2007年11月14日
石井忠著『漂着物事典』
確か今月17日に閉店してしまう書肆アクセスの売上良好書の一冊にこの本は入っていたと思うが、それを確認してみようとサイト内をあっちこっち探してみたが、閉店が近い関係で、それ一色になっていて、確認できなかった。私はこの本はだいぶ昔に買っていて、読まずにそのまま本棚にしまい込んでいたのをふと見つけ、今回手に取った次第だ。
世の中には思いもつかないことに興味を持つ人がいて、この著者も浜辺に打ち上げられた漂流物から、おもしろいもの、変わったものを収集している。
確かに旅行など行って、朝早く起き、海辺を散歩したときにきれいな貝殻など拾っちゃったりすることはある。島崎藤村の「名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実ひとつ」みたいな南国のロマンを感じさせるものもあるようだけれど、浜辺に打ち上げられているもののほとんどはゴミだろうから、その中からお宝を探すのは大変だろう。しかしこうして収集品をまとめて、整理すれば学問的に価値が出てきてしまうところがおもしろい。
あとがきによると著者は九州の玄海灘沿岸を砂浜を18年歩いて、漂着物を探したという、そしてその収集品をあいうえお順にフィールドノートとしてまとめたのがこの本である。ネットで著者のことを調べてみると、現在も歩き続けていられるらしい。ネットでは少しその収集品が公開されている。
http://www.polepoleto.com/city/area/ishii.html
日本列島は四面環海である。海岸の縦延長は26,540キロにもおよび、これはソ連、オーストラリアに次ぎ世界第三位だという。しかもいくつもの海流が日本沿岸を流れている。従って漂着物が多く流れて、たどり着く。著者によると「それとのかかわりは列島に人々が住みついて以来からのもので、生活に欠かすことのできない大きな比重を占めていたのである。
時化た後に浜に打ち上げられる魚介や海草、流木などは最近まで『浜あるき』、『灘ばしり』という漂着物を求めて歩く習慣として残り、それはとりもなおさず古代から脈々と続く沿岸民の姿でもあった。漂着物は沿岸民に恵みを与え、珍奇な物や海に洗われた姿を神として崇めたり、建物にあてられもした」という。
開高健さんのエッセイに、北海道の浜辺に住んでいる老人が鯨が打ち上げられたというので、大喜びして酒盛りをしたが、後で腐っていて食べられないことがわかり、えらいめにあったと書かれていたのを思い出した。この話はともかくとして、多分古代において河口に住む人々にとってみれば、打ち上げられたものは食糧にもなっただろうし、神として崇められただろうということは想像できる。実際河口付近には縄文人が住んでいた跡が数多く見つかっているところを見れば、きっと暮らし良かったのだろう。
著者の住む玄界灘は中国大陸に顔を向けた感じのところで、中国や韓国、あるいは南方の漂流物がたどり着いている。おそらく漂流物だけでなく、古代において大陸の人々が行き来した可能性だってある。実際玄界灘にはあの「漢倭奴国王」の金印が見つかった志賀島がある。
考えてみれば、日本人のルーツをたどれば、大陸系、あるいは南方系にせよ、海から渡ってきたわけだから、たかが漂着物だと馬鹿にもできないような気がする。大陸から、あるいはもっと南方からの漂着物があるということは、人に行き来も古代にはあっただろうと想像できる。そう考えると、漂着物にもロマンを感じられるではないか。
この本は現代の漂着物をまとめたものであるが、やはり中国、韓国の生活不要品が多く流れ着いているようである。しかしいくら不要になった物であっても、かつては使われた物であるから、そこから生活の一端がうかがえる。日本にも同じものがあっても、色や形が異なった物であることを知らされる。それこそ様々である。
また海洋生物の死骸なども流れ着く。オームガイの貝殻も流れ着くという。こんなの見つけたらわくわくしちゃうかもしれない。もちろん椰子の実も流れ着く。
でも最近は時代を反映して、医療廃棄物など恐ろしい物も流れ着くというニュースをテレビで見たこともある。ロマンや歴史を感じるだけじゃ済まなくなっているのだろうか?
評価
★★★
書誌
書名:漂着物事典 海からのメッセ-ジ
著者:石井 忠
ISBN:9784906234103 (4906234100)
出版社:海鳥社(1986/11出版) 海鳥ブックス
版型:261p 19cm(B6)
販売価:1,630円(税込) (本体価:1,553円)
この本は現在品切れで、新版が出ています。
- by kmoto
- at 10:40
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