2007年11月29日

荻原魚雷著『古本暮らし』

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 先日ブックオフの「500円均一セール」で買った数冊の内、第一弾としてこの本を選んだ。正直それほど期待はしていなかった。著者もどんな人か知らない。だいたいこの本を選んだの書名に惹かれたからだ。私は古本と書かれた書名にはどうしても飛びついてしまうところがあるのだ。でも、読了後、「なんかいいかも」なんて思った。

 「歳をとると、新しいものにだんだん反応できなくなってくる。衰えではなく、過去の蓄積が今のものをきびしく査定してしまうのだろう」

 「いろいろな本を読み、それなりに目が肥えてしまうと、自分を満足させる本を見つけることが年々むずかしくなってくる」

 「最近、惰性で本を読むことが多い。自分の中にちっとも響かない読書をしている気がしてしょうがない」

 「自分をかえりみると、新しいものにたいする反射神経は鈍ってきたなとおもったのは三十歳前後だった」

 「体力に個人差があるように、欲望にも個人差がある。でも好奇心や欲望のおもむくままにいかなくなったのは、体力のおとろえとも関係している気もする。
 若いときは疲れを計算しなくてもいい。でもだんだんそういうわけにはいかなくなる。
 毎日、朝まで飲んでいたら、仕事に支障が出るし、からだも壊す。なにをするにせよ、ブレーキをかけながら、ほどほどに楽しもうとしてしまう。おもいっきり、力いっぱい、全力投球みたいなことができなくなって、そうすると、欲望もセーブするようになって、だんだん、気力もわかず、気合もはいらず・・・・というようなことになってくる。
 新しいことをはじめるのが億劫になるのは、脳の老化現象だという説がある。
 歳をとって、からだやあたまがおとろえるのは、自然なことかもしれないが、多少は抵抗したい。でもあまりガツガツしているのは見苦しい。そのへんのさじ加減がむずかしい」

 と著者が年齢を重ねることで起こる、おとろえや、身体や頭の変化をこのように語る。で、いったい著者はいくつなのだろうかと思い、プロフィールを見ると1969年生まれとある。えっ、今年38歳でもうこのように感じているのかと思った。正直、私と同じかそれ以上の年齢だと思っていたのだが・・・。著者は若い頃、学生運動など活発に活動していたようだから、それをやめたら、自分のおとろえを感じるのかもしれない。あるいは古本などに興味を持っていると、ジジクサクなるから、余計にそう思うのかもしれない。私から言わせれば、ちょっと早すぎるんじゃないとは思うけれど、個人差もそれまでの環境もあるだろうから、このように感じるのは仕方がないのかもしれない。
 このように多少違和感がないでもないが、言っていることはどうも最近の私が感じていることと一致しているところが多い。思わず、うん、うんそうだよななんて思いつつ読んでいた。私も今は若い頃のようにはいかないのだからそれなりの生活をしようと思っている。無理をしても結局堪えるのは自分なのだから、と考えている。が、自分のおとろえをそう簡単に認めたくないところもある。年相応というのにはどこか抵抗したいところがある。著者もこの本で自分のおとろえを感じつつも、どこか抵抗したいというところが感じられて、ちょっと好感を持った次第だ。
 ただ、やっかいだなと思うことがある。著者が「体力のおとろえは、精神力や経験でカバーできる。精神力がおとろえたら、どうすればいいのだろう」と言っているのを読んで、確かにそうだと思うのだ。自分も今のところ気力はあるのだが、やっぱり徐々にではあるが、きっと確実にそれが減少していっている部分があるんじゃないかと思うことがある。
「三十歳をすぎて、自分の限界みたいなものが見えてきて、自分は自分にできることをやるしかないとおもえるようになった」とか、「三十歳すぎたころから、人生の残り時間ということをかんがえるようになった。『このままぱっとしないで・・・』というおもいがしょっちゅう頭をかすめるようになった。いかん、いかん。『今さら』とか『もう手おくれ』というかんがえをふりはらいつつ、なんとかもうすこしマシな人生をおくれるように気持の立て直しをはかる」というのは、本当によくわかるのだ。これはかなりやばいと思いつつ、どうにもできない自分も一方にあるものだから、ほとほと困り果てている。
 もちろん今更一花咲かせたいなんて気持はさらさらないのだが、ただ自分の人生の残り時間をふと思うと、いったい何ができるんだろうという不安にかられる。
 本一つとってみても、本棚にある本を自分が死ぬまでに読み切れるだろうかなんて思うと、おちおち寝てもいられなくなる。若い頃は、歳をとって落ち着いたらゆっくりと読めばいいなんて考えていたけれど、それどころじゃない。だいたい昔買った本の文字が小さく苦労している始末なのだから、どうしようもない。
 それと最近やたら愚痴っぽくなってきたというか、屁理屈を並べるようになったと自分でも思うのだ。著者も自分が喫煙家なので、最近の風潮として、おちおちたばこが吸えなくなってきていることを、「愛煙家の自己弁護はたいてい屁理屈である。しかしさらに屁理屈をいわせてもらえば、屁理屈をいっさい許容しない世の中はつらいなあとおもう」と書いているが、ほんと最近の世の中は、許容範囲がやたら狭い。結局それは自分たちでそうしてしまっていて、結果として自分たちの首を絞めてしまっていることがわからないからじゃないかなんて思うのだ。
 最近のニュースなど見るにつけ、読むにつけ、そう思うのだ。そう思って、かみさんにそんな屁理屈や愚痴を言っている自分を発見することが多くなってきた。
 もう一つの私のブログは日々起こったことや感じたことを書いているのだけれど、その下書きを書いていると、最近はそんなのばっかりで、いやになってしまい、そのまま破棄してしまっていることが多い。自分でもいやだなと思うのだ。(そのため更新の回数が減っているのだ)

 なんか本のことを書こうと思っていたのに、こんなことになっちゃった。でもこの本最近の私の気持ちと妙に一致するところがあり、またそれなりに苦悶しつつも、何とか日々を過ごしているところを読むと、なんか元気が出てきて、小市民的な生き方にちょっと感銘を覚えた。
 この本はブックオフに売り戻さずに、棚に収めておこうと思う。


評価
★★★


書誌
書名:古本暮らし
著者:荻原 魚雷
ISBN:9784794967107 (4794967101)
出版社:晶文社 (2007-05-05出版)
版型:219p 19cm(B6)
販売価:1,785円(税込) (本体価:1,700円)

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