2008年04月17日
阿刀田高著『食卓はいつもミステリー』
阿刀田さんの文庫本はブックオフで105円で買えるので、うれしい。そして値段以上に楽しめるものだから余計にうれしい。
今回は食べ物に関するエッセイ集だ。先のエッセイと違い寄せ集めでないので、まとまった感じあって非常によろしい。
この本を読んでいて思うことは、いわゆる戦中や戦後の貧困時代を体験した人は、食に関してこだわりを持っているように思える。たぶんあの時代日々の食事に困っていたから、その中を生き抜いてきただけのことがあって、今の飽食の時代になっても、食べ物に関しては、どうしても一品一品味わいつくし、ああでもない、こうでもないと、言いたくなるのではないか。
たとえば開高健さんの自伝エッセイを読んでも、戦後の窮乏時代の記述を読むと、ホント目を覆いたくなる。五木寛之さんのエッセイにも、早稲田在学中、自分の血を売って、お金を得ることが書かれていたはずだ。阿刀田さんのこのエッセイにもさらりと書かれているけれど、やはりこの時代苦労したことが書かれている。
そしてそのときの苦労が今にも及んでいて、阿刀田さんは「若い人たちも私たちの世代も、現在は同じ食糧事情の中で生きているはずなのに、(食べ物や飲み物)の重みを現実の価値以上に高く考えてしまうところがある」という。それは開高さんにしても五木さんのエッセイにも同様に書かれていたと思う。だからという訳じゃないが、食べ物に関しての記述は、結構くどい。
ただ、阿刀田さんが面白いことをこの本で言っている。それは人の脳は味を覚えることが不得手のようで、たとえば昨日食べたふぐを、食べたという事実を記憶するのはやさしいが、それがどんな味であったかを思い出そうとすると、とたんにぼやけてしまうというのは、何となくわかるような気がする。
そこで阿刀田さんは、私たちが味に関して持っている語彙が少ないということ思い至る。せいぜい“甘い”、“辛い”、“塩辛い”、“酸っぱい”、“苦い”、“いがらい”、ぐらいだ。たぶんこのように味に関して語彙が少ないのは、私たちの脳の構造に由来するのだろうという。だから食べ物を表現するのはかなりむずかしいことになる。しかし職業作家としては「言葉に尽くせないほどうまい!」と言ってしまっては失格だ。それは開高さんが言っていた。作家である以上、どんなことをしても言葉でその味を言い表さないといけない。近頃のテレビグルメレポーターみたいにただ「うまい!」としか言わないのとは訳が違うのだ。
語彙が少ない以上、食べ物や味に関しての記述だけではなく、それらにまつわる経験や思い出、あるいは小説のアイデア、本の紹介などで、うまい具合にこの本では添えられていて、楽しかった。特に阿刀田さんが食べ物や経験から得た小説のアイデアの話は興味深く、そのアイデア生かして話を書かれたのを読んでみたくなった。そしてこのエッセイ集のいいところはそうした阿刀田さん小説や他の作家の小説など最後にきちんと発売元などが記述されていて、非常に親切だ。いくつかここで紹介された小説をメモしておいた。
面白かったのは、生きた伊勢エビを頂き、それを阿刀田さん夫婦が調理する場面。その伊勢エビがあまりにも元気なので、阿刀田さん宅にある鍋じゃゆでるときに飛び出しかねない。で、どうしたかというと、伊勢エビを風呂場に持って行き、お湯をひねってなぶり殺しに近い感じでゆでた。その課程があまりにも残酷なため、食欲がなくなってしまう。
そこで阿刀田さんは「料理というものは、どの道残酷なものである。手際よくやらなければ、生き物を味よく食べるのはむつかしい。できれば、一番残酷なところは、だれか他の人にやってもらいたい」と悟る。確かに料理というのは残酷なものだ。食べるという行為は生き物を殺して食べることに他ならない。
「屋台の味」で屋台のラーメンの話がある。阿刀田さんは「路端に屋台のラーメン屋を見ると、ちょっと立ち寄ってみたくなる」というのは気持としてよくわかる。特にお酒を飲んだ後になぜ屋台のラーメン屋を食べたくなるのだろうか?昔午前様で始発電車待つ間、駅のそばにあったラーメンが美味しかった。でも、しらふならきっとそれほどでもないんだろうなと思う。三十を過ぎた頃から、夜を徹して酒を飲むなんてことは体力的に出来なくなって、それ以来屋台のラーメンを食べていない。
そういえば今私が家に帰るとき、屋台を引いて、商売に出かける人によく出会う。これから商売に出かけるのだから、もう少し気合が感じられていいと思うのだけれど、どうもけだるい感じが全体に漂う。何となく“仕方がない、仕事でもするか”という感じである。
そして朝、私が新聞を取りに玄関を出ると、そのおやじが屋台を引いて帰っていく姿も見かける。その感じは、出勤時?よりけだるそうでいかにも一日の仕事に疲れたという疲労感一杯に見える。重そうな足取りで屋台を前屈みになって引いている。(実際重いんだろうな)思わず朝から“お疲れ様”と言いたくなる。生きることの大変さを感じてしまうのだ。(どうでもいいか。こんな話)
トーストの話も美味しそうだった。これもそうだけど、喫茶店でトーストを最近食べなくなった。そもそも喫茶店が少なくなってきたことと、今の生活が喫茶店のトーストを必要としていないんだから仕方がない。
やはりこれも大学時代の話だけど、アルバイト先で、いつもコーヒーを飲んでいた亜露磨という名の小さな喫茶店のトーストセットが美味しかった。マスターもママも優しい人で、いろんな相談にのってもらった。バイトをやめたとき、一度手紙を書いたことがあった。何を書いたのか忘れちゃったけれど、返事をもらった。確かそこにはお店をやめるということが書かれていたように思う。
食べ物に関して私ももとよりうまい表現などできはしないけれど、それにまつわる思い出はそれぞれあり、阿刀田さんがいろいろ思い出すように、私も忘れていたことをいくつか思い出させてくれた。
胃の調子が悪くなって、あまり量を食べられなくなり、更に油ものがやばい状態になって久しいけれど、その分太らなくて済んでいる。ただ最近美味しいと思って食べているものが少なくなった。最後に書いてあったジョークを書き出す。
おいしく食べられるのは、まちがいなく幸福なことだが、困ったことに食べれば太る。肥満は健康の大敵らしい。ドクトルの言うところでは、
「今、あなたが摂取しているエネルギーの半分で、生活は維持できますな」
「残りはなんに使われるのでしょうか?」
「医者が生活を維持するためです」
アメリカンジョークだそうだけど、メタボリックをやかましく言われる今、なんか笑えないジョークだと思いませんか?
評価
★★★
書誌
書名:食卓はいつもミステリー
著者:阿刀田 高
ISBN:9784101255125 (4101255121)
出版社:新潮社 (1989-12-20出版) 新潮文庫
版型:243p 15cm(A6)
販売価:入手不可
- by kmoto
- at 17:56
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