2006年11月15日

司馬遼太郎著『街道をゆく』24巻

2006_11_15_01.jpg


 今回は「近江散歩」と「奈良散歩」である。何故散歩なのかよく分からないが、近江はこのシリーズの一番最初に旅されている。で、今回は近江(琵琶湖)の東側を歩かれている。

 近江は「近江門徒」の土壌で「近江商人」発祥の地でもある。面白いと思ったのは、日本語に「させて頂きます」という言い回しがある。たとえば「帰らせて頂きます」とか、「あすとりに来させて頂きます」、「お陰様で元気に暮らさせて頂いております」とかいった言い回しである。この語法は浄土真宗の教義から出たものらしく、浄土真宗においては、すべては阿弥陀如来(他力)によって生かして頂いているという考え方から生まれている。つまりこの言い方は阿弥陀如来という絶対他力を想定しないと成立しないのである。だからそれによって「お陰様」でという概念が生まれるし、「させて頂く」となるのである。この語法が近江商人が京や江戸に進出したことによって残ったのだという。

 この地域は織田信長が生まれた美濃に近い関係で信長の記述と、関ヶ原があるので徳川家康の記述多い。昔読んだ司馬さんの『国盗り物語』、『新史太閤記』、『関ヶ原』、あるいは山岡荘八さんの『徳川家康』などを思い出し、懐かしくもあった。
 それにしても、信長以前の浅井長政や朝倉義景は既存の地位にあぐらをかいて信長を馬鹿にすること甚だしく、新興勢力を甘くみていた部分や時代が変わりつつあることが認識できていなかったことがよく分かる。長政の家臣は信長が恐ろしい勢力になることを見抜いていた者もいたが、その家臣の意見を聞かなかった。
 長政の妻はご存じの通り、信長の妹お市の方であるが、お市の方は3人の娘を生んだ。まず茶々が淀殿になり、豊臣秀頼を生み、於初が京極高次の妻になり、於江は徳川秀忠の妻となり、三代将軍家光を生む。司馬さんは「そのことを思うと、北近江の山城閨室を共にした若い長政とお市という夫婦は、血液をもって日本史に参加したことになる」という。まさしくその通りである。
 それはそうと、恥ずかしながら私は安土城が琵琶湖のほとりにあったことを初めて知った。それまで私は安土城は信長の生まれた土地の美濃にあるものとずっと思っていたのだ。でも、よく考えてみれば、美濃より近江の方が立地条件がいいのは当然だ。

 「奈良散歩」に話を移そう。たとえば京都と奈良のどちらかに行けるとなったら、やっぱり京都の方に魅力を感じるのではないだろうか?司馬さんは言う。「(奈良は)おそらく首都が山城の平安京にひっこして以来の南都のさびしさというものが、沈殿して伝承しているとしか思えない。東大寺や興福寺は中世のヨーロッパでいえば大学であったが、しかし京においては層のあつい知的集団が形成されたのに対して、奈良は時とともに田舎になった。(略)
 首都が東京に移った明治後は、京都がさびれた以上に奈良はさびれた。東大寺や興福寺は寺領をうしない、その門前町としての奈良は江戸期以上に零落した」と。たぶんこれが奈良に対する我々の感情ではないかと思える。
 東大寺は華厳思想に心酔する聖武天皇によって建立された寺であるが、それが今でも、そんな状態であっても、すぐれた建造物を千数百年にわたって守り抜いてきたこの町の精神はものすごいものではないかと思える。
 司馬さんはここで「奈良が大いなるまちであるには、草木から建造物にいたるまで、それらが保たれているということである。世界じゅうの国々で、千年、五百年単位の古さの木造建築が、奈良ほど密集して保存されているところはない。奇跡といえるのではないか」とさえいうのである。
 奈良の都市設計は中国の長安の強い影響を受けている。ところが今の中国では当時の長安の面影はほとんど残っていない。奈良がこの後さびれていき、そのままの状態で残らざるを得なくなったことが、かえって当時のままで現在まで残ったことになった。だから司馬さんは「奈良はある意味では、長安の都が冷凍保存された存在ともいえる」という。
 しかしただ置き捨てられたことが、当時のままの奈良を残したとは言い切れない。たとえば、東大寺の修二会(お水取り)が連綿と千数百年も繰り返し行われてきたのは、伝統いうしんがあったからで、それが「文化」なのだというのである。
 「文明」と「文化」を司馬さんは次のように言う。「人間のくらしには『文明』と『文化』がかさなりあっている。『文明』は普遍的で便利でかつ合理的なものだが、つねにそれに裏打ちされている『文化』は、どの国あるいは集団でも不合理なものであり、逆にいえば不合理でなければ『文化』でありえないのではないか。それに堪えて、不断にくりかえすというところに、他とちがった光が出てくるともいえる」と。だから「この場合、文化の定義は、仮に『その集団を特色づける歴史的神聖慣習』としておきたい」と言い直して、奈良における「伝統というしん」に敬意を表するのである。
 ここまでいわれるとちょっと奈良という地域を見直したくなってしまう。


 『街道をゆく』24巻の「近江散歩」は週刊「街道をゆく」の2巻に、「奈良散歩」は週刊「街道をゆく」の16巻に収録されている。

trackbacks

trackbackURL:

comments

comment form

(どんなことがあっても、本が好き にはじめてコメントされる場合、不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。)

comment form