2008年05月31日
ベルンハルト・シュリンク著『朗読者』
やっと自分らしい本を読む。
ミヒャエル・ベルクは15歳の時、学校の帰りに気分が悪くなり吐いてしまう。その時介抱してくれたのがハンナ・シュミッツという38歳のミヒャエルの母親といってもいいくらいの女性であった。ミヒャエルは黄疸であった。
病状も何とか回復して、その時のお礼にハンナのアパートに向かう。彼女と話し、帰ろうとすると、彼女も出かけるから、一緒に出ようという。その時ミヒャエルは彼女の着替える姿、ストッキングはく姿を見てしまい、視線をそこから離すことができなかった。自分の視線を悟られたミヒャエルはあわててそこから逃げ出すが、一週間後またハンナのもとを訪ねる。
暖房用のコークスを取ってくるのを手伝ったミヒャエルは黒く汚れてしまい、ハンナに風呂を勧められる。いつの間にかハンナも裸になり、「おいで!」「このために来たんでしょ!」とミヒャエルの下心を見抜き、彼女に抱かれる。
ミヒャエルは彼女との性的関係を続けるうちに、ハンナがその前に本を読んで欲しいと言い出す。朗読と性的関係の不思議な状態が生まれる。関係を続けるうちに、彼女が路面電車の車掌であることがわかる。
この本はこういう展開をする話だったのかとちょっとがっかりした。しかしそれは違った。突如話は複雑になっていき、ハンナの悲しい過去が明らかになると同時に、違った局面を見いだす。
ハンナは突然失踪する。ハンナに失踪されたミヒャエルは最初彼女の姿がないことに苦悩するが、それを忘れるために大学での勉強に精を出す。ある日法学のゼミの課題として強制収容所の看守を裁く裁判を傍聴に行く。
ミヒャエルはその裁判を傍聴することによって、自分たちのような後から来た世代の人間はユダヤ人絶滅計画にまつわる恐ろしい情報の前で、何を始めるべきなのだろうか?戦犯を明らかにし、責任者を糾弾することで、自分たちが今感じる恥ずかしさから逃れようとしていないか?恥じる者の苦しみを逃れるために戦争責任者を攻撃していないかと自問する。
このあたりは訳者のあとがきによると、そういう時代「六八年世代」に著者が感じた時代の雰囲気なんだそうだ。ドイツにとって精神的に苦しい時代だったのだろう。
その法廷でハンナの姿を見た。ハンナは21歳の時親衛隊の募集に応じ、強制収容所の看守になっていた。戦況が悪化したとき、囚人達を移動させたが、たまたま囚人達を泊めた教会が爆撃にあい、ほとんどの囚人が火事で死んでしまった。戦後生き残った者が本を出版し、ハンナたちの犯罪が裁かれることとなった。
裁判ではハンナが収容所で若くて弱い女の子を一人選び、自分の保護のもとに置き、その子が働かなくてもいいようにし、ベッドも食事も与えた。そして夜になると、毎晩女の子を呼び本を朗読させた。そして飽きると、アウシュビッツに送ったと明らかになっていく。
このことを含め、裁判ではハンナの立場がどんどん悪るくなっていく。以前何かの本で読んだことがあるが、ナチスの戦犯を裁く裁判では、必ず「それは命令であったから、逆らうことはできず、仕方がないことだった」と自分たちがしたことを正当化するのが常套手段で、ハンナ以外の被告もそう主張した。しかしハンナはたとえそれが命令であっても、自分が犯した罪は認めた。それをいいことに、あるいはハンナ一人が罪を認めたいらだちから、他の被告はハンナにすべての罪をなすりつけ、あの夜の事故の報告書は間違いで、それを書いたのはハンナだと主張し始める。
実際その報告書を書いたのがハンナであるかどうか、筆跡鑑定をするということになったとき、ハンナはその報告書を書いたのは自分だと突然態度を変えて認めてしまう。判決が下り、他の被告は軽くすんだのにハンナは無期懲役となる。
ミヒャエルは気づく。ハンナはおそらく貧しい境遇のため文字を読むことも書くこともできなかったことを。ハンナは文盲ではあったが、知識に飢えていた。だからミヒャエルや収容所で女の子に本を朗読させたのだ。そして文盲であることを恥ずかしく思っていた。それがあからさまになることをおそれていた。筆跡鑑定をされれば、自分が文盲であることがばれてしまう。だから一転して報告書を書いたのは自分だと認めたのだ。あるいはミヒャエルと旅行へ出かけたとき、朝ミヒャエルが食事を取りに行くというメモを残して、ハンナを一人にしたとき、一人にされたことを怒り、メモなどなかったと主張したのだ。さらにハンナ失踪したのも、会社がハンナに運転士の資格を取らしてやろうと提案したからで、車掌でいる間は自分の文盲を隠せたかもしれないが、運転手の訓練を受ければ、それがばれてしまうことをおそれ、会社から失踪したのであった。
ミヒャエルはその事実を裁判長に言うかどうか迷い、哲学者である父親に相談する。父親は「他人がよいと思うことを自分自身がよいと思うことより上位に置くべき理由はまったく認めないね」というのであった。それは人が生きていく上での尊厳の話であった。たとえハンナの罪が軽くなったとしても、ハンナにとって文盲がばれることは自分の尊厳を失うことになる。それが耐えられなかったのである。
ミヒャエルは司法修習生の頃、同じ道を歩むゲルトルートという女性と結婚し一人娘をもうけるが、離婚してしまう。結局ミヒャエルはハンナから解放されることはなかった。
離婚後、ミヒャエルがハンナにまた朗読をしてやろうと思い立ち、ハンナに録音したカセットテープを送る。しかし彼はテープは送るが自分の言葉を吹き込まなかったし、手紙も添えなかった。そして四年目に「坊や、この前のお話は特によかった。ありがとう。ハンナ」という自筆の手紙が届く。ミヒャエルは歓喜に満たされその手紙を読んだ。なぜなら彼は、文盲の人たちが、日常生活を送る際の寄る辺のなさ、道や住所を見つけることの困難さ、レストランで料理を選ぶときの大変さ、そして何よりも読み書きができないということを隠すために、本来の生活とは関係ないところで費やされる余計なエネルギー、文盲であることは、市民として成熟に達することができないことを知ったからであった。
不器用でぎこちないハンナの文字を見て、それだけを書くのにどれほど苦労したかを知るのであった。しかしそれまで長い間拒んだり、拒まれたりしたことは「遅すぎる」と彼は感じたが、一方で単に「遅い」だけでやらないよりやった方がましだろうかとまた自問する。
しばらくミヒャエルの朗読を吹き込んだカセットとハンナの短い手紙のやりとりが続いたが、服役18年で恩赦があり、ハンナは出獄することとなった。ミヒャエルは身寄りのないハンナの社会復帰を助けるため、出所一週間前に彼女を訪ねていく。二十数年ぶりの対面である。ハンナはもう一人の老女だった。短い会話を交わし、来週の出迎えを約束した。それが最後だった。
出所の朝、ハンナは首を吊り、自殺したのであった。どうしてハンナは自殺をしたのか。このあたりは私にはよくわからない。ハンナがいた部屋にはミヒャエルが送ったカセットテープがきちんと整理されて残され、ベッドある壁にはミヒャエルがギムナジウムをを卒業したとき、何かの賞を校長から受けている彼の写真が載っている新聞写真が貼ってあった。ミヒャエルはこみ上げてくる涙と戦っていた。刑務所の所長はハンナの遺書を読む。そこにはお茶の缶に入っているお金と銀行に入っている七千マルクお金をあの教会の火事で生き残った母と娘に渡して欲しいと書かれていた。
私はミヒャエルが貧困と戦争に翻弄されたハンナの悲しい人生をつづるこの物語に圧倒されてしまった。時には自尊心は自らを苦しめることを知らされたし、正義心は時には、その人のために必ずなるとは言い切れないこともあるんだと思った。ミヒャエルは父親の助言を受け入れることは、ハンナの生き方を尊重することになるが、逆にハンナを苦況に陥れることもわかっていたはずだ。だからミヒャエルはハンナと追従しようとしたのではないか。あるいは無意識にそうせざるを得なくなったのではないか。だからハンナから一生解放されることもなく、また朗読を始めたのではないかと思った。
ハンナが短い手紙を寄こしたとき、ミヒャエルはハンナを苦しめていたものから解放されると感じたはずだ。そしてそれはある意味ハンナと追従してきたミヒャエル自身の解放ともなり得たのではないか。そんなことを感じた。しかし物語はハッピーエンドでは終わらず、ハンナの自殺で、ミヒャエルのみ背負ってきたものから解放されずに生きていくはめになったような気がする。他人の人生の一部を共有してしまっための悲劇とでもいうのであろうか。
評価
★★★★★
書誌
書名:朗読者
著者:シュリンク,ベルンハルト、松永 美穂訳
ISBN:9784102007112 (4102007113)
出版社:新潮社 (2003-06-01出版) 新潮文庫
版型:258p 15cm(A6)
販売価:539円(税込) (本体価:514円)
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- by kmoto
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