2008年01月12日
ギャヴィン・デ・ビーア著『アルプスを越えた象』
この本は先に読んだ阿刀田さんエッセイで知った。さっそく手に入れ読んでみた。この本について感想を述べる前に、私にとっても復習の意味で、ポエニ戦争の歴史的背景を簡単に押さえておく。
ポエニ戦争とはローマ人とフェニキア人のカルタゴと、地中海の覇権をめぐって三回に分けて戦われた戦争である。
第一次ポエニ戦争(紀元前264年 - 紀元前241年)
当時、シチリア島は西半分をカルタゴが押さえ、東半分がギリシア人勢力の押さえていた。ここでの小競り合いから、ローマとカルタゴが地中海の覇権をめぐって23年間にわたって争うこととなる。
陸上ではローマ軍が優勢であったが、如何せん当時のローマ軍は海軍を持っていなかったため、カルタゴの補給線を絶つ事ができなかった。ローマはギリシア移民の多い同盟諸国から軍船を供出してもらい、更に「カラス」とよばれる桟橋を用いて敵の船に乗り込む戦術によって海戦を歩兵同士の戦いに変え、カルタゴ海軍を撃破する。
この第一次ポエニ戦争の結果はローマの勝利となり、ローマはカルタゴに厳しい講和条項と多額の賠償金を課した。またローマはカルタゴに代わって地中海を支配する国になった。
第二次ポエニ戦争(紀元前219年 - 紀元前201年)
いわゆるハンニバルによるローマ侵攻である。ハンニバルは諸部族をまとめて軍隊を養成。5万の兵と37頭の象を連れ、アルプス山脈を越えてイタリアへ進軍し、第二次ポエニ戦争が開戦する。イタリア半島各地でローマ軍を撃破し、紀元前216年のカンネーの戦いではローマを完敗させたもののすぐにローマ攻略へは向かわず、一進一退の膠着状態が続いた。その後ハンニバルはスキピオ・アフリカヌスにザマの戦い(紀元前202年)で敗れ、第二次ポエニ戦争はカルタゴの敗北に終わった。
第三次ポエニ戦争(紀元前149年 - 紀元前146年)
カルタゴは二度の戦争で領土の大半を失ったにもかかわらず、ローマへの高額の賠償金を繰り上げて完済した。その驚くべき経済力と復興力はローマにとって脅威であった。ローマ内では大カトーを始め、ローマへの将来の禍根を断つ為、いつかカルタゴを徹底的に破壊すべき、という意見が増え始めた。そして大カトーの主張が通り小スキピオによるカルタゴを完全に滅ぼし、ローマ軍は住民のほとんどを殺すか奴隷にした。さらに土地を塩でまき、不毛の土地にしてしまった。
以上がポエニ戦争の概略である。そしてこの本は第二次ポエニ戦争で、ハンニバルがアルプス越えをどのようなルートで越えていったかを考察した本である。
だいたいハンニバルが象をつれてアルプスを越える奇襲作戦は知ってはいたが、そのルートはどこだったのかなんて考えたこともなかったし、そんなことなどもうわかっているものだと思った。しかしそのアルプス越えのルートは今もって確実なルートは解明されていないという。その理由が、残っていただろうハンニバルのアルプス越えの記録がなくなってしまっていることによる。
訳者のあとがきによると、ヨーロッパの人々はハンニバルに強い関心を今でも持っているらしく、ハンニバルが象を連れてどのルートでアルプス越えをし、ローマにたどり着いたのかというのを、日本で邪馬台国がどこにあったのかとか義経の墓探しに夢中になるようなところと同じだという。
この本の著者はその後の歴史家ポリュビオスとリウィウスらが彼ら以前に残っていた歴史の記録から彼らが残した歴史書を元にしている。それらと他の歴史家が残した歴史書と比較しながら、気象学的、地形学的要素を取り入れて、ハンニバルのアルプス越えのルートを探っていく。
ところでこの本の著者の経歴が気になる。いったいギャヴィン・デ・ビーアという人物はどうな人物だったのだろうか。ギャヴィン・デ・ビーアはイギリスの生物学者で発生学の大家で、大英博物館(自然史)の館長を務めた人である。つまり純粋な歴史家ではないようだ。在野の著者がハンニバルのアルプス越えを解明するのは、やはりハンニバルのアルプス越えがヨーロッパの人々にかなりの関心があることをしめすものなのかもしれない。
まぁ、詳しいところはヨーロッパの地形が詳しくないので、正直なところ理解できなかった。この本にはそのルートを示した地図が載っているのだが、非常に見づらいし、地形がよく読み取れない。ネットで調べてみると、「ハンニバル・バルカが象と越えた峠はどこか?」とうサイトがある。(http://www.eu-alps.com/i-site/hannibal/hannibal0011a.htm)ここに色つきでハンニバルが通ったルートが示してあるので、何とか読み取れる。ただハンニバルが象を引き連れてアルプスを越えたのだから、地形図があればもっとリアルにそのルートを感じることができる。幸いGoogleマップ
でそのルートをたどることができる。
この地図の太い赤い線で書かれたルートがこの本の著者が推測したルートである。うまい具合に山間を抜けているのがわかるけれど、ただその行程は生易しいものじゃなかったようである。ハンニバルは本当はもう少し南(地図の下の方)のラルシュ峠を越えたかったらしい。しかしそこよりも標高が高いトラヴェルセッテ峠を越えている。これは案内人にだまされてここを通る羽目になったようだ。当然危険がかなり増す。峠を越えたのは10月頃と推測されている。ここはまだ前年の残雪もまだかなり残っているし、その上に新雪が降り、兵隊、馬などが滑り落ちた。
また大きな岩が道をふさいでいた。面白いと思ったのはこれを取り除くために、岩の周りで火をたき、酢をかけてたたき割ったらしい。
ハンニバルに立ちふさがったのは自然だけではない。ハンニバルが通る道には先住民がおり、彼らにとってみれば、ハンニバルの進行は、いわば自分たちの縄張りを土足で上がっていくようなものである。当然彼らと戦いながらアルプス越えをすることなる。つまりハンニバルはローマと戦う前に、その行路で先住民と戦いながら進まざるを得なかったのである。
ハンニバルは最初歩兵三万八千人、騎兵八千騎、象三十七頭(南フランス・アルル付近でローヌ川渡った時点)が、ポー川の平野に出たときは、一万八千の歩兵と二千人の騎兵を失った。象は何頭失ったのか、あるいは失わなかったのかその記録が残っていない。
しかしこうして苦労して象を連れてきたのに、ローマと戦ってすぐ、一頭を残してすべての象は凍死してしまった。残った最後の一頭にハンニバルは乗って軍を指揮した。ハンニバルはイタリアに十五年間とどまり、ローマと戦ったが、最初こそは奇襲作戦が成功して、勝利を納めたが、いかんせん後方支援を持たない彼はその後苦戦を強いられる。そして今度はカルタゴがローマに攻められ、本国に戻る。
帰国後ハンニバルは政治家となりカルタゴの行政改革、財政再建の為に経費節減による行政改革を徹底させて賠償金返済を完遂させた。しかし国内の彼の成功は反感者も生み出し、ローマに内通するものもあって、ハンニバルはカルタゴを脱出し、セレウコス朝シリアのアンティオコス三世の許へ走らざるを得なくなってしまう。ハンニバルはシリア軍を率いてローマと対峙するが結局は敗北する。ハンニバルは逃亡し、クレタ島、そして黒海沿岸のビテュニア王国へと亡命、その後服毒自殺した。
ところでハンニバルが率いていた象はアフリカ象であったのか、それともインド象であったのかという論争がまじめに行われているらしい。私からすればどう考えてもインド象であり得るわけがないと思うのだが、それがそうとも言い切れないらしい。もちろんそのほとんどがアフリカ象であることはスペインで発行されたカルタゴの硬貨の図柄から検証できる。
ところでエジプトのプトレマイオス王朝はシリアと戦争を繰り返していた。シリアは象を武装戦闘動物して使っていたが、その象が全部インド象であった。エジプトシリアと戦ううちにシリアのインド象を手に入れた。一方エジプトとカルタゴは友好関係にあり資金援助と象も送っているという。だからハンニバルがインド象を率いていなかったとは言い切れないらしい。学者の中にはハンニバルが率いていた象のうち一頭はインド象であったという人もいるそうだ。
この本はいろいろな意味で面白かった。まったく気にもしなかったハンニバルのアルプス越えに興味を持たせてくれたし、それ以上にカルタゴやハンニバル自身に興味を持ってしまった。
話は変わるけれど、ジャック=ルイ・ダヴィッドが描いた「アルプス越えのナポレオン」の絵の左下にはハンニバルの文字が見える。ナポレオンにしてみれば、自分もハンニバル同様アルプスを越えたことを示したかったのだろうか?
評価
★★★
書誌
書名:アルプスを越えた象―ハンニバルの進攻
著者:ギャヴィン・デ・ビーア
ISBN:9784783501855 (4783501858)
出版社:思索社 (1991-03-25出版)
版型:147,18p 21cm(A5)
販売価:どうやらこの本は新刊書店では手に入らないようです。。
- by kmoto
- at 09:39