2007年06月29日

「サライ」2005年11号(小学館)

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 このサライという雑誌はいい雑誌だと思っていた。いわゆる趣味の雑誌、大人の雑誌といった感じで、昔から気になっていた。内容も特集によってがらりとイメージが変わる。

 最近喫茶店らしい喫茶店がなくなってきて、コーヒーを飲みながら備え付けの新聞や雑誌が読めなくなってきているが、たまたま入った昔ながらの喫茶店らしい喫茶店入ったら、置いてある雑誌にサライのバックナンバーがかなりの冊数で置いてある。私はコーヒーを注文するよりも先に、この雑誌を取りに行ってしまったことがある。
 もうおわかりかと思うけど、この店はどうやらここのマスター個人でやっておられる店のようで、内装もちょっと凝っていたりする。もちろんコーヒーはサイフォンで入れてくれる。
 そういえば今私が通っている病院の待合室にもサライが最新刊と数冊のバックナンバーが置いてあって、月に1回行くと、待っている間、この雑誌を読ませてもらっている。院長は頑固で、口うるさいのだが、さもサライを待合室に置くような人でもあるので、結構ダンディな感じの先生だ。

 さて、そのサライが時々作家の特集を組むことがあり、今回夏目漱石の特集号を読んでみた。特集は三部構成なっており、第一部が「2500通の手紙から読み解く自画像」、第二部が「吾輩は、団子と落語と体操を愛す」、第三部が「名作を巡る旅・・・松山、熊本、修善寺ほか」となっている。
 内容は大したことはないのだが、この手の雑誌のいいところは漱石にまつわる写真が数多く掲載されていることである。本文よりどちらかといえばこちらの方が気になるくらいだ。
 第一部で漱石が書いた手紙をいくつか紹介しているが、その多さは全集の書簡集の厚さを見ると、思わず納得してしまう。当時は通信手段として手紙が重宝されていたからだろうが、よくこれだけ書けるもんだと感心しちゃう。でもこうして手紙を読んでいると、漱石の自画像というのが、手紙が私的な性格を有しているだけに見えてきそうな感じがする。
 今のような携帯やパソコンのメールは、後々残るものだろうかとふと思った。今の作家の全集など後々出版されたときは、こうした書簡集なんてきっとないんじゃなかろうかと思っちゃう。
 第二部は漱石の愛した料理や菓子など、今も続いているお店とともに写真で掲載してくれている。さすが明治から続いている老舗だから、お店の雰囲気も落ち着いた感じに見受けられるし、料理や菓子もシンプルだけれど、おいしそうと思わず食べてみたいと思った。漱石は下戸で甘党だったというから、こうしたおいしそうな料理や今風にいえばスイーツが好みだったようだ。そういえば漱石は胃弱で、晩年は胃潰瘍で吐血しているが、こんなものを食べていて本当に胃弱だったのかい?と言いたくなった。
 第三部は漱石の作品を巡る旅と称して、漱石の『坊っちやん』『草枕』『倫敦塔』『三四郎』などから舞台となった松山や熊本、ロンドン、東大の三四郎池あたりを紹介している。
 とにかく今回は漱石にまつわる写真を楽しませてもらった感じだ。

2007年06月28日

半藤一利著『漱石先生ぞな、もし』

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 先日本棚の整理をしていて、日記を処分していたら、領収書が出てきた。岩波の漱石全集全巻を当時三和図書大山さんを通じて、古本屋さんで買ってもらったものである。私は漱石が好きで、何度か岩波から全集が出版されるたびに、買おうかどうか迷い、結局買わずにいた。でも当時欲しくなって、大山さんに相談し、大山さんのコネで手に入れた。全17巻を4万円で購入した。たぶん今ならもっと安く手にはいるだろう。

閑話休題
 そういえば後藤君はまだ私のこのブログにつきあってくれているだろうか?後藤君は天金版の漱石全集を買っていたよね。あの本かっこよかった。いつも取り置きしてある漱石全集をうらやましく見ていました。きっとゆったりした気分で読まれているんだろうなぁなんて思っているのですが・・・。もしかしたらそのときの気持ちがいつまでも私の中に残っていて、漱石の全集が欲しいなんて思っていたんじゃないかなんて思うのです。ちなみに私のは通常の漱石全集です。

 漱石の作品はそれなりに読んでいるが、きちんと読んでみたいと思っていたのでこの全集を買った。買った当初2巻までは読んだ。どうしてその先を読まなかったか?挫折したといってしまえばそうなのだが、でもいつもその先を読んでみたいとは思ってはいた。もう少し歳をとったらじっくりと腰を据えて読みたいと思っていたのだ。(なんか言い訳がましいが・・・)
 で、あれから年月もたち、そろそろ続きを読んでみようかなんて、最近思ってはいるが、これに手を出してしまうと、かかりっきりになってしまうので、今は雑学程度に漱石のことを仕入れようと思い、この本を読んでみた。
 読んでいて知ったのだが、半藤さんは漱石の孫に当たる人だったのだ。ネットで調べてみると、半藤さんの奥様は作家の松岡譲さんの四女で、お母様の筆子さんが漱石の長女なんだそうだ。そんな関係で、半藤さんしか知り得ない夏目家の事情が、漱石の作品を通して語られる。読んでいてへぇ~と思ったことをいくつか書き出す。
 まずは「漱石」というペンネームの由来である。漱石の本名は夏目金之助である。半藤さんによると、正岡子規の『七草集』を金之助が読んで、その批評を「漱石」の号を使って書いたのが初めてだという。しかもこの「漱石」という号は元々は子規が使っていたものをもらい受けたものらしい。この「漱石」というペンネームを「俗な号」といっては気に入らなかったらしいが、かといって変えるの面倒だったらしくそのまま使っていたという。
 その「俗な号」の出所は、中国の『蒙求』という書にある故事にあるらしい。それによると、秀才誉れ高い孫楚という男が隠遁を決意し、親友の王済に心境を語るとき、俗世間を離れて自然に親しむという意の「枕石漱流」という言葉を間違えて、「漱石枕流」と言ってしまった。王済はカラカラ笑って、「流れに枕することはできぬ、石で口を漱(すす)ぐことはできぬ。そんなことじゃ隠遁なんて無理だ」と言い放ったという。馬鹿にされた孫楚は「流れに枕するのは耳を洗うためであり、石に漱ぐのは歯を磨くためだ」と屁理屈をつけて反論した。そこから「漱石枕流」はへそ曲がりで負けず嫌いという意味のことわざに用いられるようになった。子規は「漱石」という号をそこから取り、金之助は自分がつむじ曲がりで負け惜しみが強かった自分自身を反省の意味を込めて、子規からこの号をもらい受けたのではないかと半藤さんは推察している。
 さらに面白いと思ったのは、漱石の神経衰弱は有名な話だけれど、漱石が神経衰弱になったのは、徴兵制を回避するために、自分の籍を北海道に移した(送籍)したことによるという丸谷才一さんの文章を引用する。
 漱石は自分は北海道に送籍したことで徴兵制を回避したが(当時北海道は人口が極めて少なかったので、北海道の住民はこの徴兵制の埒外に置かれていた)、そうでなかった者は、その後起こった日清戦争で兵隊に取られ、戦死していった現実を知って、自分は卑怯者だという自責の念にかられ、自分を責め、それがきっかけで神経衰弱になったか、こじらせたのではないかと丸谷さんはいうのである。
 半藤さんはこの送籍が金之助を苦しめ、『吾輩は猫である』を執筆したときに、子規からもらい受けた「漱石」を送籍と引っかけて、使い始めたのではないかと推察している。なぜならそもそも『吾輩は猫である』という作品は、猫を使って人間の馬鹿さ加減を茶化しているわけだから、ちょうどよかったわけだというのである。(もちろんこのことは半藤さんも仮説もいいところだけれどと断っている)でも面白い話だ。
 ところで漱石はロンドン留学でノイローゼになったというのが有名だが、その情報源は当時の文部省だったらしい。もともと官費での留学だったから、1年に1回研究報告書を提出しなければならなかった。漱石はもちろん勉強に励んではいたが、だいたい言葉や風俗習慣が違う異国にあって1年やそこらでまとまるような研究はロクなもんじゃないと思い、無視していた。しかし矢のような催促のため漱石は白紙のまま報告書を送ったのである。
 これを受け取ったお役人は仰天した。まさか五高の夏目金之助教授がそんなことをするわけがない。正気を失ったのではあるまいかということで、すぐ保護して帰国させるべしというのが真相らしい。
 もちろんロンドンでは支給される費用が少なくてかなり苦労していたらしく、「当地にては金のないのと病気になるのが一番心細く候。病気は帰朝まで謝絶するつもりなれど金のなきには閉口いたし候」と手紙に書いている。まして日本とはまったく生活習慣も違う、ノイローゼにちかい症状になって仕方があるまい。
 その『吾輩は猫である』の猫のことだが、実際漱石の家では猫を飼っていたらしい。野良猫が迷い込んできたもので、家人に悪さをしでかしていた。あるとき夏目家に来るあんまが「この猫は福の神です」というものだから占いの好きな漱石夫人の鏡子さんが飼う気になったらしい。小説の猫は1年足らずで作者に溺死させられたけれど、本物の猫の方は長生きしたという。漱石はこの猫が死んだとき知人に次のような手紙を書いている。
「辱知猫儀久々病気の処、療養不相叶、昨夜いつの間にか、うらの物置のヘッツイの上にて逝去致候。埋葬の儀は車屋にたのみ、箱詰にて裏の庭先にて執行仕候。但、主人『三四郎』執筆につき、御会葬には及び不申候。以上。九月十四日」
 この通知を受け取った寺田寅彦は日記に「夏目先生より猫病死の報あり。見舞の端書したたむ」と書いてあるという。明治の大らかさに、思わず笑ってしまった。
 しかしこうして漱石の作品や手紙などを通して明治という時代を見ると面白いものがある。司馬遼太郎さんのいう『坂の上の雲』を目指して懸命に登りつめてきた時代は、新旧混沌としていて、様々な矛盾を抱えていた時代だったんだなと感じる。だからこそ面白いのだが・・・。近いうちに漱石の作品を読んでみようかなぁと思った。


評価
★★


書誌
書名:漱石先生ぞな、もし
著者:半藤 一利
ISBN:9784167483043 (4167483041)
出版社:文芸春秋 (1996-03-10出版) 文春文庫
版型:302p 15cm(A6)
販売価:499円(税込) (本体価:476円)

2007年06月24日

海堂尊著『ジェネラル・ルージュの凱旋』

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 結局何だかんだといって、これで海堂さんの出版されている本すべて読んでしまったことになる。この本は内容から前回読んだ、『螺鈿迷宮』より先になる本みたいだが、『螺鈿迷宮』の方が先に出版されており、前後逆になってしまっている。でも、つきあっているうちに、登場人物に愛着がわいてきてしまい、面白くなっていくのが不思議であった。
 当然今回は東城大学医学部付属病院に話は戻る。東城大学医学部付属病院の救命救急センター部長の速水が特定の業者と癒着しているという内部告発文書が田口公平のもとに届けられたことから物語は始まる。速水は田口と同期であり、速水をジェネラル(将軍)と影でいうように、救命救急センターにとってなくてはならないドクターであり、そのことで救命救急センターに君臨していた。
 だれがこの内部告発文書を書いたのか。そしてこの内容が真実なのか。田口は真相究明に乗り出すはめになる。
 例によって一悶着には乗り気でない田口がいやが上にも真相究明に乗り出さなくてはならなくところが面白い。そして今回も白鳥がその真相にたどり着くための手助けを、いつもの調子でしている。そして味があったのは、田口と一緒にいる、定年退職後再雇用された藤原看護師であった。今回はかなり田口を手助けしている。とぼけたタヌキ院長の高階もいい。結局私は海堂さんのファンになってしまったようだ。


評価
★★★


書誌
書名:ジェネラル・ルージュの凱旋
著者:海堂 尊
ISBN:9784796657549 (4796657541)
出版社:宝島社 (2007-04-23出版)
版型:381p 19cm(B6)
販売価:1,680円(税込) (本体価:1,600円)

2007年06月22日

リリー・フランキー著『美女と野球』

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 この本はブックオフで見つけた。今は河出文庫でも出ているはずだ。でもこの本は悪いけど、老舗の新潮社や文藝春秋からはたぶん出版されないだろうと思った。河出書房だから出版されたのではないか思っちゃった。
 確かに大笑いできる。電車の中で読んでいると笑いをこらえるのが大変だった。とにかく話は下ネタがほとんどで、しかも表現がストレートだから、ちょっと女性には勧められないかもしれない。でも、あまりにもストレートだからか、それともリリーさんの文章の性格からか、話は陰湿で暗い感じが一切せず、むしろあっけらかんとして、乾いた笑いであった。たまにはこういうのもいいかもしれない。
 あとがきによると、この本はリリーさんのデビュー作であったらしいのだが、出版が遅れて、3冊目に出版されたらしい。
 ここにはオカンこと、リリー・ママンキーの話がいくつか出てくる。オカンが近所の潰れた貸衣装屋さんからもらってきたイベント用のタキシードをリリーさん元へ大箱の段ボールで送ってきた話。オカンがガンになり、手術前にハワイに行ったこと。手術後、病室から手鏡を通して見えるライトアップされた東京タワーの話。オカンがみんなで花札を楽しんだ話。など、あの『東京タワー』で出ていた情景がここにもある。
 全体的にふざけた感じで書かれているけれど、人や物事に距離をおいて見ていることがわかる。リリーさんのスタンスは極めて常識的で、まじめだ。今回は揮発性の笑いを楽しんだ。


評価
★★★


書誌
書名:美女と野球
著者:リリー・フランキー
ISBN:9784309263564 (4309263569)
出版社:河出書房新社 (1998-11-20出版)
版型:236p 19cm(B6)
販売価:1,365円(税込) (本体価:1,300円)

2007年06月20日

柳田邦男著『人の痛みを感じる国家』

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 久しぶりに柳田さんの本を読む。しばらく柳田さんの本を読んでいなかったので、最近の柳田さんの傾向がこんな感じになっているんだと少々驚いている。ノンフィクション作家としての柳田邦男ではなく、どちらかと言えば「人の生き方」に言及されるようになっていた。それはどうやら前作2作から柳田さんの問題点であるようだ。ただ私はそれらの本を読んでいないので、この本にだけについて書いてみたい。
 この本では主に二つのことに言及されている。一つはケータイ・ネットの危険性、さらもう一つはに本の題名にあるように「人の痛みを感じる国家」についてである。
 話は前後しちゃうのだけれど、ケータイ・ネットの危険性については思うところがあるので、あとでいいたい。まずは「人の痛みを感じる国家」についてである。
 柳田さんは「この三年ほどの間に、水俣病事件をはじめ、公害、労働災害、薬害、原爆被災などの事件に関して。被害者の救済を求める裁判で、国の行政の不作為つまり怠慢を厳しく断じた判決が相次いでいる」ことについて、裁判所が国家や官僚が国民の健康と生命に対する意識の希薄さを断じたことは、ただごとじゃないというのである。つまりこれらの裁判はすべて行政の規制権限や認定基準が機械的すぎることへの不当性を訴えており、裁判所はそれを認めた形になっているのが最近の潮流だというのである。
 今までの日本の行政は国家の政策目標のために、その実現のためには犠牲者がでても無視して突き進んできた。国の経済発展を最優先にしてきた。ところが裁判所はそれにNGを出しつつある。ということは今後今までのような国策優先のためには多少の犠牲者が出ても仕方がないという論理がだんだんまかり通らなくなりつつあるということだろう。
 柳田さんはガンになった精神科医の次の言葉を引用する。「他人の痛みは何年でも耐えられるものです。今、自分が毎日襲ってくる痛みをかかえるようになって、そのことを身にしみて感じるようになりました」と。
 これまでの日本の官僚はこの精神科医がガンにかかる前の意識と同じだというのである。だから行政は自分の正当性を何年でもかかっていいから主張し、争ってきた。官僚には異動があり、2年もすれば担当を交替し、他者の痛みなど忘れられる。ところが被害者は病気や障害を抱え、10年、15年と裁判で戦っていく。そうこうしていくうちに被害者は長い歳月を待てずに死んでいくという残酷な現実がある。
 いまこそ、官僚は意識の転換をし、他者(国民)の痛みをこの精神科医のように身をもって感じる行政をすべきであり、「人の痛みを感じる国家」を創らなければならないと提言する。
 これについては確かにそうであろう。とにかく裁判が長すぎる。国家の政策がいつも完璧であれるわけがないこともわかるつもりである。片方をたてれば、もう片方がたたないこともあろう。ただ間違いは間違いだと素直に認めるべき態度は必要であり、つまらん主張や自己弁護を永遠と繰り返すことでは国民は納得しなくなってきている。それは社保庁の年金問題だって、そういえるんじゃないかと思う。おそらく今は国の政治のあり方、官僚の態度など、今までのようなやり方に方向転換を求められているのが、今なんじゃないかと思う。

 あと一つの問題である、ケータイ・ネットの危険性については、柳田さんは携帯電話やインターネットは著しく人間性を損なうというのである。その理由を以下のようにあげる。

①バーチャルな世界だからこそ描かれる凄惨な殺し合いやおぞましい行動なのに、それをあっさりと現実の世界に持ちこんでしまうという倒錯を引き起こす。

②世界を自分の思いどおりにあやつれると錯覚する全能感を持ってしまう。

③匿名による情報発信で誰かを中傷したり脅迫したりプライバシーを暴いたりしても、罪悪感を感じなくなってしまう。

 さらに柳田さんは岡田尊司さんの『脳内汚染』という本から「情報の毒性には、さらに恐るべきことがある。物質であれば、血液に入っても、血液脳関門(ブラッド・ブレイン・バリアー)と呼ばれる組織(いわば濾過膜)によって、脳内に入るのを防ぎ、脳の神経細胞を守る仕掛けがある。しかし、情報は信号であって物質でないから、眼や耳から入ったら、何のバリアーもなく、ストレートに脳を直撃することになる。
 こうして脳が情報に浸されると、その子どもの心にどのような影響が現れてくるか、その主な変化を挙げると、次のようになる。
▽我慢しようという意思がなくなる
▽行動をする際に、どちらにしようかなどと迷ったりする緊張感がない
▽他者に対する共感性が欠ける」とあげる。

 これらいわれていることは、別に目新しいことではなく、おそらく誰しも最近の事件などを思えば、その原因の深淵はここにあるんじゃないかと思っているのではなかろうか。
 そして匿名性に関しては、それを加速しているのが個人情報保護法であるという。柳田さんは「現代は、一方ではケータイ・ネットでの匿名の情報発信による人権侵害や中傷・誹謗や脅かしなど横行しているのと同時に、他方では公的機関が個人情報保護法を都合よく拡大解釈して『匿名社会』を形成しつつあるという、極めて危うい時代になっていることがわかる。この状況がさらに進むと、犯罪・事故・災害の被害者名(とくに死亡者名)が公表されなくなって、人々が不安にさらされる一方では、公務員などが自分たちの不利益になる情報や天下り状況などを隠してのうのうとしているという、暗黒社会がやってくるのは避けられないだろう。これは重大な事態だ」と警告する。
 その結果柳田さんは当時の小泉首相に「小中学校からパソコン排除を!」という手紙を出している。そもそも「パソコンを使いインターネットなどから入手する情報は単なる情報でしかない。情報レベルでの思考ははらわたに浸み、全身を揺さぶるほどの力を発揮しない」とネットからの情報入手に否定的だ。徹底した「現場主義」なのだ。その方が、「たちまち脳内の感性と思考機能がフル回転を始め、全身が揺さぶられることになる」と言い切る。
 そうかもしれない。そうかもしれないが、だからといってパソコンやネットが不要かという話にはならないだろう。だからこそパソコンを排除できるという論理はあまりにも無謀な論理だ。単にパソコンを排除しただけで問題は解決するのだろうか。いやそれより今の時代パソコンを排除することが可能なのだろうか?
 確かにネットには様々な問題がある。けど何でもありのネットだからこそ、ネット存在感があるのではなかろうか?そして私たちはインターネットという「パンドラの箱」を開けてしまったのである。ただ単に問題があるネット排除すれば問題が解決するというのは、あまりにも短絡過ぎるし、あれほど「セーフティーネット」と口酸っぱくいう柳田さんらしくない。
 陳腐な言い方かもしれないけれど、パソコンやネットの使い方が問題なのではないか。情報の選択の仕方に問題があるんじゃないかと思う。そもそも玉石混淆だからこそ意味があるのであって、問題があるから、すべてを切り捨ててしまう発想自体が危険だ。いいも悪いもあるから、それはいい、これは悪いといえるもんだろうし、そもそもいい悪いの判断は個人個人違うものだろう。すべては取り扱いの問題につきるんじゃないかと思うのだ。
 なんだかこの本を読んで柳田さんに失望しちゃったなぁ。


評価
★★


書誌
書名:人の痛みを感じる国家
著者:柳田 邦男
ISBN:9784103223177 (4103223170)
出版社:新潮社 (2007-04-20出版)
版型:219p 19cm(B6)
販売価:1,470円(税込) (本体価:1,400円)

2007年06月18日

長嶺超輝著『裁判官の爆笑お言葉集』

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 たとえば北尾トロさんの裁判傍聴記のおかしさはどこからくるかといえば、裁判官、検察、弁護人、そして被告の言動がいわゆる我々の常識からかけ離れているところからくる、ギャップからではなかろうかと思う。「どう考えてもおかしい」とか「そんなバカなことがあるか」と彼らの言動から感じるところから発生するものだと思うのだ。
 しかし彼らは大まじめなのだ。被告人は自分が犯した罪を少しでも軽くしたいだろうし、その弁護人はクライアントである被告人に少しでも有利になるように行動する。そして裁判官や検察は、今までの判例が彼らの判断の基準となるから、それから逸脱できない。
 あの福岡市の海の中道で起こった、飲酒運転による追突事故で、車が海に落ちて、幼い子供が3人亡くなった。検察は危険運転致死傷罪を求刑する。我々は当然だと思うし、もっといわせてもらえば、車の事故じゃなければこんなヤツ死刑だとさえ思っている。けれど弁護人は「アルコールの影響で正常な運転が困難な状態ではなかった」と真っ向から否認し、同罪よりも刑が軽い業務上過失致死傷罪(同5年)が相当との考えを主張した。
 この弁護人の主張を聞いていると、飲酒して車を運転しても、正常な運転が出来るなら、酒を飲んで車を運転してもいいことになる。しかしそもそも法律で酒を飲んだら車を運転してはいけないと決められている。弁護側の主張はそれを完全に無視した主張であることは明らかだ。いったいこの弁護士は何を考えているのだろうとさえ思った。
 ところが、このニュースをテレビで報道した番組が弁護士にアンケートを取ったところ、ほとんどの弁護士がこの場合、業務上過失致死を主張するというのだ。つまりそれが彼らの仕事なのだ。この被告人の弁護士は「あんたのおこした事故は検察のいう危険運転致死傷罪だ」とは絶対に言えないのだと知らされた。
 あるいは光市の母子殺人事件にしても、旦那さんである本村洋さんは少年に死刑を求刑し続けたが、裁判所は無期懲役までしか言い渡せなかった。やっと最高裁で「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」と差し戻された。高裁が無期懲役と判断したのはいわゆる「永山基準」からくるものといわれている。つまり過去の判例から判断して罪を言い渡すしかないのである。それが世間の常識からいくらかけ離れていようとも、そうするしかないのである。
 どうしてなのだろうか。この本で面白いことが書かれている。「日本全国の刑事裁判官が、お互いの空気を読み合いながら積み上げてきた暗黙の了解、それを『量刑相場』と呼びます。『この類の事件ではこういう事情があれば、どれくらいの刑罰が適当か、執行猶予は付けるべきか』といった判断の目安となる基準です」と。
 つまりそれは似たような事件を起こした被告人の間で比べたときに、あまりにも判決の内容に開きがあれば、「法の下の平等」に反することになるし、量刑の急激な変化は法的安定性を失わせ、特定の犯罪の厳罰化は刑罰体系のバランスを崩しかねないから、過去の判例を元に判断するというものなのだ。
 しかしよく考えてみると、「似たような事件」というが、たとえ形が似ていたとしても、個々の犯罪はそれぞれ独立しているはずだし、個々に事情が異なるはずで、絶対に同じということはあり得ない。そもそも「法の下の平等」って、どうして被告に適用できるのだろうか?人様の人権を傷つけ、あるいは損なった被告に自分の人権を主張できる権利がどこにあるのだろうか?自分の人権を主張するなら、相手の人権を尊重、あるいは認めた上での話だろう。

 話が横道にそれた。この本は『裁判官の爆笑お言葉集』となっているが、ちっとも爆笑ではない。正直な話、トロさんのような話を期待していたのだけれど、そうじゃない。
 たとえば、例の耐震強度偽装事件で逮捕された姉歯元一級建築士の裁判で、最初は借金返済のために偽装をしたが、借金返済後も偽装を続け、高級外車2台も購入していたことを裁判官に問われると、姉歯元一級建築士は「ローンで買いました、ローンで」と言い放つ。それに対して裁判官は「フタを開ければ、そんな贅沢をしている。やっていることはデタラメ。そんな発言では被害者も関係者もみな怒りますよ。あなたに深刻さがないと、怒りのもっていきようがないんですよ」と30分も怒りを爆発させたという。 また、飲酒運転による赤信号無視で起こった交通事故の裁判で「交通事故裁判での、被害者の命の重みは、駅前で配られるポケットティッシュのように軽い。遺族の悲嘆に比して、加害者はあまりにも過保護である。命の尊さに、法が無慈悲であってはならない」と言い放った裁判官。
 あるいは暴走族から抜けようと思った少年に暴行を加え死に至らしめた少年に「暴走族は、暴力団の少年部だ。犬のうんこですら肥料になるのに、君たちは何の役にも立たない産業廃棄物以下じゃないか」と言う裁判官。著者は「こうやって、裁判官の言葉を集めていると感じるのですが、心情的には重い刑を言い渡したいのに、量刑相場がそれを許さないという『板ばさみ』に遭ったとき、担当裁判官は被告に向けて、一段と痛烈な非難メッセージを浴びさせるような印象を受けます。それによって量刑の軽さとのバランスを取ろうとしているのでしょうか」という。
 もしそうなら多少救われる部分はあるにしても、これらの発言は、結局裁判官が自分自身の中でのジレンマから発した言葉であって、それが被害者にとってどれだけ救いとなるかは疑問である。そんなことを考えさせられた。

評価
★★


書誌
書名:
著者:
ISBN:9784344980303 (4344980301)
出版社:幻冬舎 (2007-03-30出版) 幻冬舎新書
版型:219p 18cm
販売価:756円(税込) (本体価:720円)

2007年06月16日

開高 健監修『アンソロジ-洋酒天国』1~3

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 さて、そろそろ「洋酒天国」そのものについて書いてみたい。私がこの雑誌を手に入れたいと思っていても、なかなか手に入らなかったことは書いた。やっとの思いで、ネットの古本屋さんを介して手に入れた。
 そのためこの雑誌には思い入れが強い。以前のブログでこの『洋酒天国』のことを書いたこともあるが、なくなってしまったので、もう一度このブログのCoffee Breakで書いてみようと思っていた。たまたま小玉さんの本が出版され、それを読んだので、それじゃもう一度書いてみようと思いたった。
 といっても、私が手に入れた「洋酒天国」は14冊である。しかも入手可能なものから手に入れたものだから、号数もまちまちである。
 また、予算の問題もある。今この雑誌は古本価格で1冊平均2,000円ぐらいする。だから今のところここまでにとどまっている。元はタダの雑誌がである。
 ということで「洋酒天国」のことを書くといっても、たいしたことが書けない。ただここに便利な本がある。それが開高健監修の『アンソロジ-洋酒天国』である。この本も20数年前に出版された。当時「洋酒天国」が手に入れられなかったから、せめてこの本で当時の雰囲気を味わいたいと思って購入した。今回それを初めて読んでみた。

 「『洋酒天国』は昭和三十一年に創刊。現サントリー株式会社の前進である<洋酒の寿屋>のPR誌である。
 その頃はようやく電気冷蔵庫と電気掃除機が登場しはじめ、ドブロク、バクダン、焼酎の時代がやっと終わって、トリスバーがニッポン国の夜を北から南まで蔽っていた。そしてPR誌はまだ氾濫せず、プレイ雑誌もまたなかった。飲んで、騒いで、ワカル、ワカルといって肩をたたきあったあげく、深夜の駅のベンチにゲロを吐いて倒れる。すべての男たちはかなしくも旺盛にこの姿態にいそしむしかなかったのである。
 ここにおいて寿屋は一念発起。ドリンカーの民度向上をめざしてヨーテンの発刊を思いたち、トリスバー、サントリーバーへかよわなければ手に入らない、夜の岩波文庫(?)とでも呼ぶべき快文書の出版と流布に没頭することと相成った。これがヒット、またヒットし、終刊後も古書市場でバックナンバーが高額で取引される放射能を帯びるまでになったのは、ヨーテン同人の一人として欣快至極」

 と開高さんがこの本の最初に書いている。「夜の岩波文庫」とはよく言ったもんだと思うが、なかなかうまい言い方だ。ここに書かれているように、バックナンバーが古本業界で高値で取引されている。それはトリスバーで無料で配られたことで、わざわざ持ち帰って保存しておくような奇特な人が少なかったのではないかと思うのだ。まして酒がはいっている以上、その場で楽しんでおしまいといった感じだったのではないか。そのため古本市場に出回る部数が少なくなったのではないかと推察する。

 さてこのアンソロジーを3冊読んでみて、その豪華執筆陣に驚く。よくもこんな小雑誌にこれだけの執筆陣がそろったものだと思う。この本に収録されているだけでも、大宅壮一、小松左京、都築道夫、吉田健一、荒正人、戸板康二、星新一、獅子文六、安岡章太郎、犬飼美智子、安部公房、檀一雄、北杜夫、大藪春彦、團伊玖磨、伊丹十三、稲垣足穂、淀川長治、田村隆一、吉行淳之介等々の面々である。
 これらの人たちのエッセイを読んでいると、確かに戦後10年はたって、テレビ、冷蔵庫、掃除機が普及し始めても、「もはや戦後ではない」と経済白書がいっていても、戦争や戦後を引きずっていると感じた。話の内容が植民地時代の中国や東南アジアであったり、まだ外貨規制があり、なかなかヨーロッパやアメリカに行くことが出来ない時代に、そこへ行った人たちの経験談が多い。たぶんこういうのを読んで、「なるほど今はヨーロッパやアメリカではこうなんだ」とページをめくりながら酒を飲んでいたのだろう。 
 ただ、このアンソロジーの3巻目の「ウィスキー・ミニ百科」にトリスバーのことを「昭和30年前後に生まれ、爆発的な人気を呼んだ大衆的なハイボールスタンドのこと。今日のウィスキー・ブームを育てた。『やすく、うまい』で、サラリーマンや学生が気軽に入れ、安心してくつろげ、洋酒の飲み方まで教えられる道場だった」と書いてあるを読んで、開高さんが言うように、ドブロク、バクダン、カストリなどいかがわしい酒を飲まされ、しかもぼられ、安心して酒など飲めない、人々の気持ちもささくれたっていた時代から、トリスバーでこの『洋酒天国』を読んで感心し、掲載されているヌードグラビアに驚嘆できるようになったことは、時代が変わりつつあったんだと感じることが出来る。そういう雰囲気を想像しながらこの本を読むと面白いものがある。


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 グラビアは今の男性週刊誌から見ればおとなしいものだけれど、この折り込みのグラビアがないとクレームがきたという。酒にはつきもののあっち方面のジョークも、今でもクスリと笑わせてくれる。

 ところで、この『洋酒天国』を古本屋で探し回っていた頃、面白い本を見つけた。それが『洋酒マメ天国』というやつである。


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 いわゆる豆本である。写真が実物大だ。この豆本が3冊が1ケースに入っている。


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 全36巻。中身もお見せしたいのだが、どうも装丁が悪く、大きくページを開くと割れてしまうので、出来ないのが残念である。
 奥付を見てみると、昭和42年となっているから、これも40年たっていることになる。これはさすがに無料配布というわけにはいかないらしく、サントリー直営ビアホール、サントリー・チェーンバーに申込書が置いてあったらしく、4セットを1年間で1,200円で配布していたらしい。つまり1冊100円ということだ。なかなかかわいらしく、コレクションとして楽しんでいる。

評価
★★★


書誌
書名:アンソロジ-洋酒天国 1酒と女と青春の巻
著者:開高 健監修
ISBN:9784484300085 (4484300087)
出版社:TBSブリタニカ 1983/12出版
版型:239p 19cm(B6)
販売価:892円(税込) (本体価:850円)

書誌
書名:アンソロジ-洋酒天国 2傑作エッセイ・コントの巻
著者:開高 健監修
ISBN:9784484300092 (4484300095)
出版社:TBSブリタニカ 1983/12出版
版型:219p 19cm(B6)
販売価:892円(税込) (本体価:850円)

書誌
書名:アンソロジ-洋酒天国 3ウイスキ-ここにありの巻
著者:開高 健監修
ISBN:9784484853017 (4484853019)
出版社:TBSブリタニカ 1985/03出版
版型:221p 19cm(B6)
販売価:892円(税込) (本体価:850円)


☆いずれも入手不可のようである。

2007年06月10日

柳原良平著『アンクル・トリス交友録』

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 この本はいつ手に入れたのか覚えていないが、ただ古本屋で100円均一のワゴンにあったことは覚えている。100円だし、31年前の本なので本はやけているし、シミもあっていかにも古本といった感じで、状態はあまりよくない。けれど「洋酒天国」のデザインを担当した柳原良平さん本だし、「洋酒天国」のことが書かれていたので、買っておいた。今回この「洋酒天国」のことを書きたいと思い、確かこの本があったと思いだし、いそいそと本棚を探して取り出した。
 前回の本の著者は確かに「洋酒天国」の編集に関わっていたが、本の内容が「洋酒天国」がブームになったその時代背景、執筆者である当時の有名人や文士たちにスポットを主に当てていたので、物足りなさを感じていたことは書いた。で、今回はその「洋酒天国」でイラストを描いていた柳原さんなら当時のことを、関係者ならではということが書かれているのではないかと思い、読み始めた。

 「洋酒天国」で柳原さんイラストいえば、アンクル・トリスのあのキャラクターだろう。

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 昭和30年代になるとテレビも普及し始め、それまでの広告媒体である新聞、雑誌を中心とする活字媒体からラジオとテレビも加わってきた。特にテレビの普及が著しく、それまで新聞広告を描いていた柳原さんがテレビコマーシャルを作ることになり、そこに登場する人物として例のアンクル・トリスが考え出された。このキャラクターを考えたのは、柳原さんと開高健さんと柳原さんと同じ美大出身のテレビコーマーシャル担当の酒井睦雄さんの3人だという。
 キャラクターの設定は退職前の54~55歳年齢に設定したという。(CMでウィスキーを飲むことが多いのだから、主人公がまじめに働き終えた年齢であれば視聴者も今までの功労に免じて大目に見てくれる。逆に若いのに酒ばかり飲んでいればヒンシュクを買うからだという。)性格は「小市民的に小心ではあるが時々思い切ったことをする。少し偏屈だが気はいいところもあり、義理人情にもろいが一面合理主義的、女嫌いところとエッチなところを持つ」ものとした。そして生み出されたのが、「ハゲ頭で鼻は三角にとがり、首はまるでないように太く、目玉は丸く片方に平目やカレイのように二つ、しかもいじ悪そうに両目と両肩がくっついて、目の下にシワが二本、体は二等身半で、胴も太く、足が極端に短い」あのキャラクターである。
 コマーシャルデビューはサントリーが提供していた天気予報だという。天気予報だから連日連夜流れる。毎回、二等身半の主人公がバーへ行き、何杯もハイボールを飲み、顔を赤くして出て行くというものだった。
 面白いと思ったのは、柳原さんたちが二作目のアイデアに窮していたため、なかなか新作が出来ず、1年半同じコマーシャルが流された結果、逆にこのアンクル・トリスを覚えてもらったことになったという。

 さて「洋酒天国」のことである。この雑誌のアイデアがいかにして生まれたかこの本で書かれている。
 「私たちは新聞広告をつくるかたわら、なにか他の違った仕事をしてみたいと思いはじめていた。それは本を出してみたいという気持ちだったようだ。すでにその頃、開高クンは『近代文学』に小説を載せ、作家になろうと考えていた時であり、本を編集したり、作家にいろいろ原稿を依頼することによって接触することに興味を感じたのではないだろうか。私も又、その本を通じて、絵本のような仕事への試みをしてみたと思ったのである。われわれは思いのまま気のきいた、しゃれた本をつくってみたいという気持ちが結びついたところで考え出されたのが『洋酒天国』である」

 それがトリスバーブームを盛り上げるための一連の宣伝計画のひとつとして折り込まれたわけだ。
 そして大好評となる。この本によると、初版は3万部ぐらいだったという。その後飛躍的に部数は伸びていき、最終的には50万部を超えたという。(先の小玉さんの本では20万部となっているが・・・) もし50万部の部数を超えていたとすれば、これってすごい数字である。日本雑誌協会というところのサイトで「JMPAマガジンデータ」の資料で、今発行されている雑誌の発行部数が一部載っている。それを見ると、月刊の文藝春秋が62万部の部数である。それを考えればこの50万部という部数はすごい。
 ただ、「洋酒天国」は無料のPR誌である。部数が多くなればなるほど経費が大きくなる悩みがあったという。
 とにかく「洋酒天国」は人気となり、当時の広告関係の賞を総なめしたそうである。そんなところへ朝日新聞から連載漫画の依頼がある。ところがこれが問題となってくる。この連載が社内でも知られ、副業だと文句を言う者が出てきたのである。つまり勤務中に副業をやっていると言われたのである。もちろん柳原さんたちは就業時間外にアイデアを出し、描いていたのだが、結局柳原さんは辞表を出し、嘱託となった。このろき開高さんはもう芥川賞を受賞していて、小説家デビューを果たしていて、二足のわらじがきつくなり、嘱託となっていた。
 このことはこの本の最後にも問題点としてあげられている。企業の広報部に優秀な人材がいれば、いい宣伝活動が出来るし、またいいスタッフも集まってくる。当然世間でも注目をあびてくる。それは単に一企業の社員という立場だけでなく、アーティストとして評価され、外部でフリーで仕事をしているデザイナーやコピーライター、広告会社あるいはデザイン研究所を主宰しているアートディレクターと並んでその世界に入ることとなる。
 しかし彼らはあくまでも一企業の社員である。いい広告を作ったからといっても、給与体系にしたって、勤務時間にしたって、会社の就業規則に縛られる。彼らだけを特別待遇すれば他の社員にしめしがつかなくなる。その結果彼らはだんだん居づらくなり、独立していくこととなる。企業広報の難しさがこの点にあることを知らされる。
 ただ、こういうのって、単に広報だけでなく、他の部署においても、その人の才能があればあるほど、なかなかうまく企業内では発揮できなくなる場合もあるのではないかと思ったりする。

 この本は柳原さんのサントリー時代の話、そして大好きな「船」のことが書かれているわけだけれど、読んでいて、柳原さんの性格が出ていて、ほのぼのとしてきた。そしてそんな中、ちくりとする部分があって楽しかった。


評価
★★★


書誌
書名:アンクル・トリス交友録
著者:柳原 良平
ISBN:
出版社:大和出版(1976-4-30出版)
版型:19cm228p
販売価:(古本屋で入手。たぶん絶版だと思う)

2007年06月07日

小玉武著『『洋酒天国』とその時代』

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 昔秋葉原でお店に出ていた頃(私はこの会社に入社したときの最初の店が秋葉原店で、その後飛ばされ、再度この店に戻ってきているが、今回は最初の頃の話)、お客さんさんで中井さんという、近所の近畿日本ツーリストに勤めていいらっしゃる人が、昼休みよくお店に来ていただいた。この人、私と読む傾向が似ていて(といっても私など太刀打ちできなほどのものすごい読書家なのだが)、何の本を求めているかだいたいわかった。だから何々の本が入りましたよとよく声をかけていた。
 その中井さんは開高健のファンであって、「洋酒天国」を持っていると聞いて、うらやましかったのを覚えている。当時私はこの「洋酒天国」を持っていなかった。
 私は開高健さんのファンになって、開高さんの本を集め始めていた頃であった。通常の本の流通ではもう絶版や品切れを起こしている本もかなりあったので、古本屋通いをして、かなりの開高さんの本を集めることができたが、開高健さんや山口瞳さんが編集した「洋酒天国」だけはなかなか手に入らなかった。ネットが普及して、ネットの古本屋さんが現れるようになると、全国で本を探せるようになった。そんなこともあって、数年前、数冊念願がかなってこの雑誌を手に入れることができた。

 この本の著者小玉さんは当時「洋酒天国」の編集に関わったことを知る。「洋酒天国」がどのような経緯で発刊され、どう編集されたか、その内情を語ってくれているが、ただ物足りない。私としてはもっと「洋酒天国」の裏話などを知りたかった。この本はどちらかというと、「洋酒天国」が発刊された時代背景やその執筆者である当時の有名人や文士を描くことに重点が置かれる。昭和30年代の時代考証みたいな感じだ。
 それでも昭和30年代という時代が秘めていた要素は面白かった。なるほどと思ったくらいである。特にサントリーという会社が昭和30年代をうまくつかんで躍進していったことがよくわかった。そして「洋酒天国」という雑誌も編集者やスタッフが自らの身体で昭和30年代を感じ取り、それを雑誌の編集に生かしていたことが、ヒットの要因であったこともわかった。著者は「その頃のことを回想する時。開高はよく『同時代が私の身体の中にあった』と言っていたが、たしかに次代が動き始めているのを、開高健は身体で感じながら文章を書き、雑誌作りをやっていた」と言っている。つまりこの雑誌は昭和30年代という要素が生んだものであった。
 「洋酒天国」は今から50年前の昭和31年4月10日に創刊された。そして同39年まで61号(合併号があるので60冊)が刊行された。
 私が「洋酒天国」という雑誌に興味を持ったのも、自分が昭和31年に生まれたというのも多少関係がある。自分が生まれた時代がどんな時代であったのか知りたいという思うところは誰にでもあるのではないかと思うが、偶然にも「洋酒天国」が発刊された年が私の生まれた年であったので、この本を読んで分かり始めた。
 ではこの本から「洋酒天国」を媒体として昭和30年代を探ってみる。
 昭和30年度の経済白書にはあの有名な文句「もはや戦後ではない」が載っているが、終戦から10年もたてば、戦後の混乱、貧困からも徐々に解放されつつあり、多少生活のゆとりもできてきた。個人が自分たちの生活を楽しむことが出来つつあった。
 そんな中「洋酒天国」が創刊された。もともと寿屋(現サントリー)では出版というメディアを自分の企業の文化として取り入れていた。それは経営者である佐治敬三という人が「企業経営や生活文化を考える上で一番大事な勘どころ、つまり人間と文化を<編集>することを、生涯を通じて片時も忘れることができなかった」ところに由来する。
 「洋酒天国」の発刊の前に、寿屋は「ホームサイエンス」という家庭婦人向け科学啓蒙雑誌を出版していたし、「発展」という販売促進用ダイレクトメールの小冊子も手がけていた。「ホームサイエンス」の編集部員として、後に開高健さん奥さんとなられる牧羊子さんがいた。開高さんは牧さんの後釜として寿屋に入社し、最初は「発展」の地方取材など、下積みの仕事に明け暮れていた。つまり寿屋は「洋酒天国」の出版が初めてではなく、それ以前にもう手がけていたのであった。
 そしてウィスキーのトリスが支持され、全国各地でトリスバーが出来てくる。そもそもウィスキーのトリスが支持されたのは、それまであったバクダンとかカストリとかいわれた得体の知れない酒を飲むしかなかった人々がトリスというウィスキーを廉価で飲めるようになったからである。
 私はあまり酒を飲まないからよくは分からないが、酒を飲む場合、集団でワイワイ騒ぐ酒の飲み方と、一人でじっくりと落ち着いて飲む酒があるように思える。トリスバーはそうした個人で酒が飲める場所であった。それは生活のゆとりから人々が欧米の文化を徐々に受け入られるようになってきた背景があるものと思われる。
 そのトリスバーの第一号店は『サントリー百年誌』によると、昭和25年東京・池袋で、久間瀬辰之助という人の「どん底」というバーだという。寿屋(現サントリー)はこの久間瀬辰之助さんの店の経営方針に注目し、「酒とツマミの値段を統一し、客席に女性をはべらせない」こと、「チェーン店としての看板をつける」ことでトリスバーをチェーン展開した。その結果、加盟を申し込んでくるバーはすぐに千五百軒を超えたという。
 ちなみに「洋酒天国」が創刊された昭和30年代というのは、出版社系週刊誌の創刊ラッシュでもあった。「週刊新潮」(昭和31年2月)、「週刊大衆」(同33年)、「週刊文春」(同34年)、「週刊現代}(同34年)、「週刊女性」(同32年)、「週刊女性自身」(同33年)「週刊明星」(同33年)、「週刊平凡」(同34年)、「週刊少年マガジン」(同34年)、「週刊少年サンデー」(同34年)と続々と創刊された。
 そんな時代にトリスバーに「マッチ代わりに作りました」というのが「洋酒天国」であった。そのため「洋酒天国」は無料だけれど、トリスバーでしか手に入らなかった。(トリスバーで無料で配られていたため、現在古本屋でもなかなか市場に出てこないようで、1冊が結構な値段がついている)
 そんなトリスバーで読まれる雑誌だから、この雑誌は粋であり、洒落であり、そして欧米のサブカルチャーなどが盛り込まれた。
 またトリスバーでしか手に入らないという雑誌だから、当然寿屋のPR誌という性格を持つが、雑誌が粋であるためにサントリーのサの字も広告として載せていないのも特徴であった。
 編集長も今から考えるとすごい。芥川賞を受賞した開高健に、そのあとを継いだ山口瞳も直木賞作家である。開高健は「洋酒天国」創刊から22号まで、この雑誌をあたかも自分の作品であるかのように編集に打ち込んだ。そのあと任された山口瞳が引き継ぐ。執筆者も開高人脈、山口人脈をフルに生かして豪華であった。とても無料のPR誌とは思えないくらいだ。人気が出ても当たり前の雑誌であった。
 この雑誌は昭和30年代が生んだ雑誌であることは、当然30年代が終わったとき、同時に終わるしかなかったのだとも思えてくる。著者は言う。「『洋酒天国』は昭和三十年代が終わるのと同時に休刊した。創刊以来十年に満たなかったが、密度の濃い昭和三十年代を走り抜けたのであった。その間<洋酒の寿屋>は社長が佐治敬三となり、社名がサントリー株式会社となった。ウイスキー部門は好調な業績を挙げ続け、従業員数は倍増し、ビール事業にも進出を果たした」と。「洋酒天国」は昭和30年代のわずか10年間だけ咲いた花だった。


評価
★★


書誌
書名:『洋酒天国』とその時代
著者:小玉 武
ISBN:9784480818270 (4480818278)
出版社:筑摩書房 (2007-05-30出版)
版型:388p 19cm(B6)
販売価:2,520円(税込) (本体価:2,400円)