2008年04月29日

宮本映子著『ミラノ 朝のバールで』

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 バールとは日本でいえば喫茶店のようなものなのだろうか?ただ、この本を読んでいると、単に喫茶店というだけのものじゃないことがわかる。イタリアの人たちにとって日常生活には欠かせない存在のようだ。宮本さんも一日の始まりをイタリア人の旦那さんとバールで始める。「イタリア人ならば誰でも、行きつけのバールというものをもっているはずである。そこに彼らは、一日に、二、三回通うこともある。
 行きつけのバールの決め手は、なんといってもエスプレッソがおいしいこと、家や職場から適度な距離にあること、バールマンの感じがいいことなども理由に挙げられる。(略)
 バールには一日何百人もの人が足を運び、その行為を繰り返す。
 一日のスタートをきる、仕事の合間に一息つく、週末の予定を立てる、お目当ての女性を誘う、サッカーの試合結果の予想を練るなど、バールはその要望に応じて姿を変えてくれる。
 もし仮に、イタリア中の町や村からバールを取り除いてしまったら、一体どんなことになるのだろう。彼らはきっと、大袈裟な身振りをして、まるで空気がなくなってしまったかのような表情になるに違いない。バールは彼らにとって空気の如きもの」という。

 宮本さんが十歳のときお姉さんから一冊の写真集が贈られた。その写真集はイタリアの風景、子供たち、猫の写真集で、その色彩が宮本さんを魅了した。以来その写真を撮った写真家と手紙のやりとりが始まる。写真家からの手紙はイタリアからの手紙が多く、そこに語られるイタリアはいつも人が人として生きていられる、実に人間くさい土地として宮本さんには感じられ、ますますイタリアに夢中にさせられていく。
 家庭の事情で大学をやめ、就職をしたが、ある時雑誌に「イタリアにウェイトレス募集」という求人広告見て、心を大きく揺さぶられ、二十四歳ときイタリアに渡る。
 ミラノの日本料理店で働いていたとき、カメリエレ(給仕人)のアントニオ・シネージさんと出会い、結婚する。宮本さんはシネージさんの両親と五人の姉妹と暮らし、一男一女をもうける。
 現在はシネージさんの経営するレストランを手伝いながら、イタリアで暮らしている。このエッセイはそのイタリアでの二十二年間生活をつづったものである。
 ここで描かれるイタリアでの生活は、日本では見られない熱い人間関係が読んでいるうちに懐かしくもあり、うらやましくも感じることができる。もちろん宮本さん自身そうした人との関係にうんざりしてしまうところもあるけれど、いつの間にかそうした人間関係を肯定していくあたりは、根はイタリアを愛しているんだなあと感じさせてくれる。
 宮本さんは確かにイタリアで生活はしているが、自分が日本人であることで、どこか距離を置いてながめてイタリアでの生活を語る。ただしそれは文明批評のようなさめた目で見るのではなく、あくまでもイタリアのいいも、悪いもすべて受け入れなが語りかけてくれる。だからここにつづられる文章はやさしく、あたたかい。読んでいる方も、あきれる一方、どこか“いいな”と思わせてくれる。なんでもそうだと思うのだけれど、最初から疑いの目や否定的な目で物事を見てしまうと、あら探しだけが際だってしまい、とげとげしくなる。
 宮本さんのこの文章を読んでいると、住んでいる国は違うけれど、人の接し方、生き方はどこでも同じだと言っているようである。そういうやさしさのある文章には時にはきらりと光る言葉が出てくる。

「こんな義父にめぐり合えることも、私の人生という書物の中に、以前からすでに書き込まれていたような気さえしてくるのだ」

「人間とは、ほんの些細な事にも腹を立てたり、くよくよしたり、喜んだり、希望に満ちたりしながら、日々を送るおかしな動物だ。それを大空から眺めると、我々の人生における凸凹なんて実は大したものではなく、大らかな曲線であるに違いない」

「しかし、私は絶対的な強さで信じるものがあることの幸福を思う。膨大な時の流れのなかで、ほんのわずかな一生という時の一片を公平に与えられて、コツコツと生涯を送る人間たち。めまぐるしい日々の合間に、それでもふと立ち止まることがある。誰でもそんな時が訪れる。その瞬間、人間は広大な宇宙のなかで限りなくひとりだ。信じるものとは、そんな時のためだけにあるのだと思う」

 それにしてもここで語られる会話の楽しそうなこと。そしてバールでのエスプレッソやパスタをはじめとする家庭料理は本当に美味しそうである。
 それにこの本の装丁もいい。宮本さんの一生を決定づけた写真家の写真が使われている。窓から光が差し込み、猫が二匹語り合っているかのような写真である。いかにもこの本がそうしたやさしいイメージの本であることを予感させてくれる装丁である。


評価
★★★★


書誌
書名:ミラノ 朝のバールで
著者:宮本 映子
ISBN:9784163699400 (4163699406)
出版社:文藝春秋 (2008-02-15出版)
版型:254p 19cm(B6)
販売価:1,450円(税込) (本体価:1,381円)

2008年04月26日

日本ペンクラブ編 阿刀田高選『恐怖特急』

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 いわゆるこうしたアンソロジーというのは、編纂する方が楽しんでいるんじゃないかと思ったりする。選出者テーマに沿ったものを選び出すのに、結構苦労するらしいことを阿刀田さんはエッセイで書かれていたが、選ぶ方としてはこれは入れたいけれど、本のページの制限もあるだろうから、捨てざるを得ないものや、これは絶対に入れたいという思いこみのある作品など、あれこれ悩みながら編纂しているのを楽しんでいるようにも思える。確か喜国雅彦さんも、もし自分が好きな探偵小説のアンソロジーを編めと言われたら、いろいろ悩むだろうと言っていたけれど、一方でそれを楽しんでいるところが感じられた。
 さて私の方はアンソロジーをほとんど読んだことがないので、どんなものなのか多少期待していたのだが、今回「いや~、これは怖いなぁ」と心底思えるものはなかった。
 たとえば映像や音などは有無も言わせず、いきなり来て、身構える時間を与えない。ダイレクトに恐怖感を味うこととなる。ところが文字に書かれた恐怖というのは、段取りを踏んで、状況を説明し、恐怖へ追い込む。その手間が逆に恐怖感を弱めてしまことにもなる。文字で書かれた恐怖感はだんだん怖くなるといった感じでしか持って行きようがないのかもしれない。
 その上私はもともと鈍感なところがあるので、時間を置かれた恐怖にはそう驚けない。さらに馬齢を重ねている関係で、すれっからしになっているところもあるから余計である。結局選ばれた作品を読んで、失望し、次に期待して、またそれほどでもなかったなぁと思い、本が終わってしまった感じであった。
 その中で多少怖いなと思ったのは、結城昌治さんの『怖い贈り物』であった。酔った勢いでタクシーの中で女性社員にキスをしてしまった男の話である。この女性は男性経験がないようで、その行為を真剣に受け止めてしまい、その男の机の引き出しに小さな花束をしのばせておく。最初はスイトピー、次がマーガレット、スズランと。そして彼女の行為は更にエスカレートして、男の自宅にバラの花束、鉢植えのシクラメン、ヒアシンス、アネモネ、を置き、最後の黒ユリが置かれる。
 花には花言葉がある。スイトピーは「恋の喜び」。マーガレットが「真実の愛」。スズランは「純愛」。赤いバラは「情熱」。白なら「純潔」。黄色なら「嫉妬」。置かれていたバラは三色束になっていた。このあたりから彼女の執念みたいなものが表に出てきて、ヒアシンスが「悲しみ」アネモネが「忍耐、期待、私を捨てないで」で、黒ユリは「呪い」となる。彼女は男の元を訪ね、黒ユリの花言葉の説明をし、呪われたものは必ず死ぬと言い、以前彼女の手を握った同僚が黒ユリが枯れたとたん、交通事故に遭い死亡したことを伝える。
 男はノイローゼになり、黒ユリを枯らさないようにせっせと水を与えるが、黒ユリは枯れ、男は死にはしなかったが、会社を辞め、死を待っているようにぼんやりとするようになった。
 花言葉にはほとんど興味がないが、結構恐ろしい意味の言葉もあるんだなぁと思った次第。

 あとは、山川方夫さんの『箱の中のあなた』もちょっと怖かったかな。三十過ぎの内気で、臆病な女が旅行者に景色をバックに写真を撮ってくれと頼む。女はもっといい景色の場所があると男を誘う。男は予定通り、女を襲うが、抵抗に遭い逆に殺されてしまう。
 女のアパートにはこの男の写真が立てかけられるが、女は「ね?殺しちゃって、ごめんなさい?でも我慢してね。私は、生きている人がこわいの。だって、いつどこへ行っちゃうかわからないし、生きている人は本当には私のものにはなってくれないですもの。このあなたならおとなしくて、けっして私を裏切りもしないわ。私たちは、だましあうこともいらないのよ。きっと、あなたもお淋しくないと思うわ。いつまでもいっしょに暮らしましょうね。仲良く・・・」と写真に話しかける。そして鍵のかかった本棚には黒いリボンをかけた別の写真立てがあり、「ええと、あの人は何番目だったかしら」と言うのである。
 結城さんの作品も山川さんの作品もまさに「げに恐ろしきは、女なり」である。


評価
★★


書誌
書名:恐怖特急
著者:阿刀田高・日本ペンクラブ
ISBN:9784087510294 (4087510298)
出版社:集英社 (1985/04出版) 集英社文庫
版型:358p 16cm(A6)
販売価:入手不可

2008年04月17日

阿刀田高著『食卓はいつもミステリー』

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 阿刀田さんの文庫本はブックオフで105円で買えるので、うれしい。そして値段以上に楽しめるものだから余計にうれしい。
 今回は食べ物に関するエッセイ集だ。先のエッセイと違い寄せ集めでないので、まとまった感じあって非常によろしい。
 この本を読んでいて思うことは、いわゆる戦中や戦後の貧困時代を体験した人は、食に関してこだわりを持っているように思える。たぶんあの時代日々の食事に困っていたから、その中を生き抜いてきただけのことがあって、今の飽食の時代になっても、食べ物に関しては、どうしても一品一品味わいつくし、ああでもない、こうでもないと、言いたくなるのではないか。
 たとえば開高健さんの自伝エッセイを読んでも、戦後の窮乏時代の記述を読むと、ホント目を覆いたくなる。五木寛之さんのエッセイにも、早稲田在学中、自分の血を売って、お金を得ることが書かれていたはずだ。阿刀田さんのこのエッセイにもさらりと書かれているけれど、やはりこの時代苦労したことが書かれている。
 そしてそのときの苦労が今にも及んでいて、阿刀田さんは「若い人たちも私たちの世代も、現在は同じ食糧事情の中で生きているはずなのに、(食べ物や飲み物)の重みを現実の価値以上に高く考えてしまうところがある」という。それは開高さんにしても五木さんのエッセイにも同様に書かれていたと思う。だからという訳じゃないが、食べ物に関しての記述は、結構くどい。
 ただ、阿刀田さんが面白いことをこの本で言っている。それは人の脳は味を覚えることが不得手のようで、たとえば昨日食べたふぐを、食べたという事実を記憶するのはやさしいが、それがどんな味であったかを思い出そうとすると、とたんにぼやけてしまうというのは、何となくわかるような気がする。
 そこで阿刀田さんは、私たちが味に関して持っている語彙が少ないということ思い至る。せいぜい“甘い”、“辛い”、“塩辛い”、“酸っぱい”、“苦い”、“いがらい”、ぐらいだ。たぶんこのように味に関して語彙が少ないのは、私たちの脳の構造に由来するのだろうという。だから食べ物を表現するのはかなりむずかしいことになる。しかし職業作家としては「言葉に尽くせないほどうまい!」と言ってしまっては失格だ。それは開高さんが言っていた。作家である以上、どんなことをしても言葉でその味を言い表さないといけない。近頃のテレビグルメレポーターみたいにただ「うまい!」としか言わないのとは訳が違うのだ。
 語彙が少ない以上、食べ物や味に関しての記述だけではなく、それらにまつわる経験や思い出、あるいは小説のアイデア、本の紹介などで、うまい具合にこの本では添えられていて、楽しかった。特に阿刀田さんが食べ物や経験から得た小説のアイデアの話は興味深く、そのアイデア生かして話を書かれたのを読んでみたくなった。そしてこのエッセイ集のいいところはそうした阿刀田さん小説や他の作家の小説など最後にきちんと発売元などが記述されていて、非常に親切だ。いくつかここで紹介された小説をメモしておいた。

 面白かったのは、生きた伊勢エビを頂き、それを阿刀田さん夫婦が調理する場面。その伊勢エビがあまりにも元気なので、阿刀田さん宅にある鍋じゃゆでるときに飛び出しかねない。で、どうしたかというと、伊勢エビを風呂場に持って行き、お湯をひねってなぶり殺しに近い感じでゆでた。その課程があまりにも残酷なため、食欲がなくなってしまう。
 そこで阿刀田さんは「料理というものは、どの道残酷なものである。手際よくやらなければ、生き物を味よく食べるのはむつかしい。できれば、一番残酷なところは、だれか他の人にやってもらいたい」と悟る。確かに料理というのは残酷なものだ。食べるという行為は生き物を殺して食べることに他ならない。
 「屋台の味」で屋台のラーメンの話がある。阿刀田さんは「路端に屋台のラーメン屋を見ると、ちょっと立ち寄ってみたくなる」というのは気持としてよくわかる。特にお酒を飲んだ後になぜ屋台のラーメン屋を食べたくなるのだろうか?昔午前様で始発電車待つ間、駅のそばにあったラーメンが美味しかった。でも、しらふならきっとそれほどでもないんだろうなと思う。三十を過ぎた頃から、夜を徹して酒を飲むなんてことは体力的に出来なくなって、それ以来屋台のラーメンを食べていない。
 そういえば今私が家に帰るとき、屋台を引いて、商売に出かける人によく出会う。これから商売に出かけるのだから、もう少し気合が感じられていいと思うのだけれど、どうもけだるい感じが全体に漂う。何となく“仕方がない、仕事でもするか”という感じである。
 そして朝、私が新聞を取りに玄関を出ると、そのおやじが屋台を引いて帰っていく姿も見かける。その感じは、出勤時?よりけだるそうでいかにも一日の仕事に疲れたという疲労感一杯に見える。重そうな足取りで屋台を前屈みになって引いている。(実際重いんだろうな)思わず朝から“お疲れ様”と言いたくなる。生きることの大変さを感じてしまうのだ。(どうでもいいか。こんな話)
 トーストの話も美味しそうだった。これもそうだけど、喫茶店でトーストを最近食べなくなった。そもそも喫茶店が少なくなってきたことと、今の生活が喫茶店のトーストを必要としていないんだから仕方がない。
 やはりこれも大学時代の話だけど、アルバイト先で、いつもコーヒーを飲んでいた亜露磨という名の小さな喫茶店のトーストセットが美味しかった。マスターもママも優しい人で、いろんな相談にのってもらった。バイトをやめたとき、一度手紙を書いたことがあった。何を書いたのか忘れちゃったけれど、返事をもらった。確かそこにはお店をやめるということが書かれていたように思う。
 食べ物に関して私ももとよりうまい表現などできはしないけれど、それにまつわる思い出はそれぞれあり、阿刀田さんがいろいろ思い出すように、私も忘れていたことをいくつか思い出させてくれた。
 胃の調子が悪くなって、あまり量を食べられなくなり、更に油ものがやばい状態になって久しいけれど、その分太らなくて済んでいる。ただ最近美味しいと思って食べているものが少なくなった。最後に書いてあったジョークを書き出す。

 おいしく食べられるのは、まちがいなく幸福なことだが、困ったことに食べれば太る。肥満は健康の大敵らしい。ドクトルの言うところでは、
「今、あなたが摂取しているエネルギーの半分で、生活は維持できますな」
「残りはなんに使われるのでしょうか?」
「医者が生活を維持するためです」

 アメリカンジョークだそうだけど、メタボリックをやかましく言われる今、なんか笑えないジョークだと思いませんか?


評価
★★★


書誌
書名:食卓はいつもミステリー
著者:阿刀田 高
ISBN:9784101255125 (4101255121)
出版社:新潮社 (1989-12-20出版) 新潮文庫
版型:243p 15cm(A6)
販売価:入手不可

2008年04月09日

阿刀田高著『好奇心紀行』

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 この本に収録されているコラム、エッセイの初出が最後にまとめてあるのだが、それを見てみると、いかにも雑誌などに書かれた文章を寄せ集めてこの本を出したという感じである。その関係で、大まかにまとめてはあるものの、やはり統一感がない感じがする。
 大まかにまとめられているのは、いわゆる雑文と旅に関するエッセイである。雑文の方は阿刀田さんの作品について書かれたものは興味がわき、ちょっと読んでみたいなという気持になった。
 旅に関しては、阿刀田さんは世界各地に旅をされているので、興味深い。特にギリシアやトルコなど小アジアの古代の遺跡のある旅の記述は、読んでいて自分も行ってみたいなと思う。
 トルコの旅でタイル細工がみごとなモスクの宮殿やモスクを訪ねているのだけれど、それを見て、「りっぱなお風呂屋さんみたいだなあ」と思ったというのは笑ってしまった。
 でも阿刀田さんの感想は、最初きわめて庶民的で、現実的でわかりやすいし、なるほどと思ってしまう。たとえば、吟醸酒について書かれている文章。阿刀田さんは吟醸酒についての知識は「とにかくいいお酒なのだろう」という程度のものであるとまず前置きで書いておき、実際に灘に行って吟醸酒を飲みに行く旅に出る。灘の酒がいいのは、いい水がでるからで、実際その水を飲んでみる。感想は「わからんなあ。うまいような気もするけど、世の中には気のせいということもある」である。
 先のモスクのタイルにしても、灘の水にしても、偉そうにわかったようには、絶対に言わないところがいい。得てしてこういうときはひとつ、ぶってしまうものだけど、そんなことは一切しない。自分に素直に感じたままに言う。だから読む方は親近感もわくし、リアルに感じることが出来るような気がする。
 中にはへぇ~と思えるものもある。たとえば、アレキサンドリアにあった世界最古の図書館について書かれた文章。この図書館の蔵書は七十万冊もあったといわれており、クレオパトラも自慢していたらしい。ところが小アジアのペルガモンに新しい図書館ができ、アレキサンドリアの図書館を凌駕しそうな勢いであった。当然クレオパトラは面白くない。恋人のアントニウスに「ねぇ、ペルガモンの図書館が、すごいんですって。このまんまじゃアレキサンドリアが負けちゃうわ」と訴えたという。(このフレーズはいかにもクレオパトラが言ったよな感じがするので、非常にわかりやすい)訴えられたアントニウスはそれじゃまずいから、ペルガモンの蔵書を全部アレキサンドリアに移そうと約束する。またそれとは別に、クレオパトラに言い寄られて、ペルガモンの図書館の本もパピルスを使って書かれていたから、パピルスをペルガモンに輸出しなきゃ、ペルガモンは困り、アレキサンドリアを凌ぐことは出来まいと言ったという。
 困ったペルガモンはパピルスの代わりに羊皮紙を作り出す。このお陰で、人類の記録がよく残されることなったという。パピルスだと数百年の時間を超えて記録は残らなかったからだ。故に阿刀田さんはクレオパトラのおねだりがなかったら、世界の歴史は変わっていただろうというオチになっている。

 この本で残念なのは、一枚の風景写真や人物写真をあげて、それに関する阿刀田さんのコラムを書かれている「一枚のフォークロア」と「アジアの風」である。如何せんモノクロ写真なので、民族衣装の鮮やかな色について書かれていてもピントこない。そのことに関しては断りの文章があるのだけれど、やっぱりカラーじゃないとよくわからない。まして文庫の載せてある写真はひどい代物なのでどうしようもない。


評価
★★★


書誌
書名:好奇心紀行
著者:阿刀田 高
ISBN:9784062636216 (4062636212)
出版社:講談社 (1997-10-15出版) 講談社文庫
版型:269p 15cm(A6)
販売価:入手不可

2008年04月04日

秦建日子著『推理小説』

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 この本のことを書くと間違いなくネタバレになるので、以下読まれる方は、ご了承を願います。
 
 『推理小説』という小説がまずあって、一方その話に沿って連続殺人事件が起こる。つまり『推理小説』の著者が連続殺人の犯人であることなる。ただこの本は『推理小説』という小説の内容の記述と、それと同じ内容の殺人事件が同時に展開され、交錯し、少々読みづらい部分がある。

 殺人事件が起こるたびに、『推理小説』の原稿が出版社や警察に送られてくる。小説の内容が殺人事件と同じなので当然注目され、話題を呼ぶこととなる。『推理小説』の著者はこの原稿を買い取れと注文してくる。
 ところでこの本の著者である秦さんは、『推理小説』の著者が以前に出版社に原稿を投稿したが、編集者に「展開がアンフェア」、「動機にリアリティがない」と言われ、その原稿はボツとなった経緯のある人物と設定している。ということは、『推理小説』の著者が犯人である以上、連続殺人の犯人は、以前原稿をボツにされた人物ということになる。では本当にその人物が犯人なのか。たぶんそれはないだろうと予想できた。それじゃあまりにも安易すぎる。
 殺人事件が起こっても、マスコミや興味本位で事件を眺める大衆は、事件が他人事であるが故に、正義や人間性を白々しく掲げられる。それが自分自身に関係のないことだけに、冷静に語れるのだ。そしてそれがいかにアンフェアであるか。しかしそれが現実である。リアリティなのだ。
 『推理小説』の本当の著者は、それを証明しようとした。ここまでくればそれを証明しようとした人物は、「展開がアンフェア」、「動機にリアリティがない」と言った人物となる。そしてその人物が『推理小説』を書いたことになる。

 刑事雪平夏見は地道な捜査方法で、犯人を特定するが、なぜ彼が犯人なのか、そう確信する過程は一切書かれていない。ただ、誰が『推理小説』を書いたのか?疑わしき登場人物を一人ずつ消去していくと、読む側は犯人に行きつく。そういう設定だけ。従ってこの本自体も「展開がアンフェア」である。「動機にリアリティがない」とまではいかないけれど、はっきりとしない。かろうじて雪平夏見と編集者の人物像がこの本の救っている。そして事件が劇場型なので、テレビドラマにしやすい感じがする。そういえばこの著者の経歴を見ると劇作家、演出家、シナリオライターとあるから、こんな感じになったのだろう。
 謎解きがしたかったのか、それとも刑事雪平夏見を売り出したかったのか、その点がはっきりしない。やるならもう少しスマートに、かっこよく(あるいは泥臭く)やって欲しかったなぁと思った。


評価
★★
 

書誌
書名:推理小説
著者:秦 建日子
ISBN:9784309407760 (4309407765)
出版社:河出書房新社 (2005-12-30出版) 河出文庫
版型:317p 15cm(A6)
販売価:619円(税込) (本体価:590円)

2008年04月02日

大沢在昌著『魔物』下

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 シベリアの町、ケジュマにあるロシア正教会に以前飾られていたイコンがあった。イコンに描かれていたのは聖人カシアンであった。通常イコンに描かれるのは、イエスやマリア、あるいは聖人であった。カシアンは聖人に列せられながらも、イエスに仕えていたのを自ら裏切ったということで地獄に追いやられた。ただ四年に一度、二月二十九日にカシアンはイコンから抜け出して、心に強い憎しみを秘める人間に取り憑き、その者の欲望を満たす力を与える魔物だと信じられているという。イコンはその伝説ゆえ、長きにわたって封じられていたのだ。
 そしてそれを知った司祭は、二月二十九日がくる前に、海の底へそのイコンを沈めてもらおうと、友人でった麻薬の運び屋に頼んだのだが、その友人は違う運び屋に殺され、カシアンはその運び屋に取り憑き、日本に来た。
 北海道の麻薬取締官大塚は、ロシアと地元やくざとの麻薬取引があるという情報得る。万全の態勢で大塚たちは臨んだが、ブツは押収したものの、麻薬の運び屋であるロシア人を取り逃がしてしまう。ロシア人は、銃撃による重傷を負いながらも、あり得ない力で警官数名を素手で殺害し、町へ消えてしまった。
 そしてカシアンはそのロシア人から日本のやくざに乗り移り、今度はそのやくざが自らの恨みを晴らすために、自分の組の幹部を襲う。そして大塚が憎み続けた、飯田に乗り移る。
 これ以上書いてしまうと、ネタバレになるので、書けないが、ただ上巻を読んでいて、たぶんカシアンは飯田に取り憑くだろうなと予想できちゃった。できれば、そうでないことを期待したのだが、やはり話は安易な方向へ展開する。

 私は上巻のときにも書いたけれど、伝説という非現実的なものを持ち込んじゃうと、リアル感に欠けてしまうので、そんなことはあり得ないと読んでいて頭の中に残ってしまい、素直にこの話を楽しめなかった。実際の話、エンターテイメントとして楽しめばいいのだろうが、それが出来ずに読み終えることとなってしまった。作り話として楽しむことが出来ない自分が、融通が利かないというか、頭が固いというのか、とにかく現実的じゃなくてもこの話を楽しめばいいじゃん思うのだけれど、それが出来なかった。
 でも、どうであれ、カシアンをまたイコンに封じ込めようとする、大塚たちの活躍は、ハラハラドキドキしながら読んだ。また大塚たちとやくざの幹部のやりとりは迫力があったし、かっこよくもあったので、何とかこの話を陳腐にせずに済んだんじゃなかろうかと思う。まぁそのため下巻は盛り返した感じだ。


評価
★★★


書誌
書名:魔物〈下〉
著者:大沢 在昌
ISBN:9784048737685 (4048737686)
出版社:角川書店 (2007-11-30出版)
版型:326p 19cm(B6)
販売価:1,680円(税込) (本体価:1,600円)

2008年04月01日

大沢在昌著『魔物』上

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 昨年読もうと思って買っておいたのだが、他に読みたい本が出てきてしまったので、読むのが遅れてしまった。詳しいことは下巻を読み終わって書きたいけれど、面白い。面白いのだけれど、イコンにまつわる伝説が現代によみがえるというのには、少々リアル感に欠ける。
 麻薬取締捜査官と暴力団とのドンパチは、ハラハラさせ、どうなるんだろう、とページをどんどんめくる羽目になるのだが、せっかくこの場面で盛り上がっても、ロシアの麻薬の運び屋が一枚のイコンにまつわる魔物に取り憑かれて、あり得ない力を発揮したり、銃で撃たれても血も出ないというのは、ちょっとまずいよな~。まぁ小説だから、何でもありということだけど、どうしても読む方は納得できない部分が出てしまう。こうした非現実的なものを持ち込んじゃうと、せっかく話が盛り上がっても、それが気にかかり、興ざめしちゃうのだ。もしかしたら、このことが、この小説の最大の弱点となるんじゃないかと、今、下巻を読んでいて危惧するところである。
 下巻はこの部分をどうやってフォローするのか楽しみだ。ただエンターテイメントとしては面白いことは面白い。


評価
★★


書誌
書名:魔物〈上〉
著者:大沢 在昌
ISBN:9784048737678 (4048737678)
出版社:角川書店 (2007-11-30出版)
版型:361p 19cm(B6)
販売価:1,680円(税込) (本体価:1,600円)