2007年08月18日
E・キュ-ブラ-・ロス著『死ぬ瞬間』
古い本を引っ張り出す。E・キュ-ブラ-・ロスの『死ぬ瞬間』である。この本は聞くところによるとホスピスのバイブルだという。かなり昔に読んだ山崎章郎さんの『病院で死ぬということ 』にもたびたびキュ-ブラ-・ロスのこの本のことが出ていたと思う。
この本はシカゴ大学の「死と死ぬことに関するセミナー」で、講師は死にゆく患者である。そうした患者に自分が迎えなければならない死、病院の医療体制を語ってもらっている。しかしこのセミナーは最初病院側の医療スタッフから大きな反発にあう。末期患者に自分の死を語らせるなんて冗談じゃないというところだろう。ましてここの病院では「もはや助けることできない人々に貴重な時間をかけることはムダであり、まったくのナンセンス」という意識があっただけに余計であった。
しかし患者は違った。患者は「死そのものは問題でなく、死にゆくことが、それに伴う絶望感と無援感と隔離感のゆえに怖ろしいのである」。むしろ積極的にコミュニケートすることで、自分を解放していくのである。さらにかれらのコミュニケーションが他の人々にとって重要で有意義かもしれないと思えることで、生きているうちにだれかの役に立てるという意識を生む。
医療側も患者の生の声がフィードバックされるようになって、このセミナーの重要性を自覚し始め、患者の対応が変わっていく。
ここでの死とは突然死を想定していない。死までの時間がある程度ある、たとえばガンのような病気で死を迎えざるを得ない患者を対象とする。
著者は「患者を非人間的、植物的に生きるのではなく、人間的に生きるように助けることによって、かれらを助けて死なせてやることができる」という考えから、末期の患者に接する。
そしてそうした患者は悲劇的なニュース(自分が死ぬということ)をつきつけられてから、自分の死を受容するまでの間にいくつかの段階があることをこの本で教えてくれる。以下その段階の解説である。
1.否認
「否認は予期しない衝撃的なニュースを聞かされるときの緩衝装置として働くのである。否認によって、患者は崩れようとするみずからを取りまとめ、やがて別の、よりゆるやかな自己防衛法を動員することができる」。たとえば自分がガンだと宣告されたとき、「そんはずはない」と否認するのは一時的な自己防衛なのである。
2.怒り
「否認という第一段階がもはや維持できなくなると怒り、憤り、羨望、恨みなどの諸感情がこれにとって代わる。論理を追って、次の問いは”なぜ私を ”」となる。つまり「なぜ私なんだ」、「どうして私がガンにおかされねばならないんだ」という自分勝手に怒り、憤るのである。
3.取り引き
「もしわれわれが第一段階で悲しい事実に直面することができず、第二段階で人々と神に対して憤りをぶつけたとすれば、つぎには人々ないし神に対してなにかの申し出をし、なんらかの約束を結ぶことを思いつくだろう。取り引きである。神となんらかの取り引きができれば、もしかすると、この悲しい不可避の出来事をもうすこし先に延ばせるかもしれない」と考えることである。
つまり今苦しい治療に耐えれば、延命願望や痛みや肉体的不快感のない日々を手に入れることができるという願望を多少なりとも叶えることができるかもしれないという、自分の気持ちの中で取り引きするのである。
4.抑鬱
「末期患者がもはや自分の病気を否認できなくなり、二度三度の手術あるいは入院加療を受けなければならなくなり、さらに症候がいくつか現れはじめ、あるいは衰弱が加わってくると、かれはもはや病気を微笑で片づけているわけにもいかなくなる。
かれの感情喪失、泰然自若、あるいは憤怒などは、ほどなく、大きなものを失くしたという喪失感に取って代わられ」抑鬱状態になる。
5.受容
「もし患者に十分な時間があり(突然の、予期しない死ではなくて)そして前にのべたいくつかの段階を通るのに若干の助けが得られれば、かれの”運命 ”について抑鬱もなく、怒りも覚えないある段階に達する。生きている人、健康な人に対する羨望、自分の最後にそれほど早く直面しないでもいい人に対する怒りなどは吐きつくすことができた。かれは自分をとりまく多くの意味深い人々や場所などを、もうすぐすべて失わなければならないという、その嘆きも悲しみも仕終え、かれはいまある程度静かな期待をもって、近づく自分の終焉を見詰めることができる」すなわち受容である。
面白いと思ったのは以下の記述である。
「一生を苦労とはげしい労働のうちに過ごしてきた人、子どもたちを育てあげた人、自分のなしとげた仕事に満足している人々のほうが、平安と威厳とをもって死を受容することがより容易であったようである。 これに対して、一生を野心的に周囲環境を支配してきた人、物質的な財を蓄積してきた人、社交的なつきあいは非常な多数にのぼりながらも、生の終わりにあたって助けとなるような有意義な人間関係の少ない人などは、死の受容が容易ではないようであった」
「これらの段階は入れ替わることはできず、必ず隣りあい、ときには重なりあっている」という。
以上が自分が助からないと分かったときから取る人間の態度だというのだ。もちろんたぶん累計的にそういうパターンだというのだろう。でももし自分が末期のガンでもなったら、何となくこういう行動パターンを取るような気がするけれど、きっと死の受容まで悩み続けるのだろうなと思う。そう思うと、同じ死ぬならぽっくりと死んでしまいたいなぁ。もちろんそのあとの葬式など不要だ。
さてこの本は、いわゆる「死ぬ瞬間」を待っている患者だけでなく、その家族、親族も、ほぼ同様な行動パターン、思考パターンを取ることを言っている。ただ残される側はその死で終わらない。著者は「家族の要求(ニーズ)は、病気の発端から変化を始め、多くの面で変化を続け、それらは死のあとも長く尾をひいていく。それゆえに、家族メンバーはそのエネルギーを支出を経済的に行ない、エネルギーがもっとも要求されるときに当たって折れるほど張り切らないようにすべきである」と介護する家族の配慮も忘れない。
しかし家族や親族ができる限りの治療を望むことや、少しでも長生きして欲しいと思う気持ちは、末期患者に取ってみれば時には苦痛のなにものでもなくなってしまうこともあるという。患者の方は現実を直視ししようと努力しているのに、家族や親族の方が厳しい現実をなかなか受け入れられない。このギャップに患者の方が悩むという。時には自分の死の受容を困難にさせるという。
こうして言われると、双方の気持ちはよくわかる。わかるけど困難な状況に陥った時、愛する家族を簡単に失うことができないという気持ちが、逆に患者を苦しめているなんて、なかなか理解しにくいと思う。
著者は言う。「わたしたちのめざすゴールは、つねに患者とその家族とを助けて、ともども危機を正視し、この終焉という現実の受容を、同時的に達成させるということでなければならない」と。
評価
★★★
書誌
書名:死ぬ瞬間 死にゆく人々との対話
著者:E・キュ-ブラ-・ロス/川口正吉訳
ISBN:9784643920529
出版社:読売新聞社
版型:315p 19cm
販売価:1,528円(税込) (本体価:1,456円) 絶版
- by kmoto
- at 19:11
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