2007年12月03日

日垣隆著『そして殺人者は野に放たれる』

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 この本は刑法39条による悪法がいかに犯罪者を野放しにしているかを、実際あった事件やその判決から語っている。あとがきによると著者の弟さんも理不尽に殺され、またお兄さんも長いこと精神分裂病あったことから、被害遺族として、また身内に精神障害者いることで、この刑法39条の理不尽さと取り組むことになったという。
 刑法39条とは1.心神喪失者の行為は、罰しない。2.心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。というものである。詳しいことは知らないが、この本を読む限り、この三九条は明治に刑法が制定されたときからそのまま残っているようである。
 心神喪失というのは、犯行時における是非弁別を全くできない場合をいい、心身喪失ではないが充分な弁別ができない状態にある場合を心神耗弱(しんしんこうじゃく)というらしい。
 そしてわれわれは最近の凶悪犯罪の裁判でこれが乱発されていることに憤りを感じているはずだ。日本という国は加害者を一所懸命守るけれども、その被害者の救済にはほとんど手がつけられていない状態だといってもいい。ちなみにこの本によると「この年(1996年)、日本全体で加害者には総計46億円の国選弁護報酬と食料費+医療費+被服費に300億円も国が支出した。対照的に、被害者には遺族給付金と障害給付金を合計して5億7000万円しか払われていない」という。しかも加害者が精神障害もしくは責任能力がないと思われたら、その時点で加害者の名前は伏せられ、被害者の名前が大々的にマスコミで報じられる。
 この刑法39条があるおかげで、犯罪者は訳のわからないことをつぶやけば精神的に問題があるのではないかということになり、お得意の「精神鑑定」が行われる。その鑑定で異常があると言われれば、無罪、あるいは刑が軽減されることとなる。従って「何度もの刑事被告人体験なのかで、『ほとんど記憶がない』『異常な泥酔状態にあった』『覚醒剤を打っていた』ことが、罪科の加重ではなく、逆に日本では無罪や刑減軽の理由になると知った者たちが、この“救済”法を重大事件に際して思い浮かべるのは、むしろ自然なこと」になる。いわゆる詐病である。裁判でこの通りいって、刑が軽減された被告人が「ニヤっと笑った」という記述がこの本にはある。
 著者によると、「思慮分別のない犯罪を、日本の刑法は心神喪失と読んで特別扱いをしてきた。欧米では、ただ精神異常と呼んでいる。この国では心神喪失があまりにも安易に乱発され、不起訴または無罪放免となる殺人者だけで毎年百数十人にも達する。犠牲者数は、無論これより多い」という。
 著者は精神鑑定が害悪で、時間の無駄と断罪するが、その理由を次のようにあげる。

1.精神鑑定は必ず刑を減ずる。または事件そのものがなかったことにする方向で作用する。日本裁判史上、精神鑑定により刑罰が加重された事例は一つもないということ。

2.精神鑑定が惹起されるような事件は、そうでないものに比べて、その異常性において異彩を放っている。精神鑑定を「やむをえないこと」とする発想は、より凄惨かつ不可解な事件を「なかったこと」として闇に葬り去る役割を果たしてきた。

3.事件の深層は精神鑑定がなすべき務めではなく、刑事裁判全体が果たすべき任務。

4.精神鑑定は科学的検証に全く耐ええない。結論は専門家によって異なる。あるいは学派によってあらかじめ決められている。精神鑑定は科学ではなく、証拠でもなく、事件が起きた過去の一時点における精神状態を推理することにほかならないこと。

5.従ってというか、精神鑑定をしても「結局わからない」のが本音なのだが、それをわからないとは書けない。あるいは医師である以上病者の味方であり、いかに治療し、助けてあげられるかというイデオロギー的観点から精神鑑定を引き受けている者もいる。さらに精神分裂病は病気であり、病人に刑罰を課すことは意味がなく、それよりも治療を行うべきという考えに基づく。しかし日本には精神障害者を処遇する施設は一つもなく、結果的に「野放し」を常態化させることになる。また39条が廃止されると、多数の凶悪犯罪を無罪化する“弁護士のお仕事”がなくなるから、日弁連も強行に反対していること。

6.精神鑑定が推測に基づく意見にすぎないにもかかわらず(参考にはなるとしても)、これを責任能力鑑定として検察庁または裁判所が真に受け、または鑑定書を言い逃れの担保として、心神喪失的事件の8割不起訴、2割が裁判で心神耗弱が認められて刑の軽減が図られる不条理さがあること。

7.仮に精神鑑定や刑法39条を是とするなら、「①故意に、みずから精神の障害を招いて罪となるべき事実を生ぜしめた者には、前条の規定を適用しない。②過失により、みずから精神の障害を招いて罪となるべき事実を生ぜしめた者についても、前項と同じである」という条文を至急追加すべきであること。(順不同)

 以上のことから刑法39条は廃止しても、「《罪を犯す意思がない行為は、罰しない》(刑法38条)および《犯罪の情状に酌量すべきものがあるとき、その刑を減軽することができる》(刑法66条)があれば必要かつ充分なのである」と言う。その上で「何人も、故意に基づく凶悪犯罪に対して、責任と刑罰を免れるべきではない。傷害や死亡事件が明らかに病のみを原因とする過失であるならば、まさに過失犯(刑法209条、210条)として裁けばよい。裁判に耐えられないほどの重篤な病に罹患している被告に限って、現行どおり強制入院を命じれば足りる」と言い切る。
 そもそもこの世の凶悪犯罪で正常な犯罪など存在するはずがない。それに素朴な疑問として重篤な精神病患者はそれなりの病院や施設に入所しているはずだ。巷で事件や事故など起こしようもない。あった場合はそれこそ監督責任を問えばいい。
 問題は軽度の精神病患者や刑法39条を盾にとって神病患者を演じる奴や覚醒剤常習者、飲酒などによる異常性を発揮する場合も、この刑法39条が適用されることの方が問題である。
 ところで司法試験には「原因において自由な行為」というのがあるらしい。要するに飲酒やシンナーなどは自らの意思によって為した行為であり、たとえそれが犯罪を結果したとしても、その「原因」となった行動を為すか為さないかは「自由」に選べたはずだから、したがって免責すべきでないという理論である。私はこれは正論だと思う。それにたとえば飲酒運転で死亡事故を起こした場合、有無も言わさず危険運転致死傷罪で逮捕するのだから、同様の理由で覚醒剤、飲酒で精神的におかしくなっていたとしても、それを打ったり、飲んだりするのは自由意思であって、その後精神的におかしくなっていたとしても、それはその結果だから、そのとき正常な判断がつかない状態だったとしても、問題外である。むしろ罪を加重すべきことであろう。
 そうあるべきなのに、「被告弁護側が心神喪失(異常)を、検察側が完全責任能力(正常)を主張し、裁判所その中間(心神耗弱)をとる、という実に安易で退廃的な判決が頻出する。正常と異常のあいだが心神耗弱なら、ほとんどすべての凶悪犯罪はその罪を減じられることにならざるをえない」ことになる。裁判って落としどころを探しているもんじゃないだろう。中間地点が心神耗弱なんて、いかに馬鹿げた法的屁理屈であるか!
 それに責任能力のない者を裁くことが人権無視というなら、事件や犯罪者をないものにしてしまって、無罪にする方が人権無視ではないかと思うのだ。だって「あなたは正常じゃないのだから」と公にしているのだし、そもそも事件がなかったことにされたら被害者の人権だって無視していることになるはずだ。
 著者の言うとおり、「刑法39条1項は、即刻廃止するのが人道的である」。それでなくても現在精神鑑定の乱発(日本では年間650件以上!)というのだから、余計である。


評価
★★★


書誌
書名:そして殺人者は野に放たれる
著者:日垣 隆
ISBN:9784104648016 (4104648019)
出版社:新潮社 (2003-12-20出版)
版型:253p 19cm(B6)
販売価:1,470円(税込) (本体価:1,400円)

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comments

おっ!読んだんですね、これ。
私はこれを読んでからもっと第39条について知りたくなり、色々調べて考えました。で、巡り巡って結局、第39条を悪用して嘘がバレちゃったら被告は死刑。精神鑑定で心神耗弱を診断した医師は免許失効。これに尽きる・・・に至りましたよ。
もっとも、精神鑑定も心理分析を主体としたものから、DNA多型の精査へと変遷する頃には、形骸化するかもしれませんけどね。

  • おおの
  • 2007年12月06日 19:19

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