2007年07月12日
池谷裕二著『進化しすぎた脳』
この本について書こうと思い、書いていたのだがなかなかうまく書けずにいる。理系が全くダメな私にとって、この本のようにきちんと理路整然とまとめるのはかなり難しいのだ。何度か書き直しているうちにこんな感じになってしまった。
私にとって、科学の最先端がいまどうなっているのか、こうした本はわかりやすく説明してくれるのでありがたい。読んでいて驚きと新たな発見があったし、知らなかったことを知る楽しさを教えてもらった。この本のオビに書いてあった文句、『しびれるくらいに面白い』という感覚を私も味あわせてもらった。
この本は、著者の池谷さんが慶應義塾ニューヨーク学院高等部の高校生8名に行った脳科学講義の記録である。講義の参加者が高校生ということで、彼らにわかりやすく最新の脳科学がいまどこまで人間の脳にせまっているのが説明してくれる。ということは私にも比較的理解しやすいものとなっている。(もっともやっぱり難しいところはいくつかあったが、そこをさらりと流して読んでも、基本部分は何を池谷さんが言いたいのかわかった)
私がこの本を読んで目から鱗といった感じで感じたことをいくつか抜き出したい。
まずは一つめは、脳が他の臓器と違い、「働きがそれぞれの場所に別れて専門化している」ということである。「脳全体がいわば分業態勢をとっている」ということである。体のパーツの一つ一つが脳の中で分業されて機能しているということである。
ということは逆に考えれば、『脳地図』(人間の体のさまざまな部位の機能が、大脳のどこに対応しているかを表す地図)は脳が決めているのではなくて体が決めているということになるらしい。つまり体のパーツが先にあって、そこをどの部分で脳が情報処理するかを割り当てているというのだ。そのため脳のかなりの部分が後天的なものというのである。
たとえば腕がなくなってしまえば、脳自身も変わってしまう。つまり生まれ持った体や環境に応じて、脳は「自己組織的」に自分をつくりあげていくという。(ただこのたとえは生まれたときの話らしく、成人してからの話ではないらしい)
ところでイルカの脳はかなり優れていて、脳のシワだけを見るとヒトより遙かに多い。だけど単純なことだけれど、ヒトとイルカはどちらが優れているかといえば、当然ヒトである。なぜそうなるかといえば、イルカには人間のような手もないければ指もないからだ。体がヒトほど優れていなかったために、イルカは自分の脳を十分に使い込めないでいる。その差が出ているのだという。つまり脳から見ればイルカの脳は「宝の持ち腐れ」だというのだ。だからイルカがもし素晴らしい体を獲得したら、人間はかなわないだろうと池谷さんはいうのだ。
それではヒトは脳の機能を十分使いこなしているかというと、どうやらそうでもないらしく、やはり「宝の持ち腐れ」になっているという。つまりヒトの脳は進化の過程で他の体の部分より必要以上に進化しすぎているというのだ。進化は環境に合わせて進んできたのだけれど、それは体の話だという。そのため「脳に関しては、環境に適応する以上に進化してしまっていて、それゆえに、全能力は使いこなされていない」と池谷さんはいう。
ではどうして脳は必要以上に進化してしまったかというと、「脳は、一見すると無駄とさえ思えるほど進化してしまっているけれど、でもそれは裏を返せば、将来いつか予期せぬ環境に出会ったときに、スムーズに対応できるための、一種の『余裕』だと考えることもできる。新しい環境や、もしくは進化や突然変異などで体そのものの形が急に変化してしまっても、余裕をもった脳は、依然これをコントロールすることができる」ようにするためだというのだ。だから「脳の過剰進化とは、いわば安全装置、そう、未来への予備みたいなものだ」ではないかと推察されている。これは一見言葉のロジックともいえそうだけれど、一方でそういう考え方ができるというのは、私にとって新鮮であった。だから、「脳はもっともっとポテンシャルを秘めている。<人間の体>という悪い乗り物に、残念ながら脳は乗ってしまった」というのは笑ってしまった。
二番目は、自分が現在だと思っていたことが実は過去なんだということである。というのは、文字を読んだり、人がしゃべった言葉を理解したりするのに、脳では処理時間がかかっている。文字や言葉が目や耳に入ってきて、ちゃんと脳が情報処理ができるまでに、0.1秒、通常0.5秒かかるらしい。ということは、いま感じている現在は嘘で、0.5秒前世界になる。う~ん、0.5秒前とはいえ、今自分たちが認識している現在が実は過去なんだというのは驚きであった。
しかも我々が見ている風景や文字など、実はちゃんと目からその通り見えている訳じゃないらしい。もともとその伝達機能には限界があって、さも実物のように見えていて、何ら不具合ないのは、脳がその不足している機能を補っているからで、そういう意味では人間は脳の解釈から逃れられないということになるというのである。
では脳から支配は完璧かというと、ヒトの場合かなり曖昧だという。しかしそういう曖昧さが絶対的に必要なことらしい。たとえば、ある人物を写真のように完全に脳にインプットしてしまうと、次に会ったとき、服装や髪型が変わっただけで同じ人物とは認識できなくなってしまうというのである。脳が大まかな特徴を押さえることで、汎用性を持たせているということなのである。それを「汎化」という。そのことから記憶の曖昧さというのは応用という観点からするとかなり重要なことになる。
人間の記憶力は他の動物から比べると例を見ないほどいい加減らしいが、それこそが人間の臨機応変な適応力の源といっていいらしい。そしてその曖昧さを確保するために、人間の脳はわざわざゆっくりと学習していき、その中で特徴などを抽出していくという。
そしてこの「汎化」のために有利なプロセスが抽象化で、このような抽象的思考ができるのは、人間が「言語」をもっているからという。「言語」にはコミュニケーションの手段という側面と抽象的思考をするためのツールという側面を持つが、言語が抽象的思考をするためのツールという性格が「汎化」に役立っている。このことから「言語」を持ったことで、人間は応用力と環境適応力の高い動物とした。
一方で記憶の曖昧さは、今まで思いもつかなかった別々の記憶を結びつける。これが想像と創造を生むのだ。これは正確性だけを求められるコンピュータでは望めない。
三番目に興味を持ったのはアルツハイマー病の講義である。アルツハイマー病がなぜ発生し、その原因は何なのかを研究するにあたり、非常に明快な論理で研究が行われているのが、読んでいて気持ちいいくらいであった。
それによると、アルツハイマー病に罹った人の脳を調べると、茶色いシミがあちこちに見え、このシミは健康な人には少ないと分かる。ということはこのシミ(老人斑)がアルツハイマー病の特徴ということになる。ならばこのシミがアルツハイマー病の原因に何らか関係しているのではないかと推論し、調べてみると、そこには「βアミロイド」がたくさん含まれていたという。この「βアミロイド」というのは猛毒で、シャーレで培養した神経細胞にこれを加えると、神経細胞が死んでしまうそうである。ではこの「βアミロイド」はどこから来るのかが次の段階になる。
アルツハイマー病は約90%が遺伝と関係なく発生するが、残り10%は遺伝で起こるらしい。そしてその10%の患者の染色体の21番目に原因になる遺伝子が見つかった。これを「APP」という。そしてこの「APP」のアミノ酸の一部に「βアミロイド」に相当する42個のアミノ酸が含まれていたというのだ。ここで遺伝性アルツハイマー病は「APP」のアミノ酸の一カ所にミスがあり、「βアミロイド」が切り出されやすくなっているというのだ。つまり「APP」が切れて、「βアミロイド」となり、これが脳にたまり神経細胞を殺していくらしい。
しかし「APP」の異常だけで説明できないアルツハイマー病が大多数であるので、他に原因があるのではないかということになっていく。そこで更に調べていくと、「プレセニリン」という酵素が「APP」の下の方を切るはさみの役目をしていることがわかった。一方「APP」の上部を切り取るのが「βセクレターゼ」で、二カ所切り取られることで「βアミロイド」が生まれるらしいというところまで分かってきたという。
ところで「βアミロイド」は、神経細胞を殺すというのだが、それはかなりの濃度がなければならないらしい。たぶんアルツハイマー病の末期には「βアミロイド」ががんがんに溜まっているのだろう。
しかしわずかな数の「βアミロイド」でも痴呆は起こる。それがどうしてかというと、どうやら「βアミロイド」はシナプス(神経細胞の隙間)を攻撃をして、神経伝達の効率を下げ、脳全体の記憶力の低減を引き起こしているのではないかというのが最近の定説になっているそうだ。
私が理解した範囲でいうとシナプスでは、送り手と受け手が決まっていて、送り手の方には神経伝達物質のグルタミン酸が詰まっている袋があり、そこからグルタミン酸を放出し、受け手に伝える。
そして放出されたグルタミン酸は「グリア細胞」が回収する役目を負う。ところが「βアミロイド」は「グリア細胞」の働きを活発にし、放出されたグルタミン酸が受け手に伝わる前に回収してしまい、伝達効率を悪くする。ということは「βアミロイド」が脳に溜まり始めると、まずシナプスが先にやられるということになる。
こう読んでいくと、アルツハイマー病の進行が脳の中でこのようになっているんだと分かった気がする。全く関係ないかもしれないが、先日テレビで放映された荻原浩さんの『明日への記憶』よりはるかに面白い。(要するに原作も、映画もつまらなかったということ)
そして四番目に興味を持ったのがアルツハイマー病と進化の関係に言及した部分である。進化の頂点にいるヒトがアルツハイマー病で苦しんでいる。もし自然淘汰が進化を進めたなら、アルツハイマー病は自然淘汰されていいはずだと池谷さんはいう。でもアルツハイマー病は残ってしまった。なぜか?
池谷さんは自然淘汰は、環境に有利な個体を子孫として残すという繁殖をターゲットにしている。しかしアルツハイマー病はほとんど歳をとってからの病気であって、その人たちはもう子孫を残してしまっている。だからアルツハイマー病は自然淘汰で消えなかったというのである。
今の人間は長生きしすぎている。本来の寿命は50歳ぐらいだろう。もしそのくらいでヒトの寿命が終わるなら、たとえ「βアミロイド」が少しずつ脳に溜まっていっても、充分天寿を全うできるはずだ。長生きするからこんなしわ寄せ出てきたのだ。だから古代人の間ではアルツハイマー病はきっと問題視されなかったのではないかという。
そこから更に、現代の医療技術では、どんな病気であろうと障害があろうと子孫を残すことができる。つまり現代の医療技術がなければ排除されてしまうはずの遺伝子を残すことができる。このことは自然淘汰の原理に反している。そういう意味ではヒトはもはや進化を止めてしまい、その代わり環境を自分たちに合わせて変えようとしているのではないかという考えていく。
最後に個人的意見をいわせてもらえば、こうした脳のしくみや病気など様々な研究から、更に理論立てて研究を進めて行くにあたり、その思考方法はどこで生まれたものなのかということを考えたら、それは脳のなかで組み立てられたものであろう。ということは脳の研究が脳で考えられていることになる。これって、一体どこまで解明できることになるのだろうかと素朴な疑問が生じる。ヒトの脳をヒトの脳で考える。どこか無理があり、矛盾が生じることはないのだろうか?それこそメビウスの輪に迷う込むことになるのではないかなんて思っちゃったりするのだけれど・・・。
評価
★★★★
書誌
書名:進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線
著者:池谷 裕二
ISBN:9784062575386 (4062575388)
出版社:講談社 (2007-01-20出版) ブルーバックス
版型:397p 18cm
販売価:1,050円(税込) (本体価:1,000円)
- by kmoto
- at 20:26
comments