2008年01月15日

阿刀田高著『海の挽歌』

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 最近些細なことで腹が立って、感情むき出しに怒っていた自分が、なにバカなことをしてるんだろうとか、言っているんだろうと、少し引いて物事を見るようになっている。ただ、それはやっとこの歳になって大人になったということじゃない。そんなことにいちいち付き合っておれんという気持ちがあって、もっと自分のやりたいことに自分の全神経を傾けたい、と大げさじゃなくて、そう思うようになったということである。だから、つまらんことに関わるのが時間の無駄という気持ちになってしまうのだ。それでいて本を読んでいると、その中に出てくる言葉や文章に妙に心惹かれ、こだわり、考え込んでしまうところがある。
 今回もこの本を読んで次の文章が引っかかってしまう。

 「人生なんて、右へ行くか左へ行くか、分岐点の連続だろ。あのときあっちの道を進んでいたら、どうなっていたか、その後の人生がまるで変わっているようなことって、いくらでもあるんじゃないか」

 「一つの道を選ぶたびに、無数の可能性を消していく。一つの人生の陰には、こうして消えていった人生の幻が山のように存在しているわけだろ。一種の亡霊だな。実態はなにもない。ただ、もしかしたらあったかもしれない人生がいっぱいさまよっている」

 このように主人公である宮島麦彦は元恋人の朋子の前で自分の人生を振り返る。麦彦と八年前別れた朋子は古代カルタゴという海洋民族が建てた国があったチュニジアにいた。麦彦は三十五歳、妻もいれば一人娘もいるサラリーマン。昔西洋史学を学んだ。不倫というものじゃない。ただ八年前急に別れた朋子に会いたかっただけのことだろう。偉そうなことは言えないけれど、男って、そういうところがある。今の生活を壊そうなんていう意識は全くない。ただ別れた彼女がどうしているだろうかとふと会いたくなるときがある。あるいはそれも捨ててきた人生の一つなのかもしれない。きっかけがあれば会ってみたいと思う気持ちは何となく自然なような気がする。麦彦にはそのきっかけがあった。だから朋子のいるチュニジアに向かう。

 基本的に歴史に“もし・・・”というのはあり得ない。ただそう想像を楽しむことは自由である。麦彦が思うように、「あのときあっちの道を進んでいたら、どうなっていたか」を自分が昔専攻していた西洋史のなかで、カルタゴのハンニバルに置き換えてみる。麦彦は朋子と僅かに残されたカルタゴの遺跡をたどる途中で、次のように言う。

「ハンニバルがローマに勝っていたらローマ帝国は存在しなかったろ、きっと。ローマ帝国がなければ、その後の歴史はまるで変わる。中世の歴史が変わり、ルネッサンスだってあったかどうかわからないし、フランス革命もなさそうだし、現在の世界地図だってちがっているね。歴史も個人も、いくつもの分岐点を通り抜けて現在に至ってるわけだけど、そのプロセスで“あっちの道へ行ってたら”という無数の可能性を捨てて来ている。実現されたものより、捨て去られて日のめを見なかったもののほうが、よっぽど多いんだ。死屍累々、そんな光景が見えて来る」と。

 確かにそうだろう。もしハンニバルがしっかりした後方支援を持っていたらローマはどうなったかわからなかった。けれど、史実としてハンニバルは局部戦ではローマに勝ったかもしれないが、結果としてローマに敗れた。そいうことなのだ。後になっての“可能性はあったかもしれない”は成り立たない。それは多分人生においても同じだろうと思っちゃう。今の人生がたくさんの可能性を消し去ってあっても、もう消し去ったものは消し去ったものなのだ。想像することは出来ても消し去ったものは復活しない。リセットはほとんど出来ない。仮にリセットを試みようとすれば、失敗するのがおちだ。それに歴史においても人生においても変えられない何かがあって、そう進むしかない“意思”があるように思える。つまりなるようにしかならないのではないか。あるいは変わっていたかもしれないけど、根本的には変わらなかったかもしれないのだ。朋子の言葉が印象的だ。

 「あのね、ハンニバルが勝っていたら世界は変わっていた・・・・と、私も考えたわ。でも、本当にそうなのかしら。たしかにローマ帝国はなかったでしょうし、カルタゴ帝国があったかもしれない。だけど、イエスは生まれ、キリスト教は広がり、マホメットは生まれ、イスラム教は広がり、地中海沿岸は同じような歴史をたどったでしょうね。ヨーロッパの平野に似たような国が興り、ナポレオンが出現し、革命が起こり、アメリカはさまざまな民族を集めた合衆国になり、世界戦争が勃発して原子爆弾が落ちる。こまかい部品の組合せはちがっても人類は同じような歴史をたどったように思えるの。どんな英雄の力でも変えられない、大きな歴史の意思のようなものを感じたりするのね、私は」

 麦彦も朋子と別れてから、同様のことを思う。
 
 「ハンニバルが勝っていたら世界はどうなっていたか。ローマ帝国の誕生はなく、世界の様相はまるで変わっていたように思えるけれど、案外、歴史の進行にはゆるぎない法則があって大綱はそれほど変わらないのかもしれない。
 同様に個人の生活でも、さまざまな分岐点を通過したあとで、
 -あのとき、あっちの道へ行っていたら-
 と、後悔を覚えることも多いけれど、同じ人間がやることなのだから、五年、十年の長さで考えてみれば成功も失敗も同じように遭遇して結局はよく似た道をたどり似たような状況に落ちつく。ちがうだろうか」と。

 最近私はこれでよかったのだろうか思うことがたくさんあって、思い悩むことが多い。たとえ違う選択肢があっても結果として、今と似たような状況になるのかもしれないなんて、半ばあきらめつつ、自分なりの結論を出している矢先にこの本を読んだものだから、やっぱりそうかもしれない、なんて思った次第だ。もちろん違う道もあったかもしれないけれど、もうそれはどうしようもできない。だから麦彦が考え至ったことは痛く同感しちゃうのだ。

 この本は先に読んだ阿刀田さんのエッセイで知った。読んでよかったと、本を閉じるとき素直に思った。人生の機微も充分感じさせてくれた。
 更にカルタゴの歴史も詳しく知ることができた。ローマによって徹底的に破壊された文明が確かにここにあった。けれどカルタゴ自身も優れた表意文字(アルファベットの起源となる)持ちながら、自分たちのことは多くを語らなかった。だから朋子がこの本で語るカルタゴをモチーフにした自作の物語は面白さの中に哀しみもあって、いいなぁと思った。
 とにかく新年早々いい本を読んだ。


評価
★★★★★


書誌
書名:海の挽歌
著者:阿刀田 高
ISBN:9784163132105 (4163132104)
出版社:文芸春秋 (1992-05-15出版)
版型:286p 19cm(B6)
販売価:どうやらこの本も新刊書店では手に入らないようです。

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