2007年11月04日

佐藤優著『国家の罠』

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 以前から読みたいと思っていたこの本が、文庫本になったので、早速手に入れ読んでみた。かなり面白かった。そして一外交官の逮捕が日本という国家が大きく変わろうとしているエポックメイキングだったことを知らされる。
 そもそも著者と鈴木宗男氏は歴代総理の命令に従って、2000年に日露平和条約を締結するという国策のために走っていた。すなわちロシアと平和条約を結び、北方領土返還を目指していた。その目的のためあらゆるところからロシアに関する情報を集め、分析し、いかにして北方領土問題を解決するかに邁進していた。そこにはただ国益のためという純粋な目的だけで、私利私欲は一切なかった。ただ日本の国内法に触れる危ない橋も渡らなければならないこともある。あるいは可罰的違法性の範囲内(このことは後で説明する)で法を犯したかもしれない。それを東京地検特捜部に突っつかれた。著者の罪状は背任と偽計業務妨害である。しかしそれは、ロシアを支援しつつ、北方領土をスムースに返還してもらうためには、必要悪であったし、ロシアもそれを利用していた。著者は「そもそも外交の世界に純粋な人道支援など存在しない。どの国も人道支援の名の下で自国の国益を推進しているのである。ロシアとしても、『日本の人道支援を有り難く受け入れる』との姿勢をとりつつも、日本のカネを使っていかにロシアにとって有利な状況を作るかを考えている」と言い、「日本は北方領土返還の環境を整えるという意図もあって人道支援を行っており、ロシアはそれをわかりながら受け入れているが、日本の意図通りには事を運ばせないという腹ももっている。ここから虚々実々の駆け引きが展開された」と言い、ロシアのこともちゃんと見抜いていた。

 私はこうした駆け引きを記した部分より、著者が逮捕され、特捜部の検事とやりとりする部分がものすごく興味があったし、面白かった。著者が検事の取り調べに応じることは、著者の仕事上知り得た事実や人間関係をしゃべることになる。それをすれば外交秘密、さらに特殊情報に関連する事項が表に出て、その結果、日本外務省の情報収集活動に支障きたすことになる。著者は言う。「情報の世界では『存在しない』という話は当事者が合意しない限り、最後まで『存在しない』のである。そして、『会っていない』という約束になっている場合は、誰が何を言おうとあくまでも『会っていない』のである。このルールについては徹底的な遵守が要求される。そしてそれを破った場合、ルールを破った者に対して属人的に責任が追及される。この世界には時効はない」からである。その上で、著者と特捜部の西村尚芳検事が調書の落としどころを模索する。
 その西村検事が著者を逮捕した三日後「これは国策捜査です」と言うのである。そもそも国策捜査というものが何であるか、私は知らなかった。
それは簡単に言ってしまえば、政府の政治的意図によって恣意的に行われる刑事事件の捜査のことなのだが、それはライブドアや村上ファンドの事件もそういわれている。
 で、もっと詳しくその国策捜査とはなんぞやと感じていると、西村検事が著者との取調中の会話に詳しく出てくる。長くなるが引用する。ここに引用したのはほとんどが西村検事の言葉であるが、当然会話である以上著者の言葉もある。しかし長くなるので省いてしまった。ただしどうしても必要なところは、最後に(著者)と入れた。


「あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」

「評価の基準がかわるんだ。何かハードルが下がってくるんだ」

「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハードルが下がってきているんだ。一昔前ならば、鈴木さんが貰った巣百万円程度なんか誰も問題にしなかった。しかし、特捜の僕たちも驚くほどのスピードで、ハードルが下がっていくんだ。今や政治家に対しての適用基準の方が一般国民に対してよりも厳しくなっている。時代の変化としか言えない」

「そうじゃない。実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準は決めなくてはならない。僕たちは、法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と同じで、その基準で事件に対処しなくてはならない。外務省の人たちと話していて感じるのは、外務省の人たちの基準が一般国民から乖離しすぎているということだ。機密費で競走馬を買ったという事件もそうだし、鈴木さんとあんたの関係についても、一般国民の感覚から大きくズレている。それを断罪するのが僕たちの仕事なんだ」

「一般国民の目線で判断するならば、それは結局、ワイドショーと週刊誌の論調で事件ができていくことになるよ」(著者)

「そういうことなんだと思う。それが今の日本の現実なんだよ」

「それじゃ外交はできない。ましてや日本のために特殊情報を活用することなどできやしない」(著者)

「そういうことはできない国なんだよ。日本は。あんたはやりすぎたんだ。仕事のためにいつのまにか線を越えていた。仕事は与えられた条件の範囲でやればいいんだよ。成果がでなくても。自分や家族の生活をたいせつにすればいいんだよ。それが官僚なんだ。僕もあんたを反面教師としてやりすぎなようにしているんだ」

「鈴木先生だって、納得できないと思うよ。『やまりん』なんて、既に国会質問でクリアーされた事件で逮捕されるんだから」

「賄賂だって、汚いのとそうじゃないのがある。鈴木さんの場合はそうじゃない方だ。潰れかかっているかわいそうな会社を助けたわけで、道義的には恥ずかし話じゃない。しかし、賄賂は賄賂だ。この辺は法適用のハードルが低くなってきたんだから、諦めてもらわなくてはならない」

「それは諦めきれないだろうな。それに可罰的違法性の観点からも問題があるんじゃないか」(著者)

「可罰的違法性については、一般の公務員が十万円現金で賄賂をもらったら、確実にガチャン(手錠をかけられるの意味)なんて、問題ないよ。以前のように、政治にはカネがかかるという常識を国民が認めなくなったから、『やまりん』でも鈴木さんがやられるようになったんだよ」

「国策捜査は冤罪じゃない。これというターゲットを見つけだして、徹底的に揺さぶって、引っかけていくんだ。引っかけていくということは、ないところから作り上げることではない。何か隙があるんだ。そこに僕たちは釣り針をうまく引っかけて、引きずりあげていくんだ」

「そうじゃないよ。冤罪なんか作らない。だいたい国策捜査の対象になる人は、その道の第一人者なんだ。ちょっとした運命の歯車が違ったんで塀の中に落ちただけで、歯車がきちんと噛み合っていれば、社会的成功者として賞賛されていたんだ。そういう人たちは、世間一般の基準からするとどこか無理をしている。だから揺さぶれば必ず何かでてくる。そこに引っかけていくのが僕たちの仕事なんだ。だから捕まえれば、必ず事件を仕上げる自信はある」

「特捜に逮捕されれば、起訴、有罪もパッケージということか」(著者)

「そういうこと。それに万一無罪になっても、こっちは組織の面子を賭けて上にあげる。十年裁判になる。最終的に無罪になっても、被告人が失うものが大きすぎる。国策捜査で捕まる人は頭がいいから、みんなそれを読み取って、呑み込んでしまうんだ」

「アハハハ。そうそう運が悪い。ただね、国策捜査の犠牲になった人に対する礼儀というものがあるんだ」

「罪をできるだけ軽くすることだ。形だけ責任をとってもらうんだ」

「被告が実刑になるような事件ははよい国策捜査じゃないんだよ。うまく執行猶予をつけなくてはならない。国策捜査は、逮捕がいちばんの大きいニュースで、初公判はそこそこの大きさで扱われるが、判決は小さい扱いで、少し経てばみんな国策捜査で摘発された人々のことを忘れてしまうのが、いい形なんだ。国策捜査で捕まる人たちはみんなたいへんな能力があるので、今後もそれを社会で生かしてもらわなければならない。うまい形で再出発できるように配慮するのが特捜検事の腕なんだよ。だからいたずらに実刑判決を追求するのはよくない国策捜査なんだ」


 検事がここまで言っちゃっていいのだろうかと思うけれど、でもこれだけはっきりとものを言う検事は逆にいい検事さんという印象を読む側にも与えるし、取り調べられた著者にしても、西村検事を悪いイメージでとらえていない。むしろこうして自分とのやりとりを本であからさまにしてしまったことで、西村検事の進退に何らかの影響を与えたんじゃないかと心配しているくらいだ。幸い西村検事は今は最高検検事になっている。
 さてここにも「可罰的違法性」という言葉が出てくる。著者はこの本で次のように説明する。

「可罰的違法性の観点とは、厳密に言えば法律違反だが、誰もがやっていることなので、あえて刑事罰を与えるには及ばないという意味だ。要するに『お目こぼし』の範囲内ということだ」と。

 つまり先にも書いたが、法律違反だけれど、それほど目くじらたてるものじゃない。だけどあえてそれをすることでものごとがスムーズに行くならそうせざる得ない。だからちょっとやってしまった。一方取り締まる方も、それじゃ仕方がないよなと納得できる範囲のことだと思う。しかしそれがだんだん許されなくなってきてしまっている。西村検事が言うように「ハードルが低くなってきている」のである。一般国民が許さなくなってきてしまっているのである。世間が許さないという範囲がだんだん狭まってきていて、ぎすぎすしてきているのである。そしてそれを作っているのが著者が言う「ワイドショーと週刊誌の論調」なのである。東京地検だって世論の風潮を完全に無視して捜査はできないのであろう。
 これは今盛んに新聞やテレビを騒がせている「偽装問題」にも通ずる。食の安全ばかりをマスコミが強調しすぎるため、少しの余裕も許されなくなってしまっている。食の安全を本当に考えるなら、BSEなどはもっともっと追求すべきなのに、それをしないで和菓子の表示偽装などに目くじらたてている。BSEは何十年後かには多くの患者が出ちゃうんだよ。そして確実に死んじゃうんだよ。本質を見抜かないで細かいことに目を奪われていたらえらいことになる。私は何においても多少のおこぼれはあってもいいと思っているし、逆にそれが物事をスムーズに動かしていくことになるのではないかと思っている。

 話がずれた。ではどうして著者と鈴木宗男氏に「時代のけじめ」をつけさせる必要あったのだろうか。それは小泉政権成立が大きく関わっている。小泉政権成立後内政、外交が大きく変化したのだ。著者の分析が面白く、さすがと思った。
 小泉政権成立後、内政では、ケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換、外交では、地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換したのだという。
 「ケインズ型公平配分路線」とは今まで日本の政治が行ってきた、悪い言葉で言えばばらまき政治なのだろう。しかしそれはそれでみんなが、あるいは地方もある程度富を分配していた。
 ところがら「ハイエク型傾斜配分路線」とは競争原理を強化することによって、日本経済を活性化し、国力を強化することを目指す。従って官から民への権限委譲、規制緩和、個人が何よりも重要で、個人の創意工夫を妨げるものはすべて排除することが理想となり、経済的に強い者が自分たちがもっと強くなることで社会を豊かにするという路線である。
 そして外交に関しても、今までは困ったときはお互い様。仲良くやりつつ、問題を解決しましょうという路線から、日本人の国家意識、民族意識の強化をめざす。小泉さんの強行までとも言える靖国参拝などいい例であろう。著者はこれを「排外主義的ナショナリズム」という。
 この内政・外交路線の変更が鈴木氏をターゲットとしたことによって、二つの大きな政策転換が容易になったと言っても過言ではない。鈴木宗男氏は旧態の政治路線をそのまま行っていたのだ。そして鈴木宗男氏についていた著者も同様に逮捕されたわけだ。著者は次のように言う。

「鈴木宗男氏は、『公平分配モデル』から『傾斜配分モデル』へ、『国際協調的愛国主義』から『排外主義的ナショナリズム』へという現在日本で進行している国家路線転換を促進するための格好の標的になった」

「鈴木氏が国策捜査の対象となった大きな要因は、この二つだという見立てでまず間違いない。そして鈴木氏のパーソナリティー、さらに田中眞紀子女史との対決が、国民の目線から悪役鈴木宗男を形成する上で大きな役割を果たした」


 この小泉路線の歪みが、地方の疲弊、格差社会の形成をすすめた。それが先の参議院選挙で自民との大敗北となったのは周知の事実である。劇場型政治踊らされていた国民は、気がついたらとんでもないことになっていたことに気がついたのである。言ってみれば馬鹿踊りされていた国民が鈴木宗男氏を時代が断罪したのかもしれない。
 そしてさらに言わせてもらえば、西村検事がいう「ハードルを低くした」のは国民で、自分たちに余裕がなくなったことで、他者を許せなくなってしまっているところが、そうさせたのではないかなんて思う。そしてそれはいつか自分たちの首を絞めかねないことになるかもしれないのに、そう動いていることをわかっているのであろうか?

 この本は一外交官の逮捕だけじゃなくて、つい今まで進んできた日本の政治に警鐘を鳴らしているように思えてならなかった。


評価
★★★★★


書誌
書名:国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて
著者:佐藤 優
ISBN:9784101331713 (4101331715)
出版社:新潮社 (2007-11-01出版) 新潮文庫
版型:550p 15cm(A6)
販売価:740円(税込) (本体価:705円)

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