2007年06月28日

半藤一利著『漱石先生ぞな、もし』

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 先日本棚の整理をしていて、日記を処分していたら、領収書が出てきた。岩波の漱石全集全巻を当時三和図書大山さんを通じて、古本屋さんで買ってもらったものである。私は漱石が好きで、何度か岩波から全集が出版されるたびに、買おうかどうか迷い、結局買わずにいた。でも当時欲しくなって、大山さんに相談し、大山さんのコネで手に入れた。全17巻を4万円で購入した。たぶん今ならもっと安く手にはいるだろう。

閑話休題
 そういえば後藤君はまだ私のこのブログにつきあってくれているだろうか?後藤君は天金版の漱石全集を買っていたよね。あの本かっこよかった。いつも取り置きしてある漱石全集をうらやましく見ていました。きっとゆったりした気分で読まれているんだろうなぁなんて思っているのですが・・・。もしかしたらそのときの気持ちがいつまでも私の中に残っていて、漱石の全集が欲しいなんて思っていたんじゃないかなんて思うのです。ちなみに私のは通常の漱石全集です。

 漱石の作品はそれなりに読んでいるが、きちんと読んでみたいと思っていたのでこの全集を買った。買った当初2巻までは読んだ。どうしてその先を読まなかったか?挫折したといってしまえばそうなのだが、でもいつもその先を読んでみたいとは思ってはいた。もう少し歳をとったらじっくりと腰を据えて読みたいと思っていたのだ。(なんか言い訳がましいが・・・)
 で、あれから年月もたち、そろそろ続きを読んでみようかなんて、最近思ってはいるが、これに手を出してしまうと、かかりっきりになってしまうので、今は雑学程度に漱石のことを仕入れようと思い、この本を読んでみた。
 読んでいて知ったのだが、半藤さんは漱石の孫に当たる人だったのだ。ネットで調べてみると、半藤さんの奥様は作家の松岡譲さんの四女で、お母様の筆子さんが漱石の長女なんだそうだ。そんな関係で、半藤さんしか知り得ない夏目家の事情が、漱石の作品を通して語られる。読んでいてへぇ~と思ったことをいくつか書き出す。
 まずは「漱石」というペンネームの由来である。漱石の本名は夏目金之助である。半藤さんによると、正岡子規の『七草集』を金之助が読んで、その批評を「漱石」の号を使って書いたのが初めてだという。しかもこの「漱石」という号は元々は子規が使っていたものをもらい受けたものらしい。この「漱石」というペンネームを「俗な号」といっては気に入らなかったらしいが、かといって変えるの面倒だったらしくそのまま使っていたという。
 その「俗な号」の出所は、中国の『蒙求』という書にある故事にあるらしい。それによると、秀才誉れ高い孫楚という男が隠遁を決意し、親友の王済に心境を語るとき、俗世間を離れて自然に親しむという意の「枕石漱流」という言葉を間違えて、「漱石枕流」と言ってしまった。王済はカラカラ笑って、「流れに枕することはできぬ、石で口を漱(すす)ぐことはできぬ。そんなことじゃ隠遁なんて無理だ」と言い放ったという。馬鹿にされた孫楚は「流れに枕するのは耳を洗うためであり、石に漱ぐのは歯を磨くためだ」と屁理屈をつけて反論した。そこから「漱石枕流」はへそ曲がりで負けず嫌いという意味のことわざに用いられるようになった。子規は「漱石」という号をそこから取り、金之助は自分がつむじ曲がりで負け惜しみが強かった自分自身を反省の意味を込めて、子規からこの号をもらい受けたのではないかと半藤さんは推察している。
 さらに面白いと思ったのは、漱石の神経衰弱は有名な話だけれど、漱石が神経衰弱になったのは、徴兵制を回避するために、自分の籍を北海道に移した(送籍)したことによるという丸谷才一さんの文章を引用する。
 漱石は自分は北海道に送籍したことで徴兵制を回避したが(当時北海道は人口が極めて少なかったので、北海道の住民はこの徴兵制の埒外に置かれていた)、そうでなかった者は、その後起こった日清戦争で兵隊に取られ、戦死していった現実を知って、自分は卑怯者だという自責の念にかられ、自分を責め、それがきっかけで神経衰弱になったか、こじらせたのではないかと丸谷さんはいうのである。
 半藤さんはこの送籍が金之助を苦しめ、『吾輩は猫である』を執筆したときに、子規からもらい受けた「漱石」を送籍と引っかけて、使い始めたのではないかと推察している。なぜならそもそも『吾輩は猫である』という作品は、猫を使って人間の馬鹿さ加減を茶化しているわけだから、ちょうどよかったわけだというのである。(もちろんこのことは半藤さんも仮説もいいところだけれどと断っている)でも面白い話だ。
 ところで漱石はロンドン留学でノイローゼになったというのが有名だが、その情報源は当時の文部省だったらしい。もともと官費での留学だったから、1年に1回研究報告書を提出しなければならなかった。漱石はもちろん勉強に励んではいたが、だいたい言葉や風俗習慣が違う異国にあって1年やそこらでまとまるような研究はロクなもんじゃないと思い、無視していた。しかし矢のような催促のため漱石は白紙のまま報告書を送ったのである。
 これを受け取ったお役人は仰天した。まさか五高の夏目金之助教授がそんなことをするわけがない。正気を失ったのではあるまいかということで、すぐ保護して帰国させるべしというのが真相らしい。
 もちろんロンドンでは支給される費用が少なくてかなり苦労していたらしく、「当地にては金のないのと病気になるのが一番心細く候。病気は帰朝まで謝絶するつもりなれど金のなきには閉口いたし候」と手紙に書いている。まして日本とはまったく生活習慣も違う、ノイローゼにちかい症状になって仕方があるまい。
 その『吾輩は猫である』の猫のことだが、実際漱石の家では猫を飼っていたらしい。野良猫が迷い込んできたもので、家人に悪さをしでかしていた。あるとき夏目家に来るあんまが「この猫は福の神です」というものだから占いの好きな漱石夫人の鏡子さんが飼う気になったらしい。小説の猫は1年足らずで作者に溺死させられたけれど、本物の猫の方は長生きしたという。漱石はこの猫が死んだとき知人に次のような手紙を書いている。
「辱知猫儀久々病気の処、療養不相叶、昨夜いつの間にか、うらの物置のヘッツイの上にて逝去致候。埋葬の儀は車屋にたのみ、箱詰にて裏の庭先にて執行仕候。但、主人『三四郎』執筆につき、御会葬には及び不申候。以上。九月十四日」
 この通知を受け取った寺田寅彦は日記に「夏目先生より猫病死の報あり。見舞の端書したたむ」と書いてあるという。明治の大らかさに、思わず笑ってしまった。
 しかしこうして漱石の作品や手紙などを通して明治という時代を見ると面白いものがある。司馬遼太郎さんのいう『坂の上の雲』を目指して懸命に登りつめてきた時代は、新旧混沌としていて、様々な矛盾を抱えていた時代だったんだなと感じる。だからこそ面白いのだが・・・。近いうちに漱石の作品を読んでみようかなぁと思った。


評価
★★


書誌
書名:漱石先生ぞな、もし
著者:半藤 一利
ISBN:9784167483043 (4167483041)
出版社:文芸春秋 (1996-03-10出版) 文春文庫
版型:302p 15cm(A6)
販売価:499円(税込) (本体価:476円)

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