2007年02月26日
大鹿靖明著『ヒルズ黙示録・最終章』
この本は、ライブドア・村上ファンド事件を取り扱ったルポである、と思い、それがこの本を購入した目的だったのだが、読んでいるうちに違う様相を呈してきた。この本はこの事件を通して東京地検特捜部の捜査方法批判した本だったことを知る。
東京地検が堀江貴文を逮捕したのは、「偽計と風説の流布」という理由からだけど、最初こんなしょうもない罪状で東京地検は動くのかと正直思った。天下の東京地検特捜部が動くのだから、きっと他にもっと重大な事件があるものだと思っていたが、どうもそれ以上の罪状で起訴していないところみると、いったい何だったのだろうかと思っていた。
その疑問をこの本は答えてくれている。特捜部と証券監視委が躍起になって調べていたのはライブドアのマネーロンダリング疑惑であった。何故ライブドアのマネーロンダリングを疑っていたかというと、当時の証券監視委の特別調査課長の佐々木清隆は金融監督庁の検査企画官だった1999年に不良債権飛ばし商品を販売していたクレディ・スイス・グループに本格的な捜査のメスを入れた。というのも、山一証券や北海道拓殖銀行が不良債権を隠蔽する目的のため、クレディ・スイス・グループの飛ばしデリバティブを利用していたからである。そしてライブドアもクレディ・スイス・グループを使った錬金術をしていた。そのため佐々木は「外資の不良債権隠蔽ビジネス」を放置できないと考えていたのだ。
面白いのは、この当時の佐々木のパートナー検事が後の東京地検特捜部長の大鶴基成で、刑事告発を後押ししたのが、後の検事総長松尾邦弘であり、この三人がライブドア・村上ファンド事件でも連携していったのである。ここからこの両事件の「見込み捜査が」始まったといっていいようだ。
堀江らを逮捕しても思うような供述が得られないと、地検は何をしたかというと堀江の「合コン」好きに目をつけ、強制猥褻、強姦、淫行、買春の疑いがないかまで調べたという。
更に、村上世彰の摘発は、松尾検事総長の退任の花道を演出するために行われたともいう。思わず「えっ、ホントかよ」と疑いたくなってしまった。
検察は、捜査の段階で、ライブドアのナンバー・ツー宮内亮治、幹部である中村長也の業務上横領・背任疑惑を知っていながら、それを隠蔽し、その代わり検察が描く「堀江主犯のシナリオ」に沿う供述や証言をさせた可能性が高いという。
そもそも証拠に基づいて捜査が行われているものと一般的には思われているが(またそうでないと困る)、特捜部の捜査の実態は、あらかじめ「スジ読み」されたストーリーに沿って、証拠や供述を取ってきて、それをパズルのように組み立てるものなので、今回のこの両事件も東京地検特捜部によってかなり作られた部分がうかがえるというのだ。著者はこれは東京地検特捜部の捜査手法の限界の表れだという。今司法制度改革が進み、弁護士の数が飛躍的に増え、裁判員制度も採用されるほど、弁護士と裁判所が変わろうとしているなか、時代に取り残されたままなのが検察庁だと言い切るのである。
どうして時代に取り残されてしまったのかというと、「選挙違反や贈収賄で脛に傷を持つ政治家は、触らぬ神にたたりなし、と手をつけない。談合や粉飾が横行している経済界も何も言わない。ネタもらいに汲々するジャーナリズムはめったに批判しない。それどころか、戦時の従軍記者のように、過剰に戦果を書きたてる。批判がない組織は、自制がない。霞ヶ関のアンタッチャブル、東京地検特捜部はまるで現代の『関東軍』のようだった。いったん暴走すると誰も止められず、しかも誰も責任をとらなかった。検察を抑制する仕組みが不在なのは問題だ」と言い切る。確かにこの事件が、著者の言う通りなら、これはかなりやばい状況だ。「巨悪を許さず」はとうの昔のことなのだろうか?
検察批判もこのように考えさせられるところがあったが、いったいライブドア事件は一体何だったのだろうか?そもそも堀江貴文という人物はどんな実像をもつ人物なのか。
著者もライブドアを「チンピラ集団」と断じている。堀江に至っては、「着眼力に優れ、蛮勇ともいえる勇気はあるものの、それを安定的なキャッシュを生みだすビジネスに転化させていく具体的な戦術には乏しかった。通常の会社では当たり前な中間管理層が育っておらず、個々のビジネスをマネジメントする層が乏しかった。ライブドアが手がけた新規ビジネスの多くが、当初の思いつきはそれなりによかったものの、結果的には撤退したり、低迷したりしているのは、そうした理由が挙げられる。堀江に最も欠けていたのは、大組織をマネジメントする経営能力だった」と言うのである。
ライブドアが東証マザーズに上場してから、しばらくの間業績が伸び悩んだ。ホームページ制作に代わる事業の柱が見出せずにいた。そこへ宮内らがトップの堀江の経営者としての限界を何とかカバーしようとして、「自社株食い」という「禁断の果実」に手をつけた。
その後、コーポレット・ガバナンスを訴える「正義」の顔がある反面、したたかな仕掛けをして株を売り抜ける貧欲なファンドマネージャーという「悪魔」の顔を持つ村上世彰という人物が関わってくる。脱法的なニッポン放送株奪取には村上の知恵に負うところが大きかったはずだ。この時点で堀江は村上が操る「ヒルズの踊り子」に成り下がってしまったのである。
そうした堀江たちを団塊の世代以上の人たちは嫌ったのである。彼らの逮捕はそれを物語るし、密かにそれを喜んだのだ。何故なら額に汗してお金を稼がない彼らの金の儲け方に胡散臭い部分を感じていたし、人が稼いだ人のお金を使って儲けていると思っているたところがあったはずだからだ。(それでいて自分ではせっせと金儲けのために投資する) ライブドア事件は「この国の最大の対立軸のひとつが『世代間闘争』であることを改めて見せつけている」と著者が言うのも、ここまで読んでみて、納得できるものがある。
莫大な借金を抱えたまま、人口が減少するこの国で「額に汗する人」だけでは国際競争には勝てない。それに反旗を翻した堀江や村上を(手法や能力には問題はあったかもしれないが)団塊の世代以上の人たちは、ありもしない罪をかぶせて切り捨てたのである。そして自分たちは国富を使い尽くし、莫大な退職金や年金を手にし、自分たちの子供に「貧乏国家」で暮らすことを強い、あるいは官庁や企業にそのまま居座ることで、子供たちにフリーターやニートになることを強いているのだ。多分これがライブドア事件が持つ、別の顔なのではないだろうか?
書誌
書名:ヒルズ黙示録・最終章
著者:大鹿 靖明
ISBN:9784022731135 (4022731133)
出版社:朝日新聞社 (2006-11-30出版) 朝日新書
版型:222p 18cm 新書 判
販売価:777円(税込) (本体価:740円)
評価
★★★
- Permalink
- by kmoto
- at 20:43
- Comments (0)
- Trackbacks (0)