまりがないというか、行き当たりばったりのところがあり、自分でもあきれている次第です。性格がもともと気ままなので、仕方がないとあきらめていますが・・・。
 ただどんな本であれ、作者が心血注いで書かれたものであろうと思いたいので、自分なりに読んだ本に関してはできる限り真摯でありたいと思っています。これからもお付き合い願えるなら、たまにはのぞいてください。

  • kmoto
  • 2007年06月28日 12:33

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