2008年08月04日
ドナルド・キーン著『明治天皇』〈1〉
長編が読みたくなった。まずはこの本からはじめることにした。
出だしに次のような文章がある。
「明治天皇が日本史上最も偉大な統治者であると信じる日本人でさえ、その輝かしい名声に見合う天皇の業績一つ思い起こすのに苦労するありさまである。明治天皇という名前から、我々は当然のように近代日本の始まりを告げる『明治維新』を連想する。しかし、改元当時(1868年)の天皇は満十五歳に過ぎず、維新ならびにそれに続く数々の重大な変革に天皇が何らかの重要な貢献をなし得たとは考えにくい。明治天皇の名は、また日清・日露の戦争の勝利と日英同盟の締結とも結びつけられるが、これらの出来事に際しての天皇の役割は、明らかに政策や戦略の実際の立案者というよりは仁慈ある統率者ということであったろう。しかし明治天皇の治世を通じて、いや後世に至るまで、この天皇の存在が人々に非凡な勇気をある行為を演じさせということも確かな事実である。明治新政府の数々の変革をなし遂げた功臣たちにとって、明治天皇が常に心拠り所であったことは疑うべくもない事実だった」と。
多分この本は明治天皇だけを語るのではなく、明治を作った非凡な人々が(それにしてもいつも不思議に思うのだけれど、どうしてこの時期だけにあれだけ多くの有能な人物を排出したのだろうか?)、明治天皇のブレーンとなって、新しい日本を作り上げたことを語るのだろうと思う。それは明治天皇が自ら立案、政策できる訳がないと思うからだ。だってそれまでは天皇は政治や外交の表舞台から遠ざけられていて、平安時代のままの生活をすることを強制されていたのだから当然であろう。
しかし天皇は明治維新を推進する人物たちにとって、キーンさんが言うように心拠り所であった。例えば大久保利通に初めて天皇が謁見したとき、大久保は「余一身の仕合、感涙の外これなく候」と書いているし、木戸孝充にしたって「布衣にて天顔を咫尺に奉拝せし事、数百年、未嘗聞なり。感涙満襟」と書くくらい、天皇と会うことだけで涙しちゃうのだ。
一方で明治天皇は都合のいい道具であり、中には自分たちが行動しやすくなるため、「玉」というものさえいた。少なくともこの巻では、いわゆる幕末志士の生き残りたちが、明治維新を遂行するために、幼い明治天皇を道具として使っている傾向が強い。
この本は外国人が明治維新を語るため、いわゆる小難しい言葉の使い回しがないし、細かい背景を長々つづることもない。そのため比較的わかりやすい。それは以前読んだ大佛次郎さんの『天皇の世紀』と比べてみても明らかである。しかし、注は詳しく書かれ、それは結構面白い。
まずは明治維新が始まるきっかけは、ペリーの黒船来航からである。それまで200年以上も鎖国を続けてきた日本は当然ペリーの来航は驚きであった。だからといって、強引なペリーの態度を蹴散らすほど、国力がなかった。鎖国の中で、長い間江戸時代が続き、戦もほとんどなくなり、武士が戦う集団としての実力が失なっていた。幕府はただ慌てふためくだけであり、どうしていいかわからなかった。自分たちで態度を決めかねてしまったのだ。そこで、助けを天皇に求めた。キーンさんは言う。「いったん天皇と協議する先例が出来てしまうと、かりに不可能ではないにせよ、もはや天皇の意思を無視することは難しいということを幕府は痛いほど知ることになった」と。
当時の天皇は孝明天皇であった。この天皇、神聖な日本の土地に外国人がいるということ自体神々に対する言語に絶する屈辱であると考えていた天皇で、外国と交易をするなんて考えられないという思想の持ち主であった。いわゆる徹底した攘夷思想の持ち主であった。当然孝明天皇は攘夷を遂行しろと幕府に言う。
ところがアメリカ、イギリス、フランスは武力を持って開国せよと迫る。「幕閣の中でも聡明な人々、例えば将軍後見職徳川慶喜、政事総裁職松平慶永は開国がもはや必死であることに気がついていた。しかし将軍家茂としては、孝明天皇に攘夷を遂行するという言質を与えるほか余地はなかった」。幕府は列強各国、天皇と板挟みになる。
一方で孝明天皇は、幕府擁護側であった。あくまでも幕府が自らの主張である攘夷を遂行しつつ、政治・外交のイニシアティブを取るべしという態度である。孝明天皇には「尊皇攘夷」という考えはなかった。公武合体をして、この難局を乗り切れという考えであった。
板挟みになった幕府はその権威がどんどん失墜していき、逆に天皇の存在感が大きくなっていく。将軍家茂は頻繁に上洛し、孝明天皇のご機嫌伺いをするようになる。孝明天皇は初めて自らの意思で、御所を出て、攘夷祈願のため賀茂下社へ行幸した。家茂も同行し天皇の乗る乗り物が家茂の前を通過するとき、馬から下りてひざまずいた。この時高杉晋作がここにいて、その光景を見て、芝居もどきに「よっ、征夷大将軍!」と声をかけた。このように揶揄されるくらい、将軍の権威は失墜していたのである。
その孝明天皇は急死した。一説によると毒殺されたのではないかという噂がある。その犯人の可能性の最も高かった人物が、岩倉具視と言われているが、他にも大久保利通などの名前もあがっている。
では何で毒殺説があるかといえば、孝明天皇の外国人嫌いによる。アーネスト・サトウもこのことを書いている。先に書いた通り、孝明天皇は徳川幕府の崩壊は望んでいなかった。キーンさんは次のように書く。
「もし孝明天皇が倒幕と王政復古を目指す人々の前に立ちはだかり、なおも妨害し続けたら、維新の実現は極めて難しいことになったに違いない。あるいは、その実現は不可能でさえあったかもしれない」と。
確かに孝明天皇が生きていたら、維新は達成は難しかっただろうと思える。だから殺されちゃったといってもあり得ないことではないなと思うのだ。実際次の明治天皇に世になって、王政復古を目指す人々にとっては倒幕運動もやりやすかっただろうし、維新も達成できた。
第一巻は、明治天皇誕生から、江戸城開城、そして幕府の残党狩りに進み、明治天皇が東京と改名された江戸に向かい、何度か江戸城入城するまでが書かれている。
評価
★★★
書誌
書名:明治天皇〈1〉
著者:ドナルド・キーン/角地 幸男訳
ISBN:9784101313511 (4101313512)
出版社:新潮社 (2007-03-01出版) 新潮文庫
版型:471p 15cm(A6)
販売価:700円(税込) (本体価:667円)
- by kmoto
- at 20:34
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