2007年11月09日
立川昭二著『からだの文化誌』
昔買った本を取り出し読み始める。なんか一度読んだことがあるような気もしないでもないが、まぁいいやと思いつつ、ページをめくる。昔は立川さんのファンで、結構読んだのだが、今回読んでみて、それほどでもないかなんて思った。
立川さんのこの手のエッセイは小説など文学作品や絵画などから文化としての病気などを語る手法が多いが、今回はやたら俳句や短歌が多いなと感じていたら、このエッセイは『俳壇』という俳句の総合雑誌に連載されていたものをまとめたものと「あとがき」にあったので、なるほど、そういうことかと納得する。
この本は「からだの文化論」、「からだの記号論」、「からだの演劇論」の三つに分かれているが、別に分ける必要性も感じなかった。要は俳句を中心に、その他の文学作品、絵画などから、日本人のからだのパーツごとに隠されているメンタリティ(心性)を語っていく。
もちろん「からだ」を語れば必然的に「病気」も語らざるを得ない。むしろ健康な身体を蝕む病気を語ることで、今まで日本人が持っていた文化を語ることになるし、最近の劇的変化も語ることになる。立川さんは「病むとは、止むことである。働くことも遊ぶこともできなくなり、ときには食べることも動くこともできなくなる」から、「人は病むとき、その人あるいはその家族の本質をもっともはっきりと表す。人は病むとき、死に直面したとき、はじめて自己が見え、まわりの世界もはじめて鮮やかに目に映る。そして、人間社会もまた、疫病におそわれたとき、その社会特有の構造ももっとも鮮やかに露呈するのである」という。
だからこの本でも、からだのパーツだけでなく、ヒトの病気、社会の病気の根源も探っていく。
それでは読んでいておもしろいなと思ったところいくつか書き出してみる。
まずは「頭」の項目である。立川さんは「日本人は、比喩的にいうと、明治以前は胸や腹で考えていたといっていい。日本人が頭で考えるようになったのは、明治以降である」という。だから「私たち日本人は、心で思っていることを『胸の内』あるいは『胸中』という言い方をする。『頭の内』とか『脳中』とは言わない。『胸に聞く』『胸が痛む』あるいは『腹をきめる』『腹が立つ』というのも、すべて心のことである」。
胸や腹などの身体語の入った慣用句が今でも日本では日常的に生きている。それは「日本人メンタリティ(心性)の基層に脳より胸や腹を大事にする考えが依然と存在している証拠である」という。だからこそ「この辺に日本における脳死論議のむずかしさが隠されているかもしれない」という考えはおもしろい。脳が死んじゃっても、生命維持装置で胸や腹は生きているのだから、それは死とは言えないというところだろう。
「足」の項では、「手が文化を象徴するなら、足は文明を象徴している。人間の文明は直立二足歩行することによって始まったし、足の長さや強さは文明と密接な相関関係ある」というフレーズは何となくわかるような気がする。
ここでは日本人が高度成長期以降素足や裸足の感触失ったといい、通りを歩く下駄の音が聞かれなくなったというのは実感する。というのも私は下駄が好きであった。大学時代それこそかまやつひろしさん「我が良き友よ」のフレーズじゃないけれど、下駄を履いて通っていた。あの素足に感じる下駄の感触は何とも言えずいいものだ。それに下駄で歩くときの音もいい。それと比べると、最近の若い女性がヒールをカタカタならして階段を下りる音は、あれは甲高いだけで耳障りだ。
「眉」の項では、「眉はヒトしかない。それだけに、眉は人間の感情をいちばんよく表す造作でもある」といい、日本人も顔の中でいちばんこだわってきたという。しかし平安時代からあと、成人すると眉を消し去るようになった。なぜか。それは「眉は微妙な感情を表す造作である。、眉を抜いたり剃り落としたりすることは、その機能を否定することを意味する。眉を通してコミュニケーションが不能になる。つまり眉を消去した人は、それぞれの社会で眉によるコミュニケーションを禁じられたことになる」。だから結婚した子供を産んだ女性や身分の高い男性や稚児などはそうしたのだという。なるほどね。ちなみにあの「モナ・リザ」にも眉がないそうである。知ってました?
ちょうどこの項目を読んでいたのが、電車の中であった。偶然社内で化粧している女が目に入り、私も一句思いつく。
「社内にて 化粧終えて、大欠伸」
「眠り」の項では、東北のねぶた祭りの語源が、「眠たい」から来ているというのである。なぜかというと、昔の農民にとって眠気は労働の敵であった。農作業妨げになる。だからその睡魔を供え物と一緒に水に流そうというのがこの祭りだという。へぇ~、そうなんだと感心する。
最後に「老い」の項。立川さんは「今日のような高齢化社会と高度医療の時代、そうした身体の老化による老いの自覚を自然に受け入れることを許さない。自然の老化現象もみな病気であるとされ、治療の対象にされてしまう。多くの人は『老人』ではなく、『病人』とされ、また多くの人は『老人』より『病人』になりたがる」という。たぶんこれは正しいのだろう。
自分の老いを老いとしてなかなか認められないところはよくわかるけれど、歳をとると、何でもかんでも病気にされ、治療の対象にされてしまうのは困る。また自分の老化を病気だと勘違いする風潮も問題だ。医療産業の陰謀で病人を増産していることにだまされているのではないか、なんて思ったりする。
評価
★★★
書誌
書名:からだの文化誌
著者:立川 昭二
ISBN:9784163512907 (416351290X)
出版社:文芸春秋 (1996-02-25出版)
版型:309p 19cm(B6)
販売価:1,732円(税込) (本体価:1,650円)
☆この本は現在品切れのようです。
- by kmoto
- at 20:30
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