2007年07月04日
半藤一利著『続・漱石先生ぞな、もし』
また半藤さんの本に戻る。話はちょっとずれるが、たまたまついていたテレビを眺めていたら、ショコタンが出ていて、「ギザカワユス」、「ギガントうまい」なんて訳のわからん日本語を使っている。ショコタン語というらしい。要するに彼女が作ったニホンゴなのだそうだ。彼女のブログでは頻繁に使われているらしい。私が「彼女の作ったニホンゴ」とカタカナにしたのは、日本語じゃないからで、ただ単におぞましく感じるからである。こんな言葉を共有するやつは正直馬鹿じゃないかとさえ思っている。
司馬遼太郎さんが現代の日本語文をみんなが使えるようにしたのは夏目漱石だと言っていた。つまり口語と文語を一致させた文章を普及させたのは漱石だというのだ。それを半藤さんは司馬さん言葉を次のように引用する。
「明治元年以後の日本語の文章がいつ成熟したのか。私は夏目漱石で、最初の成熟を見たと思います。この成熟というのは、一つの文章で日米貿易摩擦について社説を書くこともできれば、自分の恋愛感情を小説にすることもできる、つまり多目的に使えるという意味の文章ですが、それを明治四十年前後に漱石がつくったと思っています」
つまり漱石は誰でも参加できる文章日本語として小説を書いたというのである。そのためにはそれまでなかった言葉を苦労して造る。たとえば「不可能」、「反射」、「無意識」、「経済」、「価値」、「電力」、「評価」、「自由行動」、「生活難」、「正当防衛」「世界観」など、漱石の作品に見られる当時の新語を半藤さんは羅列していく。もちろんそれは漱石だけじゃなかっただろう。明治の文人はヨーロッパから輸入される言葉を日本語に当てはめる場合、それに該当する言葉がないことが多かったに違いない。だから新しい日本語を造らなければならなかったはずだ。半藤さんは「いま日本語の乱れを嘆く声はすこぶる多い。たしかに、明治の漱石・鴎外時代のきちんとした意味のある言葉を造る苦労も知らないで、勝手気儘に使いながらどんどん正確さから遠退いていく。新しい言葉を流行にまかせてポンポンとこしらえ、さっさと捨てていく。ワープロなどハード面の長足な発達で、言霊としての文字への怖れを失い、文章は日を追って機械的に味気なくなっていく。まこと昔の日本人の建設の苦労や守成のつらさを知らず、いまのわれわれは言葉を消耗品のごとくしてしまっている」という。まさにショコタン語なる馬鹿な言葉がそれにあたると思うのだ。言葉には当然はやり廃りがあると思うが、言葉をファッションのように造りだし、趣味や嗜好を同じくする人間だけの間使っているならともかく、いい気になってどこでも使う無神経さに無性に腹がたつ。言葉は言霊なのだ。
さて、前作同様漱石のトリビアが続く。私の方も前回と同様にへぇ~と思ったことを書く。
漱石の収入はどんなものだったのだろうか?つまり印税収入はどれくらいあったのだろうかということである。半藤さんの義父の松岡譲の計算によると、その死まで売れた部数は十万冊前後だという。えっ!そんなもんしか売れてないのと思ったけれど、どうやらそんなものらしい。そこからさらに計算すると漱石が生前受け取った印税は二万五千円程度で、これを今の相場に直すと、八千八百二十万円弱になり、月額六十六万円八千円になるという。これじゃ有名人で門下生が多かった漱石の生活は厳しかったようである。
ところで今岩波書店から出ている文庫のカバーや以前出版された漱石全集の表紙に使われている朱地に文字が浮き出た模様がある。この模様を見れば、あっ漱石の作品だなとすぐわかるほど目立つものだ。これは漱石自らデザインをしたものらしい。その経緯が書かれていた。
岩波書店の創業者岩波茂雄が漱石の『こころ』を出版させてほしい頼みに来た。それまで漱石の作品は春陽堂か大倉書店で出版されていたのだが、漱石は簡単に了承した。岩波書店は創業時は古籍商、すなわち古本屋さんであった。この申し出のあと岩波茂雄は「資金がありません。ついては(『こころ』の)出版費用もかしていただきたい」と言って、それも漱石は了承したのである。
ここで半藤さんは推理する。『こころ』が自費出版に近い形の出版となれば費用は抑えないとならないと漱石は考え、「装幀の事は今まで専門家にばかり依頼していたのだが、今度はふとした動機から自分で遣って見る気になって、箱、表紙、見返し、扉および奥附の模様および題字、朱印、検印ともに、ことごとく自分で考案して自分で描いた」と『こころ』の序で書いている。それがあの朱地に文字が浮き出た模様である。あの独特な表紙のデザインがこうして生まれたことを初めて知った。
日本近代史の通史などを読んでいると、時たま漱石の文明批評が引用されるのをたびたび読む。読むたびに結構鋭いなぁと思っていた。結構冷めた目で当時の日本の現実を見ていると思うのだ。今回もいくつか引用されている。
「吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている」
「文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏みつけようとする」
「ことごとく切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから、自分の事と、自分の今日の、ただ今の事よりほかに、何も考えやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない」
これが明治時代に言われたことだと知らなければ、今でも通用しそうである。やっぱり漱石は読みたいな。
評価
★★
書誌
書名:続・漱石先生ぞな、もし
著者:半藤 一利
ISBN:9784167483050 (416748305X)
出版社:文芸春秋 (1996-12-10出版) 文春文庫
版型:324p 15cm(A6)
販売価:479円(税込) (本体価:457円)
☆品切れ(重版未定)の為、入手不能のようである。
- by kmoto
- at 20:43
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