2006年09月17日
半藤一利著『昭和史』戦後篇
前回の続きである。話しはいきなり始まっちゃうのだが、半藤さんは平和の兆しが見え始め、昭和26年サンフランシスコ講和条約が結ばれ、翌27年平和条約が発効された頃でも「戦争から占領時代にかけての依然として消えない”傷跡 ”のようなものが、社会の至る所に残っていました。見れども見えず、まあできるだけ見えないようにしていても、ちゃんとあったのです」と言う。この文章を読んでふと思い出したことがあるので、それを書きたい。
子供の頃よく浅草に連れて行ってもらった。仲見世通りを通って、浅草寺の境内に入り、その横にある花やしきで遊んだ。その浅草寺の境内に片足のない傷痍軍人が松葉杖をついて、アコーディオンを弾き、物乞いをしていたのを思い出したのである。子供の頃は戦争で足を戦争で失い、生活に困っていて、物乞いをしていると純粋に思っていた。でもなんだかものすごく怖く感じて、そこを通るのが嫌であった。
後で何かで読んだのか、それとも誰かから聞いたのか覚えていないが、その傷痍軍人は片足がないのではなく、ないように見せていたのだと聞いたことがある。つまり、膝から先を折り曲げてひもで縛って、さも片足がないように見せていて、物乞いが終わったらひもをほどいて、足を伸ばしているらしいと。そもそも軍人であったかどうか疑わしいらしい。
私は「もはや戦後ではない」という言われた昭和31年生まれだが、私が見たこの光景は昭和30年代後半のことだった。今にして思えば、その光景が半藤さんいう”傷跡 ”だったのではないかと思ったりする。
ところでこの本(平凡社刊)を読んでいて、戦争が終わり、ただでさえもののない時代に、復員兵が日本にあふれ、食うに困る時代の様子が書かれている。
そういえば、開高健さんの自伝小説『青い月曜日』(下の写真は昭和44年初版のもの。単行本は多分絶版だと思う。文春文庫で読めるんじゃないかな)には戦争中、特に戦後の食糧難のことがすさまじい感じで描かれている。長くなるけどちょっと引用してみる。
「もう三ヵ月近くなるが、誰も私が昼飯を食べないことに気がついていない。誰にも洩らしたことがないし、気どられたこともない。誰も知らないうちにこっそりと教室をぬけだして水を飲みにいき、なんとなく歩きまわって時間をつぶしてから教室へもどる。誰にもこのことを知られたくなかった。知られまいとして私はひそかに、めだたぬ、必死の工夫をこらしてきた。なにかしらそれははずかしくてならないことだった。貧しいことは私とはまったく関係のないことである。私はよく知っているが、私が昼飯がわりに毎日水を飲まねばならないことと私自身とは何の関係もなかった」
「ひたかくしにかくしつづけたつもりだったが、体から匂いがたつらしかった。ある日、水を飲んでから教室にもどると、机のなかに新聞包みが一個入っていた。なにげなく手をふれると、柔らかく重いものに指がさわった。あけてみなくてもわかった。瞬間、私の体のなかで、とぼしい血が逆流した。髪まで熱くなった。私はたちあがって教室をでた。廊下へでてどこへいこうか迷っていると、誰かが迫ってきた。尾瀬であった。教室の遠くから彼は私の後姿をじっと注視していたもののようであった。
『・・・・お、おれ』ははずかしさに顔を赤くして彼は口ごもり、いま私の机のなかからぬきとってきた新聞包みを持てあますようにして、つぶやいた。
『何もいわんと、とっといてくれよ。な、たのむ。気にせんといてくれ。おれとこはおやじもいて、何とかやっていけるんで、おふくろが今朝持っていけというたんや。大したもんとちゃうねん。たのむよってに、な、とっといてくれよ。お、お、おれ・・・・』
彼は唇までおちる青ッ洟をすすりすすり、嘆願するようにささやいた。私の手のなかに新聞包みをおしこもうとした。私が力弱くおしのけようとすると、彼は、お、お、おれとどもり、牛のような眼をどろんとにごらせた。生まれてはじめての経験に彼は狼狽し、圧倒されて茫然となっていた。傷ついた、暗い、熱い眼を彼は私からそらすのに苦しんでいた。その眼に私は自分の眼を見たような気がした。
『た、た、たのむ。な』
彼はパンの包みを私の手のなかへぶざまにおしこみ、逃げるようにして教室へ消えた。鐘がどこかで鳴りだした。熱い汗が霧のように眼にたちこめていた。私はパンの包みをかかえたまま、茫然と、階段をおりていった」
終戦直後学校が始まっても昼飯の弁当を持っていくことができない開高さんは昼飯の時間になるとそっと抜けだし、水を飲んでお腹をふくらます。それを「トトチャブ」というらしい。
友人が開高さんが水を飲んでお腹をふくらませていることを知って、パンを渡す。それがこれであった。水を飲んでお腹をふくらませなければならないほど貧乏であったことを恥ずかしく思っていただけに、突然友人からパンを受け取らなければならなくなったとき、どのような反応をしていいのか、ただ茫然自失の状態になってしまう。そしてパンを渡す友人もどのようにパンを渡していいのか分からないだけに、無理矢理手渡すしかなかった。
この小説は戦後著者がどのように生きてきたか、当時生きることの難しさを教えてくれる。
さて、こうして国民が食べることをなんとかしなければならない時代であったとき、憲法改正が叫ばれた。私は今まで終戦後憲法改正が平和憲法の公布、主権在民等、国民のためのものだと思っていたけれど、どうも違うようである。それが急がれたのは、天皇の戦争責任を回避するためのもであって、いかにして天皇が東京裁判の法廷に立たないようにするか、GHQはもちろん、国を挙げて取り組んだのが、憲法改正であった。
前作を読んでいると、天皇の戦争責任はどう考えても免れることができないものであったことが分かるが、天皇に戦争責任を押しつけてしまうと、日本そのものが混乱を極め、GHQはうまく日本を統治できなくなることが分かっていたし、戦後残った政治家も絶対に天皇に戦争責任を問うことはさせたくなかった。敗戦で戦争が終わっても、天皇は別格であったのだ。
日本はポツダム宣言を受諾する時に、「国体つまり日本の国柄が変更されないことを条件として降伏する」と主張し、それを受け入れた。国体とは、簡単にいえば明治憲法にある天皇の国家統治の大権をいう。つまり、明治憲法の第一条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治スル」と、第三条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」、第四条の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」というやつである。
GHQはいくら何でもこれをこのままにはしておくことはできるはずがない。このままにしておけば天皇の戦争責任までいやがうえにもいってしまうのである。そしてあくまでも天皇の戦争責任は問わないということが前提にあるので、どうしても憲法改正はしなければならなかったのである。
ところで一方で、戦争責任者は裁かなければならない。それが逮捕、公職追放となった。特に東条英機はぶざまであった。MPに逮捕されそうになると東条はピストルを胸に撃って自殺をはかるが未遂に終わる。本当に死ぬ気なら口にピストルをくわえて撃つか、頭を撃てば確実に死ぬはずなのにそうはしなかった。すぐ米軍手で病院に運ばれ一命を取り留める。東条は「生きて虜囚の辱め受けず」という「戦陣訓」を発令した本人なのだ。当時の日本人はこれを聞いてがっかりしたという。
近衛文麿にしても、遺書に自分が戦犯に選ばれたのは中傷するやつらがいたからで、あるいは流言蛮語の結果だ。要するに日本人のいやらしさが背後にあるからだといい、自分は裁かれることに堪えられない。国民はいつか冷静さを取り戻せば、自分の志が分かってくれるだろう。だから米軍の判決など受け入れない。神の判決のみ受け入れるといって、服毒自殺をしてしまうのである。
前作で当時の軍部幹のは無能ぶりが明らかにされたが、その後も無能だけでなく生き方すべてがぶざまであった。こんな奴らが日本を戦争へと導いていったのである。
閑話休題
松本清張さんの著作に『日本の黒い霧』(これも文春文庫にある)というのがある。これは戦後起こった不可解な事件、たとえば「下山事件」(当時の国鉄総裁であった下山さんが轢死死体で発見された事件)や「三鷹事件」、「松川事件」(これらはあったかなぁよく覚えていないけど・・・。また「帝銀事件」はあったと思う。)とにかく戦後起こった不可解な事件を推理作家として事件を推理したものである。しかしこの本は昔読んだことは読んだのだけど、記憶にあまり残っていない。というのもこれら国鉄関係の怪しい事件(帝銀事件は別)がどうして起こったのかその背景が分かっていないからだ。
しかし半藤さんのこの本を読んでその事件の背景がよく分かった。戦後経済復興のためには余計な経費(余分な労働者)を削ることを、官民そろって迫られた。(ドッチ・ラインという)公務員も労働者もどんどんクビを切られていく。特に最初に目を付けられたのが国鉄であった。こうなるとGHQのすすめで作られた労働組合は黙っておらず、人員整理の旗頭であった下山総裁が狙われたのではないかというものである。そしてその後に起こる「三鷹事件」、「松川事件」もこうした背景があって起こった事件だったらしい。今頃分かったのだけど、やっぱり歴史的背景をきちんと押さえておかないと、事件や事故だけを取り出してみても、よく分からなくなるいい例かもしれない。
憲法改正、平和条約締結等、天皇問題は昭和34年あたりで落ち着いた。そしてこの後日本は国家のグランドデザインをアメリカの核の傘下の下に入ることで、「軽武装・経済第一の貿易通商国家」として進んでいく。その中で、平和と民主主義をめぐる政治闘争が始まる。戦後食うことに困り果てていた日本人は、自分たちが生きることが精一杯だった関係で、政治に目を向ける余裕がなかったが、ある程度経済的余裕ができはじめてくると、日本の政治に目を向けるようになっていく。
そんなとき、A級戦犯で逮捕された岸信介が総理大臣となる。岸は強力な憲法改正・再軍備論者であったので、戦後アメリカから押しつけられた憲法、安保条約をもっと日本の立場がもっと強く出るように変えるべきだという姿勢をとる。つまり、「軽武装・経済第一の貿易通商国家」ではなく、「戦前の大日本帝国の栄光を取り戻すこと」をめざしたのである。
ところが日本国民は平和はいいもんだと実感し始めた頃であったので、憲法改定は難しいと岸は思い始めた。そこで安保改定をして日本の立場を強く主張しようと乗り出すのである。その主張は、アメリカと日本は対等でなければならないし、基地を貸す以上、アメリカは日本の防衛を義務として本気でやってもらわねば困る。その代わり日本もアメリカに全面協力をするというものであった。ここに日本が再軍備化がクローズアップされていき、平和はいいもんだと思っていた国民はこれを問題視するのである。いわゆる60年安保闘争である。
しかし条約は批准され、岸はその直後退陣する。安保闘争はこの後急速に終焉し、安保闘争に参加した学生は「デモは終わった、さあ就職だ」、「終わった、終わった、さあ働こう」と彼らが働き蜂になって一所懸命働き出す。そこへ池田勇人が総理大臣となり「所得倍増論」打ち出し、日本人はがむしゃらに働きだし、高度成長時代を生みだしていく。日本は戦後、アメリカの保護の下に「軽武装・経済第一の貿易通商国家」をめざすことをもともと基本姿勢にしていただけに、60年安保闘争は一種の「ガス抜き」だったのだ。そしてその姿勢は現在も大して変わっていないだろう。
この本はまだ歴史が確定していないという理由で、後17年分残して昭和47年で話を終える。確かに現在に近くなればなるほど話を急いだ感じがしないでもない。2冊で千頁以上の本だったけど、それでも戦前、終戦後の経緯はよく分かった。
私の話がふらふらしてしまって、まとまりがなくなってしまったが、こういう通史を読んでいると、あぁ~、あれがそうだったんだ!と思うことが多くて、ついつい思い出すままに書いてしまった。私の頭の中にあったバラバラな記憶がこの本を読むことでつながった快感があったことだけでも分かって頂ければいいのだけど・・・。
評価
★★★
- by kmoto
- at 21:51
comments
>>私の頭の中にあったバラバラな記憶がこの本を読むことでつながった快感があったことだけでも分かって頂ければいいのだけど・・・。
そういう瞬間って、ありますよね!!よくわかります。ライフサイエンスの分野でも、頻繁に感じてます。うんうん。
ところで、kmoto さんの文章で、『コレは!使える!!』って、目から鱗が落ちるくらい感動してしまった記述があります。
それは、『松本清張さんの著作に『日本の黒い霧』(これも文春文庫にある)というのがある。・・・・中略・・・・・今頃分かったのだけど、やっぱり歴史的背景をきちんと押さえておかないと、事件や事故だけを取り出してみても、よく分からなくなるいい例かもしれない』の部分です。
私のブログのエントリーで、プロスペクティブとレトロスペクティブの喩えをしているのですが、なんか、自分で気に入りませんでした。ツボを抑えきれてないっていうか、ぜんぜん、巧い喩えになっていない・・・。
こんな“やぶにらみ”で kmoto さんの文章を読んでしまって申し訳ないのですが、この感覚が、まさに、レトロスペクティブなんですよね。事件の背景を、それを説明する為にそれより過去の一番納得できる事実に求めるということが。事件の実行犯の動機は、全く違った理由だったかも知れず、そのような背景を利用しただけかもしれないのに。
そんな実行犯の動機などを超越した次元で『このような政策が、事件を引き起こすのだ』とするには、プロスペクティブな試験をしなければなりません。(実行犯の直接の動機に、もっともっと深いところで、実行犯も意識しないくらいのところで、影響を与えたかもしれませんし)
すなわち、実験的にこのような政策を実施し、同じ事件が起こるかどうかを検討することです。そして、その実験には必ず“対照実験”が必要です。すなわち、その政策を実施しなかったときにどうなるか?です。
日本を半分に区切り、お互いがお互いの政策環境を知らないようにし(当人たちにも具体的な政策を言葉で伝えない)て、尚且つ、その判定をする人もどちらの地区がどちらの政策を実施しされているのかを知らないようにするプロトコルの元でです。(ダブルブラインド試験と呼びます。判定する人が条件を知っていると、その原因を“その政策のせいだ”って思い込んでしまうからです。昔、痴呆の治療薬をプラセボを対照としてダブルブラインドで実施せずに、治験を行なった医師の『効果があるはずだという』主観で、判断してしまった苦い経験があります。)
この試験で、政策を実施した側に事件が起き、実施しない側に事件が起きなかった結果が得られたときに初めて、『このような政策が、事件を引き起こすのだ』と言える事になるのです。(だから、現実的には実証不可能です。)
kmoto さんは、このように歴史的事実を理解し納得した条件のもとでも、『歴史的に、このような政策が、このような事件を引き起こすのだから、今後は・・・すべし』と言ってないのが素晴らしいです。以降の文章でもしかりですね。ともすると、このような独自の解釈の元で、将来をどうのこうのと政策にまで言及する、あるいは、したがる輩が多い中、kmoto さんは、歴史を十分に楽しんでおられます。
さすがに、歴史の専門家(史学部卒)ですね!
実は、私も「下山事件」などの歴史的背景、初めて知りました。溜飲が下がりました。今後もこのような歴史もの、楽しみにしています。