2007年03月26日
司馬遼太郎著『街道をゆく』35巻
今回は「オランダ紀行」である。ここで何故オランダなのかという疑問がわく。日本史との関係でいえば、オランダは確かに関係が深い。江戸時代、鎖国の中、オランダとは長崎の出島で交易をしていた関係であった。司馬さんは長崎の出島を「暗箱にあけられた針でついたような一つの穴であった」というが、まさにその通りで、その針穴からオランダが日本に影響を与えた。
だから司馬さんがこの地を訪れるのも分からないわけでもないが、ここではそうした日本との関係を無理に求めていない。(後半の「日蘭交渉史・私記」で荻生徂徠の思想に強引に求めている気配はあるが・・・)オランダといういう国がどんな国であったか、この紀行で感じている。
「オランダ国の地面は火山がつくったわけでもなく、地殻変動によってできたわけでもなく、すべて人によってつくられたのである」と干拓事業で興った国であることからはじめ、この国がプロテスタントの国であることから、その精神がこの国を特徴つけていることを書きつづる。司馬さんはこのプロテスタントを信仰することで「神ほどはげしい電流はないが、それを在来ののように教会という変電装置を通さず、個人が神にいきなり結びつくという思想的装置だった。当然ながら、個人にはげしい電流がながれこむ。この電流をうけとめるために、個人は前時代とはくらべものにならぬほどに、自律的になり、信仰生活は敬虔になり、さらには欲望についても、くらしのすみずみまで倫理的になった」と規定する。そしてこの精神を受け入れたことで十七世紀オランダが「殺風景にいえば、オランダの自由やら許容性やら市民的権利は、ひとえに金もうけという実利から出発したといえなくはない」といえるほど、どの商業も灰神楽がたつように忙しく、人手が足らないくらい、人口百五十万人でヨーロッパ第一の国民所得を誇るまでになった。
ただ、カネがカネを生むという金融の方に浮かれ、技術や製造業をおろそかにしたため、英国との間に工業技術の差が大きくなり始め、イギリスに取って代わられることになる。
前回の「アイルランド紀行」では司馬さんはアイルランドの文学に重点を置いた。今回のオランダでは絵画に力を入れ、この地で生まれたレンブラント、フェルメール、ブリューゲル、ルーベンス、そしてゴッホと語る。私はこれが一番面白かったので、このことを書く。
先ほどいったようにオランダはプロテスタントの国である。オランダがプロテスタントの国になったことはカトリックを否定したことになる。またプロテスタント信仰から、市民が勃興し、それまでの貴族がいなくなる。
このことは画家にとってみれば、教会からの仕事をなくしたことになり、貴族からの依頼もなくなった。つまり、それまでの画家の仕事は教会に飾る聖書物語の絵を描くことであり、貴族やその家族の肖像画を描くことで生計を立てていたが、それが出来なくなった。
更に商人的市民社会の成立は絵画史にも多大な影響をあたえた。商人である彼らは船乗りでもあった。船乗りとして荒海の北海に繰り出す場合、頼るべきものは自分の機敏さ、天候などについての鋭い観察力、操船のための技術など、たえず精神の集中力を求められた。こうした精神風土は「レンブラントの力学的構成力や、微かな光までとらえる描写力、それに人間についての執拗な関心と注意力」にも見られるようになる。
また「商人というのは平素、商品の形や質感に過敏だから、いわば"写実"まみれたひとびとだから、絵がすこしでも、自分の顔に似てないとなると、
『これじゃ、金を払えないよ』
と、言いかねない。商人の世界は、注文した"商品"どおりのものが来なければ、契約違反として突っかえすか、金を払わないというのがふつうなのである」
こんな環境でレンブラント絵は生まれたといっていいかもしれない。レンブラントがレンブラントたる理由はここにありそうである。
バロック美術の大家ルーベンスにしてもそうである。司馬さんはバロック美術についての感想を次のように言う。
「まことに、バロック美術はなまなましい。『聖書』のなかの人物や事件を描いても、聖者の傷口の白い脂肪まで感じさせ、逆さにはりつけされる場面でも、聖者の筋肉や刑吏たちの筋肉が、ただ一つの運動目的にむかい、奔謄するように動いている。
聖なる女性が、しずかな宗教陶酔のなかにいる場合でも、目を天にむけ、むせかえるような性を感じさせる。なんと過剰なことか。
肉体をうかびあがらせるため、明暗が誇張されている。ときに画面から人物が躍り出てきそうな恐怖さえ感じさせる。
『おどろいたか』
というのが、バロックの時代の画家たちのひそかな目的だったのだろう。ときにあからさまな、さらにはしばしば唯一の芸術的衝動だったかもしれない。
ただし、こけおどしではない。
きたえぬかれた技術の結果といっていい」
ただあまりにも過剰な表現は、一方で「ひょっとするとこけおどしではないか」という意識ももたげてくる。そのためただ人間を深い愛情で見つめたブリューゲルやフェルメールの絵がいいと思うやつも出てくる。しかしどちらにしても技術はしっかりしているから、後は好みの問題だろうか?
ルーベンスといえばフランダースの犬である。打ちひしがれた少年ネロとパトラシュが凍死する前にあったのが、ルーベンスによる三連の絵である。
ところでこのフランダースの犬は日本でしか人気がなく、オランダでは有名じゃないらしい。思わずそうなんだと思った。この場面を見るたびにかわいそうだと思うけどね。
最後にゴッホである。どうやら司馬さんはゴッホのファンらしく、その思い入れは激しい。ここで司馬さんの奥さんみどりさんの「ゴッホさんは疲れるね」という言葉がやはり頭に残る。確かにゴッホの絵は見ていると疲れてくる。なぜかとかねがね思っていたのだが、司馬さんがものすごくうまく説明してくれているので、それを引用する。
「ゴッホは、精神を絵画にした。
このことそのものが、異様であった。
それ以前の、たとえば宗教画でいえば、荘厳さとか神秘的光景、または聖母の慈愛、あるいは神に対する敬虔といった心理的情景は絵画によって描写できた。それも一種の"説明"だった。
そういう"説明"からいえば、ゴッホはいわば無茶だった。かれは自分の精神を、絵画で表現しようとした。自己の皮膚を剥ぎ、自己そのものを画面にひろげてみせたのである」と。
そうするしかなかったのである。何故ならゴッホの頃はもう写真機が出現しており、レンブラントのような稀代の写実力を持っていればともかくとして、そうした能力がゴッホにはなかった。だから自分の精神を切り売りするしかなかったのである。これは見る側からすれば疲れる。これがゴッホの絵を見るときに感じる疲労感である。昔から感じていたゴッホの絵に関して感じたことをやっと見出した感じである。
最後にこのシリーズの挿絵を描かれてきた須田剋太さんが亡くなれたことが書かれている(1990年7月14日午後5時28分)。
司馬さんは須田さんが亡くなられたこと、連載開始から20年須田さんと一緒に街道を歩いてきたことしかここでは書かれていない。もし須田さんのことを書きつづれば、きっといろいろなことが思い出されだろうから、わざと短い文章で事実だけを書いたのだろうと思う。
前回の「アイルランド紀行」から須田さんと司馬さんの会話がないなぁと感じていたのだが、司馬さんはアイルランドの気候が須田さんの身体によくないから一緒に来なかったと書いていた。このとき須田さんは体調を崩されていたのかもしれない。もし須田さんが司馬さんと一緒にゴッホの絵を見たらなんと言っていただろうかと思う。残念である。
『街道をゆく』35巻の「オランダ紀行」は週刊「街道をゆく」の54巻、55巻、56巻に収録されている。
書誌
書名:街道をゆく〈35〉/オランダ紀行
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784022562579 (4022562579)
出版社:朝日新聞社 (1991-03-10出版)
版型:497p 19cm(B6)
販売価:2,310円(税込) (本体価:2,200円)
- by kmoto
- at 20:34
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